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有名な魔術師 リリアの場合
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梯子が風で揺れる。私は遥か下の崖を見下ろす。崖の下はよく見えない。髪の毛が風になびき、時折通り抜ける大きな風が私の上着の裾を引っ張る。梯子をしっかりとつかみ、上を見上げる。青い空が見えて、その手前に崖の終わりが見えた。あともう少し。
私はまた崖にかかった梯子を登り始める。
ジョシュアとグレースの『龍とペガサス』の煌めきが夜空を彩ってから、だいぶ経った。私は最初から自分がただの道化者だったことを知った。ジョシュアとグレースは初めての相手として強い誓約を交わしていた。愛し合っている二人だった。二人はお互いに夢中で溺れている。
それなのに、私はジョシュアのために自分を犠牲にして、勝手に頑張った。ジョシュアの物語の中で、神様は私を脇役にしたようだ。私はジョシュアの目にも止まらない。ジョシュアの瞳の中に映るのは、グレースのみ。
公爵家の長女、グレースは美しかった。実際に近くで見ても魅力的だった。ジョシュアは、私が一目で恋に落ちるほどの美貌を持つ素敵な男性だった。初めて舞踏会で話した時から、私は寝ても冷めてもジョシュアのことで頭がいっぱいだった。
なぜ、ジョシュアは私を振り向いてくれないの?私も魅力的ではあるはずなのに。自分で褒めるしかないのだけれど、私だって美人だと思っている。
人は、口々にグレースがチュゴアートの皇太子を裏切ったように言うが、事実ではないことを私が一番よく知っている。皇太子を亡き者にしようと皇太子に近づいたのは私だから。グレースは何も知らなかった。むしろ、グレースも亡き者される対象だった。
ジョシュアを諦める?
私にジョシュアを諦められるのかしら。
じゃあ戦う?ジョシュアはきっとものすごく嘆き悲しむ。それでもグレースを亡き者にする?
私は心の中で、何度も何度も同じことを考えている。私が無理やり皇太子を亡き者にしなければ、ジョシュアとグレースが結びつくことはなかったのだ。私は自分で彼らを再び結びつけるキューピッドの役目を果たしてしまった。本当にたまらなく自分が惨めだ。
私には魔力はない。私の家系には魔力を有する者はいなかった。あの二人の中を引き裂いてしまう魔術を知りたい。期待しても無駄だけれども、私は諦めきれなかった。そのため、有名な魔術師に会いに、人里離れた山奥の崖までやってきたのだ。この崖を登ったところに、私が探し当てた魔術師がいるはずだった。
やっと崖の上に辿りついて、梯子から片手を外して崖に手を伸ばした。
「あら、こんな遠くまでようこそ」
崖から這いあがろうとしていると、赤と白の衣装を身につけた女性がやってきた。
「よいしょっ」
女性は私が崖にはいあがるのを手伝ってくれた。私はなんとか崖の上に這い上がった。
「ありがとうございます」
私が思わずお礼を言うと、「さあさ、こちらへ」と崖の奥にある藪を分け行って進むように言われた。
私はおずおずと薮の中を進んだ。そこは、見たこともない世界だった。高い空に聳える塔が立ち並び、そこに巨大な動く絵があった。
「ジョシュア……?グレース!?」
「そうですよ」
後ろから男性の声がして、私は驚いて振り向いた。長い金髪をふわりと靡かせた美形の男性が私に微笑んだ。
「頑張っているのですよ。確かにあの二人は誓約の魔法で縛られていますが、二人は一緒になるための呪文を使ったために、私と見返りの契約を交わしてしまっています。それは非常に厳しい契約なのですよ」
「見返り?」
「そう。呪文は使うとそれだけの見返りを要求されます。あの二人の魔力は見返りが必要です」
「楽して二人で一緒になったと思った……」
「それは違いますよ。二人一緒になるためには多大な犠牲を払っています」
私は自分の知らなかった事実に拍子抜けするような衝撃を味わった。私が二人をくっつけたと思ってしまっていたのだが、元々一緒になるために、見返りを要求されるほどの契約を交わしたとなると話が少し違う。
「あなたは愛とそれから執着を少し混同しているかもしれません。もっと楽にあなたは幸せになれます」
私は金髪の男性の穏やかな瞳で見つめられて、そうささやくように言われた。心が震えてしまった。涙が込み上げてきて、泣けてきた。
「私はやってはいけないことをしてしまったんです」
私は自分の惨めで悔いる思いを吐き出した。自分にとっても、皇太子にとっても決して良くないことをやってしまった。
「謝りたい。自分にも。それからあの人にも。いい人ではなかったけれども、少なくとも私にはとても優しかった人だった。私がジョシュアが好きだったので、あの人を疎ましく思っただけ。私はあの人を騙してあの人を愛しているフリをした。あの人は私に夢中になった。そんな人を私は裏切って、やってはいけないことをしてしまった。全部ジョシュアのためと言い聞かせていましたが、自分がジョシュアと一緒になりたかったから、つまり自分のためなのかもしれません……」
私は涙を拭うことも忘れて泣き続けた。
ふわっと頭の上に手を乗せられた。
「その気持ち。忘れてはだめですよ。さあ、戻してあげましょう」
私は気づくと崖を登りだす前のところまで戻っていた。すごい魔術師という話は本当だったのだ。
私はまず、チュゴアートの皇太子のお墓にお詫びに行こうと思った。どんな顔をして会いに行けば良いのか分からないが、謝ってから、罪を償うために刑を受けようと考えた。
私の心からはジョシュアの居場所は少しなくなり、心の余白ができて気持ちが落ち着いたように思う。グレースへの怒りや恨みも消えたように思う。考えれば、グレースは私に対して何かしたわけではない。
ジョシュアとグレースが見たこともない格好で一生懸命歌っていた姿を思い出す。二人の声は聞いていると素直に元気になれる歌声だった。応援してあげよう。私は心の声に従おうと思った。そして前を向いて歩き始めた。
私はまた崖にかかった梯子を登り始める。
ジョシュアとグレースの『龍とペガサス』の煌めきが夜空を彩ってから、だいぶ経った。私は最初から自分がただの道化者だったことを知った。ジョシュアとグレースは初めての相手として強い誓約を交わしていた。愛し合っている二人だった。二人はお互いに夢中で溺れている。
それなのに、私はジョシュアのために自分を犠牲にして、勝手に頑張った。ジョシュアの物語の中で、神様は私を脇役にしたようだ。私はジョシュアの目にも止まらない。ジョシュアの瞳の中に映るのは、グレースのみ。
公爵家の長女、グレースは美しかった。実際に近くで見ても魅力的だった。ジョシュアは、私が一目で恋に落ちるほどの美貌を持つ素敵な男性だった。初めて舞踏会で話した時から、私は寝ても冷めてもジョシュアのことで頭がいっぱいだった。
なぜ、ジョシュアは私を振り向いてくれないの?私も魅力的ではあるはずなのに。自分で褒めるしかないのだけれど、私だって美人だと思っている。
人は、口々にグレースがチュゴアートの皇太子を裏切ったように言うが、事実ではないことを私が一番よく知っている。皇太子を亡き者にしようと皇太子に近づいたのは私だから。グレースは何も知らなかった。むしろ、グレースも亡き者される対象だった。
ジョシュアを諦める?
私にジョシュアを諦められるのかしら。
じゃあ戦う?ジョシュアはきっとものすごく嘆き悲しむ。それでもグレースを亡き者にする?
私は心の中で、何度も何度も同じことを考えている。私が無理やり皇太子を亡き者にしなければ、ジョシュアとグレースが結びつくことはなかったのだ。私は自分で彼らを再び結びつけるキューピッドの役目を果たしてしまった。本当にたまらなく自分が惨めだ。
私には魔力はない。私の家系には魔力を有する者はいなかった。あの二人の中を引き裂いてしまう魔術を知りたい。期待しても無駄だけれども、私は諦めきれなかった。そのため、有名な魔術師に会いに、人里離れた山奥の崖までやってきたのだ。この崖を登ったところに、私が探し当てた魔術師がいるはずだった。
やっと崖の上に辿りついて、梯子から片手を外して崖に手を伸ばした。
「あら、こんな遠くまでようこそ」
崖から這いあがろうとしていると、赤と白の衣装を身につけた女性がやってきた。
「よいしょっ」
女性は私が崖にはいあがるのを手伝ってくれた。私はなんとか崖の上に這い上がった。
「ありがとうございます」
私が思わずお礼を言うと、「さあさ、こちらへ」と崖の奥にある藪を分け行って進むように言われた。
私はおずおずと薮の中を進んだ。そこは、見たこともない世界だった。高い空に聳える塔が立ち並び、そこに巨大な動く絵があった。
「ジョシュア……?グレース!?」
「そうですよ」
後ろから男性の声がして、私は驚いて振り向いた。長い金髪をふわりと靡かせた美形の男性が私に微笑んだ。
「頑張っているのですよ。確かにあの二人は誓約の魔法で縛られていますが、二人は一緒になるための呪文を使ったために、私と見返りの契約を交わしてしまっています。それは非常に厳しい契約なのですよ」
「見返り?」
「そう。呪文は使うとそれだけの見返りを要求されます。あの二人の魔力は見返りが必要です」
「楽して二人で一緒になったと思った……」
「それは違いますよ。二人一緒になるためには多大な犠牲を払っています」
私は自分の知らなかった事実に拍子抜けするような衝撃を味わった。私が二人をくっつけたと思ってしまっていたのだが、元々一緒になるために、見返りを要求されるほどの契約を交わしたとなると話が少し違う。
「あなたは愛とそれから執着を少し混同しているかもしれません。もっと楽にあなたは幸せになれます」
私は金髪の男性の穏やかな瞳で見つめられて、そうささやくように言われた。心が震えてしまった。涙が込み上げてきて、泣けてきた。
「私はやってはいけないことをしてしまったんです」
私は自分の惨めで悔いる思いを吐き出した。自分にとっても、皇太子にとっても決して良くないことをやってしまった。
「謝りたい。自分にも。それからあの人にも。いい人ではなかったけれども、少なくとも私にはとても優しかった人だった。私がジョシュアが好きだったので、あの人を疎ましく思っただけ。私はあの人を騙してあの人を愛しているフリをした。あの人は私に夢中になった。そんな人を私は裏切って、やってはいけないことをしてしまった。全部ジョシュアのためと言い聞かせていましたが、自分がジョシュアと一緒になりたかったから、つまり自分のためなのかもしれません……」
私は涙を拭うことも忘れて泣き続けた。
ふわっと頭の上に手を乗せられた。
「その気持ち。忘れてはだめですよ。さあ、戻してあげましょう」
私は気づくと崖を登りだす前のところまで戻っていた。すごい魔術師という話は本当だったのだ。
私はまず、チュゴアートの皇太子のお墓にお詫びに行こうと思った。どんな顔をして会いに行けば良いのか分からないが、謝ってから、罪を償うために刑を受けようと考えた。
私の心からはジョシュアの居場所は少しなくなり、心の余白ができて気持ちが落ち着いたように思う。グレースへの怒りや恨みも消えたように思う。考えれば、グレースは私に対して何かしたわけではない。
ジョシュアとグレースが見たこともない格好で一生懸命歌っていた姿を思い出す。二人の声は聞いていると素直に元気になれる歌声だった。応援してあげよう。私は心の声に従おうと思った。そして前を向いて歩き始めた。
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