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第三十一話 それ、誤解ですから。
しおりを挟む「どうかお願いいたします。魔法師アリルに会わせてください!!」
「……」
魔法師アリルが完全に私と同一なのかと言われれば疑問が残る。
あの新聞は完全に誇張されたものだろうし、私のことを気遣ってくれるリュカ様が手を回してあんな感じの噂になっていることは否めない。ただ、私が魔法師アリルという存在を生み出してしまったことは確かで……まぁ、気は進まないけど本人だと認めるしかないのだけど。
「……」
私はそっとナディアさんの顔を窺う。
綺麗な人だな、と思う。
顔立ちは整っていて、ぱっちりとした目が意志の強さを伺わせる。
赤紫色色の髪は丁寧に手入れがされて艶々と風になびいていた。
……そういえば、そもそもこの人って何者なの?
「ナディア・プラトン男爵令嬢」
私の心を読んだ万能メイドさんが前に出て言った。
「南方のソルーニャ地方を治める領主のご令嬢ですね。ヴィルヘルム伯爵令息と同様、秀才と名高く魔法界の期待の星だと言われているのだとか」
「へぇ……」
ん?
待って、男爵令嬢?
私はナディアさん背を向けて見えないところで拳を作った。
ふつふつと、やるせない怒りこみあげてくる。
(あ、あのエドワードとかいう男……! 私には散々子爵令嬢だ元平民だ卑しい血だなんて抜かしておいて、子爵より家格が下の男爵令嬢に言い寄ってるなんて!)
結局顔か。顔ですか!
確かにこの人は私より数段美人だし気品があるけどさぁ!
「かのアリステリス家の才媛に知られているとは光栄ですわ。なぜメイドをされているのかは分かりませんけど」
「趣味です」
「趣味なのっ?」
思わず突っ込んでしまった私だった。
ルネさんは無表情のまま振り返ってウインクした。
「メイドの冗談です」
「メイド怖い」
「竜車の中へ、ライラ様」
「待って! あたしはグランデ嬢と話を」
「ライラ様が話されることなど何もありません」
ルネさんはメイド服のエプロンから杖を取り出した。
後ろから見ても分かるほどその空気は冷え切っている。
「そもそも、ヴィルヘルム伯爵家と共にライラ様の研究を奪った者がライラ様に頼みごとをするのは、あまりに図々しいのではありませんか?」
ハッ、とナディアさんは目を見開いた。
そういえばそんなこともありましたね……。
今となっては遠い昔のことみたいに思えるから不思議だ。
ナディアさんは悔しそうに唇を噛むと、すっと後ろに下がった。
「確かに、あなたの仰る通りだわ」
胸に手を当ててナディアさんは頭を下げる。
「グランデ嬢。ごめんなさい」
「はぁ。いえ別に私は」
「あなたの師匠の研究を奪ってしまったこと、心からお詫びするわ」
「……………………師匠?」
さっきからなんかすごい誤解がある気がする。
魔法師アリルに会わせてくれって言ったり、師匠って言ったり。
不思議に思っている私を知ってか知らずかナディアさんはため息をつく。
「言い訳をするわけではないけど……あたしも彼に騙されていたの」
「そう、なんですか?」
「それで、あなたはそのクソ男の意向でこちらに?」
ルネさんの問いにナディアさんは胸を張った。
「いいえ。絶縁状を叩きつけてやったわ」
「ヴィルヘルム家の令息はさぞ悔しがったでしょうね」
「知ったことじゃありませんわ。あんなクソ男」
どうやらエドワードに対するルネさんとナディアさんの認識はクソ男で定まったようだ。まぁ実際、かなり危ない人だとは思うけれど。私も出来たら二度と関わりたくないしね。会いたくないもん。顔で女性を判断する奴なんてお断りだよ。
というか、綺麗な二人が揃って『クソ』って言ってるのがおかしいかも。
言葉遣いに品がありませんわよ?
……やめよ。あんな人『クソ』で十分だし。
今はそんなことより誤解を解かないと。
「あ、あの。実は魔法師アリルって……」
「ライラ様、アリル様のことは秘密にしないと」
「え」
「お師匠様は人に会うことを嫌がるじゃないですか。ねぇ」
ねぇと言われましても。
困惑する私をよそにナディアさんは目を輝かせた。
「お師匠様! つまりルネ様も魔法師アリルの弟子なのですね!?」
「えぇ、まぁ」
ルネさんはさらりと髪を耳にかきあげる。
「お師匠様はそれはそれは素晴らしい方です。既存の定理に囚われていた私に新しい扉を開いてくれた。次々と新境地を拓いていくお姿は尊敬しています」
「なんてこと……! アリステリス家の天才ですら虜になるお方なんて……! 一体どんな方なのでしょう……!」
あの、あなたの目の前にいます……。
「グランデ嬢もアリル師の弟子なのですよね?」
「え?」
「はい、そうですよ」
ルネさん!?
「やっぱり!」
ナディアさんは目を輝かせて両手を組んだ。
「身分差に囚われずに己の技術を惜しみなく与える度量の深さ! そして何より神が作りたもう芸術の極致とも言える術式構築術! これまで気付かなかったところに着眼点を当てる視野の広さ! あぁもう、素敵素敵素敵!」
ひいいい!
もうやめてぇええええええええええええええ!
「あたし、魔法師アリルと結婚したい! そして夫婦一緒に新しい魔法の荒野を開拓していきたい!」
「あ、あの!」
さすがに黙っていられなかった私は口を出した。
物言いたげなルネさんの視線に負けてたじたじになる、
「えっと、あのぉ、お師匠様は、その、女性なんですけど……」
「それがどうしたの?」
「へ」
「愛に性別なんて関係ないわ。薔薇を好む殿方や百合を好む貴婦人もいるし」
「そうですね。我が国は寛容です。正式な婚姻が出来るほど進んではいませんが」
ルネさん、あなたはどちらの味方なんですか?
私よりもルネさんの感触が良いと思ったのか、ナディアさんはルネさんに詰め寄る。
「あの。ルネ様。よかったらあたしを紹介とか」
「残念ですが、お師匠様はもう弟子は取りません。わたくし共が最後の弟子です」
「そんな……!」
「ところで、どうしてライラ様がお師匠様の弟子だと分かったので?」
「それはもちろん! サインですわ!」
魔法師アリルを逆さに呼んだらライラと読める。
私を知ってる人なら誰でも連想するほど単純なトリックだ。
ナディアさんはそれに加えて、エドワードの持っていた論文の筆跡が魔法師アリルのサインの筆跡に似ていることを指摘した。
「でも、そうしたらライラ様が魔法師アリルと思うのでは?」
「あり得ないわね」
ナディアさんは断言した。
私のほうをじっと見て気の毒そうに首を振る。
「あのような魔法の深淵とも呼ぶべき芸術的魔法陣を作り出すには然るべき環境、身分、家庭、すべての条件が揃って居なくては不可能よ。あなたのことを貶めるつもりは全くないんだけど、あなたのように凡庸極まるごく普通の平民とも呼ぶべき子爵令嬢にあの魔法陣が作り出せたとは思えない」
「あの、いちおう私は子爵令嬢なのですが」
家格の差を笠に着てマウントを取るつもりはまったくない。
ただ、あまりの言われように何か言っておきたくなっただけだ。
ナディアさんはけろりと答えた。
「男爵も子爵も同じようなものでしょう。特にグランデ子爵領は我が男爵領より遥かに……その、慎ましいと言いますか」
ド田舎で悪かったですね!?
「それでね、話を戻すんだけど。あのサインは弟子に花を持たせようと魔法師アリルが考えた出したものなのよ! どう! 当たってるでしょ!?」
「お見事。その通りでございます」
「でしょでしょ!?」
「あ、あはは……」
盛り上がる二人に私は苦笑しか出なかった。
口には出せないけど、本人だからね。
ナディアさんってちょっと思い込み激しいっていうか。
ちょいちょい失礼だよね。ほんとのことだけどさ。
そんなにすごいものでもないし……。
「さて、そろそろわたくし共は失礼しますね。お師匠様のお世話があるので」
ルネさんが竜車の扉を開けると、ナディアさんの目が光った。
「……つまり魔法師アリルはこのあたりに住んでらっしゃるのね?」
「ついて来ても構いませんが、お師匠様は無礼者を嫌います」
ルネさんはすげなく告げる。
「もしも無断で弟子の後を尾行しようという不届き者が居れば、あの方のすべてをもって排除しにかかるでしょうね。なにせ、弟子を溺愛している方なので」
「くッ……強行突破は無理か……!」
ほんとにやろうとしてたのっ?
ナディアさんは悔しそうに唇を噛んで引き下がった。
「仕方ない。今日のところはここで失礼するわ」
あ、帰ってくれるんだ。よかった……。
「しばらくこの領地にいるわ、出来れば挨拶だけでもさせてほしいのだけど……」
「伝えておきます」
「ありがとう。それじゃ」
ナディアさんは来た時と同じように颯爽と去って行った。
今、さらっと言ったけどしばらくうちの領にいるの?
顔を合わせることあるのかな……。
「というか……」
ナディアさんが居なくなった今になってとんでもない嘘をついたと実感する。
なんだか嫌な汗が出て来た。
もしも。
魔法師アリルに幻想を持ってるあの人が真実を知ったら……。
「どどど、どうしよう。どうしよう、ルネ!?」
「ライラ様。アリステリス家にはこんなことわざがございます」
「なにそれ教えて」
「はい」
ルネさんは言った。
「『行雲流水』。物事はなるようになるので成り行きに任せればよいのです」
「はぁ……なるほど」
さすがアリステリス家。至言だ……。
…………。
………………………………あれ?
「いやそれ、行き当たりばったりなやつじゃん!!」
「チッ、誤魔化せませんでしたか」
「舌打ちした!?」
どうしよう。ナディアさんになんて説明したらいいの?
どどどど、どうしよう。リュカ様早く帰ってきて──!
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