遠くて近い世界で

司書Y

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さよなら。と 3

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 ◇墓所:翡翠◇

 見上げた空は暗かった。今日は月が出ていない。出ていても雲に遮られていたかもしれない。雲に隙間はあるけれど、都会の空には星なんてない。薄く霞んだ空は黒ではなく濃い灰色だ。深く冴えた黒ではなく、すべての色の絵具を混ぜて、最後の黒になる寸前の灰色だ。
 そんな空を何とはなしに眺めていると、まるで自分の内側を見ているようで、それが堪らなく醜く見えて、醜くて誰にも顧みられないのが哀れに思えて、涙が溢れて来る。
 街の中心地から少しばかり離れた高台にスイはいた。星とは対象的に街のネオンは眩く光っている。ごちゃごちゃと騒がしいそれは、今のスイには煩わしい。けれど、他に行こうと思える場所がスイにはなかった。

 二人の部屋を出た後、スイは自室には戻らなかった。夜中にアキが帰って来るのに気付きたくなかったからだ。これ以上、聞きたくないものを聞くのが嫌だった。
 以前と同じようにキープの部屋は何部屋か用意してある。そのどれかに行けばいいとも思えなかった。身体が疲弊しきっていて、落ち着ける場所にいたら眠ってしまいそうだったから。眠ってしまって、また、あの夢を見たら、壊れてしまいそうで怖かった。

 だから、ここで、ただ、空を見ていた。冷たい外気が肌に突き刺さるようだ。逃げ出すように飛び出してきたから、部屋着のままの肩が震える。
 そこは小高い丘いっぱいに広がる霊園だ。

「壱狼さん……」

 歳の離れた友人の名を呼ぶ。彼もスイがこの5年間で心を許した数少ない人物の一人だった。といっても、今はこの世にいない。
 彼の立場から考えると驚くほど質素な墓は彼がただ一人愛した人の住む場所の方を向いている。生きているうちに結ばれなかった人への彼の精一杯の愛情表現だ。
 なにも話さなくても、祖父と孫ほど歳が離れていても、快活に笑って友人だと言ってくれた姿を思い出す。こんなとき、こんな情けない姿を見せられる相手なんて、他にいなかった。

「俺はどうしたらいい?」

 アキが。ユキが。スイの致命傷になる質問をしたのは、恐らく申し合わせたわけではない。

 人混みの中に負の期待感を込めてその人を探す癖。待っているわけではない。できることなら会いたくはない。けれど、きっと、その人は自分を見つけ出すと、見つけ出してしまうと確信している。その人は、否、その男はそういう男だ。
 その日が来るのが堪らなく怖い。本当に人ごみの中にその男を見つけたなら、叫んで逃げ出すか、竦んで動けなくなるか、分からない。どちらだったとしても、逃げおおせる気がしない。

「どうして……放っておいてくれないんだよ」

 二人に出会ってから、ここ数カ月のことが次々と溢れてきて止まらなかった。思い出すとまた、涙が出た。
 その涙を手の甲で拭う。
 随分、涙腺が緩くなってる。
 歳かな。とは、思わなかった。きっと、誰かを好きになるというのは、こういうことなのだと思う。思ったら、なんとなく納得できた。
 恋と呼ぶには幼稚な感情なのかもしれない。でなければ、アキとユキどちらに対しても同じ様に同じ感情になるはずがない。二人が、自分以外の誰かといるのが辛い。それが、恋愛対象になる相手なら、なおさらだ。それがどのくらい身勝手なのかもわかっているし、身の程知らずにもほどがあると思う。

「最悪だ……」

 自分のことは理解している。
 もう、若くもないし。綺麗でも、美しくもない。それ以前に女ですらない。いや、女である必要はないのかもしれないが、アキとユキの持ち帰ってくる”残り香”のことを考えると、女性であることが望ましいのは間違いない。
 一方、スイが自信を持てることと言ったら、PCのスキルくらいだ。

「就職の面接かよ」

 むしろ、そうだったら、自分に合わなかったと諦めることもできるのに。スイは思う。この思いをなかったことにするにはスイはもう、二人を好きになりすぎていた。
 涙が零れた頬が冷たい風に吹かれて凍り付くようだ。それでも、他にどこかへ行こうかと考えられない。

「……馬鹿みたいだ」

 呟いて、友人の墓の前に座り込む。
 客観的に見て自分とあの二人では釣り合いがとれるはずがない。年齢も、容姿も、性格も。どれをとっても二人ともその辺にいくらでも転がっている自称イケメンとはレベルが違う。
 それでも、いや、だからこそ、好きになってしまったのだと、わかってはいる。友達として。だとは、理解してはいるけれど、優しくされたのが嬉しくて、心を許せるのが心地よくて、近づきすぎてしまった不用意な自分に嫌気がさす。

『お前は絶対に幸せにはなれない』

 そう。言われたのだと、スイは忘れていたのだ。
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