泣き虫龍神様

一花みえる

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雪時雨【2月短編】

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    お昼すぎ、おみを膝に乗せてのんびり過ごしていた頃。坂口さんが突然我が家を尋ねてきた。今日もお洒落なカンカン帽が似合っている。
    半分寝ていたおみが「しゃかぐちぃ……」と間抜けな声で呼びかけた。よく見るとヨダレが垂れている。なんてふにゃふにゃした姿なんだ。
「よ、室生の坊」
「どうしたんですか、今日は」
「お前さんにお届け物だ。織田から」
「おだしゃ!」
    懐から取り出されたのは茶色の小さなカードだった。受け取ると銀色のインクで「バレンタインパーティへのご招待」と書かれていた。
    カードからは、どういう仕組みだろう、チョコレートの甘い香りがする。そうか、今日はバレンタインか。もう何年もそういうのとは無縁だったからすっかり忘れていた。
「ばれんたいん?」
「おみ坊は知らないか」
「しらないー」
    甘い香りに誘われたのか、おみがふんふん鼻を鳴らしながらカードを嗅いでいる。間違って食べちゃわないよう気をつけながら、カードに書かれている文をよく読んでみる。
    そこには今日の三時に織田さんの家に来るよう書かれていた。三時というと、あと三十分ほどだ。今から急いで用意をして、早歩きで行けば間に合うだろう。
「りょーた、ばれんたいん、なに?」
「うーん、チョコレートのお祭りかな」
「ちょこー!    おみ、ちょこすき!」
    本当はもっと正しい説明があるんだろうけれど、難しいことは言わないでおく。今のおみにはチョコレートが食べられる日くらいで十分だろう。
    早速羽織を着て、三人で織田さんの家へと向かうことにする。おみの足取りはいつもより軽く、どこかふわふわとしていた。

「いらっしゃーい!    待ってたわよ」
「おだしゃー!」
    織田さんの家に着くと、どこもかしこもチョコレートの甘い香りに満たされていた。これはまさしくチョコレートのお祭りだ。
    久しぶりに織田さんに会えたことが余程嬉しいのか、おみのテンションが高い。応接間にはイネとマイも居るらしく、羽織を織田さんに渡したあと背中をぐいぐい押された。
    一体なにが待っているのだろう。
「織田よォ、今年もまたやんのか」
「楽しみたいじゃない、せっかくなんだし」
「そうだけどなァ」
    後ろで坂口さんがブツブツと何か言っている。お酒が大好きな坂口さんはあまり甘いものが得意ではない。それでも毎年こうやって招待されているのだろう。
    織田さんは本当にこういうところがきめ細かい。イベント好きだし、実際に企画もしてくれる。ハロウィンの時もそうだった。
「今年はおみちゃんのために、チョコレートファウンテンにしたの」
「ふぁう、て、ん?」
「チョコレートの噴水よ、それを果物に絡めて食べるの」
「ほあー!」
    チョコレートファウンテンなんて一度も見たことがない。そんなすごいものがあるなんて。さすが織田さん。
    応接間の大きなテーブルには立派なチョコレートファウンテンと、たくさんの果物が置かれていた。果物だけではなくマシュマロもある。これは本格的だ。
「りょーた、りょーた!    ちょこのふんすい!」
「すごいなぁ」
「きゃー!    おみ、これたべていいの?」
「いいわよ。好きだけ食べてちょうだい」
「やったー!」
    諸手を挙げて大喜びして、さっそくおみはイチゴを串に刺していた。イネとマイも同じように果物を握って待っている。三人でソファによじ登り、好きなだけチョコレートを絡めていた。
    それを眺めながら俺と坂口さんは別に用意されていた生チョコやウィスキーボンボンを摘む。これらも全て手作りらしい。もう呉服屋にチョコレート屋さんを併設してもいいくらいだ。
「坂口さんは毎年招待されているんですか?」
「そうだなァ。ここ数十年は落ち着いてるから、のんびり過ごしてる」
「平和なんですね」
「そういうこった」
    それはいい。それはよかった。世界が平和だからこうしてのんびりとチョコレートを食べられる。昼下がりにまどろむことができる。
    それくらい、本当に平和なんだ。
「りょーた、ちょこ、すごい!」
「美味しい?」
「おいしー!」
    口の周りをチョコレートまみれにし、満面の笑みを浮かべるおみを見ていると、確かに平和だと感じる。口いっぱいに果物を頬張り、幸せそうに食べているおみは、俺の幸福の象徴だ。
    流れ続けるチョコレートが、まるで溢れ続ける幸福に似ているような気がして。また来年もこうして過ごせたらいいなと、甘い甘いチョコレートを口に放り込んだ。
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