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◆一年生◆

*36* 年内最終イベント、聖星祭閉幕!〈3〉

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 会場内に流れていた曲調が、それまでのややテンポの早い曲からゆったりとしたものに変わった。そのことにホッとした私は、ラシードにしがみついていた手の力を緩める。

 しかしそれが良くなかった。私の手の力が緩んだのとほぼ同時に、頭上で何やら話を勝手に纏めたラシードによって了承もしない間にターンをさせられた私と、推しメンによってターンさせられたヒロインちゃんが交差する。

 その一瞬、ヒロインちゃんが「ありがとう」と口にしたけれど、あっという間にラシードの腕の中に収まってしまったヒロインちゃんのその言葉が、さっき助けたことへのお礼なのか、ちょっと良いなと思っているラシードとのダンス役を代わったことへのお礼なのかは分からなかった。

 ――けれどその一瞬だけでも一つだけはっきりしたことがある。

 せっかくラシードに手がけてもらったこの姿も(自分では見ていないけど)天然物の美人さんの前ではただの養殖物でしかないという残酷な現実だ。すれ違い様に見た胸元の自然な盛り上がり方だとか、腰の細さとか、肌のキメ細かさだとか、睫毛の長さだとか……挙げたらキリがない感じのものがね。

 プロの手にかかって少しは自信を持ちかけていただけに、現実が容赦なく突き刺さるぞ? 化粧を落としたら背景と一体化しそうなただのモブと、落としても背景から浮く美少女の違いはキツい。髪の毛にしたって地毛ではない私は、この魔法が解けた後の見窄らしさは半端ではないだろう。

 両親の“ルシアは可愛い!”は十割が身内の欲目。嬉しくて全力でその言葉を頂戴してしまったから、見目を磨く向上心を殺したのだろうか。だって領民の皆ですら“ルシア様はそのままで良いんですよ”と甘やかしてくれるから仕方がないのだ。

 ……でもごめん皆、私達の美醜の判断基準は悲しいかな田舎のそれであったようです。都会の美醜の判断基準は別次元。試しにこのホールで踊っている人達の迫力を見せてやりたい。

 私だってラシードにこの化粧まほうをかけてもらっていなかったら、こんな場所で踊る度胸なんて到底持てなかったに違いない。そもそも大勢の人が集まって一斉に踊るだなんて、領地の収穫祭以外では初めての経験だしなぁ。

 もう故郷に帰って結婚相手が見つからなかったら、よそに遠征してお見合いに挑む前にラシードに頼んでこの魔法をかけてもらおうかな……などと小狡いことを考えてしまった。

 ただしそんな希望の光に見える人物も、今は勝手に人を切り離して良い笑顔を浮かべながら離れていく鬼畜である。

 視線で“まだ心の準備が出来てなかったんですけど!?”と訴える私に向かい、その色気のある唇が“ガンバ”と動いてオマケに投げキッスをもらってしまった。あのオネエさんめ、顔が整ってるからってそれで済ませようとするなよ!

 しかし「よそ見をするな。それとも……まだラシードと踊り足りなかったのか?」とほんの少し高い位置だけれど、ヒールのお陰でいつもよりほんの少しだけ近い位置からスティルマン君の声がして驚く。

 いきなり至近距離で囁かないで下さいませんかね? びっくりして爪先を踏んづけちゃうところじゃないか――って、すでに結構踏まれた跡があるのは何故。もしかして私が知らない間に踏んでいたのか?

 混乱気味な私の視線に気付いたのか、スティルマン君は事も無げに「安心しろ。それはティンバース嬢の仕業だ」と告げた。そんな馬鹿な。思わずラシードのリードで優雅なステップを踏むヒロインちゃんを振り返る。

 その足捌きに不安な要素は微塵も感じられないことから、これは推しメンなりの気遣いだと受け取ったぞ。ようやくヘイトを稼がないでも人のことを気遣えるようになったんだね! 凄いよ、立派になったなぁ。

 ――と、感激したのも束の間で、推しメンは私の輪郭をなぞるように見つめてから「髪色のせいだとは思うが……しばらく星詠みの最中に飲むものは無糖にしておいた方が良いぞ」という、最大級の余計な一言を吐いた。

 つまり“いつもの地味で濃い髪色だと気付かなかったけれど、明るい膨張色になったことで太ったように見える”と、そう言いたいのですね? 

 成程、成程。ううん……次の瞬間にはその評価を叩き落としてくれる君が好きだよ。もう本当にあんまり大好きだから、爪先で弁慶の泣き所でも蹴りつけてやりたくなったけれど我慢だ。

 それにしても――広いホールで行われるダンスというのは、基本的に中心の目立つ場所で踊るのが上級者で、端の外側に当たる場所で踊るのは下手な人間なんだけれど……さっきまで割と中心部でヒロインちゃんと踊っていた推しメンは、私のせいでかなり外側にまで出てきてしまった。

 ヒロインちゃんはゲーム補正なのか、はたまた元々飲み込みが早いだけなのか、上級者のラシードのリードに乗って悠々と中心部へと滑り込んで行く。見目の麗しい二人に気付いた他の生徒達がさり気なく道を開けていく様は、まさに乙女ゲーム。ははぁ……あの主役格だけが映っているスチルはこうして出来ていたわけか。

 そうなるとせっかくさっきまで純粋に実力で中心部にいた推しメンは、私のせいでかなり不名誉な場所まで弾き出されてしまったのでは? そう考えると申し訳ないやら、恥ずかしいやらで視線が自分の爪先を追いかけて下がってしまう。

 こうなってくると、私に出来ることなんて精々推しメンの爪先を踏まないことくらいだもんね。しかしそう懸命に爪先を追っていた私のすぐ傍で、推しメンがフッと笑う気配がした。思わず下げていた視線を上げれば、そこには困った風に微笑むスティルマン君。

 ――あ、無理です。私の推しメンがどうしようもなく尊い。

 さっきは急いでいたからチラリとしか見ていなかったけど、夜会服姿が格好良すぎる。それをさらにこんな至近距離でボーナススチルをばらまかれましても……殺す気だとしか思えませんが? 

 それに萌え死にしそうになりながらも欲望とは正直なもので、私は推しメンから目が離せない。自分の業の深さに若干引きつつも、ここは気を確かに持って毅然としなければ。

 何だか鼻の粘膜がジンジンしてきたけど……こんなロマンチックなスチルを見ているのに鼻血を出すのだけは勘弁だ。何とか心を落ち着けようと唇の端を噛み締めながら俯いたのに――。

「おい、顎を下げると背筋が丸くなるから、顔を上げないか。あと身体を離しすぎだ。もう少しこちらに……そう、そのくらいだな」

 そう言った推しメンは注意すると共に、ご無体にもグッと私の腰を引き寄せる。腰に添えられた推しメンの手の体温が、コルセット越しに感じられる気がしてこそばゆい。拳三つ分の距離を一つ分にまで縮められて狼狽える私とは対照的に、スティルマン君は涼しい顔だ。

 まるで初心者向けのダンスレッスンを受けている気分になりながらも、心の中は雑念で一杯で。ただただリードされるまま忠実にステップとターンを繰り返す。ラシードは身長が釣り合わなかったものの、リードはとても上手だった。

 しかしなかなかどうして、スティルマン君も意外なほどリードが上手くて、私はそれに頼りきりになる。私が今世での走馬燈にはこの瞬間を採用しようと堅く心に誓っていると、不意に顔を近付けてきた推しメンが「この格好に着けるなら、もっとちゃんとしたチェーンの物を渡せば良かったな」と苦笑した。

 その視線を辿ってみれば、鎖骨の辺りから覗く星火石の首飾りのチェーンがある。確かに今夜の装いには多少質感が合わないけれど、全然平気だ。

「こういうのは着けてる人間が気に入ってれば、どんな場面で用いたって良いんだよ。だからこれは今夜の格好にぴったりなの」

「そういうものか?」

「そういうものだよ」

 そんな会話を交わしながらダンスの輪の一番外側をゆるりと一周する間に、曲がだんだん終わりに近付いてくる。

 名残惜しい気分になりながらも“この曲が終わればそろそろ仕事に戻らないといけないな”と考えている内に、曲調が代わってしまった。

「ああ……私の踊れそうな曲も終わっちゃったから、仕事に戻るね。その前にこの衣装とお化粧を落としてもらうのに、ちょっと中心まで行ってラシードを呼びに行ってくるよ。たぶんティンバースさんも一緒だと思うから、そうしたらスティルマン君はまた彼女と踊ってあげてね」

 上機嫌なせいで締まりのない笑みを浮かべている自覚は充分にあったので、照れくさくてその腕の中から早く逃れようともがく。

 ――けれど――。

「いいや? それは駄目だ。忘れていたんだが、さっきティンバース嬢から面白い話を聞いたんだ。ルシアも関わっていたそうじゃないか。だからその話を詳しく聞かせてもらうまで自由にしてはやれないな」

 そう言ってかなり不穏な笑みを浮かべた推しメンに、離れようとしていた身体をがっちりとホールドされたまま、もう一周目のダンスに強制的に誘われる。そのゲーム画面で見たことのある仄黒い微笑みに背筋がゾクリと粟立つ感覚。

 思わずこの学園に入学して以来初めて見るその黒い微笑みに、懐かしさすら感じてキュンときてしまった自分を殴りたい。

 ゲームの進行上この顔をさせたら駄目なんだってば! もう“この顔見たら”的な標語がついてしまうやつだから! 

 だが頭の中では“尊い!”がゲシュタルト崩壊を起こしながらスチル保存をしているのが分かる。推しメンよ、どうしようもない私を許せ……。

 リードについて行くだけで精一杯の私を、推しメンは無謀な行動をとったことを叱りつけながらも優しくターンさせてくれる。その後も二曲ほど付き合ってくれた推しメンは何も言わなかったけれど、別れる間際にその爪先を見てみたらもの凄く凹んでいた。

 だというのに踊っている最中に眉間に皺の一つも寄せない忍耐力。

 ああ、くそう……やっぱり男前だわ、私の推しメンは。

 結局かなり楽しんでから戻ったのに、誰も私が抜け出していたことに気付いていなかったのには肩透かしをくらったけれど、結果的に地味な見た目に救われた……のかな?

 そして聖星祭の後片付けを終えても、私の使用していた銀色のトレイは発見されなかったのだけれど、どういうわけだかそのことによるお叱りは受けなかった。

 ――――その理由を知ったのは、翌日。

 見知らぬ……いや、どこかで見た記憶のある、凄まじく迫力のある女子生徒に廊下で呼び止められてのことだった。
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