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 一つだけ以前と同じようで同じじゃないことがあった。

 それは二人の距離感だった。

 それまで岳はどちらかというとスキンシップは少ない方だった。それが冬場の猫のように岳は七凪にくっついてきた。

 一緒にいる時は身体のどこかが必ず触れているといってもいい。

「なぁ、この体勢って変じゃないか」

 夕食後、二人は七凪の部屋で動画配信を見ていた。

 岳は自分の足の間に七凪を座らせ、後ろから抱き込むように七凪の背中に自分の身体をぴったりとくっつけてくる。

「そうか?」

 七凪のすぐ耳元で岳がしゃべるものだから、全身にぶわっと鳥肌がたった。

「あれ、七凪って耳が敏感な人?」

 岳はふっと七凪の耳に息を吹きかけてきた。七凪はくすぐったくて身体をよじる。

「やめろって」

 岳は七凪を後ろから羽交締めにすると、面白がって何度も息を吹きかけてくる。

「岳、マジでやめろって、怒るぞ」

 七凪は必死にもがくが、声が笑っているので岳はいっこうに止める気配がない。

「嘘だ、もっとして欲しいくせに」

 岳の声も笑っている。岳はふうっ~と長い息を耳の奥に吹き込んできた。

「うわあっ」

 七凪は足をジタバタさせて、全身が総毛立つ感覚に身悶えする。

 ふいに身体が反転したかと思ったら、床に押し倒されていた。

 岳に馬乗りになられ、両手は動かないようしっかりと押さえつけられている。

 岳は唇を七凪の耳に近づけて、さらに息を吹きかけてくる。

「どこがいい?」

 短い息を耳のいろんなところに吹きつけてくる。

「どこもよくない!」

「やっぱ奥か」

 岳はさっきと同じように耳の奥に何度も長く細い息を吐いてくる。

「うわぁ、止めろ止めろ止めろ」

 七凪が頭を左右に振ると、耳が岳の口にぶつかった。その拍子に岳はかぷりと耳たぶを噛んできた。

「あっ」

 息とは違う感覚に変な声が出る。

 七凪のその声が岳に火をつけてしまった。

「息よりこっちがいい?」

 岳は耳の輪郭をなぞるように舌を這わせ、耳たぶを唇で挟んで引っぱる。

 生まれて初めての感触に、身体の全神経が耳に集中する。

 くすぐったいような気持ちいいような、なんとも言えないぞわぞわした感覚に七凪は翻弄されて、言葉が出てこない。

「あれ、なんか大人しくなったな」

 岳は舌を耳の中に差し入れてきた。

 耳全体が熱く湿った息に覆われる。耳から溶けていくようなトロリとした快感が広がる。

「が……く……、止めて……」

 甘い吐息のような声が出た。

 七凪の腕を押さえた岳の手に力が入る。

 舌、唇、歯、息、それらを総動員させ岳は執拗に七凪の耳を責め立ててきた。

 なんとも言えない卑猥な音が響く。

「ああっ……」

 もはやそれははっきりとした喘ぎ声だった。

 頭の隅で、こんな声を出してしまって恥ずかしい、と思いながらも、それは簡単に快感の渦に呑み込まれ、呆気なく口から怪しい声が漏れる。

 岳の舌先は七凪の耳の奥へ奥へと侵入しようと、生き物のようにその身体をくねらせる。

 生温かく柔らかい舌が生み出す強力な刺激に、いつの間にかほどかれていた手を、岳の背中に回した。

 それが合図のように、岳も七凪の背中に両手を回すと強く抱きしめてきた。

「なぎ……」

 さっきまでとは違う、岳の切羽詰まったような掠れた低い声と荒い息づかいが、はっきりと岳の興奮を伝えてきた。

 突然、振動音をともなった軽快なメロディが聞こえてきた。

 岳のズボンの後ろポケットに入ったスマホだった。

 しかしスマホの訴えに、抱き合う二人を離れさせる効力はなかった。

 軽快なメロディーが虚しく部屋に響く。やがてスマホは諦めて静かになった。

 電子音にかき消されていた生々しい舌づかいの音が耳元に蘇る。

 もっと、もっとして、岳……。

 七凪の疼きがそう懇願していた。

 まるで七凪の心を読んだかのように、岳の舌の動きが激しくなる。

 七凪は大きく身体をのけぞらせた。

 その時、階下から岳を呼ぶ七凪の母親の声がした。

「岳くーん、お父さんから電話よぉ」

 間をあけずに「岳くーん」と再び呼ぶ声が、階段を上がってくる。

 岳の唇が名残惜しそうに七凪から離れる。赤く充血した岳の目と目が合う。

 岳は唇を拭うと七凪の上からおりた。ちょうどその時、部屋のドアがノックされる。

 岳がドアを開けると、受話器を持った七凪の母親が立っていた。

「お父さんからよ。今日のフライトがキャンセルになったらしいんだけど、家の鍵がなくて中に入れないんですって」

 岳は受話器を耳に当てる。

 うん、とか、ああ、とかボソボソと低い相槌を打ち、最後に「分かった」と短く返答すると、受話器を七凪の母親に返した。

「俺、帰ります。今日も夕飯美味しかったです、お御馳走様でした」

 岳は七凪の母親にぺこりと頭を下げる。

「あ、よかったら夕飯の残り、お父さんに持っていってあげて」

 岳と七凪の母親は一緒に階段を下りていく。

 岳は一度も七凪を振り返らなかった。

 七凪はひとり部屋に取り残される。階下で岳と七凪の母親のやり取りする声が聞こえてくる。

 岳の声がする度に、七凪の心臓は暴走した。

 さっきのはヤバい、ヤバい、ヤバいだろー。なんだよアレ。あ、あ、あんなことっ。

 コントロールをなくした心臓は、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら、やみくもに走りまくる。

 目を閉じると、瞼の裏に岳の赤く充血した目が浮かんだ。

 と、同時に『なぎ……』低く掠れた声が七凪の耳奥で蘇る。

 岳にしがみついて、あられもない声を出してしまった自分も一緒に蘇り、七凪は悶絶した。
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