Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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「Subですって!?…っ、なんてこと!」

甲高い母の声が、屋敷の一室に響いた。
怒気を含んだようなその声に、ビクリと肩が跳ねるのと、母に睨まれたのはほぼ同時だった。

「あなたは侯爵家の跡継ぎなのよ!?多くの貴族の上に立って、皆の手本とならなければならないのに…っ、支配されて喜ぶSubだなんて!なんて恥ずかしいのかしら!」

(……恥ずか、しい…?)

眉を釣り上げ、吐き捨てるように告げた母のその言葉に、子どもながらに侮辱されたことを理解した。

ほんのつい先ほどまで、何事もない、いつもと同じ“毎日”だった。
9歳の誕生日を迎えてから数日後の今日、私───ベルナール・アルマンディンの性別を戸籍書に登録する為、神殿の司祭が屋敷を訪れていた。

性別と言っても、生まれてすぐに分かる男女の性ではない。『ダイナミクス』という第二性だ。
ダイナミクス性は、生まれたばかりの子は皆有しており、それが成長していく過程でDomかSubに固定するか、消滅するかのいずれかに分かれる。
本人の性格や気質によって固定するものでもなければ、自身の願望が反映するものでもなく、また遺伝するものでもない。男女の性別と等しく、自然的に授かるものなのだ。
そのダイナミクス性を有しているかどうか、はっきりと判別できるようになるのが、9歳以降と言われている。
判別する為には血を一滴、特別な紙に染み込ませればいい───そんな簡単な説明を受け、指の先に走った針のチクリとした痛みに顔を顰めつつ、ぷくりと膨れた血の粒を真白い紙に擦り付ければ、そこに浮かんだ色は、Sub性を表す『紫』だった。

赤い血が紫になった…まるで何かの実験のようなその光景に、気持ちが浮き立ったのはほんの一瞬で、直後の悲鳴のような母の声で、それまでの穏やかだった空気は一変した。

「おい!なんてことを言うんだ!」

母の変わり様と「恥ずかしい」という一言に固まっていると、父が母を睨むように叱責した。
ダイナミクス性の確認には、両親が立ち会うことが通例で、うちも例に漏れず、父と母が同席していた。
父は呆然とする自分の目の前に立ち、母の蔑むような視線から庇うように、こちらに背を向けた。

「ベルナールに謝れ。性の違いで我が子を貶すなど…それでも母親か!」
「母だから言っているのです!この子は未来の侯爵家当主ですのよ!?それなのに、Domの言いなりになって生きるようなSubだなんて…!」
「…ダイナミクス性に優劣は無い。偏見で差別発言をするお前の方がよほど恥ずかしい」
「なんですって!?」

元々、それほど夫婦仲は良くなかった。政略結婚が普通の貴族ではままあることだ。
それでも、父と母は表面上は穏やかに過ごしていたように思う。仲が良いという訳ではないが、互いに嫌い合っているようにも見えない。
父と母と自分と弟の4人、それなりに平和な家族だった。特に父は自分や弟のことを可愛がってくれて、馬で相乗りに出かけたり、領地に向かえば共に下町に出かけたりと、よく遊んでくれた。
母はよく貴婦人の茶会に参加していて、共に遊んだ記憶はほとんど無いが、父が遊んでくれることもあり、特に気にしたことはなかった。
嫌われていた訳ではないし、自分も母を嫌っていた訳ではない───この時までは、間違いなくそうだった。

「父上…、は、母上…」

険悪な状態で睨み合う2人に耐え切れず、割って入るように声を発した。震える声で父の服の裾を引っ張れば、ハッとしたように父が振り返った。

「…っ、ごめんな、ベルナール。…父様と母様は少し話をするから、司祭様をお送りして、お前はもう行きなさい」
「……はい」

僅かな声の震えに、父の怒りが滲んでいて、それ以上何も言えなかった。
自分と同じように、口を挟むこともできず、ただ成り行きを見守ることしかできなかった司祭に退室を促し、共に部屋を出る。
扉を閉めるその一瞬、チラリと視線を送った母は、私が視界に入ることすら不快と言わんばかりに、顔を背けていた。




「自分を否定してはいけませんよ」

司祭が馬車に乗り込む間際、そっと声を掛けてくれた。

「侯爵閣下が仰ったように、ダイナミクス性に優劣はありません。いけないことでもありません。男女の性の違いと同じものです。…そのように、怖がらなくても大丈夫ですよ」

まだ年若い司祭の柔らかな声は温かく、知らず俯いていた顔を上げれば、優しい微笑みが向けられた。慰めてくれているのだろう…その気持ちは伝わったが、沈んだ気持ちが浮上することはなかった。
ゆっくりと走り出す馬車を眺めながら、手足が震えていることに気づき、悲しいのかすら分からない感情に、胃液が込み上げた。

(……恥ずかしい…)

耳の奥にこびり付いた母の声が、自分を責め立てるように、鼓膜の内側で響いた。

(……私は、悪いことをしてしまったのかな…)

暖かな陽射しの下、まるで自分だけが、その陽に当たってはいけないような罪悪感と、自分自身を否定されたような寂しさを味わった。
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