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第二章

31 戦略家

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 今度はグリフィスが歯を食い縛りながら、その光景を射殺せんばかりに睨んでいる。
 目の前で足を止めたクリスを、アレクサンダーが強引に腕の中に引き寄せた。
           
「アレクサンダー!! お前は今の自分の立場を理解しているのか!!」
「グリフィス落ち着け、お前らしくないぞ!」

 デイヴィッドがグリフィスの憤りを静めようとしたが、全然話を聞いていない。

「クリスの左頬が赤いじゃないか! お前叩いたな、今すぐその手を俺がぶった斬ってやる!!」
「そんなに怒ると、優位に立てないぞ!!」
「よく、この距離で赤いのが分かりますな――」

 アーネストが感心をしていると、アレクサンダーがクリスの頬に、そっと触れた。その様子は遠目からでも愛しさに溢れているのが分かる。

「デイヴィッド、奴の両親を連れてこい! この場で切り殺す!!」
「お前、言ってる側から……」

 しかしその言葉にアレクサンダーは反応を示した。

「俺の両親だと……?」
「そうだ。今朝クロノスの町に着いたところを捕らえた。殺されたくなかったら開城をしろ、悪いようにはしない」
「お前だって、クリスに惚れているなら分かるだろう? 他の男に渡すくらいなら、いっそこの手で――」

 アレクサンダーが右腰からダガー(短刀)を抜いた。静観していた者達から驚きの声が上がり、今度はデイヴィッドが慌てふためく。
 しかしグリフィスは動じずに、低いよく通る声で話し始めた。

「偉大なるクロノスの王よ。クリスを手にかければどうなるかは、もう分かっているのだろう? 俺はお前の両親も大切な民も、容赦なく皆殺しにする。それでもクリスを殺せるのか?」

 アレクサンダーは溜息を吐く。いくらクリスに執着をし、溺れてはいても両親や民までを犠牲にはできない。
 勘弁したようにダガーを下に落とした。

「降参だ――」

 目配せをするアレクサンダーに、ダリウスが声を張り上げる。

「開城をする!! 門を開けろー!!」

 音を軋ませながら少しずつ城門が開いていく。彼が腕の中のクリスを見下ろすと、その額にくちづけた。

「悪かった――」
「おい!! 今見てたぞ!! とっととその手を放せ!!」
「先程の落ち着きのある彼とは大違いだな」

 アレクサンダーが呆れた顔をすると、クリスが僅かに微笑んだ。

「いつもは冷静で取り乱したりしないのよ」
「そうか……君限定なわけか――」
「私、行くわ」

 クリスはアレクサンダーの腕の中からすり抜けると、身を翻して駆けて行った。

「行ってしまいましたな」
「ああ・・・」

 暫くはその後ろ姿を目で追っていたが、思考を切り替えて行動に移す。

「さあ、アクエリオスのグリフィス王子に挨拶をしなければ」

 クリスは急いで階段を駆け下り、庭園に足を踏み出した。騎士や兵士がなだれ込んでくる中、グリフィスを見つけた彼女はその名を叫ぶ。

「グリフィス―――!!」

 あらん限りの力で叫んだが周りがあまりにも騒がしく、クリスの声は掻き消されてしまった。が、グリフィスはすぐに気付く。馬上からクリスを認めると、一気に彼女のもとまで馬を駆った。
 急ぎ飛び降り愛しい女性ひとを腕の中に抱き締める。

「クリス―――」

 いつまでも抱き締めたままのグリフィスに、クリスが戸惑い気味に声を掛ける。

「グリフィス・・・?」
「良かった・・・顔を見るまで生きた心地がしなかったから」

 クリスは僅かに微笑むと、彼の背に回した手に力を込めた。気付いたグリフィスが顔を上げて、頬に触れる。

「こんなに赤くなって・・・痛くはないか?」
「グリフィスに会えたからもう平気……」

 嬉しそうに、顔をほころばせて言うクリスに、グリフィスのたがは簡単に外れた。逞しい胸の中に閉じ込められ、何度もくちづけを受け続ける。角度を変え、唇を覆われ、やがては自分の足で立っていられなくなり、グリフィスに寄りかかるだけとなった。

「グリフィース」

 デイヴィッドの声がする。

「グリフィース……グリフィス―――グリフィス!!」

 やっとグリフィスが顔を上げた。

「何だ? 後にしてくれないか?」
「`後にしてくれないか? ‘ じゃねーよ!! 今するべき事があるだろうが!」
「今ここでクリスを押し倒せと言うのか?」
「違う!!」

 クリスが紅くなっている中、アレクサンダーが苦々しそうに口を挟む。

「開城の後始末をつけてくれ。大体、失恋した者の前でいちゃいちゃするやつの気がしれん」
「元はと言えば、お前が人の婚約者に手を出したんだろうが……!」

『まあ、まあ』と、お互いの宰相が間に入って、開城の後始末をつける事となった。

「`開城 ‘ と言うからには、まずこの城を占拠して、財宝や値の張る物を根こそぎ持っていくつもりだろう?」
「クリスを攫った事を考えるとそうしたいのは山々だが、いくつか条件を飲んでくれればそれでいい」
「条件?」 
「まず第一に、傭兵達に褒章金を出してくれ。特に城に近い位置にいる兵士、つまりは早く着いた者達には金額を多めに出してほしい。第二に、今度、アーデル川の航行の権利についての話し合いがあるだろう?」
「ああ、`アクエリオスが殆ど独占をしているから、他の国にも ‘ ってあれか?」
「その会議で我が国を推してほしい。そこで決まれば五年は航行の権利を独占できるし、その間に他の追随を許さないほどにアーデル川での輸送業を成功させてみせる」

「それだけでいいのか? 根こそぎ持っていかれると覚悟していたのに」
「その代わり、褒章金を弾んでやってくれ。最近平和が続いているせいか雇い手がなかなかいなくて、傭兵達の給料が尻すぼみになっているそうだ」
「構わないが、お前は雇い入れる金をどう工面したんだ? メルセナリオがそんな状態なら、国王に足元を見られて金額を吹っかけられたろう?」
「最初はな。だが雇い賃の代わりに、向こう五年間の旅客運賃と輸送費を無料にするという話で、手を打つ事になった」

「それは・・・お互いにいいのか? 5年も無料って長い目で見ればメルセナリオが得をして、アクエリオスが損……いや、メルセナリオも5年かけて元を取るより、すぐに金が欲しいんじゃないのか?」 
「その代わりに一週間以内に戦わずして片をつけた時にのみ、この契約は成立だ。あちらは傭兵達を散歩させて、五年無料で船を使用するようなものだ」
「なるほど・・・面白い」

「メルセナリオは肥沃な土地を持ち、実は農作物がよく育つんだ。これからは傭兵業を縮小して、農業大国を目指すらしい。農業の知識を持つアドバイザーも紹介したし、上手くいけば五年後にそのまま輸送の契約もしてくれる。川での航行権も、うちを推してもらうことになっているし、二大大国、いや、クリスのヘルマプロディトスも推してくれれば、間違いなく航行権はアクエリオスが手にするだろう」

「後はうちが褒章金を出せば、傭兵達からは文句も出ずに寧ろご機嫌になるわけか……頭のきれるやつだ。クリス、こんな腹黒そうな奴でいいのか?」

 グリフィスがムッとした。

「戦略家と言ってくれ」

 クリスが頬を染める。

「私には真摯な態度で接してくれるし、本当は正直な人だと知っているから……」

 みんな思った`騙されている ‘ と……

「実はまだ一つある」
「何だ?」
「俺とロングソードで手合わせ願いたい」
「――望むところだ」

 グリフィスの言葉にアレクサンダーはすぐに応じた。
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