Sub侯爵の愛しのDom様

東雲

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衝撃の事実を知った後、残っていたケーキも食べて店を出た。残りの分もルノーに食べさしてもらうことになった時は、思わず「自分で食べられる」と言ってしまったが、彼の無言の微笑みに負け、結局最後まで自分の手でフォークを持つことはなかった。
頬の火照りが残るまま、ルノーと共に馬車に乗り込むと、隣に座った彼が指先を絡めながら口を開いた。

「ベル、どこか行きたい所はありますか?」
「いや、特にないが……」
「では、このまま僕のお店に行きたいと思いますが、よろしいですか?」
「……ルゥくんの、店?」

思いがけない単語に首を傾げている内に馬車が走り出す。そうして疑問の答えも教えてもらえぬまま、馬車に揺られて連れてこられたのは、大きな一軒のブティックだった。

「いらっしゃいませ、アルマンディン様」

恭しく頭を下げる店員に、状況が分からないまま目を白黒させていると、ルノーが店員の男に話し掛けた。

「頼んでいた物は用意出来ていますか?」
「はい。全てお部屋に揃えております」
「ありがとう。さぁ、参りましょう」
「う、うん……?」

訳も分からぬまま、差し出されたルノーの手を取り、店の中を進む。通された奥の部屋は、特別な顧客向けの個室であることが一目で分かる内装で、優美な応接セットと共に、衣服が壁いっぱいにズラリと並べられていた。

「あとは僕がご案内します」
「畏まりました」

短いやりとりを終え、店員が部屋を出ていく。ルノーと二人きりで残された部屋の中、状況が分からずオロオロしていると、ルノーにソファーに腰掛けるよう促された。

「ここは……?」
「僕がオーナーを務める、下級貴族向けのプレタポルテ既製服を扱う店ですよ」

『オーナー』という響きを目を見開いていると、彼が店の概要を説明してくれた。
メリア家が国に広く普及させた織物は、高級品と呼べるものではないが、非常に質が良く、手触りの良い生地で、平民や貴族といった階級に関係なく使用されている。
いくら貴族と言えど、普段着まで身に付ける物全て高級品という者は少なく、質の良い既製品で済ませる者が多い。下級貴族ともなれば尚更だ。
織物自体がメリア家の特産の為、仕入れという過程がなく、その上で縫製から販売まで全てを行うことでコストを抑え、安定した供給と収益を得ているのだという。

「織物の流通と共にオートクチュールの店を出すことになった時に、父に頼んでこちらの店も作ってもらったんです。一応僕が発案者ということで、オーナーということになっています」
「……この店は、いつから…?」
「三年前ですね。あ、表向きは父の店ということにしていましたから、ご安心下さい」

未成年の時分で既に自分の店を持っていたルノーに驚く他ない。自分が十五歳の時など、ただ人を避けることしか考えていなかったのに……と、そんなことを考えていると、ルノーがにこやかに笑みを深めた。

「ベルは僕のものですから、僕の選んだ服だけを身につけてほしいんです。その為には、生産ラインから揃えた方が早いと思って店を作ったんです。経営も順調なおかげで、こうして僕が好き勝手に服を作っても問題ないくらいには利益も安定していますし、いくらでもベルを着飾れます」
「……ん?」
「夜会に参加するような正装は、流石に馴染みの仕立て屋がいるでしょうし、そちらは我慢しますが、せめて普段着や仕事着のように毎日身につける服は、僕に任せてもらえませんか?」
「……うん?」
「ありがとうございます。一応サイズはベルに合わせて作ってありますが、よろしければ一度試着を──」
「ま、待ってくれ……!」

疑問と困惑から出た「うん?」だったのだが、了承の意味として取られてしまい慌てる。

「ふ、服って……なんで、そんな急に……」
「ベルは普段から同じ型の服ばかり着ていますが、六年前から……もっとずっと前から、変わらないのではないですか?」
「!?」

正にその通りのことを言い当てられ、心臓がキュッとする。今日とて着る服に迷うことがないくらい、いつもと変わらぬ服装をしていた。
そのことを見抜かれていたことがなんとなく恥ずかしくて、体を縮こめれば、彼が俯いた顔を覗き込むように鼻先を近づけた。

「ベルはとっても魅力的なのですから、もっともっと、素敵な装いをしてほしいんです。ただベルが着飾るのを好まないのであれば、無理強いはしません。でも僕は、可愛いベルのことを自分好みの服でより美しく飾りたいと思うんです。……ダメですか?」
「ダ、ダメじゃ、ないけど……」
「僕の選んだ服を着てくれますか?」
「ぅ……うん」
「ありがとうございます。嬉しいです、ベル」
「んっ……」

愛らしい顔で強請られ、Subとしての本能とは別の部分を擽ぐられる。咄嗟に返事をすれば、チュッと唇が触れるだけのキスが返ってきた。

「それじゃあ、お着替えをしましょう。流石に全部に袖を通して頂く訳にはいきませんが、何着か着てみて、サイズを確認させて下さい。問題なければ、こちらの服はこのまま侯爵邸にお届けしますので」
「……えっと、まさか、ここにある服を全部という訳じゃ……」
「ええ、その通りです」

あっけらかんと答えるルノーだが、そんなに軽々しく返事ができる量ではない。シャツからスラックス、ベストや上着、タイ等の装飾品までが壁一面にズラリと並んでいるのだ。いくら既製品とはいえ、この量はおかしい。

「ルゥくん、既製品とはいえ、この量は……」
「ああ、こちらはベルの為に作ったオーダーメイドですよ。デザインも、既製品とは少し変えてありますし、織物も一等級から二等級の物で作りましたから、家格に見合った仕上がりになっているはずです」

「お屋敷でも職場でも着れますよ」と笑顔で言うルノーに、今度こそ閉口する。

「これは、買い取っ───」
「僕からベルへの贈り物です」
「でも……」
「ベル。Domが自分のSubを着飾るのも、愛情表現です。受け取ってもらえないのは悲しいです」
「あぅ……」

流石に貰えないと思い口を開くも、即座に言葉を遮られ、その上で釘まで刺されてしまった。
結局、それ以上ごねることもできず、なんとか礼の言葉を告げると、ルノーに望まれるまま、何着かの服に袖を通した。通したのだが……

「その……ルゥくん……」
「はい」
「これはちょっと……可愛すぎやしないだろうか?」

嬉々として手渡された服を試着室で身につけ、鏡の前に立つ。が、あまりにも見慣れない自分の姿に、ついソワソワとしながらルノーを見遣った。

「可愛らしくて、とてもお似合いですよ」
「でも……その、こういうフリルはあまり……」
「見慣れていないだけですよ。とても似合っていますよ」
「……そうか」

普段のかっちりとしたオーソドックスな形とは異なるシャツは、ゆったりとした袖で幾分動きやすい。首元に巻いたフリルタイには、生地と同色の系で刺繍が施され、さりげなくも華やかだ。
合わせたベストも、普段の暗い色合いとは比べ物にならないほど明るく、並ぶボタンまで華やかな色彩を放つ。
合わせたスラックスはベストより更に一段明るい色で、初めて身につけるその色がどうにも落ち着かず、そっと試着室の中に隠れようとすれば、それを咎めるようにルノーに手を捕まれ、無理やり彼の目の前に引っ張り出された。

「ベル、隠れちゃダメですよ。とってもお可愛らしいですから、僕によく見せて下さい。因みに、着心地はいかがですか?」
「とても、着やすいし……ぴったり、だと思う」
「良かった。じゃあ次はこちらを着てみて下さい」

そう言って手渡された服を手に、再び試着室に向かう。何着着るんだろうか……と考えながら着替えていると、ふとあることに気づいた。

(あれ? そういえば、ルゥくんはなぜ私のサイズを知っているんだ……?)

先ほどサラリと言われた言葉を思い出し、手が止まる。
オーダーメイドで作ったということは、サイズを測らなければ作れないはずだが、当たり前だがルノーに採寸をされたことなどない。
更にこの量だ。付き合い始めた一週間前から作り始めたのでは到底間に合わない。一揃え仕上げるだけでもギリギリだろう。
もっと言えば、ルノーは六年前から自分の服装がほとんど変わらないことを知っていた。
ずっと好きでいてくれた、というのだから、もしかしたら自分の服装も把握していたのかもしれないが、『僕の選んだ服を着てほしい』という願望と、三年前に店のオーナーになったという彼と、自分のサイズで作られた大量の服…何かが噛み合わないような感覚に、「はて?」と首を捻る。

「ベル、お着替えはできましたか?」
「あっ、ま、まってくれ」

妙なちぐはぐ感に考え込んでしまっていたのか、仕切りの外からルノーに声を掛けられ、慌てて返事をする。
急いで着替え、試着室を出る前に鏡の前に立つ。その瞬間、あることに気づき、「あ……」と声が漏れた。

(これ……)

ほんのりとピンクベージュがかったシャツ。その襟に刺された刺繍にそっと手を添えるのと同時に、試着室の仕切りからルノーが顔を出した。

「お着替えは終わりましたね」
「! ル、ルゥくん」

試着室に入ってきたルノーに驚き、反射的に振り返れば、間近に迫った彼がじっくりと着替えた姿を眺め、ゆっくりと満足気に頷いた。

「やっぱりベルは柔らかな色合いが似合いますね。とっても可愛らしいですよ」
「あの、ルゥくん……ここの、刺繍って……」

大きな襟に刺された花の刺繍。それは、今ルノーが身につけているシャツとまったく同じ形をしていた。

「気づいて下さったんですね。嬉しいです」
「……一緒?」
「ええ、僕とお揃いです」

お揃い──その響きに、トクリと胸が鳴った。
華やかで可愛らしいデザインの刺繍は、ルノーにとてもよく似合っていた。それと同じ刺繍が施されたシャツを、無骨な自分が身につけているのは、きっととてもちぐはぐで、これっぽっちも似合っていないはずだ。
それなのに、彼に「可愛い」と言ってもらえることが嬉しくて、お揃いという恋人としての繋がりが嬉しくて、「似合っていないだろうに」というマイナスな気持ちもどこかに吹き飛んでしまった。

「この柄の刺繍は、他の服には刺していません。僕とベル以外の者が身につけることもありません。僕達、二人だけのものですよ」
「あ……」

言葉と共に腰を抱き寄せられ、体が密着する。
まるで二人以外の余計なものを排除するような発言と感覚に、堪らずふるりと腰を震わせれば、ルノーが金色の瞳を緩やかに細めた。

「嬉しいですか? ベル」

その声音に含まれた「喜べ」と言わんばかりの響きは、酷く一方的なのに、『自分のものであることを証明したい』という貪欲なまでの飢えが透けて見えていて、胸がキュウッと鳴くような愛しさが湧き上がる。

──唯一人のDomのSubとして支配される喜び。

一週間前まで、Subとしての自覚も、本能も、まったく理解できなかったのに、ルノーに愛されるたび、自分の身が彼のSubとしてみるみる内に染まり、僅かな戸惑いや躊躇いすら溶けて消えていく。
それが堪らなく不思議で、でも当たり前のように望まれ、緩やかに彼の檻の中に囲われていくことが嬉しくて、頬は自然と綻んだ。

「……私は、ルゥくんのものだって、言ってもらえてるみたいで、嬉しいよ」

きっと彼が望んでいるであろう言葉を本心のままに告げれば、満月のような瞳が真ん丸になった後、うっとりとするほど美しい色に煌めいた。




後日、大量の服が侯爵邸に山のように届くのだが、そのどれもが彼とお揃いの一点物であることに気づくのは、更に一週間後のことだった。
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