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番外編 バレンタイン狂詩曲(ラプソディ)

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「ねえ、デシレア。本当に、特別手当は現物でいいの?」 

 正式には業務提携を結んでいる間柄ではあるが、気持ちとしてはほぼ雇い主であるアストリッドに問われ、デシレアは大きく頷いた。 

「はい。むしろこれがいいのです」 

「ふうん。製品になった方でもなく、原材料が、いいのね?」 

「はい。他では、手に入らないので」 

 もう貰ったのだから私の物、返しませんよ、の意志を込めて、デシレアはその麻袋をしっかりと抱き締める。 

「返せなんて言わないから、安心しなさい。お店の分は、別にちゃんと確保してあるのだから問題無いわ。それに、わたくしが原材料を貰ったところで、どうしようも無いのだし」 

 必死な様子のデシレアがおかしいと、アストリッドはその麻袋をつんつんつついた。 

「でも何か、胡乱なものを感じます」 

「それは正解」 

「ほらあ」 

「でもそれは、貴女が原材料を欲しがったからよ。あの青銀嫌味眼鏡に、何か特別な物を作る気なのではないの?商品とした新製品とは別に」 

「うぐ」 

 鋭く問われ、デシレアは目を泳がせる。 

「ほら、さっさと白状して楽になりなさい」 

 まるで自白を促す騎士のように言われ、デシレアは観念したように、ぽつぽつと己が計画を口にした。 

 

 

 

「嫌だわ。これ、何かしら?」 

 デシレアの計画は、ある日のアストリッドの困惑した声から始まった。 

「どうかしたのですか?」 

「ええ。エリアスからコーヒー豆が届いたのだけれど、この実も何かに使えないか、って知らない物が入っているの。しかもたくさん」 

「用途の説明は無いのですか?使用例とか」 

「何も。きっと、面白くて珍しいからって買ったのよ」 

 あの人らしいわ、というアストリッドの目が優しい。 

 エリアスとはアストリッドの婚約者で、このカフェの元々の経営者でもある。 

 

 そして、隣国の第二王子殿下である、とか。 

 思えば凄いひとと知り合いよね、私。 

 

 若干遠い目になりながらアストリッドの手元を覗き込んだデシレアは、その瞳を目いっぱい見開いて叫んだ。 

「え!?これってカカオじゃない!チョコが作れる!」 

「え?デシレア。これ、何だか知っているの?」 

「カカオですよ、カカオ!すっごくおいしいお菓子が作れます!」 

 目を輝かせて言うデシレアを、アストリッドが歓喜に満ちた目で見つめる。 

「そうなのね!流石だわ、デシレア!よかった。エリアスをがっかりさせないで済むわ」 

「いえいえ、アストリッド様。それは未だ分かりませんよ。チョコ、チョコレートは、味はいいんですけど見た目の色がちょっと引かれてしまうかもしれないので、すぐに売り上げに直結するかどうか」 

「まあ、そうなのね。でも、お菓子は作れるのでしょう?なら、問題無いわ」 

 ほっとした様子でそう言い切るアストリッドを、デシレアは揶揄うように見つめた。 

「売り上げよりも、の方ががっかりする方が問題だ、と」 

「っ!なっ、何を言っているの。売り上げだって気にするわよ。いつもそうでしょ?」 

 目を泳がせながらも、つんと澄まして言うアストリッドがまた可愛い、とデシレアは思う。 

 普段はしっかり者なので、尚のこと。 

「いつもはそうですけど、今はそんな感じじゃなかったですよ」 

「もう。意地悪なんだから」 

 気安い仕草でぽかりと叩かれ、デシレアはにこりと微笑んだ。 

「すみません。なんか可愛くて。そういう所、オリヴェル様と似ていますよね」 

「え?それ嫌」 

 デシレアの言葉に、アストリッドは先ほどまでの照れをきれいさっぱり消し去った真顔で答えた。 

 

 

 

「ワインにウィスキー、ブランデー。チョコに入れたらおいしいけれど、オリヴェル様が酔っ払ったらどうしよう。なんて、お菓子に使った位じゃ酔わないわよね。お酒、ほんとに強いから」 

 カカオ豆の入った麻袋を大切に抱き抱え帰宅したデシレアは、厨房ですべての材料が揃っていることを確認し、ひとり楽しく笑みを零す。 

「うふふふふ。カカオが手に入るなんて、す、て、き。これで念願のバレンタインチョコをオリヴェル様に贈れる。ふふふのふふふ。ふっふっふっ」 

 前世、バレンタインにオリヴェルへと贈ったつもりのチョコを、その実自分で食べていたデシレアは、本当にオリヴェルに贈れるというその喜びにどっぷりと浸かり、麻袋をぎゅっと抱き締め頬刷りした。 

「ほんとに素敵よ、カカオちゃん。ふふふふふ」 

「不気味な奴」 

「っ・・・かるかん!いたの!?」 

「いて悪かったな。しっかし、だらしない顔でにまにましおって。おぬし、変質者のようだったぞ」 

 じろりと見られ、デシレアは開き直った。 

「変質者、って。違うわよ。ちょっと推しへの愛が溢れているだけよ」 

「似たようなものだな」 

 すぱっと言い切られ、デシレアはぐふぅと撃沈した。 

「言い返せない」 

「吾に勝とうなど、百年、いや千年早い。で、今日は何を作るのだ?」 

「チョコレートよ」 

 楽し気にカカオ豆を選別しながら言うデシレアに、かるかんが首を傾げる。 

「ワインやウィスキーというのは?」 

「それは、オリヴェル様に作る特別編に入れるの」 

「特別編。ということは、特別おいしい・・・っ。吾も!吾もそれがいい!」 

「お酒よ?飲んで、っていうか、食べて大丈夫なの?」 

「何も問題無い!」 

 胸を張って言うかるかんに、デシレアは頷いた。 

「なら、作るから待っていてね。あ、でも渡すのは明日なの」 

「なっ。お預けというやつか!?そんな殺生な」 

「その分、おいしく感じられるわよ・・・きっと」 

「きっと、なのか。まったく、おぬしは」 

 やれやれと首を振り、かるかんはデシレアの手元を覗き込む。 

「作るのに、時間がかかるのだな」 

「それもあるけど、明日は特別な日だから」 

「明日?何かあったか?」 

 羽を前で交差し、首を捻るかるかんの動作は、今日もとても人間ぽい。 

「大好きなひととか、お世話になっているひとに、チョコレートを渡す日なの。だから」 

「なっ。それは特別ではないか!分かったぞ。それで、あやつに特別な菓子を・・・デシレア!いいぞ、吾は特別でないのでいい」 

「え?」 

「吾とあやつと同じでは、伝わるものも伝わらぬだろう。あやつをとびきり特別にせねば」 

 突然、物分かりのいいことを言い出したかるかんに首を捻りながら、デシレアは苦笑した。 

「それは、大丈夫。オリヴェル様には、オリヴェル様だけの型を用意したから」 

「型?」 

「えーとね。形が特別なの。だから、平気よ。ちゃんと言わなくて、騙すようなことして、ごめんね」 

「はーはっはっ。なんだ、そうか。気にしなくていい。むしろ安心したぞ」 

 小さく頭をさげるデシレアに、かるかんがあの独特な鳴き方で答え、ならば明日楽しみにしている、と言って飛び立って行った。 

「では、作りますか」 

 呟いて、デシレアはカカオ豆を炒り始める。 

 チョコレートを作る時に使う器具は、新商品開発の際、既に用意出来ているので何の問題も無い。 

「ほんと、ブロルさんもオリヴェル様も凄いわよね。私が、こういうの、って言っただけで作ってしまうのだから」 

 チョコレートの型はともかく、製粉機はもっと説明に時間がかかると思っていたデシレアだが、一度説明しただけで、外身をブロルが造り、そこに自動で動かす魔石をオリヴェルが取り付けるという分業で、あっという間に開発してしまった。 

『へえ。猫や鳥の形の型でお菓子を』 

『型抜きクッキーのような物か?』 

 そして同時にチョコレートの型をブロルに依頼したデシレアに、ふたりは興味津々の様子だったのだが。 

『・・・・これが、お菓子、ですか?』 

『見た目は型抜きクッキーのようだが、食べ物らしからぬ色だな。いやしかし、デシレアの髪と同じ色か。そう思えば・・うん。香りはいいな』 

 出来上がった試作品を見た時は、とてもではないが食べ物を見る目ではなかった。 

「でも食べたら『おいしい』って。オリヴェル様、目を丸くして可愛かったな」 

 ブロルが聞けば『まあ、オリヴェルしか見えていませんよね。私もいたのですがね』と苦笑しそうなことを自覚なくさらりと思い、デシレアは炒りあがったカカオ豆の殻を外す作業に移る。 

「今度は、チョコレートパフェも作りたいな。あとは、チョコドーナツ」 

 今回、新商品として発売開始したのは、プレート型のチョコレートと、チョコレートケーキ。 

 猫や鳥という、見た目の可愛さが功を奏したのか、男性より女性の方が好奇心が強いのか、余り色を問題視されることなく、瞬く間にカフェでの人気商品となった。 

「英雄ケーキに、これを乗せて欲しいって言われた時は驚いたけど」 

 客の希望通り、聖女エメリのケーキに、彼女が抱いているかのように猫のチョコレートプレートを配置すると確かにとても可愛く、デシレアはすぐさま型無しで王子用の冠やディックの武器である斧をチョコレートで作成し、添付できる商品として追加販売した。 

『凄い技ね。型なしで、冠や斧が完成したわ。こう、絵を描いているかのような感じで作るなんて流石デシレア。それと、売り上げへの飽くなき探求心も良いわ』 

 アストリッドは目を輝かせ、早速と全部乗せのケーキ見本を作成して、更なる売り上げを叩き出し、デシレアは、アストリッドこそ流石だと唸った。 

「でも、この型のことは誰も知らない。私とブロルさん以外」 

 そう言っていたずらっぽい笑みと共にデシレアが取り出したのは、鈴蘭の型。 

「これは、オリヴェル様専用」 

 特別な型でチョコレートを形作り、ワインやブランデー、ウィスキーを閉じ込める。 

「私の想いも閉じ込めて・・・なーんてね」 

  

 まあ『推し大好き!』って想いを込められても迷惑なだけかもだけど、ストーカーよりまし・・・。 

 ん? 

 ちょっと待って。 

 前世からこの世界へ転生した、そしてオリヴェル様を追い続けてこの邸にまで来た私って、ストーカーと一緒!? 

 ち、違うわよね!? 

 だって、契約でここへ来たのであって、無理矢理犯罪的に覗いているとか、こっそり後を付けたとかじゃないもの。 

 ね!? 

 大丈夫よね!? 

 

 内心焦りまくって、誰にとも知れず同意を求めていたデシレアは知らない。 

 その背後、厨房の扉付近に、リナ、ノア、エドラを始め、多くの使用人が集結し、デシレアの呟きを聞いていたことを。 

 そして、彼等が固い決意と共に結束したことを知るのは、本当に、ほんの少しの未来のことである。 

 

 
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