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経営企画課の面々3
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◇◇◇◇
そして翌週の木曜日。
前日の水曜に資料の提出を終えて、お疲れさま会兼清流の歓迎会が開かれた。
忙しさで歓迎会が遅れたことを謝られたけれど、清流としてはこうして開いてもらえただけで嬉しいことだ。
未知夏が選んだのは和風居酒屋のお店で、着いて行くとそこは大きな複合商業施設に挟まれた古い雑居ビルの前だった。
1階の店舗が酒屋で、地下へと続く階段を降りると暖簾の掛かった引き戸があり、そこを開けるとまるで隠れ家のような空間が広がっている。
1階の酒屋の息子が開いたお店で、全国の珍しいお酒と料理がリーズナブルな値段で楽しめるのだという。
席に着いて飲み物を注文すると、飲み物とお通しの2品がすぐに並べられた。
「姐さんって、元秘書課なだけあって良い店いっぱい知ってますよね」
「ふふふ、いかにもな高級店より、こういう隠れ家的な雰囲気で良いものを出す店の方がウケがいいのよ。今日は歓迎会だから個室取ったけどカウンター席もおすすめ。焼き場が見えるし店主も面白い人なの」
乾杯をして清流も1杯目のレモンサワーで喉を潤すと、シュワっと爽快な炭酸が弾けた。
このお店のレモンサワーは甘すぎず、むしろ少し苦みが効いている。
これは料理に合いそうだなと思い、さっそくお通しで出された鴨肉の燻製に箸をつける。軽く表面が炙られた鴨肉は、口に入れた瞬間に脂が溶け出してきた。
次に、見た目にも綺麗な茄子の翡翠煮。
少し甘めの味付けが清流の好みで、お通しだけで未知夏の言葉を裏づけるには十分な美味しさだった。
「未知夏さんって、前は秘書課にいたんですか?」
「そうよ。私は加賀城くんと同期入社であっちは営業戦略部、私が総務部の秘書課配属だったの。当時は秘書課は総務の下だったのよね」
今から4年前に秘書課が経営企画部傘下に置かれ、未知夏はそのタイミングで引き抜かれたということらしい。
「今いるメンバーは全員、他部署から引き抜かれてきてるのよ。唯崎くんは元法務部、舞原くんは元情報システム部よね?」
「そうそう。俺、第一志望だったIT業界が全落ちして、ダメ元で受けたココが受かっちゃって」
舞原はあっという間に1杯目のジョッキを空けると、すぐさま2杯目の生ビールを注文する。
「うちの社内システムってめちゃくちゃ使いづらくて、当時の情シス部長に改善案提案したんですけど鬱陶しがられて干されてたんすよね。
で、俺が3年目のときにいきなり加賀城部長に声掛けられて、俺が提案したシステムを上に通す代わりに経営企画課に異動しろって。ま、拒否権なんてなかったですけどね、引き抜きっていうかほとんど拉致」
舞原は笑いながら、店員からジョッキを受け取る。
「でも、なんだかんだで楽しいっすけどね。こういうの何ていうんでしたっけ、捨てる神あれば拾う神あり?」
「……人間万事塞翁が馬?」
「あ、それそれ!」
清流ちゃん詳しいね、と言いながら舞原は豪快にビールを煽った。
「あの、経営企画って加賀城さんが作った部署なんですか?」
清流は今まで何となく疑問だったことを口にする。
いくら部長とはいえ、そんなに次々よそから人を引き抜いたり、自分のように外部から連れてきて入社させたりと簡単にできるものなのか不思議だったからだ。
「まぁそうとも言えるかもね……
私たちが入社して2、3年目の頃ってさ、会社の業績はかなり下降気味だったの」
主力であるアパレル部門ではそれなりのシェアを誇っていたものの、他社の値下げ攻勢とそれによって消費者の購買行動が変化し、年々シェアと利益を下げていた。
社長を含めた経営層は、他社を追随して値下げを行う傍ら不採算部門は打ち切り、浮いた資金で他業種の買収をさらに進める方へと舵を切ろうとしていた。
そこに待ったをかけたのが当時営業戦略部にいた洸で、高級ラインの独自ブランドを立ち上げて、競合他社と差別化を図ることを提案した。
今後、業界の規模はさらに縮小していくという見方が定説な中で、洸の提案は当然反発された。
が、『シェアが下がるなら一人当たりの購入単価を上げるしかない、薄利多売を繰り返してもパイを食い合うだけで市場は崩壊する』と訴えて、提案を押し切った。
経営企画部が発足したのはブランドの立ち上げプロジェクトが始動した翌年で、そのタイミングで洸も営業戦略部から経営企画部に異動になったらしい。
「ということは、経営企画部はもともとそのプロジェクトのためだったんですか?」
「プロジェクトが失敗すれば、上は部門ごと切り捨てるつもりだったんじゃない?加賀城くんも、もし失敗すれば辞める覚悟だったらしいわよ。雑誌のインタビューでは『成功することは分かってた』とかドヤ顔で答えてるけど、それぐらい賭けてたみたい」
洸には『海外でヒットすれば逆輸入されて国内で売れる』という見立てがあった。
無名だった日本映画が海外で評価されるとその後国内でヒットするように、海外で人気が出れば国内の購買層が動くと予測したのだ。
国内の高品質の繊維や生地を作るメーカーと組んでデザイナーに依頼し、海外バイヤーや展示会へと売り込み、国内よりも先に海外でブランドを展開した。
それが海外のショーで高く評価されヒットしたことが、日本展開での後押しとなって売上も予想以上に伸びたのだった。
このブランドは今や維城商事に欠かすことのできない主力ブランドで、高級路線に縁のない清流でも名前だけは聞いたことのあるくらい有名だ。そのブランドが確立されるのにこんな経緯があったなんて、想像もしなかった。
「でも面白いわよね。現社長は他業種に事業を拡大して成功して、その息子はいわば原点回帰、服飾部門で業績回復させたんだから。まぁその辺りでいろいろ衝突することもあるみたいだけど」
ブランド事業は洸が信頼する人員に任せて完全子会社化され、洸は本社に残って現在の経営企画部を新たに発足させたのが4年前のこと。
これだけの事業を成功された御曹司である洸に異を唱える者はおらず、そのタイミングで未知夏と唯崎が、その翌年に舞原が経営企画課に引き抜かれたらしい。
話題が途切れたタイミングで、刺身の5点盛りと串焼きの盛り合わせが運ばれてきた。
「けど部長って全然隙がないですよねー、何か弱点とか知ってます?」
舞原が串焼きを取って頬張りながら冗談まじりに言う。
「弱点?何それ、加賀城くんに勝負でも挑む気なの?」
「梅干しとわさび、エシャロットが食べれないと聞いたことありますね。あと旬を外れたトリュフが嫌いとか」
「唯崎さん、それただの嫌いな食べ物じゃないっすか…っていうか最後だけ急にセレブだし」
舞原がこれ美味いよ、と清流の取り皿に串焼きを置いてくれる。ねぎまのタレとベーコンのトマト巻きだ。
「でもちょっと分かるわ、意外と味覚が子どもよね」
「確かに、オムライスとかパンケーキとか好きですもんね?」
未知夏の言葉につられて、清流も思いついたことを何の疑問もなく口にしていた。
一瞬その場が止まったような沈黙が流れて、他の三人の視線が自分に注がれる。
(…あ、しまった!)
清流はすぐにうっかりしていたことに気づいたものの、すでに遅かった。
「部長がオムライス?俺、初耳かも、清流ちゃん何で知ってんの?」
「え、えーっと何ででしたっけ…?」
一度口から出た言葉は訂正できない。
途端に喉の渇きを覚えてレモンサワーを流し込むも、慌て過ぎたのかむせそうになった。
「その話なら雑誌のインタビューに載っていた気がしますよ。この前榊木さんが工藤さんに見せていた雑誌、それで工藤さんも覚えていたんじゃないですか?」
舞原からの追及をどう誤魔化そうかと焦っていると、思わぬところから助け舟が出てきた。唯崎だ。
「あぁ、あの雑誌!結構プライベートなことも載ってたんだ」
「俺たち写真ばっか見て記事読んでないですからね」
そう言って未知夏と舞原は追加の飲み物を注文した。
新年度になってから飲み会自体も久しぶりらしく、自他共に認めるお酒好きだという二人は些かテンションが高い。お酒の入ったグラスもハイペースで空いていった。
(……あの雑誌に、そんな内容は載っていないはず)
なのにどうして、唯崎は嘘を言ったのだろうか。
清流は正面に座る唯崎の顔を盗み見るが、唯崎は淡々と鯛の刺身を食んでいる。
場の話題はすでに別の話へと移っていて、清流はその理由が分からないまま残っていたレモンサワーを飲み干した。
そして翌週の木曜日。
前日の水曜に資料の提出を終えて、お疲れさま会兼清流の歓迎会が開かれた。
忙しさで歓迎会が遅れたことを謝られたけれど、清流としてはこうして開いてもらえただけで嬉しいことだ。
未知夏が選んだのは和風居酒屋のお店で、着いて行くとそこは大きな複合商業施設に挟まれた古い雑居ビルの前だった。
1階の店舗が酒屋で、地下へと続く階段を降りると暖簾の掛かった引き戸があり、そこを開けるとまるで隠れ家のような空間が広がっている。
1階の酒屋の息子が開いたお店で、全国の珍しいお酒と料理がリーズナブルな値段で楽しめるのだという。
席に着いて飲み物を注文すると、飲み物とお通しの2品がすぐに並べられた。
「姐さんって、元秘書課なだけあって良い店いっぱい知ってますよね」
「ふふふ、いかにもな高級店より、こういう隠れ家的な雰囲気で良いものを出す店の方がウケがいいのよ。今日は歓迎会だから個室取ったけどカウンター席もおすすめ。焼き場が見えるし店主も面白い人なの」
乾杯をして清流も1杯目のレモンサワーで喉を潤すと、シュワっと爽快な炭酸が弾けた。
このお店のレモンサワーは甘すぎず、むしろ少し苦みが効いている。
これは料理に合いそうだなと思い、さっそくお通しで出された鴨肉の燻製に箸をつける。軽く表面が炙られた鴨肉は、口に入れた瞬間に脂が溶け出してきた。
次に、見た目にも綺麗な茄子の翡翠煮。
少し甘めの味付けが清流の好みで、お通しだけで未知夏の言葉を裏づけるには十分な美味しさだった。
「未知夏さんって、前は秘書課にいたんですか?」
「そうよ。私は加賀城くんと同期入社であっちは営業戦略部、私が総務部の秘書課配属だったの。当時は秘書課は総務の下だったのよね」
今から4年前に秘書課が経営企画部傘下に置かれ、未知夏はそのタイミングで引き抜かれたということらしい。
「今いるメンバーは全員、他部署から引き抜かれてきてるのよ。唯崎くんは元法務部、舞原くんは元情報システム部よね?」
「そうそう。俺、第一志望だったIT業界が全落ちして、ダメ元で受けたココが受かっちゃって」
舞原はあっという間に1杯目のジョッキを空けると、すぐさま2杯目の生ビールを注文する。
「うちの社内システムってめちゃくちゃ使いづらくて、当時の情シス部長に改善案提案したんですけど鬱陶しがられて干されてたんすよね。
で、俺が3年目のときにいきなり加賀城部長に声掛けられて、俺が提案したシステムを上に通す代わりに経営企画課に異動しろって。ま、拒否権なんてなかったですけどね、引き抜きっていうかほとんど拉致」
舞原は笑いながら、店員からジョッキを受け取る。
「でも、なんだかんだで楽しいっすけどね。こういうの何ていうんでしたっけ、捨てる神あれば拾う神あり?」
「……人間万事塞翁が馬?」
「あ、それそれ!」
清流ちゃん詳しいね、と言いながら舞原は豪快にビールを煽った。
「あの、経営企画って加賀城さんが作った部署なんですか?」
清流は今まで何となく疑問だったことを口にする。
いくら部長とはいえ、そんなに次々よそから人を引き抜いたり、自分のように外部から連れてきて入社させたりと簡単にできるものなのか不思議だったからだ。
「まぁそうとも言えるかもね……
私たちが入社して2、3年目の頃ってさ、会社の業績はかなり下降気味だったの」
主力であるアパレル部門ではそれなりのシェアを誇っていたものの、他社の値下げ攻勢とそれによって消費者の購買行動が変化し、年々シェアと利益を下げていた。
社長を含めた経営層は、他社を追随して値下げを行う傍ら不採算部門は打ち切り、浮いた資金で他業種の買収をさらに進める方へと舵を切ろうとしていた。
そこに待ったをかけたのが当時営業戦略部にいた洸で、高級ラインの独自ブランドを立ち上げて、競合他社と差別化を図ることを提案した。
今後、業界の規模はさらに縮小していくという見方が定説な中で、洸の提案は当然反発された。
が、『シェアが下がるなら一人当たりの購入単価を上げるしかない、薄利多売を繰り返してもパイを食い合うだけで市場は崩壊する』と訴えて、提案を押し切った。
経営企画部が発足したのはブランドの立ち上げプロジェクトが始動した翌年で、そのタイミングで洸も営業戦略部から経営企画部に異動になったらしい。
「ということは、経営企画部はもともとそのプロジェクトのためだったんですか?」
「プロジェクトが失敗すれば、上は部門ごと切り捨てるつもりだったんじゃない?加賀城くんも、もし失敗すれば辞める覚悟だったらしいわよ。雑誌のインタビューでは『成功することは分かってた』とかドヤ顔で答えてるけど、それぐらい賭けてたみたい」
洸には『海外でヒットすれば逆輸入されて国内で売れる』という見立てがあった。
無名だった日本映画が海外で評価されるとその後国内でヒットするように、海外で人気が出れば国内の購買層が動くと予測したのだ。
国内の高品質の繊維や生地を作るメーカーと組んでデザイナーに依頼し、海外バイヤーや展示会へと売り込み、国内よりも先に海外でブランドを展開した。
それが海外のショーで高く評価されヒットしたことが、日本展開での後押しとなって売上も予想以上に伸びたのだった。
このブランドは今や維城商事に欠かすことのできない主力ブランドで、高級路線に縁のない清流でも名前だけは聞いたことのあるくらい有名だ。そのブランドが確立されるのにこんな経緯があったなんて、想像もしなかった。
「でも面白いわよね。現社長は他業種に事業を拡大して成功して、その息子はいわば原点回帰、服飾部門で業績回復させたんだから。まぁその辺りでいろいろ衝突することもあるみたいだけど」
ブランド事業は洸が信頼する人員に任せて完全子会社化され、洸は本社に残って現在の経営企画部を新たに発足させたのが4年前のこと。
これだけの事業を成功された御曹司である洸に異を唱える者はおらず、そのタイミングで未知夏と唯崎が、その翌年に舞原が経営企画課に引き抜かれたらしい。
話題が途切れたタイミングで、刺身の5点盛りと串焼きの盛り合わせが運ばれてきた。
「けど部長って全然隙がないですよねー、何か弱点とか知ってます?」
舞原が串焼きを取って頬張りながら冗談まじりに言う。
「弱点?何それ、加賀城くんに勝負でも挑む気なの?」
「梅干しとわさび、エシャロットが食べれないと聞いたことありますね。あと旬を外れたトリュフが嫌いとか」
「唯崎さん、それただの嫌いな食べ物じゃないっすか…っていうか最後だけ急にセレブだし」
舞原がこれ美味いよ、と清流の取り皿に串焼きを置いてくれる。ねぎまのタレとベーコンのトマト巻きだ。
「でもちょっと分かるわ、意外と味覚が子どもよね」
「確かに、オムライスとかパンケーキとか好きですもんね?」
未知夏の言葉につられて、清流も思いついたことを何の疑問もなく口にしていた。
一瞬その場が止まったような沈黙が流れて、他の三人の視線が自分に注がれる。
(…あ、しまった!)
清流はすぐにうっかりしていたことに気づいたものの、すでに遅かった。
「部長がオムライス?俺、初耳かも、清流ちゃん何で知ってんの?」
「え、えーっと何ででしたっけ…?」
一度口から出た言葉は訂正できない。
途端に喉の渇きを覚えてレモンサワーを流し込むも、慌て過ぎたのかむせそうになった。
「その話なら雑誌のインタビューに載っていた気がしますよ。この前榊木さんが工藤さんに見せていた雑誌、それで工藤さんも覚えていたんじゃないですか?」
舞原からの追及をどう誤魔化そうかと焦っていると、思わぬところから助け舟が出てきた。唯崎だ。
「あぁ、あの雑誌!結構プライベートなことも載ってたんだ」
「俺たち写真ばっか見て記事読んでないですからね」
そう言って未知夏と舞原は追加の飲み物を注文した。
新年度になってから飲み会自体も久しぶりらしく、自他共に認めるお酒好きだという二人は些かテンションが高い。お酒の入ったグラスもハイペースで空いていった。
(……あの雑誌に、そんな内容は載っていないはず)
なのにどうして、唯崎は嘘を言ったのだろうか。
清流は正面に座る唯崎の顔を盗み見るが、唯崎は淡々と鯛の刺身を食んでいる。
場の話題はすでに別の話へと移っていて、清流はその理由が分からないまま残っていたレモンサワーを飲み干した。
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