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一章

〈寝室の長兄〉(1)

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 さて、家に着いた私は叔父に一言言ってから母の元へ向かう。

「行ってきま~す」
「行ってらっしゃ~い」

 叔父が本を読みながら片手を振る。
 いつもの光景である。

(最近はこれが当たり前になってきたな。)

 私は思い返しながら異次元に入る。

 初めの頃は、叔父に引き止められて説得するは、魔力消費量が多くてクタクタになるわで、母の所まで行くのに苦労したものだ。

(最初に行った時はここに来た初日に買った魔石でなんとか無事に帰って来れたんだっけ…。)

 思い返せば命がけである。

(結構無謀な事も沢山したよな、地下牢に行ったり、隠し部屋に行ったり。)

 自分で言うのもなんだが、よく生き残ったと思う。

 ちょっとだけ、昔の事を思い出しかける。

 思い出しそうになって、思い出すのをやめた。

(今は、過去に構ってはいられ無い。)

 私は頰を叩いて前へ進む。

(前に進む事を考えよう。)

 気持ちを切り替える。
 それは医師にとって大事な事である。

(この生活も、もうすぐ終わる。)

 私は蛍の様な光が浮き、空中に水の波紋が広がる世界で、ただ淡々と前へ進む。

(叔父は怒るだろうな、母も怒るだろうな、エドガーは、きっとびっくりするだろうな。)

 エドガーは兄、というより出来の悪い弟と言った方が私にはしっくりくる。

(そして私がいなくなった後、それでもここに多くの物が残るだろう。良い物も、悪い物も……)

 私は思う、それは仕方が無い事だと思う。

(自己満足かもしれない、ただの御節介かもしれない……いや、きっと御節介なのだろう。)

 それは医師であった時も、何度も思って、何度も躊躇して、何度も後悔してきたことだ。

(それでも私は、この道を進む。今も、昔も、変わる事無く。)

 何故か、一瞬、ふと昔の母の悲しんでいる顔が頭に浮かんだ。

 そしてそれと同時に視界が明るくなり、今の私の母の居る場所へとたどり着いた。

(なんだったのだろう今のは……? ま、今はとにかく目の前の事だ。)

 私は今の母、アシュリーに挨拶をする。

「母様~、ご機嫌よう、今日のデザートは何です」

 母が私を見つけて飛びつく。

「セスちゃん!! どうしよう!! カミーユが……カミーユが!!」

 母の瞳から涙がボロボロと溢れる。
 母の様子が尋常ではない。

(カミーユ、というのはたまに話に出て来た私の8つ上の兄……病弱だと聞いていたが……まさか!)

 私は意識を一瞬で完全に仕事モードに切り替える。

「落ち着いて下さい母様、カミーユというのは私の8つ上の病弱な兄ですね」

「そう、どうしよう、どうしようセスちゃん! カミーユが……」

(こういう場合は抽象的な質問はご法度だ、具体的な質問をしなければパニックになった人は何を答えていいかわからない。)

「長兄の病状が悪化したんですね、母様、落ち着いて話して下さい、兄は今どこに居ますか?」

 私は母の涙を指で拭いながら尋ねる。

  母はほんの僅かに落ち着きを取り戻して話す。

「カミーユは、今、自分の寝室に居て、お医者様が付いてて……」

 私は異次元に保存してあるこの城の地図を取り出す。

「この部屋ですね」

 私は、前々からおそらく長兄の部屋だと思っていた場所を指差す。

「そうだけど、どうしてそんな事知って……」
「こっそり遊びに行こうと思って、前にメイドさんに聞いたんです」

 私はニッコっと笑って無邪気に答える。

(ここで時間を取られてはいけない!)
  
「母様、私はレオンの所に居る気難しいお医者様の下、医術を習っています」

(私は長兄が病弱だと知っていた、だが私が長兄の所に行くと魔法で必ずそれが父に伝わると分かっていたので、今まで行けなかったのだ。)

 そこで私はいざとなった時、病状を話し、長兄の部屋まで直ぐに通して貰える様、この世界の医者の元叔父の家で腕を見込まれ勉強していると嘘を吐いてきた。

(叔父の家にいる事と、現状を話すリスクを負う変わりに、何かあった時に長兄の所へ母に案内して貰える様、一応の準備をして来た。)

 更に、兄の病状についてしばしば母に尋ね、彼の病気についていくつかの病名を推測している。

(ここは元いた場所と異なる法則のある世界。だからこそ、この世界の医学書を読む必要があったし、魔法が深く関わる病気なら対処し切れない。病状が悪化しない様ならこの世界の医者に任せるのも手だと思っていたが……そして結局診察をする事になったとしても、もう少し後でこの難題にぶち当たると思っていたんだが……)

 一番最初に予想した病名はバセドウ病(自己免疫疾患の一種、甲状腺ホルモンの異常生産が原因)だが、バセドウ病の発症は主に20~30代の人間に多く、更に女性に多い。

(発症する時期が早過ぎる……まあ、症例としてない事も無いが…とにかく、長兄を診察せねば。)

 やはり死んでも医者は医者である。

「もしかしたら何かの役に立てるかもしれません、カミーユの所に案内して下さい」
「わ、わかったわ、セスちゃん! ついてきて!」

 私は、母の後をついて行く。

(倦怠感が抜けず、発汗が多く、直ぐに息切れする……14歳位の少年……喘息? でもそれなら症状にむらが出る、悪性リンパ腫は20代、60代がピークだが5年生存率が25%だし、後は感染症? ……ちょっと待て、今大変な事に気づいたぞ。)

 それは病名を診察する以前の問題。

(亢甲状腺薬も、抗生物質もない……薬が無い!!)

 医者の専門は診断と手術だ。
 調剤薬を作る事や薬の体内での詳しい作用の仕方に関しては、薬剤師が専門なのだ。

(消毒は前にこういう事もあるかと買っておいた高濃度アルコールがあるが……出来るのは手術位か。)

 そうなると、やれる事の幅が狭くなってくる。

(悩んでもしょうがない、とにかく症状を見てみよう。)

 私が前に通らない様にしていた場所を通り抜ける。

(これでアランに私の居場所が完全にバレたな……仕方ない、予防線を張っておこう。)

 私は通った場所に母が気づかない様に土壁を作り、魔石を消費しつつ、崩れない様に時間魔法を使いつつ強化する。

(まさかこんな所で白魔石を5つ消費するとは。)

 自分の魔力は何かあった時の為、極力満タンにしておきたい。

 地図を確認しながら2時間位は私達の所に来れない様にここまでの道を塞げた。

(未来は……だめだ異常にぶれてて見えない。)

 それは誰かもう一人未来視を使える奴がいる…ということでは今回は無い。

(これだけ見えないとなると、地下牢とは違う形でジャミング(未来を見る事をわざと妨害)されているな。いや、今は好都合なのか。)

 それは父にも私がここにいる未来は見えないという事だ。

「セスちゃんあそこよ!」

 母が勢いよく長兄の部屋のドアを開ける。

『バン!』
「! 何事だ!!」

 そこで私は、治癒魔法をかけている薮医者を見た。
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