痛がり

白い靴下の猫

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33.組織液

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「ああ、そっか。ごめんなさい」
どうやら引っ掛けられたらしいと今更気づく。
そうか、優しいこの人が、私を死なせたくなかっただけの可能性も、考えるべきだった。

銃に弾は入っておらず、さとるは怒ってもおらず、爆弾を排除したかっただけか。
メイは忘れ物を指摘された子供のような気分でそう言うと、意識を手放そうとした。

だが、上からぽたぽたと落ちてくるぬるい雫が、意識が遠のくのを邪魔する。
温かい雫、温かい手、温かい・・嗚咽。
さすが、優さんの自慢の息子。
かなわないなぁ、と思う。伝えておかなければならないことはなんだったろうか。
「優さんは、自分が死んだら、計画を閉めろと言いました。優さんに守られていない自分がこんなにも無力だったなんて、知らなかったんです。勝手に巻き込んで申し訳ありませんでした」
「優は、俺の親だ。巻き込まれたわけじゃない」
「私の、お守り袋を。サーファに渡した、手紙の写し、が、入っています。あなた方を巻き込んだのが、優さんでなくて、私のせいだった証拠、です」
端末にぶら下がっていた小さな布袋から、握りつぶされた手紙が、でてくる。
ああ、まえに取りに行くから車を貸せと言ってきたあれか。
いらないって、言っただろう?

それでもメイが必死に差し出すので、さとるは手紙を自分の手の中でひらいた。

手紙は、息子たちへ、で始まっていた。
自分の研究成果をプレゼントしたいこと、昔の宝探し風に金庫に隠したこと、メイとサシャという女の子が宝探しを助けてくれること。一度ホゴラシュに来て欲しいこと。
さとるはざっと読んだあと、手紙を裏返して灯りにすかした。

「これ、写しじゃない、な。でも、最後まで、優が書いたのでもない」
「・・・はい。優さんの書きかけに、私が書きたしました。これをサーファに渡すつもりでしたが、乾くと、自分の組織液が付いた跡が見えてしまったので、写しを作り、写しの方をサーファに渡しました」
組織液。不条理な理由で蔑まされて、同胞の悪意にさらされながら背中を裂かれて、流れ出た血だろうに。メイはただの現象のように、言葉にする。
「書き足したのは、メイとサシャの名指しの部分から?筆跡同じだけど、優が良くやる文字の横に小さな穴をあける合図が、途中からないな。わざと?」
さとるは、本心が透けてしまわないように、ゆっくりとしゃべる。
「こんだけ筆蹟似せられるんだ、小穴も含めて、優のまね、できただろ?」
できたに決まっている。
だが、メイはかたくなに首を横に振る。
優の名誉を守り、メイのせいだと、正しく疎んでもらえるように。
「サーファにわたった手紙は、私が書きました。優さんの生徒の中で、さとるさんとますみさんに年齢が近いのも、私とサシャでしたから、サーファがコンタクトしてくるように仕向けるのは簡単でした」

だから、ホゴラシュで嫌なことがあったら、優を恨まず、メイを恨めと言いたいわけか、こいつは。

不思議なことはいくつかあった。
例えばメイが開けた金庫、なぜ最後のパスワードは違った?
違ったのに、なぜメイは、まよわず鍵を取ろうと決めた?
おそらく、優が最後まで成功していなかったから、もともと金庫に三番目の正解は作られていなかったのだ。
メイはそれを知っていた。
はじめから、パスワードなしで強引に手に入れることを考えていた。

優は、自分の死後、こんな形で、子供とメイ達をかかわらせるつもりでは無かったのだろう。
もともと無茶なところはある。だがそれは自分に自信があるからだ。優が他人を守る自信。そして優なら、人を渦中に引きずり込む前に、きちんと説明をして、意思を聞く。勝手に他人の命をかけたりはしない。
おそらくは、サーファの部隊を押さえ込んだ後、ゆっくり説明ができるようになった後に、手紙を託す予定だったのだ。
その前に自分が死ねば、計画を閉じるつもりでいた。
だから金庫のヒントも、畑里の言う、読んでほしいのか欲しくないのかわからない半端な場所に置いてあった。

結果的に、成功直前で、優は殺された。

メイには、優が信用していただれかの、おそらくはカウルの、裏切りが原因にみえた。
真相を知りたかったメイは、ほかに手がなかったから、さとる達を巻き込み、罪悪感で、過剰なまでにさとるとますみを守ろうとした。そんなところだろう。

小穴を穿たなかったのは。この手紙をお守りにしていたのは。もしもひどいことになった時、さとるやますみが、優のせいではないと思える証拠を残しておきたかったから。

組織液とやらを流しながら、死にかねない怪我の苦痛の中で、ひとりでやったことがこれか。
無理心中を邪魔されて、強引にアンクレットを取り上げられた俺に、見せたいものがこれか。

メイが咳き込んで、唾液に血が混じる。
「わかった。もう喋らなくていい。薬と栄養剤ジュレにしといた。少しずつでいいから、飲み込めるか?」
さとるがスプーンを運んでも、メイは口を開かない。
ただ、自分の喉のうえに拳を置く。
「触るな。気道の炎症がひどいから、痛いだろ」
「気胸だって言ったのも嘘?」
「嘘。肺には問題ない」
メイが顔を背ける。
「簡単に騙される無能者が思い上がって、優さんを侮辱したって思っていますよね」
「思っていない。乱暴して、悪かった」
「あなたが自分の力を行使、するのは、自由で、なにも悪くない、です」
拷問が上手ですね、そう言われた気がして。
さとるはスプーンを戻した。
「ごめん。俺が嫌だったら、もうすぐますみがもどる。・・・鎮静剤、は怖いか・・」
「落ち着いています」
「わかってる。俺が怖いだけ。眠ってくれ、せめてますみが戻るまで」
「怖い?・・私のこと、自殺願望者だと、おもっています?」
「思っていない。よく生きていたと称賛される状況だったのも認める。でも、やっぱり、怖いんだよ」
メイは、軽く目を閉じた。
優さんのような人間を感じたら、ひとたまりもない。私たちはそういう生き物だ。
ますみさんを見て正気でなくなったサシャ。
さとるを見て正気でなくなった私。
メイが何をたんのんでも、多分さとるは拒否しない。
我ながら図々しさに吐き気がする。
「なんでも打っていいです」
メイはそう言って目も口も閉じた。

うとうとと眠りの波間を行ったり来たり。
さとるの手が、背中をさすっているのがわかる。気持ちがいい。この手を握れば、きっと体中に水がいきわたる。
でも動こうとすると、手は遠のいた。

メイが起きそうになると、いつでも部屋を出られるようにと、さとるは身構える。
こそこそと、情けないことだ。
思った以上に、応えていた。
メイの虚脱した顔。アンクレットを外すのがスイッチだったように、目の光が消えた。
すべてを諦めたように。詰ってくれればまだ良かったのに。
酷いことをしたと思う。拷問、だった。
あのメイが悲鳴を上げるほどの。
卑怯だったのはわかっている、それでも、耐えられなかった。メイが自分の死を普通に道具と考えることが。
メイの髪の毛をなぜる。
俺が、代わるから。そんな顔するな。



額と髪に触れられて、
「じゃあな」
といわれた気がする。
必死で手を握る。握った手に、落ち着かせるようにポンポンと温かいリズム。
また眠りそうになる。違う、起きなきゃ。
あやすように揺らして手が外されそうになる瞬間、体が動いた。
上半身を浮かせて両手ですがりつく。
「おいっ」
慌てたように背中に手が添えられて、すぐそばにさとるの顔。瞬間遅れて、体がギシギシ痛んだ。うめき声をさとるの袖で遮る。
「動くな、つっても遅いか。悪かった、寝てると思ってたから。驚かせた」
ぶんぶん。メイが頭を横に振る。やっと、焦点が自由に動かせるようになって、さとるの格好に気づく。戦闘服。フル装備。
「どこへ、行くんですか」
さとるはちょっと困った顔をして言った。
「あー、見回り。サーファの私兵がうろついてるみたいだから」
「嘘、です」
「・・・なんで?」
「あそこまで部下がヒートアップしたら、サーファは私が死んだことにして処理するしかないです。探索なんて、ださない」
たしかに、サーファはメイが死んだと説明していた。ノウハウパーツだと自白したサシャは意識不明で、手に中間体を書いたメイは死亡。優の息子二人は造反するし、金庫の鍵は手に入らない。
メタマテリアルに関しては、畑里が、公開前の出願済み書類を示してティールに徹底した少人数の守秘義務チームを作らせたせいで米国本社の管轄になり、ティールとの交渉は水面下に潜った。
そんな訳で、キュニ人とタキュ人の同盟は完全に空中分解していた。

「ほんっと、頭いいよなぁ、メイは」
ほんの少し髪の毛に触れて、さとるはメイをベッドに戻そうとする。
「怒っていますか」
「なんで。酷いことしたのは俺で、メイはなにも悪くない。優を大事にしてくれただけだ。もしかりに、俺が優の仇討ちしたくなったとしても、メイのせいじゃない」
メイは唇をかんだ。この人は、私のかわりにサーファのところに行く気だった?
そして、私のせいでサーファに殺されても、私のせいだとは言わない。最後まで。
「行かないで、ください。私を憂さ晴らしにつかっていい。なんでもします。なんでも・・」
メイは止めようとするさとるの手を振り払い、おきあがろうとする。
「こら、なんでっ。あーもうっ、ちょっと待ってろ、今ますみ呼ぶから・・」
「なんで、ますみさんを呼ぶんですか。なんで、あなたが聞いてくれないんですか」
メイがかすれた声で叫ぶ。
「なんでって、おれがいたら錯乱するだろーが」
「していません。でも、我慢できません、貴方がサーファに傷つけられたら。そんな結果を見せるくらいなら、私を殺してください」
さとるの手から力が抜けた。勘よすぎ。
これではさとるが代わってサーファを殺してもメイは楽にならない。
さとるは無力感に押しつぶされるようにベッドわきの椅子に腰を下ろした。
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