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第1章
③
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本木が入院している病室の前にたどり着き、つくよは数回深呼吸をした。
少しの間目を瞑って、意を決して扉をたたく。
「本木さん。少しよろしいでしょうか?」
凛とした声音で声をかけると、中から扉が開いた。顔を覗かせたのは不健康なほどに巨体の男だ。
彼は腕をけがしているだけなので、自由に病院内を動き回っている。本来ならば入院するほどのけがではないのは病院内の誰もが知っていることだ。
「私になにか用か?」
「……石浜のことでございます」
「あぁ、あの娘のことか」
わざとらしく声を上げ、本木は病室の扉を開いた。自由に動く左手でつくよの手首をつかみ、強引に病室内に連れ込む。
「――本木さん!」
「別にいいだろう。こっちは患者なのだから」
患者だったとしても、やっていいことと悪いことがある。幼子でもわかるようなことが、この男はわからないのか――。
(けど、怒ることもできない。今は感情を殺さなくては)
唇を軽く噛んで、本木を見つめた。彼はぽりぽりと頬を掻く。長い前髪の奥から見える目がどんよりと昏く見える。
頭の片隅で危険だと誰かがささやいたような気がした。
「石浜は業務に関して、きちんとやっています」
つくよは知っている。嘉子が誰よりも必死に看護婦としての業務にあたっているということを。
病弱な妹の治療費を稼ごうとがんばっていることを。
「万が一、彼女に粗相があったとするなら、それは教育係を務めた私の落ち度でございます」
「……ということは、文句はお前に言えばいいということか?」
視線を向けられ、つくよは怯んだ。本木の視線がねっとりとして見えるのは気のせいではないはずだ。
「別に私は理不尽な言いがかりをつけているわけではない。あの娘が成長するために、心を鬼にして言っているだけだ」
言葉のすべてが恩着せがましい。結局、この男は自分のしていることや言っていることを正当化したいだけなのだ。
「ところで、看護婦さん。いや、高千穂さん」
さりげなく苗字を呼ばれ、つくよは息を呑む。
「キミは既婚者か? 恋人はいるのか?」
こんなこと今聞くことではないだろう――と戸惑いを見せるつくよに、本木がたたみかける。
「私はキミを案外いい女だと思うがね」
「……業務に関係のないことでしたら、答える義務はございません」
頭を下げて、場を立ち去ろうとした。しかし、咄嗟に男の左手が伸びてきた。手はつくよの手首をつかむ。身体が強張った。
「そう素っ気なくするな。私はあの本木家の男だ。キミにも悪い話ではないだろう」
悪い話かどうかはこっちが決める。
喉元まで出かかった言葉を呑み込んで、怒りを流そうとする。
(殴りたい。でも、ここで殴ってはいけない)
患者を殴ったともなると、看護婦失格である。クビは免れないだろうし、今後の就職も危うい。
唇を噛んでなんとか感情を逃がし、やり過ごそうとした。
「……業務がありますので、失礼いたします」
とにかく今はここから逃れなくては――。
その一心で踵を返そうとしたものの、本木の手が肩に触れ、抱き寄せられた。
「一目見たときから、キミが好みだったんだ。凛としていて美しい。まるで孤高の花じゃないか」
「なにを」
「そんな孤高の花を手折りたいという欲望は、誰にだってあるだろう」
身勝手な言葉に、さすがに我慢の限界だった。
「いい加減に――」
つくよの口から怒りの言葉が出るよりも先に、誰かの手がつくよを抱き寄せた。それは、本木の手ではない。
「さっきから聞いていれば、身勝手なことこの上ないですね。傲慢で強欲な、嫌な男の典型例だ」
少しの間目を瞑って、意を決して扉をたたく。
「本木さん。少しよろしいでしょうか?」
凛とした声音で声をかけると、中から扉が開いた。顔を覗かせたのは不健康なほどに巨体の男だ。
彼は腕をけがしているだけなので、自由に病院内を動き回っている。本来ならば入院するほどのけがではないのは病院内の誰もが知っていることだ。
「私になにか用か?」
「……石浜のことでございます」
「あぁ、あの娘のことか」
わざとらしく声を上げ、本木は病室の扉を開いた。自由に動く左手でつくよの手首をつかみ、強引に病室内に連れ込む。
「――本木さん!」
「別にいいだろう。こっちは患者なのだから」
患者だったとしても、やっていいことと悪いことがある。幼子でもわかるようなことが、この男はわからないのか――。
(けど、怒ることもできない。今は感情を殺さなくては)
唇を軽く噛んで、本木を見つめた。彼はぽりぽりと頬を掻く。長い前髪の奥から見える目がどんよりと昏く見える。
頭の片隅で危険だと誰かがささやいたような気がした。
「石浜は業務に関して、きちんとやっています」
つくよは知っている。嘉子が誰よりも必死に看護婦としての業務にあたっているということを。
病弱な妹の治療費を稼ごうとがんばっていることを。
「万が一、彼女に粗相があったとするなら、それは教育係を務めた私の落ち度でございます」
「……ということは、文句はお前に言えばいいということか?」
視線を向けられ、つくよは怯んだ。本木の視線がねっとりとして見えるのは気のせいではないはずだ。
「別に私は理不尽な言いがかりをつけているわけではない。あの娘が成長するために、心を鬼にして言っているだけだ」
言葉のすべてが恩着せがましい。結局、この男は自分のしていることや言っていることを正当化したいだけなのだ。
「ところで、看護婦さん。いや、高千穂さん」
さりげなく苗字を呼ばれ、つくよは息を呑む。
「キミは既婚者か? 恋人はいるのか?」
こんなこと今聞くことではないだろう――と戸惑いを見せるつくよに、本木がたたみかける。
「私はキミを案外いい女だと思うがね」
「……業務に関係のないことでしたら、答える義務はございません」
頭を下げて、場を立ち去ろうとした。しかし、咄嗟に男の左手が伸びてきた。手はつくよの手首をつかむ。身体が強張った。
「そう素っ気なくするな。私はあの本木家の男だ。キミにも悪い話ではないだろう」
悪い話かどうかはこっちが決める。
喉元まで出かかった言葉を呑み込んで、怒りを流そうとする。
(殴りたい。でも、ここで殴ってはいけない)
患者を殴ったともなると、看護婦失格である。クビは免れないだろうし、今後の就職も危うい。
唇を噛んでなんとか感情を逃がし、やり過ごそうとした。
「……業務がありますので、失礼いたします」
とにかく今はここから逃れなくては――。
その一心で踵を返そうとしたものの、本木の手が肩に触れ、抱き寄せられた。
「一目見たときから、キミが好みだったんだ。凛としていて美しい。まるで孤高の花じゃないか」
「なにを」
「そんな孤高の花を手折りたいという欲望は、誰にだってあるだろう」
身勝手な言葉に、さすがに我慢の限界だった。
「いい加減に――」
つくよの口から怒りの言葉が出るよりも先に、誰かの手がつくよを抱き寄せた。それは、本木の手ではない。
「さっきから聞いていれば、身勝手なことこの上ないですね。傲慢で強欲な、嫌な男の典型例だ」
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