オールジャンルなエッセイ?いいえ、独り言です
なんでも書きます。書きたい事を書きたい時に。暇人の落書き帳。毒舌なる事もあります。
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それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
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作家 蔵屋日唱
私は、アルファポリスで執筆する前は『 星のドラゴンクエスト』と
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最近は、『アルファポリス』『カクヨム』の執筆と読む ことと リアルの仕事が忙しいので 遊んでいないですね。
『 星ドラ』もアンインストールをしていないので、まだ私のキャラは居るハズです。
また、いつか気晴らしにプレイするかも知れないですね。
感想ありがとうございます!
るしあん様はお仕事がとても忙しそうで、アルファポリスもしているとゲームする時間は取れなさそうですね…
せっかくプレイしてたなら、容量に余裕がある限りは消さない方がいいですよ!また気晴らしできる時間が確保できますように願っています!
あまり気にしない方が良いですよ
丸パクりなら問題ですが………
後、二字作は アルファポリスは 駄目ですが→→『 ハーメルン』は、二字作は 多いですよ
例えば 音楽なら 既に 『メロディ・ライン 』は 全て世に出ていると言われています、なので 最近な曲は 厳密には 『完全オリジナル』とは言え無いそうです
大切なのは 自分の中で消化して 自分の言葉に直して物語を作る事では 無いでしょうか
私の創る物語も 過去に読んだ 小説、漫画、アニメ、ゲーム などに影響されて書いているので 『 あっ、 ここの部分は あの作品に 似ている 』と 言われても 仕方ない所があります
例えば 作者様の『 ハル君 』に 似た作品が 過去にありますが おそらく作者様は 知らないでしょう
その作品の ロボットは 最後には 人間に成るのですが それさえも 『 ピノキオ 』に影響されていると思われます
なので 極端な話、一門一句丸パクり だと アルファポリスさん なら 『 バン 』されて アカウント停止 も ありますが
アマ、プロ 含めて どうしても 過去の物語に影響されていますが そこから 自分のオリジナルカラーを 出す努力をするのが ベストだと思います
※ 『 ハル君 』に似た作品は あえて ここには書きませんが どうしても気に成るなら 『感想の返事 』に書いて下さい……… 又、お答えします
ありがとうございます。
人間なら誰しもが影響を少なからず受けるものですよね。線引きは難しいものですが仕方ないものですよね。
ハル君と似た作品もあるのですね!それは全く知らなかったです。やはり、色々な作者が作品を生み出す中で、世界観や設定が重なる事もあるのですね。
作品名は…知らないままにしておきます…
ダブルハンド使い 凄いですね
私は タッチペンを ポチポチと 使ってます
ファンタジー大賞に 間に合わせる為
無い頭を絞って ポチポチと 書いては 見直すを 繰り返す感じです
指で やると 結構 押し間違いが多いので
やっぱり 指が太いのと 目が悪いせいかなぁ
タッチペンも良さそうですね。確実にタップできそうなので間違いなさそうです。
ファンタジー大賞、最低限のノルマだけでも厳しいものですね。甘く考えてました。
いえいえ、端末によって、タッチ感度が変わるので、もしかしたらセンサーの問題かもしれませんよ。
『 ムー』という雑誌を読み 夢想したことを 思い出しました
ムー大陸 とか アトランティス やレムリア大陸 など 夢とロマンに 溢れてましたね
色々と夢が溢れていたのは、科学調査がまだだっただけではなく、年齢的なものもあったかもしれませんね!
似たようなことでは『雪』が
そうですね
子供の頃は 雪が降ると
『つもれぇー つもれぇー 』
と 祈った物ですが 今、大人になって
『 つもるなぁー 頼むから つもるなぁ 』
などと 祈っています
交通網も そうですが 馴れない雪かきは 腰にくるので 勘弁してほしいですね
子供の視点 と 大人の視点が
こんなにも違うことに 改めて考えさせられます
更新 ありがとうございました
確かに雪もそうですね。
大人になると現実が見えてくるものですよね。
こちらこそ、読んでいただき感想までありがとうございました。
羽根のある扇風機 見かけなくなりましたね
私も 写真の猫(さくら)が 子猫の時
扇風機に 手を 出そうとしたので 急いで
かたずけた記憶が あります
それ以来 扇風機をださず いつしか処分して しまったので それ以来 電気屋さん
でしか 見なくなりました
作者様の エッセイ を 見て 自分も書きたくなりましたが 現在 四つの物語を 書いて
いるので 迷ってしまいます
次の更新を 楽しみにお待ちします
送風機の方が流行っていますよね。
猫ちゃんが無事で何よりでした。
エッセイを書く事は気分転換にもなるし良いかもしれませんよ。
書く事になれば、また読ませていただきますね。楽しみにしております。