上 下
26 / 127

025 Дмитрий

しおりを挟む

 僕には、できる事とできない事がある。
 イーダを止める事はできないが、逆に、イーダの外界では自由だった。僕を憎み、駒として使いはしても、私生活に干渉されたことはない。つまり姉は、僕の生活に興味がないのだ。

 僕はとにかく、まりえに許してもらいたかった。僕も楽になるし、まりえの悲しみも癒えるからだ。僕は駅の近くで小さな花束を買い、稽古場に急いだ。晴れた空は狭いが、朝陽はどの土地もかわらず澄んでいる。まりえは朝陽に似ている。僕の世界で、唯一の清らかな光だ。優しく、厳しく、遠い。
 それに、嫌われたままは悲しい。耐えられない。
 だが、まりえの姿はなかった。
 柔軟がてら和気藹々と楽しそうなすばるたちに近寄り、タツオを睨む。

「あ、ミーチャ。おはよう」

 タツオとイズルが、すばるを真似て「おはよう」「おはよう」と僕の国の言葉でくり返した。タツオは少し、開脚が甘い。

「おはよう、すばる。まりたんは?」
「まりたん? 今日、来ない。まだ」
「お休み?」

 背中に隠した花束をふりながらしゃがみ、タツオの足首を外に開く。唸るが、抵抗しない。僕はタツオの脹脛から爪先までを難往復も撫で、筋の伸ばし方を教えた。タツオは素直だ。

「カメラない、今日。夜、ヒダカサン、シュザイ、あー……新聞」

 舌足らずに単語を羅列するようになって、すばるの可愛さは爆発した。今も、マグマはドクドクと溢れて止まらない。ラーチカなんか、いい年こいて可愛いすばるといちゃいちゃしまくっている。祝福してるし、ふたりとも愛する家族だが、はっきり言ってぎっくり腰で死ねとときどき思う。
 でも、僕がすばるを抱きたかったのは、少し前の話だ。

「まりたんと喧嘩しちゃった」
「いつ?」

 すばるが、目をぱちっと開け、脇を伸ばしながら左に折れた。右手で左足の指をつまみ、左手は内腿をぽりぽり掻く。その手も、ぴんと伸ばした。

「昨日。廊下でウォトカを呑んでたら、見つかった」

 僕は普段から早口ではないが、それがすばるの成長を助けている。簡単な日常会話は、僕が噛み砕けばちゃんと成立した。ラーチカのは気難しく聞こえるとか言っているが、どうだか。

「あほちん。日本、昼呑み、許されない」

 すばるはあっけらかんと言って、左足に上半身を伏せた。

「うん。怒られた」
「まりたん怒る。まりたんイイコ」

 タツオとイズルが僕を睨む。余所者を警戒する牡猿の目だ。僕はすばるにテーブルまで来てもらい、花束とカードを見せた。すばるは明るく笑って、ダーダーと子どものようにくり返す。
 日本の、いちばん易しい文字を教えてもらった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

私を追い出すのはいいですけど、この家の薬作ったの全部私ですよ?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:109,940pt お気に入り:12,089

婚約破棄されたおかげで素敵な元帥様と結ばれました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:450

私たち婚約破棄をされまして ~傷の舐め合いが恋の始まり~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:281

後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:6,187pt お気に入り:663

星空のコシュカ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:37

離婚したい! ~逃走中の恋愛は命懸けに見えて最高でした~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:246

処理中です...