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 教わったコードを唱えても通用口の鉄扉は開かなかった。それもそのはずだ。玄江にバレていた。

《悪いが、そこは開けられない。上に戻ってくれ》
《──玄江さ──バカ! ちゃんとや──。ひろのは──とやれるもん!》

 電子音からは、更にその向こうから叫ぶユーリアの声が聞こえた。彼女も失敗したようだ。

「!」

 私はカメラを睨んだ。目に見えるような設計ではないけれど、私の目は監視カメラの位置を独りでに捕えていた。体が燃えるように熱く、力が漲ってくる。

《頼む。戻れよ》
「様子がおかしいわ!」
《あんたがいると、スムーズに入ってこれない。撤退だ》

 だめだ。
 話にならない。黙って守られていればいいと思っているのだ。

 それならと私は扉と壁の隙間に指を突き刺した。こんなことができると思っていなかった。力ずくでこじ開ける。私はこの夢の主人公なのだから、なんだってできる。

「……くっ」

 さすがに無理だろうか。
 そのとき、滑るように扉は開いた。私は、息を呑んだ。

 皺だらけの怪人がそこに立っていた。怖くて、動けなかった。よく見ると、それは巧妙な面だとわかった。赤と黒と青の皺がふくれた頬や瞼に走り、目元は赤く隈取されている。耳も作り物、髪は、細いワイヤーのようにも見える。金縁の詰襟。光沢のある黒い服。大きな、これは、男性だ。

 その腹部に、黒いものがかかった。面をかぶった詰襟の人物が何かにひっぱられ、飛んで行く。けれど、地面でくるりと転がって、吊られるように立ちあがった。黒い、大きな尖った手が、その人物を襲う。殴るように、掻くように。尖っているのは手だけではない。顎に、腕、肩の関節も、膝も、そして顕著なのは踵だ。スコップのようにエラがはり、鋭いナイフのように尖端が月明かりを返す。

 面の男性が大きな黒い体に掴みかかり、火を吐いた。ひっと息を吸い、私はニットの胸元を握り締めた。たいへん。火傷ではすまない。彼は一度のけぞってから、挑むように噴出される火へ顔をもぐらせ、額をうちつける。

「だめよ、ナイン! ミーチャ!」

 彼は炎のなかでぎくりとし、ふり返った。
 ちょうどそのとき、うしろから襟を捕まれ喉がしまり、よろめく。玄江が私を引き戻そうとしていた。だれかに電話をかけている途中のようだけれど、凝然と私を見ているばかりで唇は引き結んでいる。気遣いはありがたいけれど、私はかたい腕をもぎ払い、逆に玄江を中へ突き飛ばし外へ出た。制御された鉄の扉は、がっちりと道を塞いだ。
 後戻りはできない。

 何か怒鳴られ、身体を返した。彼は面の男性に馬乗りになり、大きなてのひらで口を塞いで、頭を地面に押し付けて動けなくさせている。
 ほんの20メートルほど先では大火災が起きていた。あれは何が燃えているの? 近くでイチカを抱えた秋月と、黒くこげた───たいへん、あれはルートだ、ルートが四つん這いで寄り添っている。秋月と目があった。激昂している。

「まりえ!」

 怒鳴っているのはミーチャだった。いつもより、もっと嗄れた、それでいて膨張したような太い声。でも、彼だ。

「中に戻れ」

 金色の瞳、黒い頬、尖った顎、そして、牙。私をにらみつけている。私を、生き延びさせた、奇跡。崇拝に近い昂ぶりを覚えると、心が鎮まった。

「開かないわ」

 そうは言っても、彼に加勢できると思うほど愚かではない。せめて邪魔をしないように、扉にぴったり背中をつける。彼を見ていたかった。彼が、私を守ろうとする姿を、見ておきたい。
 いつ覚めるとも知れない、この夢のなかで。
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