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五章
11、愛情
就寝前、俺は部屋で新聞を読んでいた。翠子さんは、雑誌を眺めている。『少女の友』という題字が見える。
確か少女歌劇の特集や、抒情性のある浪漫あふれる少女小説で、女学生に人気の雑誌だ。
学校でも休み時間に生徒が読んでいるのを見かけることがある。
学業に必要のないものを持参するなと注意しても、教師の目を盗んで持ってくるので、困っているのだが。
だが、翠子さんは同じ頁を開いたままで、ぼんやりとしている。時折、俺をちらっと見ては、また誌面に視線を落とす。
「翠子さん。俺に何か言いたいことがあるんじゃないか」
「いえ、何も」
嘘をつくんじゃない。目が泳いでいるぞ。
俺がにじり寄ると、翠子さんは体を引いた。膝に置いた雑誌が畳の上にばさりと落ちる。
それを慌てて拾い上げて、自分の顔を隠した。
俺の目の前には、翠子さんの顔ではなく、目がやたらとぱっちりとしてまつ毛がばしばしの女性の絵がある。
庭から蛙の鳴き声が聞こえてきた。俺はしつこいので、翠子さんが根負けするまで、雑誌の表紙に顔を近づけたままにした。
「圧迫感が……すごいです」
「別に何もしていない」
「そうですけど。旦那さまの視線が強くて、雑誌を突き破りそうで」
「君も大概失礼なことを言うね」
俺がため息を洩らすと、翠子さんはおずおずと雑誌をずらした。
「で? 何が言いたいんだ?」
さすがに翠子さんは諦めたのか『少女の友』を、畳に置いた。
こっちは、宿題もせず試験勉強すらもしないくせに及第点をくれと嘘泣きする女学生を、もう何年も相手にしているんだ。
少しくらいの抵抗など、可愛いもんだ。
「あの、文子さんが」
「どうしてここで深山さんの話になるんだ」
「いえ、その。高瀬先生と皆月先生がお似合いだと言って……その、つまらない嫉妬は良くないのですけど」
せっかくの『少女の友』を、翠子さんは丸めては広げて、を繰り返している。
しかし、嫉妬だと? 俺とあの魔女にか。
二人の間の会話は、ほとんどあなたの話題だったというのに。
まったくこの人は、自分が……自分だけが俺に愛されているともっと自信を持てばいいのに。
俺は立ち上がると庭に下りて、手押しポンプの取っ手を押して、井戸から水を汲んだ。ざぶざぶと澄んだ水が、桶から溢れる。
それに手ぬぐいを突っ込んで、翠子さんの元へ戻る。
「旦那さま?」
「こちらへ来なさい」
手招きをすると、翠子さんは縁側に腰を下ろした。絞った手ぬぐいを、彼女の火照った頬に当てる。
冷たさが心地よいのか、翠子さんはゆっくりと瞼を閉じた。
「翠子さんは、俺が他の女性と話しているだけで嫉妬するんだな」
「すみません。よくない感情だと分かってはいるんですけど」
翠子さんは小さな声で答えた。
「焦ってしまったんです。高瀬先生には大人の世界がおありになって。仕事でもいろんな方と関わっていらっしゃいますし。わたくしは、先生のようにこの街の外で暮らしたことがありません。世間を知らない子どもみたいなものですから……先生に釣り合っていないのではないかと、そう思って」
翠子さんの顔は、冷やす前よりも赤くなっている。これは日光に当たったせいではない。
「嫉妬なんて、いけませんよね」
「一般的には、そうかもしれないが」
「なら、我慢します。先生が他の女性とお話ししていても、嫉妬しないように……完璧には無理ですけど、努力はします……できると思います」
翠子さんは決意表明のつもりなのか、拳を握りしめている。
けれどその拳は、ゆっくりと下に降ろされた。
落ち着かない様子で瞬きをしながら、薄紅の唇が開いて、ためらいがちに言葉を紡いでいく。
「もし嫉妬してしまったら。それでもわたくしのことを、好きでいてくださいますか?」
ああ、もう。それくらいにしてくれ。
俺は片手で顔を隠した。
「せんせ……いえ、旦那さま?」
浴衣の腿の辺りを、手できゅっと握りしめながら、翠子さんが俺を見上げる。
本当に困るんだ。
あなたの嫉妬は、俺のことを好きすぎるからだ。しかも真っすぐに愛情をぶつけられて、嬉しくないはずがない。
「俺はあなたに愛されて、光栄ですよ。お嬢さま」
翠子さんの手を取ると、そっと手の甲にくちづけた。
確か少女歌劇の特集や、抒情性のある浪漫あふれる少女小説で、女学生に人気の雑誌だ。
学校でも休み時間に生徒が読んでいるのを見かけることがある。
学業に必要のないものを持参するなと注意しても、教師の目を盗んで持ってくるので、困っているのだが。
だが、翠子さんは同じ頁を開いたままで、ぼんやりとしている。時折、俺をちらっと見ては、また誌面に視線を落とす。
「翠子さん。俺に何か言いたいことがあるんじゃないか」
「いえ、何も」
嘘をつくんじゃない。目が泳いでいるぞ。
俺がにじり寄ると、翠子さんは体を引いた。膝に置いた雑誌が畳の上にばさりと落ちる。
それを慌てて拾い上げて、自分の顔を隠した。
俺の目の前には、翠子さんの顔ではなく、目がやたらとぱっちりとしてまつ毛がばしばしの女性の絵がある。
庭から蛙の鳴き声が聞こえてきた。俺はしつこいので、翠子さんが根負けするまで、雑誌の表紙に顔を近づけたままにした。
「圧迫感が……すごいです」
「別に何もしていない」
「そうですけど。旦那さまの視線が強くて、雑誌を突き破りそうで」
「君も大概失礼なことを言うね」
俺がため息を洩らすと、翠子さんはおずおずと雑誌をずらした。
「で? 何が言いたいんだ?」
さすがに翠子さんは諦めたのか『少女の友』を、畳に置いた。
こっちは、宿題もせず試験勉強すらもしないくせに及第点をくれと嘘泣きする女学生を、もう何年も相手にしているんだ。
少しくらいの抵抗など、可愛いもんだ。
「あの、文子さんが」
「どうしてここで深山さんの話になるんだ」
「いえ、その。高瀬先生と皆月先生がお似合いだと言って……その、つまらない嫉妬は良くないのですけど」
せっかくの『少女の友』を、翠子さんは丸めては広げて、を繰り返している。
しかし、嫉妬だと? 俺とあの魔女にか。
二人の間の会話は、ほとんどあなたの話題だったというのに。
まったくこの人は、自分が……自分だけが俺に愛されているともっと自信を持てばいいのに。
俺は立ち上がると庭に下りて、手押しポンプの取っ手を押して、井戸から水を汲んだ。ざぶざぶと澄んだ水が、桶から溢れる。
それに手ぬぐいを突っ込んで、翠子さんの元へ戻る。
「旦那さま?」
「こちらへ来なさい」
手招きをすると、翠子さんは縁側に腰を下ろした。絞った手ぬぐいを、彼女の火照った頬に当てる。
冷たさが心地よいのか、翠子さんはゆっくりと瞼を閉じた。
「翠子さんは、俺が他の女性と話しているだけで嫉妬するんだな」
「すみません。よくない感情だと分かってはいるんですけど」
翠子さんは小さな声で答えた。
「焦ってしまったんです。高瀬先生には大人の世界がおありになって。仕事でもいろんな方と関わっていらっしゃいますし。わたくしは、先生のようにこの街の外で暮らしたことがありません。世間を知らない子どもみたいなものですから……先生に釣り合っていないのではないかと、そう思って」
翠子さんの顔は、冷やす前よりも赤くなっている。これは日光に当たったせいではない。
「嫉妬なんて、いけませんよね」
「一般的には、そうかもしれないが」
「なら、我慢します。先生が他の女性とお話ししていても、嫉妬しないように……完璧には無理ですけど、努力はします……できると思います」
翠子さんは決意表明のつもりなのか、拳を握りしめている。
けれどその拳は、ゆっくりと下に降ろされた。
落ち着かない様子で瞬きをしながら、薄紅の唇が開いて、ためらいがちに言葉を紡いでいく。
「もし嫉妬してしまったら。それでもわたくしのことを、好きでいてくださいますか?」
ああ、もう。それくらいにしてくれ。
俺は片手で顔を隠した。
「せんせ……いえ、旦那さま?」
浴衣の腿の辺りを、手できゅっと握りしめながら、翠子さんが俺を見上げる。
本当に困るんだ。
あなたの嫉妬は、俺のことを好きすぎるからだ。しかも真っすぐに愛情をぶつけられて、嬉しくないはずがない。
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