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第一章 辺境伯領

春の嵐2

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「ナガセ大丈夫?」

 ふわふわでキラキラのエーリクが、エメラルドの瞳を心配そうに震わせて私を覗き込んだ。ああ、眼福。
 レオニダスは昨日から防壁の向こうの森に「とうばつ」に行っているらしく、まだ帰っていない。いたら、エーリクと二人で凄く心配しただろうな。

「ごはん、ごめんなさい」

 ベッドの上で丸くなっていた私は一緒に朝食を取れなかった事を謝る。

「謝らないで、ナガセはずっと頑張ってきたから疲れちゃったんだよ」

 そう言って、優しく私の頭を撫でてくれる。その手つきに泣きそうになった。

「今日は鍛錬もオーウェンさんのお店も休んでゆっくりして」
「はい。いってらっしゃい」

 そう言うと、エーリクは名残惜しそうな顔をしていつもの鍛錬に出掛けていった。


 すっかり油断していたのだけど、来てしまったのだ。
 月のものが。この世界に来てからは一度もなかった。一度もない事にすら気が付かなかった。
 そのくらい、私の神経、心と身体が毎日緊張していたんだと思う。
 ピアノに出会えて、仕事を与えられて、ここでの私の日常を得ることが出来て、ついに身体が正常に動き出した。
 だけど久しぶりに来たそれは、物凄い威力で。
 痛くて痛くて吐きそうで痛くて、呻き声が漏れてしまう。
 ただの腹痛だと言って薬だけもらったけれど、効かない。でも飲まないよりマシ? 誤魔化して飲んで、あとはひたすら寝て、この嵐が過ぎ去るのを待つだけ。
 けれど問題は、生理用品がないということだ。
 あるのかも知れないけど手に入れられない。なんて言えばいいのかも分からない。
 そもそも男の子だと思われていて、今更どう切り出せばいいんだろう。アンナさんに言おうかと思ったけれど、そうしたらきっとレオニダスにも伝わる。
 レオニダスにはいつか、自分からちゃんと言いたい。だから、こんな形で伝わるのは嫌だと思った。


 いつの間にか寝てしまったらしく、ふと目を開けるとカーテンを閉めていてもおひさまの位置が高いことが分かる。
 ノロノロと頭を動かすと、横向きで寝ている私のお腹に寄り添うようにウルがピッタリとくっついていて、ウルの熱が私から痛みを取り除いてくれているようだった。
 身体は大分楽になった。ゆっくり身体を起こす。

 エーリクが帰ってくる前に街に行かなければ。
 生理用品は買えなくても、代わりになるものを探そう。今後のために薬も探したい。
 以前エーリクと街を歩いた時に色んなお店を教えてもらった。その中に薬屋さんと布を取り扱うお店もあった。そこに行ってなんとか使えそうなものを買おう。

「ウル、るすばん」

 上着を着て、ニット帽を目深に被りウルの頭を撫でる。
 ウルは不安げにうろうろと私の周りを彷徨いて一緒に来ようとするけれど、今日はダメだ。ウルを連れていたら私だとすぐにバレてしまうから。それじゃなくても私の容姿は目立つから。だから少しでも、私と分かりにくくしたい。
 お店ではカタコトの話し方ですぐバレるかもしれないけど、人混みに紛れて歩いているだけならその他大勢になる。

「だいちょうぶ」

 ウルは不安な顔をして見上げてくる。そんな顔されると罪悪感が湧いてくるけど、今日はダメだよ。
 もう一度ウルを撫でて、私はそっと邸を出た。


 邸から街へは歩くと三十分くらいかかる。
 邸の裏口からそっと出て砦へ行く方向とは逆に歩き出す。やっと敷地から出ると街までは長閑な景色が続く。雪も大分溶けて舗装された道を歩くことができる。
 体調が悪くなければのんびり景色を楽しむんだけど、今はそれどころではない。波のように痛みが寄せては引いて行く。
 重たい足を引き摺ってとにかく前に進むことだけ考えていたら、ふと、視界に見慣れない隊服の集団が見えた。

 「おうと」から来たナントカの騎士とか言ってた、以前レオニダスが稽古をつけていた人達だ。歳は十五、六歳だろうか。皆んな身体は大きいけど、顔立ちはまだなんとなく幼さが残る。
 こんな所で何をしているのだろうと顔を向けると、タバコを吸って瓶を回し飲みしていた。

 え! タバコ!? オーウェンさんのお店で吸ってる人達は見たことあるけど、しかもアレお酒!? 未成年なのに!! 日本の不良みたいな事!?

 なんだか凄くマズいものを見てしまった気がして立ち止まり戻ろうかと躊躇していたら、五人くらいのグループのうちの一人がこちらを見た。
 あ、と思ったけど遅くて。あっという間に囲まれてしまった。

 ああ、あの時鍛錬場で見た、目つきの悪い子たちだ。



 * * *



 俺は、王都で騎士になるため必死に勉強し鍛錬をして見習い騎士になることができた。

 伯爵家の三男である俺はどうせ家督も継げず、己の力で生きていかなければならない。
 次兄のように商才がある訳でもない俺が出来ることと言えば、持ち前の体格と腕力のギフトを活かし騎士になること。
 だから俺は、俺の実力で騎士になるのだ。力の強さでは俺の右に出るものはいない。
 実際、見習い騎士になる為に鍛錬を共にした歳上の騎士たちにも負けなかった。
 見習い騎士になった後、更に実地で王都の警備や騎士団で訓練を行いながら正式な騎士を目指す。人より優れた成績を残せる自分は、その道も最短になるだろう。
 俺の実力なら将来は部下を多く抱える隊長、騎士団長になる事も夢ではない。
 実際、俺の周りでは皆がそう言っていた。

 ところがどうだ。
 優秀な人材を育成すると言う名目でこんな辺境に送られた。半年もここで鍛錬をすると言う。辺境である理由はなんだ? 騎士団で訓練した方が絶対に身になるのに。
 辺境にいる王国軍は魔物を相手に手段を選ばない、野蛮な奴等の集まりだ。平民までいる。

 なぜ平民なんかと同じ訓練を受けなければならない?
 なぜ平民なんかと同じ場所で同じ飯を食う必要がある?

 俺たちの様な王都を守る騎士がいるからこそ、こいつらは呑気に防壁を守るだけで済んでいると言うのに。

 だが、一番気に食わないのはこの王国軍を率いるバルテンシュタッド辺境伯、ザイラスブルク公だ。
 陛下の甥でありながらこんな田舎で野蛮な奴らを取り纏め、国政にも加わらずこんな田舎にいることを許されているなど。尊い血が流れているにも関わらず、野蛮な奴らと言葉を交わすなど。ザイラスブルク公自身の振る舞いが王族を貶めているというのに。

 鍛錬が始まり暫くして、公が自ら手合わせをしてくれると言う。こんな田舎で呑気に暮らす男など足元にも及ばないだろう、そう思い俺は自ら手合わせを願い出た。

 しかし結果は散々だった。
 剣を当てる事ができない。剣を合わせても軽々と跳ね返され、俺のギフトが全く通じない。
 向かっても向かっても全て躱され、決して攻撃をしてこようとせず俺が立ち向かうのを待っている。

 こんな屈辱は初めてだった。

 次の日から、何故か俺ばかりが名前を呼ばれ皆の前で打ちのめされる。ザイラスブルク公だけではなく、他の奴にも敵わない。
 一緒に来ている見習い騎士たちも、常に一番だった俺の負け続ける姿を目の当たりにして王国軍への畏怖の念を抱いている様だった。

 許さない、許さない。こんな筈がない。

 俺は騎士になるんだ。
 こんな所で土をつけている場合じゃない。早く王都へ戻り、騎士団の上に立つ人間になるのだ。

 不満を抱えやり場のない怒りを発散できずにいた俺の元に、同じく辺境に送られて不満を抱いていた仲間が、タバコと酒を調達してきた。
 平民と同じ飯ばかりで辟易していた俺たちは、やっと自分を取り戻した心地がした。葉巻じゃないのが残念だったが。


 それをアイツが、猫の様なあの黒い目で見ていた。


 ザイラスブルク公が可愛がっていた、あの穢らわしい黒の平民が。


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