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第二話
竜血の乙女、暴君を穿つのこと8
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5年前――。
当時の左大家には力と富があった。
かつての妖魔との戦いでは海外に戦闘機械傀儡を輸出するだけでなく、現地に法人を設立して機体の整備や操縦者の派遣を行い、持続的に利益を得ていた。
金が回れば人も回る。
左大千一郎は持ち前の口の上手さで、金の匂いに釣られた政財界の人間と太いパイプを築き、その人脈で相互に利益を生み出していた。
多少手段が汚くても、みんなで幸せを分け合えば問題なかろうという、金と政治の悪しき習慣を利用したわけである。
積もり積もった左大家の総資産額は1000億円はくだらない、とも言われていた。
なので、左大千一郎の葬儀は、それは盛大に行われた。
都内の大ホールを貸し切った告別式の会場は、かなり異様な飾り立てをされていた。
入口の両脇には人間大のティラノサウルスの模型が参列者を出迎え、ホールに入れば多種多様な恐竜軍団の飾られた祭壇が目を眩ませた。
しかも、その恐竜軍団は内側から発光している。内部の回転灯がぼぅっとポリ製の体を透過して、ミラーボールのように光を壁や天井に反射させている。
更にBGMとして、恐竜の鳴き声らしき妙な音声が式場内に延々と流れていた。
この狂った内装が祭壇中央、棺の中に納まる左大千一郎の生前の指示によるものであろうことは、参列者の誰もが理解していた。
しかし、誰もが安堵の表情で席に座って式が始まるのを待っていた。
ああ、やっとあの厄介な爺さんが死んでくれた。これで我々はもう自由なのだ、とはっきり言葉に出さずとも肩の荷が下りた安楽に浸っていた。
「日本ほど恐竜愛狂家が野放しになってる国は他にないんだ。国はもっとああいうのを何とかしてくれないとね」
「ええ、全く本当にねえ。父は……困った人でした」
と、親族と談笑する老年の女性は左大伊万里。千一郎の娘であり、遺産の相続者と目されている人物だ。
200人を超す参列者一同、この左大伊万里に媚びを売れば今後も食いっぱぐれないと打算していた。
当の左大伊万里もそんなことは百も承知で、遺産さえ継いでしまえば良いわけで、取り巻きどもにちやほやされるのも満更でもなかった。
そして、葬儀が始まろうとした頃、読経に先んじて一人の男が壇上に立った。
「失礼。皆様がた、どうぞご清聴ください。わたくし、故人の遺言書、及び相続の管理を任されております二階堂と申します。故人の遺言に従い、この場にて遺言書の内容を発表させて頂きます」
二階堂と名乗った弁護士は遺言書を開くと、淡々と抑揚の欠けた声で読み上げた。
「『私、左大千一郎が公に有する財産の一切は以下の条件を満たす者にのみ相続させる。一つ、恐竜をこよなく愛する者。二つ、私が所有する土地に恐竜博物館を建設。これを後世まで存続させられる者。なお、博物館の設計は別紙にして指定した設計を厳守すること。三つ――』」
二階堂の読み上げる内容が進行するのに合わせて、プロジェクターがホールの正面スクリーンに次々と条件を図案やグラフと共に映し出していく。具体的な数字、金額、規模が明らかになるや、それらが無理難題であると参列者は悟った。
みるみるうちに式場に不穏な空気が満ち溢れ、席はざわめき、どよめき、人と人の繋がりに亀裂の入る音がした。
「『最後に、これらの条件を満たせない場合、遺産は恐竜の研究を行う大学、博物館等に分配される。これは国内外の複数の預金口座から一斉に、かつ迅速に行われる。相続しても条件を不履行した場合は同様である』……以上です」
二階堂が遺書を閉じると、最前列の席で左大伊万里が立ち上がった。
表情が引きつっている。
「なっ……なに言ってるんですか。そんな遺言……っ、無効ですよっ! 無効っ!」
「いいえ、有効です。法的に100%。いかがいたしますか。娘のあなたが第一の相続人です。あなたの是非で全てが決定します」
「そっ……そんな遺言……っ」
イエスと言えるわけがない。
遺言を飲んで遺産を相続しても、スクリーンに提示された規模の博物館を経営すれば、三年と経たずに財産は底をついて破産してしまう。
ここに至り、左大伊万里は我慢の限界を超えた。
「ふっ、ふひいぃぃぃっ……遺言んんんんっ……飲めるわきゃないだろぉぉぉ~~っっ!」
歪んだ悲鳴を上げて握っていた数珠を、祭壇中央の棺へと投げつけた。数珠が四散し弾け飛ぶ。
狂った父に付き合わされて50年強。耐えに耐えて耐えきった人生の堤から、心が溶けて泥水となって血塊決壊大崩壊。
「嘗めてんじゃあねぇぞっ! この恐竜気ぶりがぁぁぁ~~~っ! 最期の最期まであたしの人生邪魔しやがってぇ~~っ!」
左大伊万里の全てが砕け、周囲の制止を振り切って、狂った父の棺をば、女の限界を超えた力で引っくり返した。
「クッソァ!」
棺の蓋がばらりと開いて、低温保存された左大千一郎の遺体が転げ落ちた。
左大伊万里は手近な花を掴んで、奇声を上げて何度も何度も父の遺体を叩いていた。
狂乱するのは実の娘だけではなかった。
参列者たちは皆、口々に遺産について話し始めた。
「つまり一銭も遺産は残らないって?」
「こんなの聞いてないんだけどさあ!」
「ちょっと誰か! 伊万里さんを止めてぇー!」
騒乱を尻目に、二階堂は携帯電話を耳につけ、式場の出口に差し掛かっていた。
「はい。相続はノーということでした。遺言の通り、振込み手続きをしてください。それで仕事は終わりです」
二階堂は自分の役目を終え、式場を後にした。
それに続いてもう一人、醜い喧噪から逃れようとする者がいた。
「冗談ではないよ……。なんたる茶番か。来るべきではなかった」
宗家の当主、その一人。宮元園衛である。
園衛は呆れた顔でカッチリと着込んだ喪服の首元を緩め、溜息混じりに式場を出た。
怒号と悲鳴が支配する式場の片隅で、ただ一人、左大億三郎だけは薄笑いを浮かべていた。
彼もまた、園衛と同じく遺言の真意を汲み取った人間だった。
「爺さんに相応しい葬式じゃあねえか。爺さん、あんたこれが見たかったんだろ?」
祖父、千一郎は人生の最期に、自分の築き上げた虚構と薄氷の人間関係を完全に破壊したかったのだろう。そこで起きる阿鼻叫喚を浴びながら、愉悦に満ちて涅槃へと旅立つのが望みだったのだろうと、理解していた。
(てめぇら寄生虫にくれてやる遺産なんざぁビタ一文たりともねぇんだよこのスダチがぁ~~~っ!)
そんな罵倒と高笑いが聞こえてくるようだった。
「爺さん、あんたやっぱ地獄行きだぜ」
遺言にはもう一つ、含みがある。
相続させるのも、譲渡するのも、あくまで「公の財産」だと言っていた。世の資本家は多かれ少なかれ、財産を隠し持っているのが常である。
左大はさりげなく、暇つぶしを装ってスマホのディスプレイを覗いた。
表示されているのは、生前に祖父から送られた一通のメール。ふざけた内容だった。
〈お前が本当に恐竜を必要とした時、必ず恐竜はお前の力になる。お前自身が恐竜になるのだ〉
まともな人間ならこんな文章、意味が分からない。血迷った老人の戯言にしか見えない。
メールには小さな画像ファイルも添付されていた。海の見える、どこかの埠頭の写真だった。
それが何を意味しているのか。
考えると、左大は自分も謎解きゲーム、あるいは遺産相続争いの駒として祖父に弄ばれているような気もしたので、少しだけ反抗してやることにした。
「いらねぇよ。バーカ……」
そう小さく呟いてメールを閉じて、二度と開かないことにした。
頭の横では、母が祖父を花で叩く音がまだ聞こえる。
怒った参列者が祭壇の恐竜を蹴り倒す音が聞こえる。
女たちの泣き叫ぶ声が、男たちの怒号が、恐竜の鳴き声が入り混じる破滅のカオスの淵に居座り、左大億三郎は全てが壊れ果てるのを見届けた。
左大の家の夕方の騒ぎから一晩明けて、警察署。
つくし市の北部を所轄にする、つくし北警察署のロビーにて、左大億三郎はようやく解放の目を見ることになった。
ジャージを羽織った左大を見上げるのは、スーツ姿の無表情の女性。眼鏡の奥の冷たい視線が左大を突き刺す。
「左大さん、これで何度目ですか」
「さぁ~~っ、いちいち数えたこともねぇな~~っ」
背中をぼりぼり掻きながら笑う左大に悪びれた様子は一切ない。揉め事を起こして警察の世話になるのは馴れていた。
尤も、今回の身元引受人である女性に関しては初対面の相手だった。
「ところで、あんた初めて見る顔だな。どこの誰ちゃん?」
「この度、園衛様の秘書を務めることになりました、右大鏡花と申します」
鏡花は左大よりも大分年下のようだが、一度も頭を下げようとはしない。会釈すらしない。敬語を使ってはいるが、内心厄介者として見下しているのは明白だった。
それは兎も角として、右大という名字は宮元家、右大家と並ぶ宗家の一つだ。一応、序列としては同格のばずである。
「右大ねえ……。鏡花ちゃん……だっけ? 宗家の集まりにいたっけか?」
「西の分家の人間ですので。そういった会合に出席したことはございません。それと、馴れ馴れしく名前を呼ぶのはご遠慮願います」
「はいはい、分かりましたよ。鏡花ちゃん」
嫌味たらしい物言いに、鏡花は無言の圧力で応えた。
その凍りつくような眼差しの冷気が心地いいのか、左大は胸を張って笑い飛ばした。
「ぬははははは! まあ~っ誰でも良いさ。それでさあ、鏡花ちゃん。昨日か一昨日、なんか世の中変わったことないかねぇ?」
「は?」
左大の漠然とした物言いを解せず、虚仮にされたと感じた鏡花は威圧的に首を傾げた。
誤解を解くべく、左大は説明しながら警察署の外に向かう。
「ちょっとネットでニュース調べてみてくんねぇかな~? 俺、捕まった時にスマホ持ってなかったからさ。国内関係の事件。たとえば密入国とか武器の密輸とか……」
「どうしてそんなこと……」
「あったま悪ぃなオイ~~? そんなので良く園衛ちゃんの秘書が務まるモンだ。それとも園衛ちゃんも平和ボケしちまったかな~~?」
軽率な行動で警察に捕まるような狼藉者に言われる筋合いはないと、鏡花は横目で左大を睨む。
と同時に、スマホで大手ニュースサイトの国内関連を開いた。
意外なことに、左大の言った通りの事件が記事にされていた。
「……横浜港で武器密輸が摘発されています。ロケット砲だとか……」
「型式とか口径とか書いてあっかな?」
「それは流石に……。あっ、いえ……待ってください」
一般向けのニュース記事にはそれほど専門的な内容は書かれていないし、記者にもそんな知識はない。だが、そのニュースサイトにはユーザー向けコメント欄が設置されており、兵器マニアが自らの知識を披露していた。
「M162ガンランチャー……という武器みたいです。『どうしてこんなレア物があるんだ』とかコメントされていますが」
鏡花もこの方面の知識は全くないので、たどたどしくコメントを読み上げた。
左大は何故かニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて、歩きながら続けた。
「そうかそうかー。見つかった武器は一つだけ?」
「はい……。証拠品として並んでいるのは一個だけです。弾もありません」
「むふふふ……そうかそうか」
何か納得した様子で、左大は車の前で立ち止まった。警察署の駐車場に停めてある迎えの車だった。鏡花とは初対面だが、宮元家の車には何度も世話になっている。
鏡花は不審に思いながらも、リモコンキーでドアのロックを外した。
「なんですか? このニュースが……どうかしたんですか?」
「鈍いなね~っ? わかんない?」
「分かりません」
遠く横浜で起きた密輸事件と、田舎に住まう左大の生活と一体なんの関わりがあるというのか。
鏡花は早々にこの厄介者の面倒を済ませたい。無表情でもその意思が滲み出ている。
しかし、無視して運転席に乗り込んだ鏡花の耳に不穏な一言が聞こえた。
「戦争する気だよ」
「は……?」
思わず、鏡花は助手席に乗り込んだ左大の方を見た。
左大は実に楽しそうに、凶暴な笑みを浮かべていた。
「楽しいねえ。嬉しいねえ。ここまでマジにやってくれる連中、いまどき珍しいぜ~~っ」
「あの、何を言って……」
「園衛ちゃんに言っといてくれよ。ドンパチやるから後始末お願いってよぉ~~っ?」
狭い車内に漂う異様な空気に、鏡花は困惑するだけだった。
かつて妖魔と熾烈な戦いを繰り広げた宗家の人間とて、平和な時代に生きる鏡花には、左大という人間はあまりに異質で理解しがたい存在だった。
当時の左大家には力と富があった。
かつての妖魔との戦いでは海外に戦闘機械傀儡を輸出するだけでなく、現地に法人を設立して機体の整備や操縦者の派遣を行い、持続的に利益を得ていた。
金が回れば人も回る。
左大千一郎は持ち前の口の上手さで、金の匂いに釣られた政財界の人間と太いパイプを築き、その人脈で相互に利益を生み出していた。
多少手段が汚くても、みんなで幸せを分け合えば問題なかろうという、金と政治の悪しき習慣を利用したわけである。
積もり積もった左大家の総資産額は1000億円はくだらない、とも言われていた。
なので、左大千一郎の葬儀は、それは盛大に行われた。
都内の大ホールを貸し切った告別式の会場は、かなり異様な飾り立てをされていた。
入口の両脇には人間大のティラノサウルスの模型が参列者を出迎え、ホールに入れば多種多様な恐竜軍団の飾られた祭壇が目を眩ませた。
しかも、その恐竜軍団は内側から発光している。内部の回転灯がぼぅっとポリ製の体を透過して、ミラーボールのように光を壁や天井に反射させている。
更にBGMとして、恐竜の鳴き声らしき妙な音声が式場内に延々と流れていた。
この狂った内装が祭壇中央、棺の中に納まる左大千一郎の生前の指示によるものであろうことは、参列者の誰もが理解していた。
しかし、誰もが安堵の表情で席に座って式が始まるのを待っていた。
ああ、やっとあの厄介な爺さんが死んでくれた。これで我々はもう自由なのだ、とはっきり言葉に出さずとも肩の荷が下りた安楽に浸っていた。
「日本ほど恐竜愛狂家が野放しになってる国は他にないんだ。国はもっとああいうのを何とかしてくれないとね」
「ええ、全く本当にねえ。父は……困った人でした」
と、親族と談笑する老年の女性は左大伊万里。千一郎の娘であり、遺産の相続者と目されている人物だ。
200人を超す参列者一同、この左大伊万里に媚びを売れば今後も食いっぱぐれないと打算していた。
当の左大伊万里もそんなことは百も承知で、遺産さえ継いでしまえば良いわけで、取り巻きどもにちやほやされるのも満更でもなかった。
そして、葬儀が始まろうとした頃、読経に先んじて一人の男が壇上に立った。
「失礼。皆様がた、どうぞご清聴ください。わたくし、故人の遺言書、及び相続の管理を任されております二階堂と申します。故人の遺言に従い、この場にて遺言書の内容を発表させて頂きます」
二階堂と名乗った弁護士は遺言書を開くと、淡々と抑揚の欠けた声で読み上げた。
「『私、左大千一郎が公に有する財産の一切は以下の条件を満たす者にのみ相続させる。一つ、恐竜をこよなく愛する者。二つ、私が所有する土地に恐竜博物館を建設。これを後世まで存続させられる者。なお、博物館の設計は別紙にして指定した設計を厳守すること。三つ――』」
二階堂の読み上げる内容が進行するのに合わせて、プロジェクターがホールの正面スクリーンに次々と条件を図案やグラフと共に映し出していく。具体的な数字、金額、規模が明らかになるや、それらが無理難題であると参列者は悟った。
みるみるうちに式場に不穏な空気が満ち溢れ、席はざわめき、どよめき、人と人の繋がりに亀裂の入る音がした。
「『最後に、これらの条件を満たせない場合、遺産は恐竜の研究を行う大学、博物館等に分配される。これは国内外の複数の預金口座から一斉に、かつ迅速に行われる。相続しても条件を不履行した場合は同様である』……以上です」
二階堂が遺書を閉じると、最前列の席で左大伊万里が立ち上がった。
表情が引きつっている。
「なっ……なに言ってるんですか。そんな遺言……っ、無効ですよっ! 無効っ!」
「いいえ、有効です。法的に100%。いかがいたしますか。娘のあなたが第一の相続人です。あなたの是非で全てが決定します」
「そっ……そんな遺言……っ」
イエスと言えるわけがない。
遺言を飲んで遺産を相続しても、スクリーンに提示された規模の博物館を経営すれば、三年と経たずに財産は底をついて破産してしまう。
ここに至り、左大伊万里は我慢の限界を超えた。
「ふっ、ふひいぃぃぃっ……遺言んんんんっ……飲めるわきゃないだろぉぉぉ~~っっ!」
歪んだ悲鳴を上げて握っていた数珠を、祭壇中央の棺へと投げつけた。数珠が四散し弾け飛ぶ。
狂った父に付き合わされて50年強。耐えに耐えて耐えきった人生の堤から、心が溶けて泥水となって血塊決壊大崩壊。
「嘗めてんじゃあねぇぞっ! この恐竜気ぶりがぁぁぁ~~~っ! 最期の最期まであたしの人生邪魔しやがってぇ~~っ!」
左大伊万里の全てが砕け、周囲の制止を振り切って、狂った父の棺をば、女の限界を超えた力で引っくり返した。
「クッソァ!」
棺の蓋がばらりと開いて、低温保存された左大千一郎の遺体が転げ落ちた。
左大伊万里は手近な花を掴んで、奇声を上げて何度も何度も父の遺体を叩いていた。
狂乱するのは実の娘だけではなかった。
参列者たちは皆、口々に遺産について話し始めた。
「つまり一銭も遺産は残らないって?」
「こんなの聞いてないんだけどさあ!」
「ちょっと誰か! 伊万里さんを止めてぇー!」
騒乱を尻目に、二階堂は携帯電話を耳につけ、式場の出口に差し掛かっていた。
「はい。相続はノーということでした。遺言の通り、振込み手続きをしてください。それで仕事は終わりです」
二階堂は自分の役目を終え、式場を後にした。
それに続いてもう一人、醜い喧噪から逃れようとする者がいた。
「冗談ではないよ……。なんたる茶番か。来るべきではなかった」
宗家の当主、その一人。宮元園衛である。
園衛は呆れた顔でカッチリと着込んだ喪服の首元を緩め、溜息混じりに式場を出た。
怒号と悲鳴が支配する式場の片隅で、ただ一人、左大億三郎だけは薄笑いを浮かべていた。
彼もまた、園衛と同じく遺言の真意を汲み取った人間だった。
「爺さんに相応しい葬式じゃあねえか。爺さん、あんたこれが見たかったんだろ?」
祖父、千一郎は人生の最期に、自分の築き上げた虚構と薄氷の人間関係を完全に破壊したかったのだろう。そこで起きる阿鼻叫喚を浴びながら、愉悦に満ちて涅槃へと旅立つのが望みだったのだろうと、理解していた。
(てめぇら寄生虫にくれてやる遺産なんざぁビタ一文たりともねぇんだよこのスダチがぁ~~~っ!)
そんな罵倒と高笑いが聞こえてくるようだった。
「爺さん、あんたやっぱ地獄行きだぜ」
遺言にはもう一つ、含みがある。
相続させるのも、譲渡するのも、あくまで「公の財産」だと言っていた。世の資本家は多かれ少なかれ、財産を隠し持っているのが常である。
左大はさりげなく、暇つぶしを装ってスマホのディスプレイを覗いた。
表示されているのは、生前に祖父から送られた一通のメール。ふざけた内容だった。
〈お前が本当に恐竜を必要とした時、必ず恐竜はお前の力になる。お前自身が恐竜になるのだ〉
まともな人間ならこんな文章、意味が分からない。血迷った老人の戯言にしか見えない。
メールには小さな画像ファイルも添付されていた。海の見える、どこかの埠頭の写真だった。
それが何を意味しているのか。
考えると、左大は自分も謎解きゲーム、あるいは遺産相続争いの駒として祖父に弄ばれているような気もしたので、少しだけ反抗してやることにした。
「いらねぇよ。バーカ……」
そう小さく呟いてメールを閉じて、二度と開かないことにした。
頭の横では、母が祖父を花で叩く音がまだ聞こえる。
怒った参列者が祭壇の恐竜を蹴り倒す音が聞こえる。
女たちの泣き叫ぶ声が、男たちの怒号が、恐竜の鳴き声が入り混じる破滅のカオスの淵に居座り、左大億三郎は全てが壊れ果てるのを見届けた。
左大の家の夕方の騒ぎから一晩明けて、警察署。
つくし市の北部を所轄にする、つくし北警察署のロビーにて、左大億三郎はようやく解放の目を見ることになった。
ジャージを羽織った左大を見上げるのは、スーツ姿の無表情の女性。眼鏡の奥の冷たい視線が左大を突き刺す。
「左大さん、これで何度目ですか」
「さぁ~~っ、いちいち数えたこともねぇな~~っ」
背中をぼりぼり掻きながら笑う左大に悪びれた様子は一切ない。揉め事を起こして警察の世話になるのは馴れていた。
尤も、今回の身元引受人である女性に関しては初対面の相手だった。
「ところで、あんた初めて見る顔だな。どこの誰ちゃん?」
「この度、園衛様の秘書を務めることになりました、右大鏡花と申します」
鏡花は左大よりも大分年下のようだが、一度も頭を下げようとはしない。会釈すらしない。敬語を使ってはいるが、内心厄介者として見下しているのは明白だった。
それは兎も角として、右大という名字は宮元家、右大家と並ぶ宗家の一つだ。一応、序列としては同格のばずである。
「右大ねえ……。鏡花ちゃん……だっけ? 宗家の集まりにいたっけか?」
「西の分家の人間ですので。そういった会合に出席したことはございません。それと、馴れ馴れしく名前を呼ぶのはご遠慮願います」
「はいはい、分かりましたよ。鏡花ちゃん」
嫌味たらしい物言いに、鏡花は無言の圧力で応えた。
その凍りつくような眼差しの冷気が心地いいのか、左大は胸を張って笑い飛ばした。
「ぬははははは! まあ~っ誰でも良いさ。それでさあ、鏡花ちゃん。昨日か一昨日、なんか世の中変わったことないかねぇ?」
「は?」
左大の漠然とした物言いを解せず、虚仮にされたと感じた鏡花は威圧的に首を傾げた。
誤解を解くべく、左大は説明しながら警察署の外に向かう。
「ちょっとネットでニュース調べてみてくんねぇかな~? 俺、捕まった時にスマホ持ってなかったからさ。国内関係の事件。たとえば密入国とか武器の密輸とか……」
「どうしてそんなこと……」
「あったま悪ぃなオイ~~? そんなので良く園衛ちゃんの秘書が務まるモンだ。それとも園衛ちゃんも平和ボケしちまったかな~~?」
軽率な行動で警察に捕まるような狼藉者に言われる筋合いはないと、鏡花は横目で左大を睨む。
と同時に、スマホで大手ニュースサイトの国内関連を開いた。
意外なことに、左大の言った通りの事件が記事にされていた。
「……横浜港で武器密輸が摘発されています。ロケット砲だとか……」
「型式とか口径とか書いてあっかな?」
「それは流石に……。あっ、いえ……待ってください」
一般向けのニュース記事にはそれほど専門的な内容は書かれていないし、記者にもそんな知識はない。だが、そのニュースサイトにはユーザー向けコメント欄が設置されており、兵器マニアが自らの知識を披露していた。
「M162ガンランチャー……という武器みたいです。『どうしてこんなレア物があるんだ』とかコメントされていますが」
鏡花もこの方面の知識は全くないので、たどたどしくコメントを読み上げた。
左大は何故かニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて、歩きながら続けた。
「そうかそうかー。見つかった武器は一つだけ?」
「はい……。証拠品として並んでいるのは一個だけです。弾もありません」
「むふふふ……そうかそうか」
何か納得した様子で、左大は車の前で立ち止まった。警察署の駐車場に停めてある迎えの車だった。鏡花とは初対面だが、宮元家の車には何度も世話になっている。
鏡花は不審に思いながらも、リモコンキーでドアのロックを外した。
「なんですか? このニュースが……どうかしたんですか?」
「鈍いなね~っ? わかんない?」
「分かりません」
遠く横浜で起きた密輸事件と、田舎に住まう左大の生活と一体なんの関わりがあるというのか。
鏡花は早々にこの厄介者の面倒を済ませたい。無表情でもその意思が滲み出ている。
しかし、無視して運転席に乗り込んだ鏡花の耳に不穏な一言が聞こえた。
「戦争する気だよ」
「は……?」
思わず、鏡花は助手席に乗り込んだ左大の方を見た。
左大は実に楽しそうに、凶暴な笑みを浮かべていた。
「楽しいねえ。嬉しいねえ。ここまでマジにやってくれる連中、いまどき珍しいぜ~~っ」
「あの、何を言って……」
「園衛ちゃんに言っといてくれよ。ドンパチやるから後始末お願いってよぉ~~っ?」
狭い車内に漂う異様な空気に、鏡花は困惑するだけだった。
かつて妖魔と熾烈な戦いを繰り広げた宗家の人間とて、平和な時代に生きる鏡花には、左大という人間はあまりに異質で理解しがたい存在だった。
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