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「第四話 邪悪哄笑 ~魔呪の虜囚~

9章

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 「お願い、私たちの仲間になって!」
 
 咽るような湿気を帯びた熱風が、夜の校舎を駆ける。
 じっとしているだけでも汗が滲むようだ。本格的な夏の到来を控え、虫たちがそこかしこで鳴いている。季節は七月を迎えていた。
 
 広大な敷地を誇る聖愛学院では、夜間は侵入禁止といっているものの、実際は忍び入ることは容易い。デートスポットとして利用する不埒者も中にはいたが、今ここにいるセーラー姿のふたりは、真剣な会話の真っ最中だった。
 
 藤木七菜江は、霧澤夕子の前で土下座していた。
 誰にも聞かれたくない話をするために、ふたりは木々の生い茂る林の中に来ていた。ほぼ初対面といっていいふたりだが、五十嵐里美を通じて、互いの素性は知れている。七菜江に呼び出された夕子が、ショートカットに従い歩いていくと、急に七菜江は地に四肢を這わせて、乞いたのだった。
 
 「やめてよ、そんなことするの・・・」
 
 ツインテールの少女が冷たく言い放つ。だが、その口調の裏には、戸惑いと共に、辛い決断をしなければならない己への悔しさが隠れている。
 
 「五十嵐里美にも言ったはずよ。私はあんたたちの仲間にはなれない。やらなければならないことがあるの」
 
 「それは知ってる、けど・・・どうしてもあなたの力が必要なんだよ!」
 
 顔をあげた七菜江の柳眉の下で、少しつり目がちな澄んだ瞳は、泣きそうに歪んでいた。まるっこい小さな指が、震えながら柔らかな土を掻き抉っていく。
 
 「あなたも・・・夕子も見てたでしょ?! あのマリーって女には、あたしや里美さんでは勝てない。今までにデータを取られていない、新戦士じゃないと・・・今、ふたつある『エデン』のうち、1個は夕子に使って欲しいの」
 
 猫顔の少女の台詞は、どこかが知的な少女の癇に触れたらしい。
 七菜江とは逆に、やや垂れ気味の瞳をもつ美少女は、ムッとした様子を隠さずに言う。
 
 「あんたね・・・七菜江っていったっけ? 簡単に言うけど、ファントムガールになるってことが、どういうことか、わかってるの?! 死ぬかもしれないのよ! なんの見返りもないのに。皆のために犠牲になるって、どんなに辛いことかちゃんとわかってるの?!」
 
 「だって、誰かがやらないと、メフェレスに支配されちゃうんだよ!」
 
 夕子にキツイ言い方をされ、単純な少女もカッとしたようだ。立ち上がって、興奮した口調で話す。
 
 「あたしだって、ホントは嫌だよ! 逃げたいよ! 里美さんだって、きっとそうだと思う・・・でも、誰かがなんとかしないと! 皆の笑顔を守りたいし、少なくても大切な仲間がいるから、ガンバレるんだよ! 夕子にだって、守りたい人がいるでしょ?!」
 
 純粋な少女は、正直な気持ちを包み隠さずに伝えた。
 対して、冷酷と噂される少女の反応は、あまりに冷ややかだった。
 
 「七菜江は・・・いいわね、単純で。そんな恥ずかしい台詞が、よく言えるわね」
 
 「恥ずかしくなんか・・・ない!」
 
 「私にはいないわ。守りたい人なんて」
 
 思わず七菜江が言葉に詰まる。
 それほど夕子の口調は、冷淡だった。悲しいまでに。
 
 「嘘だ、そんなの」
 
 「本当よ。いかにも幸せに生きてきましたって顔してるあんたには、わからないだろうけど」
 
 「だって、お母さんとか、お父さんとか・・・」
 
 くっきりとした二重の瞳が鋭くなる。銀色の首輪が光ったように見えたのは、気のせいか。
 
 「最低よ!! あんな男ッ!!」
 
 烈火のごとき咆哮に、類まれな運動神経を誇る少女の足は、一歩後退していた。ピクリと丸い肩が跳ね上がる。わけもわからないまま、それでも己の言葉が相手を傷つけたことを悟り、七菜江は眉を曇らせて謝る。
 
 「ご、ごめん。なんか悪いこと、言っちゃったみたい・・・」
 
 冷静に考えれば、七菜江は別段悪意のある台詞を吐いたわけではない。にもかかわらず、聖戦士の正体である少女は、夕子を傷つけたことを、心底から詫びていた。
 自分と同じくらいの身長の少女が、夕子にはやけに小さく見えた。多分、悪いのはこちらなのに・・・急に怒鳴った己の矮小さを思い知らされるようで、夕子は途端に恥ずかしくなる。
 
 「いえ、悪いのは私の方ね、ごめんなさい・・・。あんたが純粋な人だってことは、よくわかったわ。ちょっと私が大人げなかったみたい。でも、これだけは言わせて。私には、他人を心配してる余裕なんてないの」
 
 クールに澄んでいた夕子の視線に、心なしか、温かみが灯ったように思われた。直情的な七菜江だが、本心が汚れていないだけに、対する者の心を洗う。少し距離があったふたりの美少女の間に、わずかな交流が通い始める。
 しかし、それでも夕子は、冷たい反応を送り続ける。いや、そうすることしかできなかった。彼女の置かれた状況が、希望的な観測を許さなかった。
 
 「七菜江が皆のために闘ってるのは、素直に凄いと思う。でも、あなたもわかってる通り、人間たちは、“異能な”存在を許しはしないわよ。ファントムガールがもてはやされるのは、侵略者を倒している時だけ。そんな報われない闘いの辛さを、七菜江は本当にわかっているの?」
 
 「報われないのは、わかってる。でもさ、誉められたくて闘うわけじゃないもん」
 
 「そう言えるのは、失ったものがないからよ」
 
 赤いラインが入った青のカラーが、蒸し暑さの中で鮮やかに映える。夕子の言葉は、冷淡というより、毅然として聞こえた。彼女がそう言いきれるだけの根拠が、口調に力を与えている。
 
 「・・・里美から、私の秘密を聞いてる?」
 
 柔らかなショートカットを、横に揺らす七菜江。
 
 「そう・・・・・・私はね・・・普通の人間ではないわ。いろんなものを失った。いくらファントムガールといっても、今のあんたは普通の女のコじゃない。『報われない』意味が、わかるわけないわ。私のように“失った”者じゃなきゃ、『報われない』辛さがわかるわけがない!」
 
 太陽のような少女が押し黙る。夕子の言う重みが、前向きに闘ってきた純粋な少女を圧倒しているように見えた。
 だが、そうではなかった。
 七菜江は、己の、ファントムガールの決定的な秘密を、仲間になって欲しい少女に告白する決心を、必死でつけていたのだ。
 
 「・・・わかる、よ・・・」
 
 「いいえ、わからない。大事なものを失ってない、あんたたちでは・・・」
 
 「失ってるよ、大事なもの・・・」
 
 心を定めた少女の行動は、あまりに意外なものだった。
 俯いていた七菜江が、突如として、折り目がきれいに刻まれたスカートをずり降ろす。薄いグリーンのショーツが、夜目にも鮮やかに浮かび上がる。
 
 「ちょッ!! ・・・な、なにやってんのッ?!!」
 
 慌てる夕子の、やや鼻にかかった声を無視し、勢い良く、下半身を守る最後の一枚をも、脱ぎ捨てる七菜江。
 
 「うッッ!!」
 
 白い喉の奥で、夕子の驚愕がくぐもる。
 夏の夜、下半身を曝け出した美少女。そんなエロティックな情景を吹き飛ばす衝撃が、冷静な少女を激しく揺さぶる。
 
 「見える、でしょ・・・あたしの中の、『エデン』が・・・」
 
 羞恥と振り絞った勇気で、真っ赤に染まった少女の股間。やや股を広げたその中央部、淡い密林の奥の、秘密の洞窟。
 そこから・・・光が漏れている。
 うねうねと蠢く白い光が、七菜江の膣の中で、胎動している。
 
 「うぅぅッッ!! ・・・・・こ、これはッ!! ・・・・・」
 
 「『エデン』はね、あたしたちの、子宮の中に巣食うのよ・・・」
 
 宇宙寄生体『エデン』、それは女性と融合する場合、子宮の奥深く、卵子と合体を果たすのだ。
 ファントムガールの下腹部に輝くクリスタル、それは『エデン』と融合した卵子が実体化して現れたものである。胸の中央のものは、エナジークリスタルとして、聖戦士のエネルギー貯蓄庫としての役割を果たすが、下のものは、ファントムガールの体組織そのものを司る、重要な役目を持っていた。加えて、当然のように、そこは性的攻撃にも過敏に反応する、弱点でもある。
 
 クリスタルというものは、正のエネルギーに満ちた変態形、つまりファントムガールにしか現れない特徴だから、ミュータントには存在しない。よって、メフェレスは、どうやらまだこの弱点に、気付いていないようだった。クリスタルが正義側にしかついてないのは、不公平にも感じるが、その分、ファントムガールの生命力がミュータントより大幅に高く設定されているらしいことは、今までの激闘からわかる。
 弱点があるだけ、通常の耐久力は、ファントムガールの方が、上なのだ。
 
 しかし、裏を返せば、弱点であるクリスタルを責められれば、実に脆い存在になる、ということでもある。よって、正と負、どちらの戦士が有利か不利かは、一概には言いにくい。
 今、言えることは、己の弱点を晒す七菜江が、いかに夕子のことを信頼しているか、ということだけだ。
 そして、もうひとつ。
 
 「・・・『エデン』は完全にあたしの卵子と合体しちゃってるから・・・もう人間の卵子じゃないの」
 
 「う、嘘・・・・・・・嘘・・・・・・・それって・・・・・・・・・」
 
 「あたしはもう、人間じゃない。それだけじゃない。赤ちゃんも、一生産めない身体なの」
 
 漆黒の隕石が、夕子の脳天を打ち砕く。
 血液が濁流となって暴れ、全身が爆ぜた音がした。
 夕子は自分が立っていることがわからなくなった。天と地が入れ替わる。フェードアウトしていく視界の中で、ショーツとスカートを素早く履く七菜江がいる。顔を赤らめてる以外、普段と変わらぬ様子で少女はいる。
 
 泣けた。
 泣けてきた。
 衝撃的な告白をして、尚且つそれを克服しようとしている小さな同級生の、強い心が、氷に閉ざされかけた夕子の胸に響いてくる。
 未来永劫、自分の遺伝子すらも、人間に戻ることを否定された少女。
 そのあまりの悲しみ、切なさ、絶望、無情感を乗り越え、いつか自分を敵として見なす可能性のある人類のために、命を賭けて闘うというのか。
 それだけの覚悟を、すでにしているというのか、この藤木七菜江という少女は。
 いや、七菜江だけではない。里美も、ファントムガール・ユリアの正体である少女も同じ。
 だとするならば。
 なんと、強く、哀しく、美しい存在なのだ、ファントムガール。
 
 「あたし、今、好きなひとがいるんだ」
 
 頬を紅潮させたまま、七菜江は話す。
 
 「そのひとと、結ばれることができないのはわかってる。でもね、だからこそ、今を一生懸命生きていきたい。めいっぱい、遊んで、恋して、ハンドやって、ちょっと勉強もして。そういう時間を大事にしたいし、皆にも、大事にしてもらいたいから、闘う。あたし、闘うって決めたんだ」
 
 ボロボロと零れる瞳の泉を、止める術が夕子にはなかった。
 私と同じ、いや、もっと辛い境遇にありながら、七菜江は前向きに生きようとしている。『報われない』闘いに、命を張っている。
 一方、私は運命から逃げようとし、周囲を一方的に遠ざけ、勝手に孤独に陥っていた。己の悲運を恨み、呪っていた。自分のことだけ考え、自分のための研究に没頭し、それでいいのだなどと、自分を正当化していた。
 
 恥ずかしい。
 いや、そんな小さな気持ちでは済まない。
 負けた。
 完全に、負けた。
 
 ボタボタと地面を濡らす涙を、ふたりの美少女は無言で眺めていた。
 その涙が、夕子の心が氷解していく雫だと、信じているかのように。
 なにも言葉はない。ただ、夏の虫だけが、喧騒を奏でている。それなのに、ふたりはわかっていた。季節のせいではない、熱い上気が、互いの隙間を埋めるのを。
 ピンク色の唇を、夕子が開きかける。何か、言葉を発しようとした、その時。
 
 「おやおや、いけないなぁ。夜間侵入禁止だというのに、守れないメスネズミが2匹、いるようだ」
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