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しおりを挟む昨夜の警報、金色の瞳、てのひらの傷。悪夢は覚めない。続いている。
これは、ディーノを撃つための銃。
なぜ、雲田が。どうして。
いつもならポルトノフ氏と通訳の野辺がいる管制室は、照明ブースの真上にある。私が滑り込むと、ふたりとも肩越しにふり向き、驚いたように目を瞠った。お兄さんが指示用の通信機をつまむ。
「どうしました」
そして即座に舞台へと向き直った。このひとにとってみれば、奥さんが舞台上にいるのだから当然だ。けれどミーチャは逆で、完全に舞台に背を向けてそばへ来ると、そっと私の手を包んだ。
「すり替えられたの」
ゆれる瞳を見あげながら、告げる。心配してくれたのだ、とても。彼は銃を丁寧にもぎ取り、親指で何かつまみを倒した。それから、ふるえる息を長く吐いた。舞台上は静まり返っている。彼の吐息が、よく聞こえた。
《う……ん……っ》
暗転の中、コルネリオが唸る。
彼が私にはわからない言葉でお兄さんに何か言った。
《はっ! アグネス!》
《よう寝坊助。気分はどうだ?》
《! ……っ!?》
《ふん、銃か? ほれ。助けてやったんだ、撃つなよ?》
そう、銃。
《助ける? ……お前が?》
《よく見ろ。ふかふかのベッドに、酒。スウィートルームだ》
《アグネスは!?》
《禊中》
もったりぶり、おどけたディーノの声にかぶせるような、水音。
《大理石の、バスタブ。真鍮の、猫足。窓の装飾を見てみろ。天使がラッパ持って遠足してるんだ。目は笑ってないけどな。呑むか?》
《……俺、撃たれた》
《ふん。若頭が泣き言ぬかすなよ》
《撃たれたんだ》
彼が私の肩を抱き、壁際の椅子を促した。
《おい、しっかりしろ。ったく、掠っただけで気絶しやがって》
《掠ってない。俺は……!》
《手当てをした、間違いない。脇腹から臍の辺り、ちょっと斜めに溝ができただけだ》
《そんなはず……? アグネス!》
ローブをまとったアグネスが上手から現れると、舞台は一気に華やいだ。コルネリオがベッドを下り駆け寄って、縋るように抱きしめる。アグネスは余裕の笑みを浮かべ、コルネリオの頬を撫でる。
《元気だろ?》
からかうような、ディーノの声。
椅子に座ると、ミーチャが私の髪を撫で、こめかみの上のほうに唇をおしつけてくる。不安そうな彼を訝しく思っていると、私に背を向け舞台を見おろしたまま、お兄さんが言った。
「あなたが無事でなによりでした。その銃は、安全装置が外されていた。それをお腹に抱えて来たのですからあなた、寿命が縮みましたよ。本当によかった」
「すり替えられていたんです」
彼に言ったのと同じことを、日本語で告げる。
「見ました。どこでそれを?」
私は迷った。いま雲田の名前を出すことは、何を意味するのだろう。何を変え、決定付けてしまうのだろう。そんな恐れに身が竦む。雲田も、私のように、濡れ衣を着せられているだけかもしれない。そうであってほしい。
《なんで俺たちを庇う。お前は、俺たちを追って来たんだろう?》
《アグネスの頼みとあっちゃあ断れねえ。逃がしてやる》
《消されるぞ?》
《だろうな》
《お前、まさか……》
「イズルを庇うことはないよ。もう目をつけてる」
「え?」
ミーチャがささやき、私の前に跪く。ポケットからあの飴を取り出し、歯を使って包装をあけ、そっと私の口に運んだ。甘酸っぱい飴玉は日本人でも馴染み深い味で、昨夜はじめて口に含んだとき、薬だとはとても信じられなかった。でも、彼が私に食べさせるということは、本物の銃を見て焦ったせいで瞳の色が変わってしまったのだ。ここまで、誰にも会わなくてよかった。そういえば、あんなに走ったのに、まるで苦しくない。
《親切だ、ありがたく受け取れよ》
雲田は、なぜ、銃をすり替えたのだろう。
お兄さんは私に背を向けている。目を離すわけにはいかないのだ。
「雲田出を撃つ銃であるということはね毬依さん。仕掛けたのが本人だとすれば、容易に回避できるということですよ」
「……」
「私たちは、試されたのです」
ゆるぎない答えであるかのように、広い背中が告げる。
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