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「ハルちゃんも嫌でないならちょっとくらいつき合ってやれよ」
「はあ……」
晴也は夜の世界で「つき合う」というのがどこまでの行為を指すのかが、未だによくわからない。ショウはジーンズのポケットから財布を出し、そこから名刺を3枚出す。財布に入れているのが不自然だが、彼はママとミチル、最後に晴也に小さな紙片を渡した。
そこにはショウの名と携帯電話の番号だけが記されていた。ミチルが言う。
「真夜中に電話するぞ」
「1時から5時まではスリープモードだから絶対出ません」
晴也は何げなく名刺を裏返し、ミチルの持っているそれには書かれていない暗号に目を見張る。……暗号ではなかった。LINEのIDだった。
名刺から目を上げると、ショウは昼間と同じように少し目を細め、口許に微笑を浮かべながら晴也を見つめている。
「決定権を委ねます、気が向いたら連絡ください」
ショウは小さく言った。本当に、何を考えてるんだ。少なくとも晴也は、彼がこういった恋愛の駆け引きのようなことに慣れていて、晴也に首を縦に振らせるのを目標にしていることは理解した。
ふざけるな、おまえの武勇伝のネタには絶対になってやらない。晴也は奥歯を噛みしめた。昼間、給湯室で弱気になったことを悔やむ。
いつも他人は、俺をからかい弄ぶ。暇潰しと笑いものにするだけならまだしも、俺の好意を利用していろいろ俺から搾取する。そんなことは二度とさせない、そのために大学を卒業して以来、誰とも一定以上の距離を詰めないでやって来たのだから。
晴也はママとミチルに気づかれないように、ショウをちらりと、しかし思いきり敵意を込めて睨みつけた。ショウは微笑を引っ込めて、やや眉の裾を下げ、何とも言えない表情を見せた。晴也には彼が何を考えているのかはわからなかったが、安っぽく言いなりになる気が晴也に無いことくらいは、伝わっただろうと思う。
結局晴也はハイボールを2杯もショウにご馳走させてしまった。ショウは晴也とミチルに、明日の舞台を観に来るよう念押しして帰った。
ママもミチルもナツミも、ショウが晴也に結構真面目にアプローチしていることを面白がったが、晴也は複雑な思いで悶々となった。嬉しくなくはないのだ。セックスする気は無いけれど、ショウは楽しい「交際」を演出してくれそうだし、半ば冗談でも、あんなイケメンから好意を仄めかされるのは気分が良い。
そんなこんなで、閉店まで客に笑顔を向けるのがきつかったので、晴也はバックヤードで化粧を落としながらぐったりしてしまった。
「ハルちゃん、明日男か女かどっちで行くつもりなんだ?」
学生であるナツミが、明日小テストがあるからと言ってバタバタと先に上がってから、ミチルが訊いてきた。
「え……あっそうか、開演遅いから一回家に帰れるんですよね」
「うん、俺は金曜はいつも男で行くんだけど」
閉店後の着替えは、英子ママも一緒のことが多い。夜だけ女になる連中は、少しずつ男の姿に戻っていく。晴也は答えた。
「じゃ明日は俺も男で……あっでもここの常連さんも行かれるみたいだからバレたらまずいですか?」
「あのお二人か? バレてもいいだろ、ミチルもハルちゃんもがっかりはされないよ」
カツラを外して頭をぷるぷると振った英子ママ――本名英一朗が言う。男に戻っても優しい顔つきだが、彼はゲイ、しかもバリタチだという噂である。
「え、俺はヤバいでしょ、早めに行って隅っこの席に座ります」
晴也は言ったが、ママとミチルは顔を見合わせた。
「ハルちゃんは女になったら堂々としてるのに、男に戻るとそれって……自信無いのか?」
晴也はママに何を言われたのか、すぐに理解出来なかった。
「だって俺、彼女いない歴イコール年齢だし、大学生の時も就職してからも……誰からも相手にされてないですよ」
「うーん、この野暮ったい眼鏡とべったり下ろした前髪のせいだな、何とかしたらどうだ?」
ママは右手で晴也の長い前髪に軽く触れた。昼間他人の視線を拒むための前髪は、店に出る時はカーラーで巻いたり、緩く結んだりする。
「ショウにがっかりされるぞ」
ミチルも言うが、そもそもショウが目をつけたのは、このダサくて陰気な姿の自分だった。晴也はやや意地悪な気持ちで考える。明日もこの感じで行けば、彼は萌えてくれるということではないのか。
「せっかくイケメンに迫られてるんだからさ、これをきっかけに相手にされない男を返上したらどうだ?」
「会社では別にいいです、気楽なんで」
あくまでも頑なな晴也に、ミチルとママはくすくすと笑いを洩らす。
「ハルちゃん可愛い、俺は対象外だけどショウの気持ちはわかる」
「ショウさん結構マジだろ、あれ……ノンケハンターなのかな」
ゲイ2人の会話に胃の中がざわざわした。ゲイに迫られてオチるノンケは確かにいるだろうが、自分は違う。確かにショウはハンサムだし、ダンスも魅力的だし、とにかく感じが良い。だからと言って、恋人になるというのは……違うと思う。ああそうか、友人として交際すればいい。明日彼にそう言おう。
晴也はようやく自分で納得行く落とし所を見つけた気がして、ホッとした。だが何故こんなシンプルなことに思いが及ばなかったのかが分からず、ママとミチルに挨拶して雑居ビルを出てから、また少しもやもやし始めたのだった。
「はあ……」
晴也は夜の世界で「つき合う」というのがどこまでの行為を指すのかが、未だによくわからない。ショウはジーンズのポケットから財布を出し、そこから名刺を3枚出す。財布に入れているのが不自然だが、彼はママとミチル、最後に晴也に小さな紙片を渡した。
そこにはショウの名と携帯電話の番号だけが記されていた。ミチルが言う。
「真夜中に電話するぞ」
「1時から5時まではスリープモードだから絶対出ません」
晴也は何げなく名刺を裏返し、ミチルの持っているそれには書かれていない暗号に目を見張る。……暗号ではなかった。LINEのIDだった。
名刺から目を上げると、ショウは昼間と同じように少し目を細め、口許に微笑を浮かべながら晴也を見つめている。
「決定権を委ねます、気が向いたら連絡ください」
ショウは小さく言った。本当に、何を考えてるんだ。少なくとも晴也は、彼がこういった恋愛の駆け引きのようなことに慣れていて、晴也に首を縦に振らせるのを目標にしていることは理解した。
ふざけるな、おまえの武勇伝のネタには絶対になってやらない。晴也は奥歯を噛みしめた。昼間、給湯室で弱気になったことを悔やむ。
いつも他人は、俺をからかい弄ぶ。暇潰しと笑いものにするだけならまだしも、俺の好意を利用していろいろ俺から搾取する。そんなことは二度とさせない、そのために大学を卒業して以来、誰とも一定以上の距離を詰めないでやって来たのだから。
晴也はママとミチルに気づかれないように、ショウをちらりと、しかし思いきり敵意を込めて睨みつけた。ショウは微笑を引っ込めて、やや眉の裾を下げ、何とも言えない表情を見せた。晴也には彼が何を考えているのかはわからなかったが、安っぽく言いなりになる気が晴也に無いことくらいは、伝わっただろうと思う。
結局晴也はハイボールを2杯もショウにご馳走させてしまった。ショウは晴也とミチルに、明日の舞台を観に来るよう念押しして帰った。
ママもミチルもナツミも、ショウが晴也に結構真面目にアプローチしていることを面白がったが、晴也は複雑な思いで悶々となった。嬉しくなくはないのだ。セックスする気は無いけれど、ショウは楽しい「交際」を演出してくれそうだし、半ば冗談でも、あんなイケメンから好意を仄めかされるのは気分が良い。
そんなこんなで、閉店まで客に笑顔を向けるのがきつかったので、晴也はバックヤードで化粧を落としながらぐったりしてしまった。
「ハルちゃん、明日男か女かどっちで行くつもりなんだ?」
学生であるナツミが、明日小テストがあるからと言ってバタバタと先に上がってから、ミチルが訊いてきた。
「え……あっそうか、開演遅いから一回家に帰れるんですよね」
「うん、俺は金曜はいつも男で行くんだけど」
閉店後の着替えは、英子ママも一緒のことが多い。夜だけ女になる連中は、少しずつ男の姿に戻っていく。晴也は答えた。
「じゃ明日は俺も男で……あっでもここの常連さんも行かれるみたいだからバレたらまずいですか?」
「あのお二人か? バレてもいいだろ、ミチルもハルちゃんもがっかりはされないよ」
カツラを外して頭をぷるぷると振った英子ママ――本名英一朗が言う。男に戻っても優しい顔つきだが、彼はゲイ、しかもバリタチだという噂である。
「え、俺はヤバいでしょ、早めに行って隅っこの席に座ります」
晴也は言ったが、ママとミチルは顔を見合わせた。
「ハルちゃんは女になったら堂々としてるのに、男に戻るとそれって……自信無いのか?」
晴也はママに何を言われたのか、すぐに理解出来なかった。
「だって俺、彼女いない歴イコール年齢だし、大学生の時も就職してからも……誰からも相手にされてないですよ」
「うーん、この野暮ったい眼鏡とべったり下ろした前髪のせいだな、何とかしたらどうだ?」
ママは右手で晴也の長い前髪に軽く触れた。昼間他人の視線を拒むための前髪は、店に出る時はカーラーで巻いたり、緩く結んだりする。
「ショウにがっかりされるぞ」
ミチルも言うが、そもそもショウが目をつけたのは、このダサくて陰気な姿の自分だった。晴也はやや意地悪な気持ちで考える。明日もこの感じで行けば、彼は萌えてくれるということではないのか。
「せっかくイケメンに迫られてるんだからさ、これをきっかけに相手にされない男を返上したらどうだ?」
「会社では別にいいです、気楽なんで」
あくまでも頑なな晴也に、ミチルとママはくすくすと笑いを洩らす。
「ハルちゃん可愛い、俺は対象外だけどショウの気持ちはわかる」
「ショウさん結構マジだろ、あれ……ノンケハンターなのかな」
ゲイ2人の会話に胃の中がざわざわした。ゲイに迫られてオチるノンケは確かにいるだろうが、自分は違う。確かにショウはハンサムだし、ダンスも魅力的だし、とにかく感じが良い。だからと言って、恋人になるというのは……違うと思う。ああそうか、友人として交際すればいい。明日彼にそう言おう。
晴也はようやく自分で納得行く落とし所を見つけた気がして、ホッとした。だが何故こんなシンプルなことに思いが及ばなかったのかが分からず、ママとミチルに挨拶して雑居ビルを出てから、また少しもやもやし始めたのだった。
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