Ωの皇妃

永峯 祥司

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第2部

裁判所にて

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 薄暗い中、カビ臭い空気に荒い息遣いと呻き声が響く。殴るような鈍い音がしたかと思えば、嘲笑う男たちの興奮した声が沸いた。

「皇帝陛下も勿体ねぇ事するよなぁ?」
「こんな名器を手放しちまうんだから贅沢なもんよ」

 バチュンと音を立て、男の腰が打ち付けられる。清潔とは言い難いベッドで複数の男に拘束された白い肢体が跳ねた。それと同時に内に埋め込んだモノを締め付けられた男がぶるりと体を震わせ、欲を吐き出す。

「ほれ、お前の番だぜ」

 自分のそれを引き抜いたガタイのいい男がずんぐりと太った男に顎をしゃくって促した。

「やっと俺かよ。今日の2周目の回転率悪ぃぞ」
「いいじゃねぇか。時間はまだまだある。少なくともあと半日は遊べるからな」

 お前こそさっさとしろよと急かされ、太った男はいそいそと事に取り掛かる。

「ふぅ……ちっと緩んできたが、いい締まり具合だぁな」
「そらあ、俺らがしっかり仕込んでやったんだ。今じゃ立派な娼夫の身体よ」

 なあ? と組み敷かれている者の顎をガタイのいい男が乱暴に掴んだ。虚ろな黒い瞳から生理的な涙が零れ、磁器のような肌を滑り落ちるのを嫌らしい笑みで眺める。

「……にしても、Ωでも男相手にゃ勃たねぇと思ってたが……案外イケるもんだな」
「ああ、見目も声も男だが、妙に色っぽいからなァ」
「ひひっ、この腰なんかたまンねぇぜ」
「これで避妊薬まで支給してくれるってんだからとんだ儲けもんよ」


 ──リューシは2日半の間、囚人の男達に凌辱され続けていた。

 娼夫でも何でもないリューシにとって、身元もよくわからないような男らに輪姦されるのは疑いなく屈辱でしかない。当然、初めのうちは毒ガスで痺れる身体を動かして抵抗していた。男達を罵った。何度も逃れようと試みた。

 だが、

 ある地点で、

 彼の中の何かがパキリと

 それはそれは軽やかな音を立てて割れた。

「──さあて、そろそろ寝るか」

 この日、囚人達が床に就きリューシが解放されたのは、月が高く上がってからであった。もっとも、地下にあるこの牢の中では看守の運んでくる食事でしか時間を確かめられないのだが。その食事もそこそこにリューシを捌け口にして性欲を優先させる囚人らを、交代でやってくる看守は汚物を見るような目で一瞥して行くのである。
 朝夕2度の食事を3日間、計6回のうちに3人の看守が来たが、そのうちの一人が一度だけリューシに同情的な視線を向けた事があった。後ろと前に同時に男のものを咥え込まされていた時だった。

 ベッドのぼろ切れのような毛布の上に転がされたリューシは、身動きする事なくくうを見つめた。その下に、乾燥した白濁がこびりついた軍服がゴミのように放置されている。一糸纏わぬ肢体には無数の打撲痕と鬱血痕が鮮やかに浮き上がり、僅かに脚を動かせば、双丘から太腿へ中に吐き出された体液が伝った。
 交代でリューシを犯す囚人らの体力が尽きる事はないが、犯される側のリューシには休憩する暇が与えられない。昼夜を問わず身体を酷使し、関節という関節が悲鳴を上げている。意識を失って尚挿入を繰り返された後孔は最早痛覚を失っていた。

 なぜこんな事になったのだろうか。
 満足な睡眠を取る事も許されずぼんやりとした頭で思った。この牢で凌辱されている間、何度も自問した。
 だが、それもどうでもよくなった。

 助けて欲しいなどとは言わない。
 ただ、楽になりたい。

 この時のリューシに判断力といったものは存在しなかった。彼の脳は狂ったコンピュータプログラムのように、「楽になりたい」という言葉だけを繰り返していた。この苦しみから解放される事を、ただそれだけを渇望していた。

 正常さを失った彼の思考の行き着く先。
 言うまでもなく、それは“死”であった。

 どれくらい死の幻想を夢見ていただろうか。いつの間にか、外には朝日が昇っていた。日の光も届かない地下では通気孔から小鳥のさえずりが微かに聞こえると共に、看守が朝食を運んできた事で夜明けと知れる。
 
 今朝のこの看守は牢の鍵を開け、囚人らが粗末な朝食にがっついている間に中へ入ってきた。 けがされたまま衣服も身に付けず、死んだように横たわるリューシの方へ近づく。リューシの目も当てられない状態に一瞬不快そうに眉根を寄せたが、彼は直ぐに表情を戻して「身支度を」と言った。裁判の為にここを一旦出るのだと平坦な声で説明する。
 流石に丸裸の状態で公共の場に立たせるわけにはいかないという事なのだろう。彼の手には真新しい簡素な衣服一式と、身体を清める為の水を張った洗面器とタオルが携えられていた。それらをベッドの下に並べ、早くしろと急かす。しかし、リューシは焦点の合わない目でどこかを眺めるばかりである。

 反応のない相手に痺れを切らしたのか、看守は自らの手で手早くリューシの身体を拭き、衣服を着用させた。反応はないが、動けと言えば素直に動く。病身の者の介護程の手間はかからなかった。
 誰のものとも知れない精液や、疑いなくリューシ本人のものである血液にまみれたタオルを心底不快そうにしながらゴミ袋に入れ、看守はリューシの両手首に縄を掛けた。後ろ手に解けない程度に縛り、その縄の端を握って牢の外へ追い立てる。過度の負担をかけられ、更には毒ガスの麻痺が残るリューシは覚束ない足取りで、無意識に腰を庇いながら歩いた。
 実際、足を一歩踏み出す度に激痛が走り、奥に溜まっていた精液が太腿を伝っていたのだが、リューシの顔色はまるで変わらなかった。夢遊病のように、虚ろな表情で脚をただ前後に動かすのみであった。

 この姿を見て、誰があのリューシ・ラヴォルだと思うだろうか。誰があの誇り高い軍人だと気付くだろうか。誰があの鋭い鷹の瞳を思うだろうか。
 この男のリューシ・ラヴォルたる証拠は、最早、その漆黒の髪にしか残されていないのだ。

 牢から出されたリューシは馬車に乗せられ、裁判所へ移送される。監獄からおよそ10分の短い移動だが、囚人の脱走を防ぐ為、このかんは馬車を利用する事になっている。
 道中には車内に美しい朝日が射し込んだ。しかし、生憎それに気を向ける者はいない。

 裁判所に到着した移送馬車は、リューシと二人の看守を降ろすと直ぐに走り去った。看守の一人が御者に何やら言っていたが、裁判が終わる予定時刻でも伝えたのだろう。帰りも同じ馬車が迎えにやってくるはずだ。

 両側を看守に挟まれ、リューシは神殿のような建物に足を踏み入れる。
 国内最大の裁判所は大理石の荘厳な建造物である。築300年の威厳は遠目にも感じられる程だ。神殿のような外観は有名な建築家が設計したものらしく、観光地のようにもなっている。無論、必要に迫られてここを訪れる者の中に観光客はいないが。

 控え室のような部屋に通され、サイドテーブルのついた造りの良いソファに座らされる。縄を握っている看守らはぴったりとその横に張り付いて仁王立ちした。
 暫くすれば、かっちりした服装に身を包んだ中年の男が現れた。彼はリューシの姿を一目見て驚愕したようであったが、畏まった口調で簡単な自己紹介をした。彼がリューシの弁護士、という事らしい。

「長い間これを生業にしていますが、皇室の方の弁護を務めるのは初めてですよ」

 そう断った彼の目には僅かながらにも同情の色が浮かんでいた。

 これから行われる裁判について この弁護士から一通りの説明がなされたが、リューシの耳には何も届かなかった。およそ2時間に渡る話の中で相槌を打つという事もなく、ぼんやりとその双眸を弁護士の向こうに投げ掛けるばかりである。もっとも、事務的に説明を進める彼はリューシが聞いていようがいまいが構わなかった。

  30分後に法廷に入りますからと言い、弁護士は一旦その場から姿を消した。後に残された両脇に控える看守の二人も、リューシも沈黙し、鬱屈した空気が流れる。あの弁護士の男が退場してからよくわかる事であるが、裁判所に入ってから今まで、彼以外の者は一言も言葉を発していなかった。


◇◇◇


 リューシが控え室で弁護士と面会した頃、芸術作品と名高いこの裁判所周辺は大変な騒ぎとなっていた。
 抽選となった裁判の傍聴券をどうにかして勝ち取ろうと何百何千という人が群がり、辺り一帯は老若男女で埋め尽くされている
 それもそのはず、「皇族の裁判」というだけでも話題性は充分だというのに、被告はあの男のΩの皇妃──リューシ・ラヴォルだというのだから、国民が興味を持たぬ道理はない。

「しかし、あの堅物軍人が不義の罪で引っ張られるとはなぁ」

 最早最後尾がどこかもわからない列に並んでいる百姓らしい男が言う。それに「まったく信じられんな」と商人風の男が答えた。

「それも皇后様とだっていうじゃない」

 そこへ中流階級の婦人といった身なりの女が割り込み、議論が始まった。彼らに面識はないのだが、今、この大きな興味の対象に関する話が出来れば相手は犬でも毛虫でもよかったのである。

「皇后様は何だって不義なんてなさったのかしら。しかも相手が皇妃だなんて……それも、Ωの……」
「そうさ、そこが最も問題だ」

 婦人の疑問に商人が同意して合いの手を入れる。

「如何にしてあの美しい皇后がΩの皇妃に誑かされたか。それが我々の一番の関心事だ」
「でも、庶民の私たちにはどんな人間かわからないのに推測も出来ないわよ」

 お隣の旦那さんの浮気ならよくわかりますけど、と婦人が言う。それに被せ、百姓が声を上げた。

「俺ァ、皇帝の婚儀の時に間近でリューシ様を見たが、何と言っても無愛想でおっかねぇ人だったよ」

 あんな怖いのがΩなんて信じられんと肩を竦める。

「何だね、あんた、あの人の前で何かやらかしちまったのかい」

 商人の男が尋ねると、百姓はきまり悪そうに頭を掻いた。

「ちょっとな……宮殿のパーティーで飲み過ぎちまってよ、兵隊さんの軍服にゲロ引っ掛けたんだ」
「そりゃあまた!」

 大袈裟に驚く商人の隣で婦人が不快そうに顔をしかめるが、百姓はお構い無く続けて言う。

「んで、その俺のゲロを被っちまった兵隊が俺を医務室に連れて行ってくれたんだが、それをリューシ様に見られたのさ」
「なんだ、見られただけかい」
「なんだってお前さん、あん時の凍るような目は忘れようたって忘れられねぇ。まったくゾッとしたよ。酔いが一気に醒めちまう程だった」
「無愛想なお人だとは思ってたけどねぇ、そんなに恐ろしいものかしら」
「ああ、いくらΩだって言っても百戦錬磨の軍人様だぜ? 恐ろしいに決まってらァな」

 それじゃあ、と商人が唸る。

「ますますわからんな……今回の事件のいきさつは」
 
 それから3人の間ではリューシ・ラヴォルという人間の人物評が話題に擦り替わった。

 堅物で、尚且つ完璧な軍人で、恐れられる対象となる男。劣等種・・・とは思えない能力と容姿を持つ異端児。冷徹な戦争の鬼──

 彼を形容する言葉が無秩序に飛び交う。それらの中に好意的なものは殆ど見られない。どれを取っても、彼は「冷酷な軍人」として表現されている。国民の勝手な固定観念でしかないが、これには彼自身にも原因はあった。

 とにかく笑わない次期皇后。

 幼い頃から既に彼はそう呼ばれていた。
 軍で地位を確立するまで彼が人前に出る事はあまりなかったが、ごく稀に公式の場に出た。
 表に出る度に無表情で黙している。必要以上には口を開かず、誰かと談笑する姿は滅多に見られない。それが彼の印象として定着したのだ。

 少年時代の彼は、子供にしてはあまりに落ち着き過ぎていた。

「──でも、何にせよこの裁判がどうなるかはわからないわね」
「他のもんならともかく、まさかの皇帝の妻と夫だからなァ……」
「皇后様は裁判に出るんだろうかね。出るとしてもどういう立場になるんだろう」

 事件の詳細を知らないまま野次馬となっている寄せ集めの者達が首を傾げた時、ある方角でざわめきが起こった。一行もそちらへ目を向け、おやと声を上げる。
 
「おい、ロドス軍医長殿だぜ」

 長身の男を指して百姓が目を瞬いた。
 軍帽の下に覗く赤毛が群衆を掻き分け裁判所へ近づいて来る。部下だろうか、険しい表情の彼の後には数人の若い兵士が続いている。
 
「あの人も傍聴しに来たのかね」
「いやァ、傍聴するにしちゃあ殺気立ち過ぎちゃいねぇかい」
「あの方は昔からリューシ様と親しいらしいじゃない。証人か何かになったんじゃなくって?」

 暫し三羽烏の話題はロドス軍医長に飛び火したが、その軍人の一団の姿が見えなくなるとまた元のところへ返った。抽選の結果が発表されるまでその議論は続き、3人の中ではクジに外れた商人の男だけが残念そうに帰って行った。
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