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八章

18、証拠

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 俺は目の前に停まった車に駆け寄った。
 急いで後部座席の扉を開き、その光景に瞠目した。翠子さんが転がされていたからだ。

「み、翠子さんっ!」
「……っ」

 彼女の肩から胸にかけて、しかも首にも荒縄が掛けられている。足と腕はそれぞれ縛られ、まるで江戸時代の罪人だ。
 口は布を噛まされて、言葉を発することもできない。

 ああ、三木達比古にあえて誘拐されたと勘付かれないように、縛りあげたのだろうが。
 こんな無体な仕打ちを、あなたが受けねばならないなんて。

 翠子さんを抱え起こそうとしたとき、助手席から三木達比古が振り返って俺を見た。その目は驚愕に見開かれている。

「高瀬。なんであんたがここにいる?」

 こんな奴に教えてやる必要はない。俺は翠子さんを車から降ろして抱き上げた。縄がこすれて、首に痕がついている。
 さぞや痛かっただろう。苦しかっただろう。怖かっただろう。
 なのに、翠子さんは俺を見て、柔らかく目を細めた。

「斉川。欧之丞にドスを貸したげなさい」
「はい。若」

 鞘に入ったままの匕首あいくちを、斉川が俺に手渡してくれる。俺はその刃で翠子さんを縛める縄を切った。
 ぶつりと鈍い音の後、弾けるように縄が跳ねた。
 緊縛から解放された翠子さんが、俺の腕の中に倒れてくる。猿ぐつわを解いてやると、翠子さんは咳き込んだ。
 とても苦しそうなその様子に、俺は背をさすってやることしかできない。

「だ……ん、なさま」
「いいから。無理に喋らなくていい」

 翠子さんは縄の痕の残る手を、俺の頬に伸ばしてきた。ずっと縛られていたからだろう。いや、それとも恐ろしさのせいだろうか、その手は小刻みに震えている。

「おい、どういうことだ。高瀬がいるなんて聞いていない」
「なんでって言われても。このお嬢さんは、私の友人の許嫁やからな。逆になんで、あんたがうちの組員に、姪を誘拐なんかさせとんのか聞かせてもらおか」

「うちの組員……」と、達比古は呆然と琥太郎兄さんを眺めた。

「ああ、挨拶さしてもらおか」

 琥太兄は、優雅な仕草で一礼した。

「私は、三條組で若頭を務めさしてもろてる三條琥太郎。そこの高瀬欧之丞の古い友人や。しかし、困ったなぁ。うちは人身売買は禁じとんのや。誘拐なんてもってのほかやなぁ」
「若頭……?」
「ほんま困ったわ。うちの看板に泥ぬらんといてほしいわ」
「ぼくはそんなこと、聞いてない……。聞いてないぞっ」

 達比古は、俺に向かって怒鳴った。

「ぼくを騙したのかっ。あんたはただの土地と金を持った教師だろうが」
「なぜ友人でも何でもない、むしろかたきでしかないあんたに、俺の交友関係を知らせてやらないといけないんだ」

 とんだ言いがかりだ。だが、琥太郎兄さんの言う通り、汚い仕事を嫌う三條組の面子を、この男は穢した。
 だから翠子さんの誘拐を依頼された組の人間は、若頭に相談し、それが俺の許嫁だとすぐに知れた。
 
 達比古は簀巻きにして川や海に放り込まれることは、さすがにないだろう。
 だが、殺人を好まない琥太郎兄さんでも、事情によっては達比古の指の数を減らすように命じるかもしれない。
 いずれにしろ、あの街で暮らすことは叶わないだろう。

「自業自得です……おじさま」

 達比古を睨みつける翠子さんの髪やこめかみの辺りに、土がついている。
 まさか、この男に踏みつけられたのか?
 こいつは、俺の翠子さんを踏みにじったのか。
 
「琥太兄。翠子さんを……」

 俺は翠子さんを琥太郎兄さんに任せると、達比古へと向かった。その襟首をぐいっと掴み、車のボンネットに上体を倒させる。
 俺の手には斉川の匕首。鞘には戻しているが、左右の手でそれを持ち、達比古の首に押し付ける。

「言ったよな。翠子さんに近づくなと。ああ、俺は二度言ったはずだ。三度目はもうないよな」

 匕首を鞘から抜くと、常夜燈の明かりに刀身がぎらりと光を反射した。達比古は「ひぃ」と引きつった声を出した。ボンネットに縋りつくように手を伸ばすが、つるつる滑るばかりで逃げることはできない。
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