年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第3話 第三王子と母の思い出

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 準備を終えたクリストフと侍女のエレナは、迎えに来た近衛兵に連れられてまずは王宮へと向かった。

 途中エレナを迎えに来ていたハーマン子爵とエレナの兄アシュトン卿に出会ったクリストフは、彼等に千切れんばかりに手を握られた。その後エレナと別れ、クリストフは国王夫妻と二人の異母兄と合流した。

 堂々たる体躯と自信と威厳に満ちた顔、しかし自分を嘲笑うような笑みを浮かべた王太子である第一王子。爽やかな微笑みと煌めくような長髪を靡かせ、優しげな瞳で「やあ」と声をかけてくる第二王子。美しく威風ある兄たちの後ろについてとぼとぼと歩く自分がどれだけみすぼらしく見えるのかが周囲の視線で嫌でも分かってしまう。

 いくら櫛で梳いてもくるくると思い通りにならない癖のあるクリストフの黒髪は、毛先が跳ねてばかりで手入れもされていないように見える。目尻も眉尻も下がり気味の顔は頼りなく、おまけにちびである。

 クリストフは二人の兄の後ろに隠れて歩きながら、母と暮らした狭い部屋を思い出していた。

 規模は小さいが賑わいのある街の片隅にある小さな娼館。その中の狭くてぼろぼろの部屋。そこで二人で身を寄せ合って暮らしていた。それでもクリストフは幸せだった。

 クリストフと母は、哀れな母子の身を見かねて拾ってくれた娼婦が勤める娼館で細々とした日々の仕事を手伝っていた。それから、街外れの修道院と併設している孤児院にも足繁く通い、彼等と共に働きもした。ときには傷ついた娼婦や子どもたち、わけ有りの修道女たちを癒やすこともあった。

 母の癒やしは体についた傷だけではない。心を傷つけられた者に寄り添っては遅くまで彼等の言葉に耳を傾けていた。そうした母の噂はこっそりと風に乗って流れていき、いつしか娼館には別の娼館で恐ろしい目にあったという女性たちが集まるようになっていた。

 母は彼女たちの涙を受け止め手を握り、いつまでも彼女たちの心に寄り添っていた。母自身の体調は常に思わしくなく、よく咳をしていて、おまけに何かの後遺症とやらで左目が見えないにも関わらず、そんな自分の傷を治そうともせずに他者の傷ばかりを癒やし続けていた。水仕事も多いせいかあかぎれて細かな傷が耐えないその手は、いつも優しくクリストフの頭を撫でてくれた。

 あるとき、クリストフは自分が手を握れば母の手の傷を治せることに気がついた。喜んで母の傷を消してみせると、母は大層驚いて「自分のことはいいから、人前ではその力を使わないように」とクリストフに言った。クリストフが母にその理由を尋ねると、母は悲しげな顔をしながら答えた。


「その力はあなたを一人ぼっちにしてしまうのよ」


 そしてクリストフの頭を撫でてこう言った。


「ただ、あなたを本当に理解してくれる人が必ず現れる。その人に相談して力を使いなさい」


 そんな母の手はいつになく温かく感じたが、クリストフが見上げたその眼差しは厳しいものだった。


「あなたの力が人々を救うのはそのときだけ。たくさんの人を救おうと思うなら、あなたがいなくなり、あなたの力がなくなってしまった後も人々が救われるようなやり方を考えなければならないの」


 誰か一人だけが持つ力には依存せずに、もっとたくさんの人が救えるようにならないと。母はそのときばかりは眉を寄せて唇を噛み締めていた。

 それから暫くして母との幸せな時間は終わりを告げた。

 ある朝クリストフが目覚めると、僅かに差し込む朝陽の中、クリストフの隣で母は冷たくなっていた。自分を抱いて幸せそうに眠る母の顔をクリストフはいつまでも眺めていた。

 やがてここに住まわせてくれる手配をしてくれた娼婦の一人がやってきて母の死が分かった。後遺症とやらは母の体をずっと蝕んでいたらしい。母を慕っていた多くの女性と子どもたちが集まり、葬儀はしめやかに行われた。

 クリストフが五歳のころの出来事だ。母に会えないということがそのときのクリストフにはまだあまりよく分からなかった。

 それからは、クリストフは母同様に母が世話になっていた娼館の雑事などを引き受けていた。娼婦たちや修道女たち、孤児たちのために働くのが生きがいの一つとなっていった。皆、クリストフに良くしてくれた。新しい家族だった。

 成長するにつれクリストフは様々な魔法が使えるようになっていったが、あのときの母の言葉に従い人前では一切使用しなかった。その代わり、独学で魔道具製作に励むようになった。

 自分がいなくなっても魔道具は残る。何か良い魔道具を作れば母が悩んでいたことを解決できるかもしれない。クリストフはそう考えた。それに、何かに没頭するのは楽しかった。

 クリストフは様々な試作品を作っては自分で使ってみたり、娼婦たちに試してもらったりした。だが、作ったものを一番見せたい母に見せることは叶わない。ある時期からその思いが何度も心に突き刺さった。そして日常の中のふとした瞬間にたびたび母のことが思い出され、それが喪失感だと知った。それでもクリストフは魔道具製作に励み続けた。

 そうして日々を過ごし、遅れてきた悲しみがやっと穏やかな思い出に変わろうとしていたころ、娼館にやってきた元神官だと名乗る輩がクリストフの容姿を見て騒ぎ立てた。「ご落胤だ」「聖女様のお子様だ」と。




 王宮に来るつもりなどなかったのに。クリストフは当時を振り返って唇を噛み締めた。

 騎士団が来て、嫌がるクリストフをむりやり王都に連れ出したあの日。玉座の前で父だと名乗る国王と対面したあの日。沈痛な面持ちで母に対する謝罪の言葉を述べる王妃と、彼女を許せと強制する視線を向けてきた周囲の者たちに辟易したあの日。

 娼館に帰れば良かったのだ。謝罪の歓待など受けなければ良かったのだ。食べたこともないご馳走に大喜びして満腹になって眠ってしまい、一晩明ければ離れに閉じ込められていた。たかだか平民に構っているのも一時の気の迷いだろうとたかを括っていたが、最近になってやっと分かった。生涯ここに監禁されるのだ。第三王子などと持ち上げられはしたが、結局はクリストフが邪魔だと思ったのだろう。

 もちろん脱走を試みたことはある。だがふと思い留まった。自分を連れ出す際、抵抗した娼婦に剣を向けた騎士がいた。そうやってまた、あの娼館に迷惑がかかったら。母を慕っていた修道女たちに何か危害があれば。母が大切にしていた孤児たちが酷い目にあったら……。

 そうして考えた結果、クリストフはいまだ王宮の敷地内にある館にいる。




 鬱々としながら乗り慣れない馬車から降り、兄と呼ばなければならない男たちの後に続いて歩いていたクリストフの目に急に太陽の光が差した。

 眩しさに目を瞬かせると、目の前には陽光を反射して煌めく巨大な白い柱が左右に並んでいた。その奥には大きな女神像が見える。クリストフは思わず口を開けて立ち尽くした。


「これが神殿だよ」


 第二王子エアハルトがそっと教えてくれた。





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