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第三章 夜会では優雅に品よく、お別れを
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一人で全部を抱え込もうとしてしまうのは、アイネも藍音も同じ。しかしその後の行動は、似て異なる。
アイネは抱え込んだまま自分の殻に閉じこもり、藍音は抱え込んだそれを一人で解決しようとする。
とどのつまり、藍音は人に頼ることができないのだ。それは藍音の悪い癖でもある。
この癖が身に付いてしまったのはいつの頃が覚えていない。ただ物心ついた時から、藍音は自分が嫌だと思うことや面倒くさいと思うことに他人を巻き込みたくはないと思う人種だった。
もちろん誰かが助けてと手を伸ばしていたらその手を取る。そこに感謝の言葉が欲しいとか、良い人でありたいと思う気持ちはない。ただ、それが当然だと思っている。
自分は「助けて」と言えず、他者には手を差し伸べることに矛盾があるかもしれない。
でも楽しいことは沢山の人と共有して、辛いことは自分一人で我慢すれば良いという考え方は、今でも間違っているとは思わない。
しかしライオットの言う通り、ペアで踊るダンスで一人暴走した挙句、ジリーと彼の足を踏みまくってしまったのは間違いなく事実である。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るんだ?」
首を傾げるライオットは、妻の中身がアラサー女子であることは知らない。
藍音とて誰かの心を傷付けてしまう真実は、この身体から離れるまで……いや離れてしまった後も伝える気は無い。そして、藍音がアイネでいる限り個性は消さなくてはいけないと思っている。
そうわかっていても、自分の欠点を指摘された事実に藍音の心は大きく揺れる。
ーーこの世界で、私の欠点が指摘されるなんて。
死んだ自分は、存在してはいけない人。しかし今、ライオットはアイネを通して自分を見てくれた。
「謝る必要はないが、もう一度踊らないか?今度は私を頼って欲しい」
俯いた藍音を覗き込んだライオットは、ひどく緊張した顔で手を差し出した。
その手をじっと見たまま、藍音は微動だにしない。
ライオットの誘いを無視して固まっている藍音を、彼は苛立つことも責めることはしなかった。ただ心配そうな顔をするだけ。
ライオットのエメラルドグリーン色の瞳に、顔色を無くすアイネの姿が映る。
離縁をしたいと願うこの男が、アイネではなくその中にいる自分の欠点を見付け出し、的確に指摘した。
この事実に藍音は目眩を覚えてしまう。
「……どうしてわたくしの欠点がわかったのですか?」
やっと口にできた言葉に、ライオットは困ったように眉を下げた。
「すまない。責めるつもりはなかったんだ。それに私は君の欠点を指摘したわけじゃない。その……ああ、そうだ。より良い方法を提案したまでのこと」
「より良い提案……?」
「そうだ」
「ふっ……あはっ、ふふっ」
生真面目な顔で頷いたライオットを見たら、もう限界だった。なんだそれと、つい噴き出してしまう。
人の顔を見て笑うなんて失礼でしかないのに、ライオットは安堵するように大きなため息を吐いた。
「……ありがとうございます」
無意識に零れた言葉は、ひどく掠れていた。
藍音の心は苦しいほどに震えている。でも、この気持ちが何なのかわからない。
強い衝撃と切なさと、それでいて確かなものを手にしたような安心感で、胸がいっぱいになってしまった。
ーー頼って欲しいって言ってくれたの、この人が初めてかも。
何でも一人で解決しようとする藍音は、他者からは何でも一人でできると思われてしまう。頼ることが苦手な藍音にとったらそれは理想の姿ではあるが、心のどこかでは誰かに頼りたいと思っていた。
”頼っていいよ”ではなく”頼って欲しい”。
甘えることが何よりも苦手な藍音にとって、頼られることを求めてくれる言葉は救いに近いものだった。
たとえそれが、もう一人の自分に向けられたものだとしても。
「ありがとうございます」
二度目の感謝の言葉は、一度目の時より滑らかに紡がれた。
藍音は出会って数分で嫌いと断定した男に、こんなにも素直に礼を言える自分に驚いている。
「ところで……その……私はダンスをもう1曲と言ったのだが」
バツが悪そうにライオットは話を元に戻す。一度引っ込めた手をもう一度差し伸べて。
「ええ、覚えております。ですがコツを教えていただいたので、あとはジリーと」
「駄目だ。侍女の足は大切にするべきだ。それがレブロン家の家訓だ」
そんな馬鹿な家訓は聞いたことがない。
極めて胡散臭い台詞を吐いたライオットは、藍音が何か言い返す前にリイルに曲を流すよう指示を出す。
そして強引に藍音の腰に手を回し、己の身体に引き寄せた。
「っ!?……ちょ、旦那様!」
「君は頭でものを考えすぎる。四の五の言わずに踊りなさいーーいくぞ」
曲が流れると同時にライオットは、藍音をリードしながらステップを踏む。
しかしその足運びは、先ほどの教本のような優雅なものではなくかなり乱暴なもの。藍音を力任せに振り回している。
「っ……!!」
なすすべも無くライオットにぶん回されている藍音は、目がグルグル回り何も考えることができない。
けれども、何故か二人はちゃんとダンスを踊っていた。
ライオットはしっかり藍音の背を支え華麗なターンを決め、藍音は藍音でライオットの足を踏むことは無い。
「まぁ、そうだったのですね」
「ご主人様も考えましたわね」
リイルとジリーは同時に声を上げる。
奇跡のようなダンスを目にして、二人は瞬時に理解した。要は藍音に考える余裕を与えなければ良いということを。
つまり、ライオットの強引なリードこそ、藍音が人並みにダンスを踊ることができる秘策だったのだ。
しかしながら、この秘策には一つだけ欠点がある。
「いやぁぁーもう無理ぃぃ、お願い!止めてぇ。ほんと無理ぃー」
どうにも若奥様の声だけは、品性に欠けてしまうのだ。
アイネは抱え込んだまま自分の殻に閉じこもり、藍音は抱え込んだそれを一人で解決しようとする。
とどのつまり、藍音は人に頼ることができないのだ。それは藍音の悪い癖でもある。
この癖が身に付いてしまったのはいつの頃が覚えていない。ただ物心ついた時から、藍音は自分が嫌だと思うことや面倒くさいと思うことに他人を巻き込みたくはないと思う人種だった。
もちろん誰かが助けてと手を伸ばしていたらその手を取る。そこに感謝の言葉が欲しいとか、良い人でありたいと思う気持ちはない。ただ、それが当然だと思っている。
自分は「助けて」と言えず、他者には手を差し伸べることに矛盾があるかもしれない。
でも楽しいことは沢山の人と共有して、辛いことは自分一人で我慢すれば良いという考え方は、今でも間違っているとは思わない。
しかしライオットの言う通り、ペアで踊るダンスで一人暴走した挙句、ジリーと彼の足を踏みまくってしまったのは間違いなく事実である。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るんだ?」
首を傾げるライオットは、妻の中身がアラサー女子であることは知らない。
藍音とて誰かの心を傷付けてしまう真実は、この身体から離れるまで……いや離れてしまった後も伝える気は無い。そして、藍音がアイネでいる限り個性は消さなくてはいけないと思っている。
そうわかっていても、自分の欠点を指摘された事実に藍音の心は大きく揺れる。
ーーこの世界で、私の欠点が指摘されるなんて。
死んだ自分は、存在してはいけない人。しかし今、ライオットはアイネを通して自分を見てくれた。
「謝る必要はないが、もう一度踊らないか?今度は私を頼って欲しい」
俯いた藍音を覗き込んだライオットは、ひどく緊張した顔で手を差し出した。
その手をじっと見たまま、藍音は微動だにしない。
ライオットの誘いを無視して固まっている藍音を、彼は苛立つことも責めることはしなかった。ただ心配そうな顔をするだけ。
ライオットのエメラルドグリーン色の瞳に、顔色を無くすアイネの姿が映る。
離縁をしたいと願うこの男が、アイネではなくその中にいる自分の欠点を見付け出し、的確に指摘した。
この事実に藍音は目眩を覚えてしまう。
「……どうしてわたくしの欠点がわかったのですか?」
やっと口にできた言葉に、ライオットは困ったように眉を下げた。
「すまない。責めるつもりはなかったんだ。それに私は君の欠点を指摘したわけじゃない。その……ああ、そうだ。より良い方法を提案したまでのこと」
「より良い提案……?」
「そうだ」
「ふっ……あはっ、ふふっ」
生真面目な顔で頷いたライオットを見たら、もう限界だった。なんだそれと、つい噴き出してしまう。
人の顔を見て笑うなんて失礼でしかないのに、ライオットは安堵するように大きなため息を吐いた。
「……ありがとうございます」
無意識に零れた言葉は、ひどく掠れていた。
藍音の心は苦しいほどに震えている。でも、この気持ちが何なのかわからない。
強い衝撃と切なさと、それでいて確かなものを手にしたような安心感で、胸がいっぱいになってしまった。
ーー頼って欲しいって言ってくれたの、この人が初めてかも。
何でも一人で解決しようとする藍音は、他者からは何でも一人でできると思われてしまう。頼ることが苦手な藍音にとったらそれは理想の姿ではあるが、心のどこかでは誰かに頼りたいと思っていた。
”頼っていいよ”ではなく”頼って欲しい”。
甘えることが何よりも苦手な藍音にとって、頼られることを求めてくれる言葉は救いに近いものだった。
たとえそれが、もう一人の自分に向けられたものだとしても。
「ありがとうございます」
二度目の感謝の言葉は、一度目の時より滑らかに紡がれた。
藍音は出会って数分で嫌いと断定した男に、こんなにも素直に礼を言える自分に驚いている。
「ところで……その……私はダンスをもう1曲と言ったのだが」
バツが悪そうにライオットは話を元に戻す。一度引っ込めた手をもう一度差し伸べて。
「ええ、覚えております。ですがコツを教えていただいたので、あとはジリーと」
「駄目だ。侍女の足は大切にするべきだ。それがレブロン家の家訓だ」
そんな馬鹿な家訓は聞いたことがない。
極めて胡散臭い台詞を吐いたライオットは、藍音が何か言い返す前にリイルに曲を流すよう指示を出す。
そして強引に藍音の腰に手を回し、己の身体に引き寄せた。
「っ!?……ちょ、旦那様!」
「君は頭でものを考えすぎる。四の五の言わずに踊りなさいーーいくぞ」
曲が流れると同時にライオットは、藍音をリードしながらステップを踏む。
しかしその足運びは、先ほどの教本のような優雅なものではなくかなり乱暴なもの。藍音を力任せに振り回している。
「っ……!!」
なすすべも無くライオットにぶん回されている藍音は、目がグルグル回り何も考えることができない。
けれども、何故か二人はちゃんとダンスを踊っていた。
ライオットはしっかり藍音の背を支え華麗なターンを決め、藍音は藍音でライオットの足を踏むことは無い。
「まぁ、そうだったのですね」
「ご主人様も考えましたわね」
リイルとジリーは同時に声を上げる。
奇跡のようなダンスを目にして、二人は瞬時に理解した。要は藍音に考える余裕を与えなければ良いということを。
つまり、ライオットの強引なリードこそ、藍音が人並みにダンスを踊ることができる秘策だったのだ。
しかしながら、この秘策には一つだけ欠点がある。
「いやぁぁーもう無理ぃぃ、お願い!止めてぇ。ほんと無理ぃー」
どうにも若奥様の声だけは、品性に欠けてしまうのだ。
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