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15.拾った子犬
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王都での任務を終え、ルドガーは一カ月ぶりに王墓に戻ってきた。
気持の良い青空は、王墓の地に入った途端にぶつりと途切れ、灰色の重苦しい空に変わってしまう。
ルドガーは馬を下りると道を外れて墓地に入った。
地面にしゃがみ込み、数本の枯草を適当に掴んで引っ張り上げる。
根まで枯れていた草はあっという間に抜け、乾いた地面が露わになる。
ルドガーは手の届く範囲の枯草を取り除き始めた。
すぐに周辺はきれいになり、この調子でいけば、道沿いだけでもきれいにできるのではないかとルドガーは考えた。
しかし立ち上がってみると、その景観は思ったほど良くはなっていなかった。
倒壊し、砕けた墓石がそこら中にあり、地面の凹凸も目立つ。
ルドガーは倒れかけている墓石の一つに手をかけた。
それは隣の墓石を下敷きにし、大きく傾いており、二つの墓石が接する部分に亀裂が入っていた。
腰を屈め、墓石をもちあげようと力を入れる。
と、足元で何かが動いた。
ルドガーは素早く後ろに飛び退り、地面すれすれに頭を下げ、墓石と地面の間を覗き込んだ。
暗がりで赤いものがきらりと光った。
間髪入れず、ルドガーはそこに手を突っ込むと、手に触れたものを引っ張り出す。
「がうっ!」
狂暴な唸り声と共に、黒い毛むくじゃらの塊が現れた。
ルドガーに喉元を掴まれ、手足をばたつかせて暴れている。
まさかそんなものが出てくるとは思いもしなかったルドガーは、両手で押さえ込んだその毛むくじゃらの生き物をまじまじと見下ろした。
目は宝石のようにきらめく赤で、鋭く光る白い牙が見えている。
黒い毛皮に覆われた体はふわふわとして柔らかい。
尻尾が二本あり、ぱたぱたと忙しく動いている。
それを少し持ち上げ、性別を確かめる。
つるんとしたお腹の下には出ている物がない。
「ぐるるるるるっ」
ルドガーの無神経な行動に、獣は歯をむき出して怒っているが、その体はルドガーに完全に押さえこまれている。
「子犬だな……。しかも女の子だ。可愛いな」
ルドガーがぽつりとつぶやいた途端、子犬が驚いたように口をぽかんと開け、二つの赤い目が大きくなった。
犬にしては少し感情表現が豊かな気がしたが、それもまたルドガーは気にいった。
「赤い目も宝石みたいできれいだし、黒い毛もやわらかい。
ちょっと屋敷の色と被るが、室内の壁を明るい色に塗り変えればいいだろう。そうだ、良いものがある」
しっかり子犬を抱え、ルドガーはうきうきと馬のところへ引き返した。
数分後、ルドガーが発見した子犬は首にピンクのリボンをまかれ、ソフィの前に差し出されていた。
「可愛い子犬だろう?墓地に入ってすぐのところで見つけた。まだ小さいし、これから育てればちゃんとなつく。
女の子だと思うから、名前はパールにしたのだが、どう思う?」
ルドガーは両手で挟むように抱いた子犬を、股間がソフィの目線に来るように持ち上げた。
子犬は怒ったように唸り声をあげるが、その体はルドガーによって完全に固定されている。
「こいぬ……?」
ソフィは首を傾けた。
ルドガーの目には可愛い子犬に見えているが、ソフィの目からは少し異なって見えていた。
黒い毛で、子犬程度の大きさではあるが、犬の特徴があるかといわれると、それは少し難しい。
額には鋭い角があるし、舌の上には地獄の炎が燃えている。
二本ある尻尾は黒い煤のような煙をあげ、リボンをまいた喉元はまるで甲冑のように黒い鱗のようなもので覆われている。
どう見ても地獄から地上に迷い出てしまった魔犬だ。
「子犬なら、幽霊を怖がって逃げ出したりしないだろう?その、犬は人間と友達になれる。ここでの生活が少しは楽しくなるかもしれない」
ルドガーは完全に子犬扱いで、魔犬を抱いて頭を撫でている。
ソフィはルドガーと魔犬を見比べ、目をぱちくりとさせる。
「犬は初めてか?こんな風に抱いて頭を撫でてもいいし、悪戯をしたら叩いて躾てもいい。最初が肝心だ。誰が主人か教えればおしっこも外で出来るようになる。大丈夫だ。すぐに慣れるし、俺が教えるから」
地獄の魔犬を仰向けにして、お腹を撫でているルドガーを、ソフィは黙って見つめていたが、やがて小さく口を開いた。
「ローレンスが、あなたは少し変わっていると言っていたけど本当ね」
途端にルドガーは不機嫌な顔になる。
「夫がいる間は愛人の話をしないでくれ。とにかく、これを飼う。俺がいる間にトイレをしつけ、妻に従うようにするからな」
一瞬呆れたような表情をしたソフィだったが、口に出しては何も言わなかった。
魔犬はもうやけくそだというように両足を投げ出してルドガーに抱かれている。
「まぁ……いいけど……」
ルドガーがぱっと顔を輝かせ、子犬をソフィに押し付ける。
魔犬は、ソフィの腕に抱かれると、ほっとしたように力を抜いて大人しくなった。
「パールという名前もさっきつけた。もし他につけたい名前があればいまのうちだ」
「この子は……」
ソフィにはその名前が見えていたが、魔犬の目を見つめ軽く頷いた。
「パールでいいみたい……」
その瞬間、ルドガーが再びパールの体を抱き上げた。
「ぐるるるっ」
魔犬は怒ったが、ルドガーはソフィを喜ばせようと張り切った。
「そうか、よし。パール、訓練を始めるぞ」
ルドガーが犬を無理やり座らせ、待てを教え始める。
不思議なことに、怒っているパールは渋々ながらそれに従った。
ソフィはなんとなく傍に座り、魔犬が人間に躾けられる姿を興味深く観察した。
その日の夕食は、パールも一緒だった。
二人は相変わらず互いの顔も見えないような長テーブルの両端に座り、トイレまで覚えたパールは、その真ん中の床で皿に盛られた塩抜き肉をお行儀よく食べていた。
ソフィ側のテーブルには、食後のデザートが既に置かれている。
ルドガーが町で買ってきた甘いクリームが乗ったカップケーキと、見たこともない果実だ。
可愛い箱に入っていたが、リボンはなかった。
反対側のテーブルからルドガーが大きな声で話し出した。
「明日は屋敷内の壁を塗ろうと思っている。パールは黒いし、壁も黒では見づらいだろう?玄関の壁は水色にしよう。それから絨毯の色も考えよう。あんなに赤い絨毯ではパールが怪我をしても気づけない」
パールを利用して屋敷内の大改造を目論むルドガーにソフィは反対しなかった。
「良いけど……。私は協力しないから」
「わかっている。君はやることがたくさんあって忙しい。あとで君の仕事のこともきかないといけない……」
ルドガーは憂鬱な顔になった。今回は休暇気分でいるわけにはいかない。
王墓の守り人の夫としての役目をしっかり果たさなければ、夫役を交代させられてしまうかもしれない。
「ソフィ、俺がいる間は愛人を入れるなよ。ローレンスが来たら俺が追い返すからな」
念を押すルドガーにソフィは眉をひそめる。
ローレンスは既にルドガーがここにいることを知っているし、必要な時に出てくるのだ。
「そういえば、俺がいない間、子供が来るようなことはなかったか?」
「子供?」
ルドガーは気まずい顔になった。
「ああ……実はその、外仕事の時に子供が遊びにきた。近くの子供らしいが、ブランコと砂場があっただろう?
俺がいる間、時々遊びに来ていた。君を呼びに行こうとすると帰ってしまうからなかなか紹介出来なかった。その……」
ソフィは黙り込んでルドガーを見つめている。
「いや、忘れてくれ。母親に叱られたのかもしれない。そうだ、手紙は届いたか?何通か出した。ポストに入っていたか?」
王墓を離れていた一カ月の間に、ルドガーはソフィに手紙を出していた。
受け取った覚えのあるソフィは渋い顔をする。
「入っていたけど……」
「何を書いていいかわからなかったから、花を入れた」
やはり花だったのかとソフィは何とも言えない顔で頷いた。
ルドガーからの封筒は届いたが、入っていたものは手紙ではなく、潰れた花や葉っぱだったのだ。
封筒をいくらふってもそれ以外のものは出てこなかった。
「押し花というものがあると聞いて、寝る時にマットの下に敷いて潰して入れた」
「……」
眉間に見たこともないほど深い皺を刻んだソフィにあわせ、ルドガーも顔をしかめた。
「ソフィ、今回も長めの休暇をとった。仲良くしたい」
いつもなら不機嫌な顔をしてそっぽをむくところだったが、ソフィは難しい顔をして黙っていた。
外から気ままに訪ねてくるルドガーに腹を立てていたソフィだったが、この捉えどころのない男のことをどう考えたらいいのかわからなくなっていた。
魔犬を子犬だと言って連れてくるし、幽霊に遊具を作ってやっている。
しかも手紙はソフィが目にすることのできない花や葉っぱを潰したもので、何が言いたいのかわからない。
夫だと思ったこともないが、これが本当に夫だとしたら、妻としてはどう対応するのが正解なのか、ソフィにはもうよくわからなかった。貴族教育で教えられた夫の姿とはあまりにもルドガーはかけ離れている。
ルドガーもまた、ソフィが何を考えているのかさっぱりわからなかったが、腹を探り合っている暇はなかった。突然席を立つと、ソフィのすぐ傍にやってきて、隣の椅子を引いて強引に座る。
「実は話がある」
真剣な顔つきで切り出したルドガーに、ソフィは警戒し身構えた。
「君の了承を得ないで決めたことだが、これはとても大切なことだ。俺が君にとって良い夫であることを認めてもらわなければならない」
「誰に?」
鋭くソフィが切り込む。
「ソフィ、俺達の仲を認めてもらいたくて、俺は騎士団の仲間達をここに招待した」
「え?!」
珍しく大きな声をあげたソフィは、顔を赤くして両手で自分の口を押えた。
ルドガーは気づいた様子もなく続ける。
「俺の上官も来るし、この間連れてきた友人のイーゼンも来る。それから仲間も何人かやって来る。俺達は彼らを歓迎して食事をふるまう必要がある」
黙り込んだソフィの膝にパールが飛び乗った。
無意識に、その背中をソフィが撫でる。
「客人を招くのは夫婦になって初めてのことだ。これは大変な仕事になる。イーゼンには手伝いを頼んでおいた。しかし一人増えたぐらいでは数十人をもてなすには手が足りないかもしれない。
君にもさすがに何か手伝ってもらわないといけないし、勝手に決めて申し訳ないが……」
「ここにお客が来るわけがない。誰もこんなところに来たりしない」
不安そうなソフィの声が響いた。
はっとしてルドガーはフィの手を握った。
「すまない。でも、必要なことなんだ」
王墓は忌み嫌われる場所だ。ソフィ自身も同じように人に避けられる存在だと自覚している。
客人なんて来るわけがないし、来たとしてもソフィに好意的な客人であるわけがない。
「すまない……」
客人を歓迎する手伝いを頼むなんて、残酷なことだとルドガーは気が付いた。
だいたいソフィが誰を歓迎しなければならないというのだろう。国を守るために命を捧げるというのなら、頭を下げもてなさなければならないのは騎士達の方だ。
ソフィは何の罪もなく、墓に入れられてしまう。
「嘘をついた……。すまない。実際は招いたわけじゃない……。俺が夫として相応しくないと思われている。
俺の替わりの夫は引退した騎士でずっと年上だ。
俺がちゃんと君の夫として役目を果たしていることがわかれば、俺は君の夫でいられる。ソフィ、頼む。協力してくれ」
「私は、誰が夫になっても構わない」
「わかっている。でも……俺の方が歳も近いし仲良くなれる。ソフィ。どうしてもここに夫を置かなければならないなら俺の方がいい。きっと後悔はさせない」
パールが二人の手の下から抜け出し、床に滑り降りた。
赤い目を光らせ、二本の尻尾を振っている。
その姿を目で追って、次の夫はこの魔犬を追い払ってしまうだろうとソフィは考えた。
「仲良くなんて無理。でも、あなたが夫の間はあなたの妻として行動します」
「ありがとう、ソフィ」
ルドガーはほっとしてその手に唇を押し付けた。
気持の良い青空は、王墓の地に入った途端にぶつりと途切れ、灰色の重苦しい空に変わってしまう。
ルドガーは馬を下りると道を外れて墓地に入った。
地面にしゃがみ込み、数本の枯草を適当に掴んで引っ張り上げる。
根まで枯れていた草はあっという間に抜け、乾いた地面が露わになる。
ルドガーは手の届く範囲の枯草を取り除き始めた。
すぐに周辺はきれいになり、この調子でいけば、道沿いだけでもきれいにできるのではないかとルドガーは考えた。
しかし立ち上がってみると、その景観は思ったほど良くはなっていなかった。
倒壊し、砕けた墓石がそこら中にあり、地面の凹凸も目立つ。
ルドガーは倒れかけている墓石の一つに手をかけた。
それは隣の墓石を下敷きにし、大きく傾いており、二つの墓石が接する部分に亀裂が入っていた。
腰を屈め、墓石をもちあげようと力を入れる。
と、足元で何かが動いた。
ルドガーは素早く後ろに飛び退り、地面すれすれに頭を下げ、墓石と地面の間を覗き込んだ。
暗がりで赤いものがきらりと光った。
間髪入れず、ルドガーはそこに手を突っ込むと、手に触れたものを引っ張り出す。
「がうっ!」
狂暴な唸り声と共に、黒い毛むくじゃらの塊が現れた。
ルドガーに喉元を掴まれ、手足をばたつかせて暴れている。
まさかそんなものが出てくるとは思いもしなかったルドガーは、両手で押さえ込んだその毛むくじゃらの生き物をまじまじと見下ろした。
目は宝石のようにきらめく赤で、鋭く光る白い牙が見えている。
黒い毛皮に覆われた体はふわふわとして柔らかい。
尻尾が二本あり、ぱたぱたと忙しく動いている。
それを少し持ち上げ、性別を確かめる。
つるんとしたお腹の下には出ている物がない。
「ぐるるるるるっ」
ルドガーの無神経な行動に、獣は歯をむき出して怒っているが、その体はルドガーに完全に押さえこまれている。
「子犬だな……。しかも女の子だ。可愛いな」
ルドガーがぽつりとつぶやいた途端、子犬が驚いたように口をぽかんと開け、二つの赤い目が大きくなった。
犬にしては少し感情表現が豊かな気がしたが、それもまたルドガーは気にいった。
「赤い目も宝石みたいできれいだし、黒い毛もやわらかい。
ちょっと屋敷の色と被るが、室内の壁を明るい色に塗り変えればいいだろう。そうだ、良いものがある」
しっかり子犬を抱え、ルドガーはうきうきと馬のところへ引き返した。
数分後、ルドガーが発見した子犬は首にピンクのリボンをまかれ、ソフィの前に差し出されていた。
「可愛い子犬だろう?墓地に入ってすぐのところで見つけた。まだ小さいし、これから育てればちゃんとなつく。
女の子だと思うから、名前はパールにしたのだが、どう思う?」
ルドガーは両手で挟むように抱いた子犬を、股間がソフィの目線に来るように持ち上げた。
子犬は怒ったように唸り声をあげるが、その体はルドガーによって完全に固定されている。
「こいぬ……?」
ソフィは首を傾けた。
ルドガーの目には可愛い子犬に見えているが、ソフィの目からは少し異なって見えていた。
黒い毛で、子犬程度の大きさではあるが、犬の特徴があるかといわれると、それは少し難しい。
額には鋭い角があるし、舌の上には地獄の炎が燃えている。
二本ある尻尾は黒い煤のような煙をあげ、リボンをまいた喉元はまるで甲冑のように黒い鱗のようなもので覆われている。
どう見ても地獄から地上に迷い出てしまった魔犬だ。
「子犬なら、幽霊を怖がって逃げ出したりしないだろう?その、犬は人間と友達になれる。ここでの生活が少しは楽しくなるかもしれない」
ルドガーは完全に子犬扱いで、魔犬を抱いて頭を撫でている。
ソフィはルドガーと魔犬を見比べ、目をぱちくりとさせる。
「犬は初めてか?こんな風に抱いて頭を撫でてもいいし、悪戯をしたら叩いて躾てもいい。最初が肝心だ。誰が主人か教えればおしっこも外で出来るようになる。大丈夫だ。すぐに慣れるし、俺が教えるから」
地獄の魔犬を仰向けにして、お腹を撫でているルドガーを、ソフィは黙って見つめていたが、やがて小さく口を開いた。
「ローレンスが、あなたは少し変わっていると言っていたけど本当ね」
途端にルドガーは不機嫌な顔になる。
「夫がいる間は愛人の話をしないでくれ。とにかく、これを飼う。俺がいる間にトイレをしつけ、妻に従うようにするからな」
一瞬呆れたような表情をしたソフィだったが、口に出しては何も言わなかった。
魔犬はもうやけくそだというように両足を投げ出してルドガーに抱かれている。
「まぁ……いいけど……」
ルドガーがぱっと顔を輝かせ、子犬をソフィに押し付ける。
魔犬は、ソフィの腕に抱かれると、ほっとしたように力を抜いて大人しくなった。
「パールという名前もさっきつけた。もし他につけたい名前があればいまのうちだ」
「この子は……」
ソフィにはその名前が見えていたが、魔犬の目を見つめ軽く頷いた。
「パールでいいみたい……」
その瞬間、ルドガーが再びパールの体を抱き上げた。
「ぐるるるっ」
魔犬は怒ったが、ルドガーはソフィを喜ばせようと張り切った。
「そうか、よし。パール、訓練を始めるぞ」
ルドガーが犬を無理やり座らせ、待てを教え始める。
不思議なことに、怒っているパールは渋々ながらそれに従った。
ソフィはなんとなく傍に座り、魔犬が人間に躾けられる姿を興味深く観察した。
その日の夕食は、パールも一緒だった。
二人は相変わらず互いの顔も見えないような長テーブルの両端に座り、トイレまで覚えたパールは、その真ん中の床で皿に盛られた塩抜き肉をお行儀よく食べていた。
ソフィ側のテーブルには、食後のデザートが既に置かれている。
ルドガーが町で買ってきた甘いクリームが乗ったカップケーキと、見たこともない果実だ。
可愛い箱に入っていたが、リボンはなかった。
反対側のテーブルからルドガーが大きな声で話し出した。
「明日は屋敷内の壁を塗ろうと思っている。パールは黒いし、壁も黒では見づらいだろう?玄関の壁は水色にしよう。それから絨毯の色も考えよう。あんなに赤い絨毯ではパールが怪我をしても気づけない」
パールを利用して屋敷内の大改造を目論むルドガーにソフィは反対しなかった。
「良いけど……。私は協力しないから」
「わかっている。君はやることがたくさんあって忙しい。あとで君の仕事のこともきかないといけない……」
ルドガーは憂鬱な顔になった。今回は休暇気分でいるわけにはいかない。
王墓の守り人の夫としての役目をしっかり果たさなければ、夫役を交代させられてしまうかもしれない。
「ソフィ、俺がいる間は愛人を入れるなよ。ローレンスが来たら俺が追い返すからな」
念を押すルドガーにソフィは眉をひそめる。
ローレンスは既にルドガーがここにいることを知っているし、必要な時に出てくるのだ。
「そういえば、俺がいない間、子供が来るようなことはなかったか?」
「子供?」
ルドガーは気まずい顔になった。
「ああ……実はその、外仕事の時に子供が遊びにきた。近くの子供らしいが、ブランコと砂場があっただろう?
俺がいる間、時々遊びに来ていた。君を呼びに行こうとすると帰ってしまうからなかなか紹介出来なかった。その……」
ソフィは黙り込んでルドガーを見つめている。
「いや、忘れてくれ。母親に叱られたのかもしれない。そうだ、手紙は届いたか?何通か出した。ポストに入っていたか?」
王墓を離れていた一カ月の間に、ルドガーはソフィに手紙を出していた。
受け取った覚えのあるソフィは渋い顔をする。
「入っていたけど……」
「何を書いていいかわからなかったから、花を入れた」
やはり花だったのかとソフィは何とも言えない顔で頷いた。
ルドガーからの封筒は届いたが、入っていたものは手紙ではなく、潰れた花や葉っぱだったのだ。
封筒をいくらふってもそれ以外のものは出てこなかった。
「押し花というものがあると聞いて、寝る時にマットの下に敷いて潰して入れた」
「……」
眉間に見たこともないほど深い皺を刻んだソフィにあわせ、ルドガーも顔をしかめた。
「ソフィ、今回も長めの休暇をとった。仲良くしたい」
いつもなら不機嫌な顔をしてそっぽをむくところだったが、ソフィは難しい顔をして黙っていた。
外から気ままに訪ねてくるルドガーに腹を立てていたソフィだったが、この捉えどころのない男のことをどう考えたらいいのかわからなくなっていた。
魔犬を子犬だと言って連れてくるし、幽霊に遊具を作ってやっている。
しかも手紙はソフィが目にすることのできない花や葉っぱを潰したもので、何が言いたいのかわからない。
夫だと思ったこともないが、これが本当に夫だとしたら、妻としてはどう対応するのが正解なのか、ソフィにはもうよくわからなかった。貴族教育で教えられた夫の姿とはあまりにもルドガーはかけ離れている。
ルドガーもまた、ソフィが何を考えているのかさっぱりわからなかったが、腹を探り合っている暇はなかった。突然席を立つと、ソフィのすぐ傍にやってきて、隣の椅子を引いて強引に座る。
「実は話がある」
真剣な顔つきで切り出したルドガーに、ソフィは警戒し身構えた。
「君の了承を得ないで決めたことだが、これはとても大切なことだ。俺が君にとって良い夫であることを認めてもらわなければならない」
「誰に?」
鋭くソフィが切り込む。
「ソフィ、俺達の仲を認めてもらいたくて、俺は騎士団の仲間達をここに招待した」
「え?!」
珍しく大きな声をあげたソフィは、顔を赤くして両手で自分の口を押えた。
ルドガーは気づいた様子もなく続ける。
「俺の上官も来るし、この間連れてきた友人のイーゼンも来る。それから仲間も何人かやって来る。俺達は彼らを歓迎して食事をふるまう必要がある」
黙り込んだソフィの膝にパールが飛び乗った。
無意識に、その背中をソフィが撫でる。
「客人を招くのは夫婦になって初めてのことだ。これは大変な仕事になる。イーゼンには手伝いを頼んでおいた。しかし一人増えたぐらいでは数十人をもてなすには手が足りないかもしれない。
君にもさすがに何か手伝ってもらわないといけないし、勝手に決めて申し訳ないが……」
「ここにお客が来るわけがない。誰もこんなところに来たりしない」
不安そうなソフィの声が響いた。
はっとしてルドガーはフィの手を握った。
「すまない。でも、必要なことなんだ」
王墓は忌み嫌われる場所だ。ソフィ自身も同じように人に避けられる存在だと自覚している。
客人なんて来るわけがないし、来たとしてもソフィに好意的な客人であるわけがない。
「すまない……」
客人を歓迎する手伝いを頼むなんて、残酷なことだとルドガーは気が付いた。
だいたいソフィが誰を歓迎しなければならないというのだろう。国を守るために命を捧げるというのなら、頭を下げもてなさなければならないのは騎士達の方だ。
ソフィは何の罪もなく、墓に入れられてしまう。
「嘘をついた……。すまない。実際は招いたわけじゃない……。俺が夫として相応しくないと思われている。
俺の替わりの夫は引退した騎士でずっと年上だ。
俺がちゃんと君の夫として役目を果たしていることがわかれば、俺は君の夫でいられる。ソフィ、頼む。協力してくれ」
「私は、誰が夫になっても構わない」
「わかっている。でも……俺の方が歳も近いし仲良くなれる。ソフィ。どうしてもここに夫を置かなければならないなら俺の方がいい。きっと後悔はさせない」
パールが二人の手の下から抜け出し、床に滑り降りた。
赤い目を光らせ、二本の尻尾を振っている。
その姿を目で追って、次の夫はこの魔犬を追い払ってしまうだろうとソフィは考えた。
「仲良くなんて無理。でも、あなたが夫の間はあなたの妻として行動します」
「ありがとう、ソフィ」
ルドガーはほっとしてその手に唇を押し付けた。
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