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3章 宝剣の重み

1.光乾殿に通う鬼霊(1)

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 秋芳しゅうほうきゅうでの一件は悲しい終わり方を迎えた。ようの遺体が見つかり、秋芳宮宮女長の常識の枠を越えた惨い死はしばらくの間後宮を騒然とさせた。秋芳宮は空き宮となることが決まり、勤めていた宮女たちのうち事件に関与したものの処罰、それ以外の者は里に帰ることが決まった。

 紅妍こうけんが住まう冬花とうかきゅうに凪いだ日がくるかと思いきや、嵐はやってくる。その日は朝から騒がしかった。
 藍玉らんぎょくが紅妍の身支度を手伝いながら、逝去したしん皇后の姪が華妃に挨拶しにやってくると話していた。その語り途中、藍玉が珍しく険しい顔をしていた理由は、来客を迎えた後に判明した。

しん琳琳りんりんと申します。華妃様の噂はよく聞いておりますの」

 やってきたのはからりとした女人だった。皇后を輩出した名門、辛家の令嬢に相応しく、妃に負けじと美しい身なりをしている。胸部が目立つように帯を締め、露出した首や胸元を目立たせるように半臂はんぴを纏っている。顔つきも愛らしく、えい貴妃きひけんとは異なるみずみずしさを持っていた。琳琳はその瞳をきらきらと輝かせながら紅妍に訊く。

「華妃様って不思議な術を使うんでしょう? 何でも楊妃の鬼霊を祓ったとか」
「え、ええ……」
「いやだわあ。なんだか不気味。ねえ本当に華妃様が祓ったの? 本当は他の人が祓ったのではなくて?」

 声は大きく、表情はころころと変わる。無邪気といえばそれまでだが、図々しいとも言える。こういった娘の扱いは苦手である。紅妍の表情は知らぬうちに強ばっていた。
 紅妍に訊いておきながら返答を待たずに次々と琳琳は語る。どうやら鬼霊を祓った紅妍のことを気味悪がっているようだ。冬花宮に来ておきながら本人を前にして率直に心境を語る図太い精神があるらしい。

「わたし、真相を確かめたくて参りましたの」

 琳琳が言う。にたりと嫌な笑みを浮かべていた。

「だってその場に秀礼様がいたのでしょう。秀礼様ならば宝剣を扱えるから鬼霊を祓うことだってできるのに。本当は華妃様ではなく、秀礼様が祓ったのではなくて?」
「それは違う」

 紅妍はすぐに答えた。しかし琳琳は訝しむ様子を崩さない。

「わたし聞いたのよ。秀礼様はあなたの手を取っていた、って。帝の妃であるあなたに触れるなんて一体どうして。おかしな話でしょう、だってわたしがいるのに。だから考えたの、きっとあなたの手に触れたんじゃなくて、あなたの功績にするため近くにいただけじゃないかって」

 次々と語る琳琳に絶句した紅妍は、助けを求めるように部屋の隅へと視線を送る。そこには藍玉が控えていたが、助け船は出せないと告げるように曖昧な笑みを浮かべていた。

「楊妃の鬼霊を祓ったのは間違いなくわたしです」
「あら。本当に? でもあなたの痩身では鬼霊祓いというよりも鬼霊そのものみたいよ。もしかして光乾こうけん殿でんの鬼霊って華妃様のことかしら。あなたが出入りしていればみんな鬼霊と間違えてしまいそうだもの」

 紅妍はついに額を押さえた。どれだけ説明しても琳琳は聞き入れようとしない。それどころか勝手な想像で話を進めていく。

(頭が痛い。これは苦手だ)

 おそらく琳琳は、紅妍が鬼霊を祓ったということを認めたくないのだろう。どれだけ語ろうともわかり合えない人がいることは仕方がない。小さくため息をついた後、紅妍は話題をずらすことに専念する。

「あなたはわたしよりも宮城のことに詳しいようで」
「ええ。どこの家からきたのかもわからない怪しい華妃様よりは詳しいと思いますわ」
「ならば光乾殿の鬼霊についても知っているのでしょうか。わたしはあまり詳しく知らないのです」

 秀礼から頼まれた件もある。光乾殿についての情報は得ておきたかった。うまく乗せて聞き出すのが得策だろうと考えたのである。琳琳は「華妃様はそんなこともしらないのね」と嫌味を混ぜながらも紅妍の思惑通りに口を開いた。

「光乾殿には毎夜鬼霊が出るそうよ。帝の寝所に入っていくそうなの。百合の香りを纏う女の鬼霊だそうよ」

 相づちを打ちながら紅妍は考える。やはり光乾殿に鬼霊がいるのだ。呪詛と鬼霊の二つが帝を苦しめているという仮説は当たっているのかもしれない。
 女人の鬼霊が出るから痩身の華妃だと考えた琳琳の短慮には唖然としてしまうが、良い情報を得た。次に光乾殿に向かった時は鬼霊の気配を探ってみても良いだろう。

「ねえ、華妃様」

 物思いに耽っていた紅妍は、琳琳の声で我に返る。顔をあげると、愛らしい顔つきは急に冷えて、紅妍を鋭く睨めつけていた。

「聞いていらっしゃると思いますが、わたし、秀礼様の妃になる予定なの。いずれ秀礼様は宝座につくお方。わたしは彼を支えて生きていく覚悟があるわ。彼に相応しい自信もある」

 なぜここで秀礼の名前が出る。理解できず、ぽかんと口を開けて琳琳の話を聞くしかなかった。

「その秀礼様が冬花宮に通っていることも聞いているわ。秋芳宮へ共に向かったことも。そしてあなたを華妃に推したのが秀礼様。いつもあなたに絡んでいるの――正直に申し上げて、わたし、華妃様がきらいよ」

 わざわざ冬花宮にやってきた理由は華妃を品定めするためであって、嫌味を混ぜた会話は遠回しに華妃を傷つけようとしていたのだろう。

(このいやなやり口は、はくじょうを思い出す)

 白嬢とは、華仙の里で育った紅妍の姉である。相手を傷つけているとわかっていて嫌味を告げるのは白嬢がしていたものと似ている。顔を合わせるたびに華仙術は嫌いだの、花痣持ちが疎ましいだのと話していた。あれは不満を紅妍にぶつけていたのだろう。となればこの琳琳も、何かしらの不満を紅妍にぶつけているのかもしれない。


 まともに相手をするのも面倒になってきた頃に琳琳は去っていった。見送った後、藍玉が戻ってきて紅妍を労う。

「お疲れ様です。琳琳様はどうでした?」
「あれは厄介かもしれない。鬼霊の方がまだいい」

 琳琳と鬼霊を並べて話すと考えていなかったのだろう。藍玉は苦笑していた。

「嫉妬に駆られているんでしょうね。琳琳様は秀礼様を追いかけているので」
「いずれ妃になると言っていたけれど」
「ええ。琳琳様は秀礼様の許嫁ですよ。辛皇后が生きていた頃に話をまとめたとか――といっても秀礼様は乗り気ではないようですからまだ先のことでしょうね」

 となれば琳琳が一方的に秀礼を追いかけているのだろう。あれは面倒な性格をしているから、秀礼も困りそうだ。それを想像して紅妍はくすりと微笑む。

「あら。華妃様が笑ってる」
「いや、これは」 慌てて首を横に振るが、藍玉はしっかりとその様を見ていたらしい。
「良いことですよ。華妃様の笑顔が見られて、わたしは嬉しゅうございます」

 困惑する秀礼を想像して笑っていたなど明かせなば、いずれ秀礼の耳に届いてしまいそうだ。紅妍は視線を外して逃げるしかなかった。

(それにしても)

 琳琳とのやりとりはひどく疲れるものであったが、あの性格はうまく扱えば良き情報を得ることができるのかもしれない。実際に今日は収穫があった。

(女の鬼霊が帝の寝所に入っていく、か)

 調べるためには光乾殿に向かうのが一番だが、いつになるだる。
 紅妍はつくえに置かれた茶を見やる。蜜糖入りの甘やかな香りを漂わせ、その水面は揺れていた。

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