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22.妻か親友か
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記憶にある限りのことをイーゼンはルドガーに話した。
ソフィに誘拐され売られた子供でないかという疑惑をぶつけたと聞くと、ルドガーはさすがに驚いて険しい表情になった。
まだ調査中のことであり、疑われていることをソフィが知れば、フィリス家の人間と口裏を合わせてしまう可能性もある。これは大きな規律違反であり、調査に支障が出たら処罰を受けてしまう。
「階段を上がった途端に体が重くなって、まるで夢でも見ているかのように何も考えられなくなった。本当だ。信じてくれ!」
肩を震わせて頭を下げるイーゼンをルドガーは助け起こした。
「顔をあげてくれ。確かに多少頭に来たが、お前が俺のために相当の覚悟を持ってソフィに話しを持ちかけたことは理解した。しかし、ずいぶん危険なことをした。外にばれたら騎士団を首になるぞ」
「わかっている。だが、お前に死んでほしくなかった」
袖で目元を拭うイーゼンをルドガーは隣に座らせた。
「勝手に死ぬと決めつけるな。俺は一緒に王墓に入ると言っただけだ」
驚くイーゼンに、指を立ててさらに声を下げる。
「お前を巻き込めばお前の命まで危険に晒すことになる。だから俺一人でやろうと思っていた。しかしお前が命をかけてそこまで考えてくれたというのなら、俺も計画を話す。
俺は王墓に洞窟を掘る道具を持って入るつもりだ。あるいは、今から抜け道を掘ろうと考えている」
「え?!」
まさか王墓に入って、生き残る選択肢があるとは思いもしなかったイーゼンは、声も無く目を丸くした。
「あんな場所だ。誰にも見つからず穴ぐらい掘れるだろう。分厚い岩が埋まっていたら面倒だから爆薬玉を買おうと思っていた。その前に、王墓の構造を王宮の書庫に忍び込んで調べるつもりだ」
「た、祟りがあるぞ。呪いだって、災いが放たれるともきく」
ルドガーに恐れはなかった。
「王墓に入って何をする?暗いところで飢えて死んでいくだけだろう?
入っているだけでいいなら時々外に出て、また抜け穴で戻ればいい。
どうしても死ぬ必要があるなら国の為、命を落とすこともやぶさかではない。
しかし、本当に命をかけることが正しいのか見極めるぐらいはいいだろう」
「お前……。王墓に入って生きて出るつもりだったのか?」
あまりの往生際の悪さに、さすがのイーゼンも絶句する。
「当然だ。ソフィを連れて外に出る。しかしそれは王墓に入るまで秘密にしておこうと考えていた。
もし事前に抜け穴を発見されたら、俺が一人でやったことだと言えるようにしておきたかった」
最後の最後まで、ルドガーは命を諦める気はないのだ。
突拍子もないルドガーのその思い付きに、イーゼンはうまくいくのだろうかと急いで考えを巡らせる。
ルドガーもイーゼンの提案について考えた。
「しかし、お前の考えにも驚いた。王墓の守り人に相応しくないと分かればその役を外されるのか。一度王墓の地に入った王墓の守り人が外に出されるなんてことがあるのか?」
「守り人は自ら進んで国の平和のために、犠牲になることを誓えるものでなければいけないとフィリス家の本に書いてあっただろう?ソフィに何か企みがあって、国の平和を願う気がないのであれば、王墓の守り人にふさわしくない。ソフィが王墓に入らなければ、お前だって、入る必要はなくなる。俺は、お前を助けたかった……」
ルドガーは腕を組んでざらついた顎を撫でた。
「その封印されている邪悪な存在は剣で斬れないものなのか?」
さらなる驚きの発言に、イーゼンはまたもや目玉をひんむいてルドガーを見返した。
「王墓の上に灰色の雲があるだろう。あれが邪魔で仕方がない。ソフィに青空を見せてやりたいが、さすがに空には手が届かない。封印されている何かを殺したら解決するのではないか?」
「殺せないから封印されているのでは?」
イーゼンの指摘に「なるほど」と頷いたルドガーだったが、諦めたわけではなかった。
「王都に戻ったら王墓に何があるのか調べ直そう」
そこに何があるか判明したら、それをどうするつもりなのか。
唖然としているイーゼンを尻目に、ルドガーは腰を上げ、部屋に運び込んだばかりの荷物を掴んだ。
「ルドガー!」
出ていこうとするルドガーにイーゼンが飛びついた。
「何だ!俺はソフィのところに戻る。お前はここに泊るなり帰るなりしろ」
「俺を許してくれるのか?」
そこを確かめずには行かせるわけにはいかない。
「許すもなにも。お前の意思ではなかったのだろう?今回は伝言を頼んだ俺にも非がある。もう二度とお前とソフィを二人きりにはさせない」
あっさりイーゼンとソフィの関係を許したルドガーは、嫌な予感に顔を歪めた。
今頃ローレンスがソフィの寝所に入り込んでいるに違いない。
「また王都で会おう」
こうしてはいられないと、ルドガーは部屋を飛び出した。
それを見送るイーゼンは、親友に許されたことに安堵し、床にへたりこんだ。
王墓の空はいつも以上に暗かった。
玄関周りの花壇の花は、日照不足のせいで、そよ風にさえ負けてしまいそうなほど細くなり、元気がない。
馬を厩舎に入れて引き返してきたルドガーは、玄関前の階段に足をかけ、動きを止めた。
階段横の花壇に大きな穴が開いている。
「失念していたな。犬は穴掘りが好きな生き物だ。花壇の土を掘らないように教えておくべきだった」
その時、どこからともなく小さな足音が近づいてきた。
「おじさん!」
「ルイスか、それに……」
顔を出したのは幼い少年で、黒い犬が一緒だった。
「パール、さっそく友達になったのか。しかしパール、お前花壇を掘ったな。これはお仕置きものだぞ」
パールはすかさずルイスの後ろに隠れた。
ルドガーは苦笑し、かついできた荷物を下ろすと中から包みを一つ取り出した。
「ルイス、甘い菓子を買ってきた。後で一緒に食べないか?」
視線を戻すと、少年の姿だけが消えていた。
パールがお行儀よく座って二本の尻尾を振っている。
「もう遊びに行ったのか。パール、お前は行かないのか?」
パールがお尻をあげる。
ルドガーは手にしていたお菓子の入った包みをパールに差し出した。
「ルイスに渡してくれ。良く考えれば、親友に妻を寝取られた男が妻の機嫌をとるために、甘い菓子など買わないな。今回はソフィにもお仕置きだ」
パールが包みをくわえ、走って館の裏手に消えていく。
ルドガーは憂鬱な気持ちを奮い立たせ、館に入った。
そのまま足を止めずに二階に上がる。
やはり右の通路に面している、ソフィの寝室の扉が少しあいている。
さらに悪いことには、ソフィの甘い喘ぎ声が漏れている。
ルドガーは躊躇うことなく扉を開けた。
仰向けに寝ているソフィの首から下を覆う上掛けが盛り上がり、中で誰かが動いている。
「ローレンス!帰ってくれ!」
驚いたようにソフィが顔を上げ、膨らんでいた上掛けがぺちゃんこになった。
いつの間にかローレンスが寝台の外にいる。
青白い顔に密かな笑みを浮かべ、黙ってルドガーの横を通り過ぎ寝室を出ていく。
背後で扉が閉まると、ルドガーはソフィに近づいた。
ルドガーが戻ってくるとは思いもしなかったソフィはただただ驚いてルドガーを見上げた。
「な、何しに帰ってきたの?」
「言ったはずだ。ちゃんと夫になると。休暇だから帰ってきた」
ルドガーの体重で寝台のマットが沈み込む。
「ソフィ、俺は本気だ。君と一緒に王墓に入る。そして、生きて外に出る」
かっとした怒りがソフィの表情に走り、目つきが険しくなった。
「そんなことできるわけがない。国に逆らうの?」
「そうじゃない。抜け穴を作って出入りできるようにしようと考えている。祟りがあるなら戻るしかないが、祟りなんてものがないなら外に出てもいいだろう?
外と中を行き来してみて、本当に何か悪いことが起きるのか検証してみよう。もしどうしても悪いことが起きるというのなら、その時は王墓の中で暮らせばいい」
怒りより驚きが勝り、ソフィは口をあんぐり開けた。
「く……くらす?」
「そうだ。いつかここを出て王墓に入るのだろう?ならば移住だ。穴を作って俺が食料を運ぶ。花を咲かせるのは無理だな。だけど、俺達は夫婦になった。どこであろうと愛し合って暮らせる」
ソフィの紫の瞳から大粒の涙が溢れだす。
悲しいのか、怒っているのかわからない顔で、ルドガーを睨みつける。
「ひどい。嘘つき。絶対信じない。絶対、絶対信じない!」
弾けるように立ち上がり、ソフィはルドガーを突き飛ばそうとした。その腕を押さえこみ、ルドガーはソフィを抱きしめた。
「放してよ!大嫌い!あなたなんて大嫌い!」
叫び続けるソフィをさらに強く抱きしめ、ルドガーは小さな頭を自分の顎の下に押し込んだ。
「ソフィ。大丈夫だ。きっとうまくいく。俺は君と夫婦になると決めた。だから、必ず約束を守る」
ソフィはルドガーの胸を押し返そうと両手を突き出した。
王墓の守り人に必要なものは死を受け入れる覚悟であって、希望ではない。
「ソフィ、俺も調べてみるが、どこか王墓の内部に繋がるような場所を知らないか?そろそろ掘り始めようと思っていた」
「やめてよ!」
ソフィは叫んだ。
もし希望を持った後に、それが実現できないことが判明したら。
もし、土壇場になってルドガーが逃げ出したら。
既にこの地と契約し、ソフィだけが王墓から出ることは出来ないのに。
希望を持って裏切られたら、ソフィはそこから心を立て直し、死ぬ覚悟を固め直さなければならない。
古の英雄騎士ローレンスがそうしたように、愛する騎士に裏切られ、背中を蹴飛ばされることになれば、どれだけの絶望が襲ってくることか。
国の送り込んだ夫の偽りの言葉を信頼し、一人で王墓に入っていく守り人の姿を、ソフィは古の騎士達の記憶の中で何度も目にしているのだ。国が送り込んだ夫の言葉なんて信じられるわけがない。
「そんなものない。入ったらそこで終わりよ。続きなんてない。そんな話聞きたくない!」
震えるソフィの体を抱きしめ、ルドガーはその頬に唇を押し当てた。
「ソフィ……。すまない。俺が悪かった」
信じてもらえるほどの絆をソフィとはまだ築けていないのだ。
もし王墓に入るのがイーゼンであれば、イーゼンはきっとルドガーの助けを信じて王墓に入ってくれる。
その逆だったとしても、ルドガーはイーゼンを信じて王墓に入ることができる。
それだけの信頼関係が築けていると自信を持っていえる。
しかしソフィとはそうじゃない。
最初から対等な立場での結婚でもなかった。
ソフィは完全に心を閉ざし、ルドガーの腕の中で全身を強張らせている。
全ての希望から目背け、死に向き合い続けなければ、心静かにその日を迎えることは出来ない。
王墓の守り人に課された勤めの数々は全て死に臨むための儀式なのだとルドガーは悟った。
毎日王墓に祈りを捧げ、その場所に慣れ、いつかそこに入るのだと自身に言い聞かせる。
「なぜ王墓の守り人に選ばれた?もっと歳をとった女性の方が適任だ」
ルドガーはソフィの背中を優しく撫でた。
ソフィは諦めたようにルドガーの腕に大人しく抱かれていた。
「私が一番優秀だったからよ。ちゃんと王墓の守り人になり災いを鎮めるために力を使うと誓約書も書いた。霊力を使った誓いは王墓の結界を抜けたときに発動し、私はここに閉じ込められた。自分の意思で決めたことなの」
驚いて、ルドガーはソフィの顔を覗き込んだ。
「自分からここに閉じ込められることを望んだということか?誰にも強要されず?脅されたわけでもない?」
「そうよ……。力の使い方を教わり、授業もたくさん受けた。私を教育してくれた人達には感謝しているの。イーゼンは私が無理やりここに縛り付けられていると思っていたようだけど、そうじゃない。
だから、もう私のことは放っておいてほしい」
命を捨てることがソフィの意思であるのならば、ルドガーにそれを止めることは出来ない。
「そうか、話してくれてありがとう。ソフィ、じゃあ別のことを話す」
がらりと口調を変え、ルドガーの声が少し低くなった。
「俺の親友とはもう寝るな。正直に言えばローレンスがいるのも不愉快だが、君の寂しさを埋めるためなら仕方がない。だけど、イーゼンはだめだ」
途端に、ソフィの顔が耳まで赤くなった。怒りに燃えてルドガーを睨みつける。
親友が妻を寝取った現場を目の当たりにしながら、ルドガーはイーゼンの言葉を信じたのだ。
「彼が私を無理やり抱いたのよ。私が誘惑したみたいに言わないで!」
「彼は俺の親友だ。彼の言葉を俺は信じる」
迷いのないルドガーの態度に、ソフィはさらに傷ついた。
怒りを露わに、ルドガーの腕を振り払う。
「私の言葉は信じられないのね。それでよく夫だと言える。私が誘惑されたと言ったら、誘惑されたのよ。悪いのはイーゼンよ!気持ち良くしてくれたのもイーゼン。決めてよ。あなたは友達と私、どっちを信じるの!」
激しい怒りに震えるソフィを前に、ルドガーは困惑した。
「彼とは長い付き合いだ。俺を裏切る男じゃない。君は愛人を何人も持っているし、寂しければ男に慰めを求めるだろう?それが悪いとは言わないが、イーゼンだけはやめてくれと言っている」
「だから、私がイーゼンを誘惑したみたいに言わないで!彼が私を無理やり抱いたの。どっちを信じるの?ねえ、夫なら私を信じてよ!」
「それは、真実じゃない!なぜそんな嘘をつく!」
怒りに青ざめ、ソフィは血が出るほど唇をかみしめた。
「誰も私の言葉なんて信じないのよ。私もあなたを信じない。あなたも私を信じないのだから、私だって信じない。絶対、誰も、誰のことだって、絶対に信じるものか!」
両腕を振り回し、ソフィは泣きながらルドガーを叩きだした。
さすがに寝てもいられず、ルドガーはソフィの体を押さえ込みにかかった。
泣いて怒る妻になんと声をかけたらいいのかわからない。
夫なら、妻が黒いものを白だといえば、白だと言ってやるべきなのだろうかとルドガーは思ったが、やはり親友の言葉の方が重かった。
「イーゼンは、俺にとって家族のような存在だ。君を妻として大切に思っているが、そのために彼を切り捨てるようなことは出来ない」
力で押さえ込まれたソフィは、不機嫌な顔で黙り込んだ。
その頬は涙で濡れ、深い失望がその瞳に宿る。
「ソフィ、この話は終わりだ。休暇の間は少しでも仲良く過ごしたい」
大人しくなったソフィを抱いて、ルドガーは再び寝台に横たわり、ソフィが眠りにつくまで辛抱強く待ち続けた。
ソフィに誘拐され売られた子供でないかという疑惑をぶつけたと聞くと、ルドガーはさすがに驚いて険しい表情になった。
まだ調査中のことであり、疑われていることをソフィが知れば、フィリス家の人間と口裏を合わせてしまう可能性もある。これは大きな規律違反であり、調査に支障が出たら処罰を受けてしまう。
「階段を上がった途端に体が重くなって、まるで夢でも見ているかのように何も考えられなくなった。本当だ。信じてくれ!」
肩を震わせて頭を下げるイーゼンをルドガーは助け起こした。
「顔をあげてくれ。確かに多少頭に来たが、お前が俺のために相当の覚悟を持ってソフィに話しを持ちかけたことは理解した。しかし、ずいぶん危険なことをした。外にばれたら騎士団を首になるぞ」
「わかっている。だが、お前に死んでほしくなかった」
袖で目元を拭うイーゼンをルドガーは隣に座らせた。
「勝手に死ぬと決めつけるな。俺は一緒に王墓に入ると言っただけだ」
驚くイーゼンに、指を立ててさらに声を下げる。
「お前を巻き込めばお前の命まで危険に晒すことになる。だから俺一人でやろうと思っていた。しかしお前が命をかけてそこまで考えてくれたというのなら、俺も計画を話す。
俺は王墓に洞窟を掘る道具を持って入るつもりだ。あるいは、今から抜け道を掘ろうと考えている」
「え?!」
まさか王墓に入って、生き残る選択肢があるとは思いもしなかったイーゼンは、声も無く目を丸くした。
「あんな場所だ。誰にも見つからず穴ぐらい掘れるだろう。分厚い岩が埋まっていたら面倒だから爆薬玉を買おうと思っていた。その前に、王墓の構造を王宮の書庫に忍び込んで調べるつもりだ」
「た、祟りがあるぞ。呪いだって、災いが放たれるともきく」
ルドガーに恐れはなかった。
「王墓に入って何をする?暗いところで飢えて死んでいくだけだろう?
入っているだけでいいなら時々外に出て、また抜け穴で戻ればいい。
どうしても死ぬ必要があるなら国の為、命を落とすこともやぶさかではない。
しかし、本当に命をかけることが正しいのか見極めるぐらいはいいだろう」
「お前……。王墓に入って生きて出るつもりだったのか?」
あまりの往生際の悪さに、さすがのイーゼンも絶句する。
「当然だ。ソフィを連れて外に出る。しかしそれは王墓に入るまで秘密にしておこうと考えていた。
もし事前に抜け穴を発見されたら、俺が一人でやったことだと言えるようにしておきたかった」
最後の最後まで、ルドガーは命を諦める気はないのだ。
突拍子もないルドガーのその思い付きに、イーゼンはうまくいくのだろうかと急いで考えを巡らせる。
ルドガーもイーゼンの提案について考えた。
「しかし、お前の考えにも驚いた。王墓の守り人に相応しくないと分かればその役を外されるのか。一度王墓の地に入った王墓の守り人が外に出されるなんてことがあるのか?」
「守り人は自ら進んで国の平和のために、犠牲になることを誓えるものでなければいけないとフィリス家の本に書いてあっただろう?ソフィに何か企みがあって、国の平和を願う気がないのであれば、王墓の守り人にふさわしくない。ソフィが王墓に入らなければ、お前だって、入る必要はなくなる。俺は、お前を助けたかった……」
ルドガーは腕を組んでざらついた顎を撫でた。
「その封印されている邪悪な存在は剣で斬れないものなのか?」
さらなる驚きの発言に、イーゼンはまたもや目玉をひんむいてルドガーを見返した。
「王墓の上に灰色の雲があるだろう。あれが邪魔で仕方がない。ソフィに青空を見せてやりたいが、さすがに空には手が届かない。封印されている何かを殺したら解決するのではないか?」
「殺せないから封印されているのでは?」
イーゼンの指摘に「なるほど」と頷いたルドガーだったが、諦めたわけではなかった。
「王都に戻ったら王墓に何があるのか調べ直そう」
そこに何があるか判明したら、それをどうするつもりなのか。
唖然としているイーゼンを尻目に、ルドガーは腰を上げ、部屋に運び込んだばかりの荷物を掴んだ。
「ルドガー!」
出ていこうとするルドガーにイーゼンが飛びついた。
「何だ!俺はソフィのところに戻る。お前はここに泊るなり帰るなりしろ」
「俺を許してくれるのか?」
そこを確かめずには行かせるわけにはいかない。
「許すもなにも。お前の意思ではなかったのだろう?今回は伝言を頼んだ俺にも非がある。もう二度とお前とソフィを二人きりにはさせない」
あっさりイーゼンとソフィの関係を許したルドガーは、嫌な予感に顔を歪めた。
今頃ローレンスがソフィの寝所に入り込んでいるに違いない。
「また王都で会おう」
こうしてはいられないと、ルドガーは部屋を飛び出した。
それを見送るイーゼンは、親友に許されたことに安堵し、床にへたりこんだ。
王墓の空はいつも以上に暗かった。
玄関周りの花壇の花は、日照不足のせいで、そよ風にさえ負けてしまいそうなほど細くなり、元気がない。
馬を厩舎に入れて引き返してきたルドガーは、玄関前の階段に足をかけ、動きを止めた。
階段横の花壇に大きな穴が開いている。
「失念していたな。犬は穴掘りが好きな生き物だ。花壇の土を掘らないように教えておくべきだった」
その時、どこからともなく小さな足音が近づいてきた。
「おじさん!」
「ルイスか、それに……」
顔を出したのは幼い少年で、黒い犬が一緒だった。
「パール、さっそく友達になったのか。しかしパール、お前花壇を掘ったな。これはお仕置きものだぞ」
パールはすかさずルイスの後ろに隠れた。
ルドガーは苦笑し、かついできた荷物を下ろすと中から包みを一つ取り出した。
「ルイス、甘い菓子を買ってきた。後で一緒に食べないか?」
視線を戻すと、少年の姿だけが消えていた。
パールがお行儀よく座って二本の尻尾を振っている。
「もう遊びに行ったのか。パール、お前は行かないのか?」
パールがお尻をあげる。
ルドガーは手にしていたお菓子の入った包みをパールに差し出した。
「ルイスに渡してくれ。良く考えれば、親友に妻を寝取られた男が妻の機嫌をとるために、甘い菓子など買わないな。今回はソフィにもお仕置きだ」
パールが包みをくわえ、走って館の裏手に消えていく。
ルドガーは憂鬱な気持ちを奮い立たせ、館に入った。
そのまま足を止めずに二階に上がる。
やはり右の通路に面している、ソフィの寝室の扉が少しあいている。
さらに悪いことには、ソフィの甘い喘ぎ声が漏れている。
ルドガーは躊躇うことなく扉を開けた。
仰向けに寝ているソフィの首から下を覆う上掛けが盛り上がり、中で誰かが動いている。
「ローレンス!帰ってくれ!」
驚いたようにソフィが顔を上げ、膨らんでいた上掛けがぺちゃんこになった。
いつの間にかローレンスが寝台の外にいる。
青白い顔に密かな笑みを浮かべ、黙ってルドガーの横を通り過ぎ寝室を出ていく。
背後で扉が閉まると、ルドガーはソフィに近づいた。
ルドガーが戻ってくるとは思いもしなかったソフィはただただ驚いてルドガーを見上げた。
「な、何しに帰ってきたの?」
「言ったはずだ。ちゃんと夫になると。休暇だから帰ってきた」
ルドガーの体重で寝台のマットが沈み込む。
「ソフィ、俺は本気だ。君と一緒に王墓に入る。そして、生きて外に出る」
かっとした怒りがソフィの表情に走り、目つきが険しくなった。
「そんなことできるわけがない。国に逆らうの?」
「そうじゃない。抜け穴を作って出入りできるようにしようと考えている。祟りがあるなら戻るしかないが、祟りなんてものがないなら外に出てもいいだろう?
外と中を行き来してみて、本当に何か悪いことが起きるのか検証してみよう。もしどうしても悪いことが起きるというのなら、その時は王墓の中で暮らせばいい」
怒りより驚きが勝り、ソフィは口をあんぐり開けた。
「く……くらす?」
「そうだ。いつかここを出て王墓に入るのだろう?ならば移住だ。穴を作って俺が食料を運ぶ。花を咲かせるのは無理だな。だけど、俺達は夫婦になった。どこであろうと愛し合って暮らせる」
ソフィの紫の瞳から大粒の涙が溢れだす。
悲しいのか、怒っているのかわからない顔で、ルドガーを睨みつける。
「ひどい。嘘つき。絶対信じない。絶対、絶対信じない!」
弾けるように立ち上がり、ソフィはルドガーを突き飛ばそうとした。その腕を押さえこみ、ルドガーはソフィを抱きしめた。
「放してよ!大嫌い!あなたなんて大嫌い!」
叫び続けるソフィをさらに強く抱きしめ、ルドガーは小さな頭を自分の顎の下に押し込んだ。
「ソフィ。大丈夫だ。きっとうまくいく。俺は君と夫婦になると決めた。だから、必ず約束を守る」
ソフィはルドガーの胸を押し返そうと両手を突き出した。
王墓の守り人に必要なものは死を受け入れる覚悟であって、希望ではない。
「ソフィ、俺も調べてみるが、どこか王墓の内部に繋がるような場所を知らないか?そろそろ掘り始めようと思っていた」
「やめてよ!」
ソフィは叫んだ。
もし希望を持った後に、それが実現できないことが判明したら。
もし、土壇場になってルドガーが逃げ出したら。
既にこの地と契約し、ソフィだけが王墓から出ることは出来ないのに。
希望を持って裏切られたら、ソフィはそこから心を立て直し、死ぬ覚悟を固め直さなければならない。
古の英雄騎士ローレンスがそうしたように、愛する騎士に裏切られ、背中を蹴飛ばされることになれば、どれだけの絶望が襲ってくることか。
国の送り込んだ夫の偽りの言葉を信頼し、一人で王墓に入っていく守り人の姿を、ソフィは古の騎士達の記憶の中で何度も目にしているのだ。国が送り込んだ夫の言葉なんて信じられるわけがない。
「そんなものない。入ったらそこで終わりよ。続きなんてない。そんな話聞きたくない!」
震えるソフィの体を抱きしめ、ルドガーはその頬に唇を押し当てた。
「ソフィ……。すまない。俺が悪かった」
信じてもらえるほどの絆をソフィとはまだ築けていないのだ。
もし王墓に入るのがイーゼンであれば、イーゼンはきっとルドガーの助けを信じて王墓に入ってくれる。
その逆だったとしても、ルドガーはイーゼンを信じて王墓に入ることができる。
それだけの信頼関係が築けていると自信を持っていえる。
しかしソフィとはそうじゃない。
最初から対等な立場での結婚でもなかった。
ソフィは完全に心を閉ざし、ルドガーの腕の中で全身を強張らせている。
全ての希望から目背け、死に向き合い続けなければ、心静かにその日を迎えることは出来ない。
王墓の守り人に課された勤めの数々は全て死に臨むための儀式なのだとルドガーは悟った。
毎日王墓に祈りを捧げ、その場所に慣れ、いつかそこに入るのだと自身に言い聞かせる。
「なぜ王墓の守り人に選ばれた?もっと歳をとった女性の方が適任だ」
ルドガーはソフィの背中を優しく撫でた。
ソフィは諦めたようにルドガーの腕に大人しく抱かれていた。
「私が一番優秀だったからよ。ちゃんと王墓の守り人になり災いを鎮めるために力を使うと誓約書も書いた。霊力を使った誓いは王墓の結界を抜けたときに発動し、私はここに閉じ込められた。自分の意思で決めたことなの」
驚いて、ルドガーはソフィの顔を覗き込んだ。
「自分からここに閉じ込められることを望んだということか?誰にも強要されず?脅されたわけでもない?」
「そうよ……。力の使い方を教わり、授業もたくさん受けた。私を教育してくれた人達には感謝しているの。イーゼンは私が無理やりここに縛り付けられていると思っていたようだけど、そうじゃない。
だから、もう私のことは放っておいてほしい」
命を捨てることがソフィの意思であるのならば、ルドガーにそれを止めることは出来ない。
「そうか、話してくれてありがとう。ソフィ、じゃあ別のことを話す」
がらりと口調を変え、ルドガーの声が少し低くなった。
「俺の親友とはもう寝るな。正直に言えばローレンスがいるのも不愉快だが、君の寂しさを埋めるためなら仕方がない。だけど、イーゼンはだめだ」
途端に、ソフィの顔が耳まで赤くなった。怒りに燃えてルドガーを睨みつける。
親友が妻を寝取った現場を目の当たりにしながら、ルドガーはイーゼンの言葉を信じたのだ。
「彼が私を無理やり抱いたのよ。私が誘惑したみたいに言わないで!」
「彼は俺の親友だ。彼の言葉を俺は信じる」
迷いのないルドガーの態度に、ソフィはさらに傷ついた。
怒りを露わに、ルドガーの腕を振り払う。
「私の言葉は信じられないのね。それでよく夫だと言える。私が誘惑されたと言ったら、誘惑されたのよ。悪いのはイーゼンよ!気持ち良くしてくれたのもイーゼン。決めてよ。あなたは友達と私、どっちを信じるの!」
激しい怒りに震えるソフィを前に、ルドガーは困惑した。
「彼とは長い付き合いだ。俺を裏切る男じゃない。君は愛人を何人も持っているし、寂しければ男に慰めを求めるだろう?それが悪いとは言わないが、イーゼンだけはやめてくれと言っている」
「だから、私がイーゼンを誘惑したみたいに言わないで!彼が私を無理やり抱いたの。どっちを信じるの?ねえ、夫なら私を信じてよ!」
「それは、真実じゃない!なぜそんな嘘をつく!」
怒りに青ざめ、ソフィは血が出るほど唇をかみしめた。
「誰も私の言葉なんて信じないのよ。私もあなたを信じない。あなたも私を信じないのだから、私だって信じない。絶対、誰も、誰のことだって、絶対に信じるものか!」
両腕を振り回し、ソフィは泣きながらルドガーを叩きだした。
さすがに寝てもいられず、ルドガーはソフィの体を押さえ込みにかかった。
泣いて怒る妻になんと声をかけたらいいのかわからない。
夫なら、妻が黒いものを白だといえば、白だと言ってやるべきなのだろうかとルドガーは思ったが、やはり親友の言葉の方が重かった。
「イーゼンは、俺にとって家族のような存在だ。君を妻として大切に思っているが、そのために彼を切り捨てるようなことは出来ない」
力で押さえ込まれたソフィは、不機嫌な顔で黙り込んだ。
その頬は涙で濡れ、深い失望がその瞳に宿る。
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