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本編

No,50 二人の大晦日

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大晦日の昼―――真唯は、一条さんの腕の中で目覚めた。


※ ※ ※


30日、昨日の昼食、自宅の狭いアパートに一条さんをお招きして、真唯お得意のハヤシライスをご馳走した。もともと自信はあったのだが、おかわりまでしてくれて嬉しかった。
そして計画通り、真唯でも出来るお持て成し料理で一条さんに赤ワインをすすめて、自分も沢山飲んで。


告白を、した。
自分がどんなに醜い人間なのかを。


でも、優しい一条さんは、そんな真唯のすべてを受け入れてくれて。
……幸福しあわせだった。こんなに幸福で良いのかと思うほどに。

舌を絡めるキスをしてくる一条さんに、ここのアパートは壁が薄いからここで抱かれるのは勘弁して欲しいと思う反面、もうこのまま抱かれても良いかと思うほど気持ちが高まってしまった真唯だが、ふと指が気になった。一条さんにもらった指環が抜けそうになっているのだ。
その事を訴えたら、一条さんの様子が一変した。
『それは大変です! すぐに直しに出しましょう!』
と。
だがハリー・ウィンストンだって、とっくに休みだ。お正月が明けたら直しに出すのかと思っていた真唯は、まだ一条さんに対する認識が甘かった。

『折角、私の想いを受け入れてもらえたんです!
 もう、貴女には、ずっとこの指環をしていて頂きたい!』

そしてリザさんに連絡をした一条さんは、リザさん御用達のジュエリーの研磨や直しをしているお店に無理を言って、何と本当にその日のうちにお直しを完了させてしまったのだ!
一条さんの指環に対する並々ならぬ熱意を感じ取った真唯だが、すぐにするのはもう少し待って欲しいと平身低頭説得した。駄々っ子のようになってしまった一条さんを説得するのは骨が折れたけど、結局はアタシの言う事を聞いてくれた。その代わり、交換条件を出された。

それは、これから休みの間中、一条さんのマンションに一緒にいる事。
そして、その間は指環リングをしている事。
かくして一度アパートに送ってもらった真唯は六日分の着替えと、鉢植えの【インカローズ】(夏の初めに買ったのだが、真唯が『長生きしてね~』と言いながらお水をあげて枯れた花や葉っぱを切りお世話をしてたら、本当にこんなに長生きしてしまった。…まさか、年を越すとは思わなかった)と、一条さんのお土産のミニブーケと千疋屋のピュアフルーツジェリー、ノーパソとデジカメ持参でお泊まりに行く事になってしまった。
そして夜は当然のように、彼のベッドで彼に抱かれた。

『私がどれほど我慢していたか、貴女の身体に教え込んで差し上げますよ。』

そう宣言した一条さんは言葉の通り執拗で、朝まで寝かせてもらえなかった。
そして現在いま…昼近くになって、一条さんの腕の中で目覚めたのだった。


※ ※ ※


「おはよう、私の眠り姫。」
蕩けるような笑顔で朝の挨拶のキスをしてくる一条さんに、

「……おそようございます、王子さま……」
応える姫君である真唯は、少々捻くれている。
が、しかし。

「『お早う』ではなく、『遅よう』か…なるほど、私の姫君は上手い事を言う。」
真唯が本当は照れているだけなのを知っている男は余裕の表情だ。


「お腹が空いていませんか?」
「…ペコペコです…」
「それでは簡単にブランチを作ってきます。
 出来たら呼びに来ますから、それまでゆっくりしていて下さい。」
「…お願いします…」
素直に答えた真唯の髪に軽くキスを落とすと、一条さんは上機嫌で服を着て寝室を出て行く。途端にベッドにヘバる真唯。
(何で一条さんはあんなに元気なの~~!
 あれで四十路なんて詐欺だ~~っ!!)
一条さん本人には決して言えない愚痴を盛大に心の中で喚き散らす。

そもそも真唯は、性行為自体に慣れていない。
慣れない体位を長時間強要されるのだ。身体が悲鳴をあげるのも無理はないのだ。
……と云うか、体力云々は別にしてあの性欲はちょっと異常だと思う。
(後でネットで調べてみよう)
心秘かに決意する真唯であった。


しばらくするとノックがして、一条さんが寝室に入って来る。
「まだ身体がだるいようだったら、私が抱いて行きますが?」
いつもの部屋着に着替えていた真唯は、遠慮なく甘える事にした。
「…お願いします…」
両腕を差し出すと、にこにこと一条さんは笑顔で抱き上げてくれる。
いっそ憎らしいほどの見事な笑顔だ。



だが、真唯の不機嫌も食卓を見た途端、嬉しそうな笑顔に綻ぶ。

「…使ってくれるんですね…」

美味しそうなバゲットサンドイッチの傍にあったのは、真唯がプレゼントしたあのペアのマグカップだったのだ。

「…貴女がここにいてくれるんですよ? 今、使わないでいつ使うんです?」

真唯をダイニングテーブルにつかせた一条さんは、自分も席に着きながら言う。
「貴女にお土産で頂いた豆がまだ少し残っています。
 そろそろ賞味期限ですから飲み切らないと。
 三時には私がミルで挽きますから、このマグカップで頂きましょうね。」
「…楽しみです。」
真唯が一条さん以上の笑顔になって、和やかなブランチは始まった。
サラダ菜とクリームチーズを使ったスモークサーモンと、ハムのバゲットサンドイッチはとても美味しかった。いつもの真唯なら『白ワインが欲しいですね』くらい言ったかも知れない。けれども、ペアのマグカップで飲む珈琲がとても美味しくて、冗談でも真唯の口からそんな言葉はもれなかった。


食後、リビングのソファーで、真唯は一条さんの抱き枕になっていた。
一条さんは、真唯にぴったりになった指環エンゲージリングを撫で続けている。
真唯にはそれが恥ずかしい。


「一条さん」
「なんですか?」
「この部屋の大掃除はどうされたんですか?」
「業者に頼みましたよ。塵ひとつ落ちていないでしょう?」
「お節はどうされたんですか? まさか、手作りですか?」
「帝都ホテルの御重が冷蔵庫に入ってます。」
「…そうですか。」
「他に何かご質問は?」
「……緋龍院建設の専務さんとして、どなたかのご挨拶を受けるとか、そう云う事はないんですか? 私、寝室にでも隠れてますよ?」
「…ああ、その事ならば、大丈夫。
 実は私は風邪気味で、年始の挨拶は山中に任せる事になっています。」
「…へ…?」
「私と山中の演技力を誉めて下さい。年末に風邪をひいた事にして、ずっとマスクをかけてゴホゴホやっていたんです。」
「……………」
「それもこれも、貴女と静かなお正月を迎えるためです。」
「……………」


もう真唯には、何にも言える言葉がなかった。
黙って一条さんの胸に真っ赤な顔を埋める真唯の髪を、一条さんは愛し気に撫でてくれた。


※ ※ ※


午後三時のおやつ時。
一条さんは約束通り、真唯のお土産の備屋珈琲店のオリジナルブレンドの豆をミルで挽いてくれた。漂泊されていない茶色いペーパードリップで、豊かな珈琲の薫りが広いリビングに広がって行く。二人分のコーヒーサーバーに、深く濃い色の液体がゆっくり溜まっていく様を見るのが、なんとも云えず快感だ。



―――そして、一条さんとのお付き合いを決心させてくれた、江ノ島と富士山と、そして湘南の海が、閉じた瞼の裏に蘇る―――



【恋みくじ】や愛染明王様にときめいてしまった事も、真実の母なる海にいだかれて想った事も、決して忘れはしまいと改めて心に誓う。
一条さんは、こんな真唯を好きになってくれたのだ。

……先ず、『こんな・・・』と云う自己卑下の言葉をなるべく禁句にしようと思う。

そんなに簡単には行かないと思うけれど……一条さんが好きになってくれた自分が誇らしいのは確かなのだから。



「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
感謝の思いで受け取ったマグカップの中の淹れたてで熱々の珈琲をフーフーと冷まして一口含む。

「……美味しい……」
「……本当ですね……」

正直言うと鮮度が落ちて若干風味が落ちているのだが、そんな事気にならないくらい美味しく感じた。そんなアタシの心を読んだように、アタシを膝抱っこしている背後の恋人が片手でアタシを抱き締めながら言う。


「豆は真唯が私のために買って来てくれた。器は恋人定番のペアのマグカップ。
そして私が真唯のために心を込めて淹れたもの。
そんな珈琲が不味い筈がありません。」

「……ですね。」

真唯は素直に頷いた。
……若干、この姿勢に不満はあるのだが。
今はこの美味しい珈琲を味わう事に集中したい。
真唯の部屋では暖かいものはすぐに冷めてしまうが、ここはエアコン完備の一条さんの部屋だ。そんな事はない。まだ熱いうちにと思って真唯は聞いた。
「蜂蜜はありますか?」
と。
「おや、珍しい。あるにはありますが…スペインのアンダルシア地方のユーカリの樹の花からとれた蜂蜜で紅茶用ですよ。珈琲にあいますかね?」
「ミルクも入れるから平気です。ちょっと甘い物が欲しい気分なんです。」
「…ちょっと待ってて下さい。」
真唯から離れた一条さんは、一つの箱と二つのスプーンを手に戻って来た。
「あ! …それがあったんだ…」
「ええ。なるべく早く食べた方が美味しいですから。」

それは一条さんの手土産の千疋屋のゼリーだった。
包装を解いて箱を開けると、カラフルなフルーツの鮮やかな色彩が真唯の眼を射る。散々悩んだ末に真唯が選んだのは、さくらんぼのゼリーだった。山形産を使用したと云うそれは、隠し味のリキュールが香り果肉も甘いとても爽やかで美味しいゼリーだった。
ちなみに一条さんが選んだのはラ・フランス。
蕩けそうな表情かおをしている真唯と違って、こちらは黙々と淡々と食べている。

……実を言うと、最初、真唯は一条さんのこの表情が苦手だった。美味しいのか不味いのか分からず無表情なのだ。本人に言わせると、あまり味覚に……と云うか他の感覚にも無関心なため、こんな表情になってしまうそうなのだ。

それを真唯に告げる一条さんは本当にアンドロイドのようで、真唯はそれ以上突っ込む事はしなかったし話題にもする事がなかった。
……一条さんのあんな表情は見ていられない……
一条さんの作った物を美味しそうに食べる真唯を嬉しそうに見てくれる。
真唯には、それで充分だったから。


果物の甘さを堪能した真唯は、その後珈琲のお代りをしてミルクだけを入れて、カフェ・オ・レにして両手でマグカップを包みコクコクと飲む。
勿論、背後には一条さん。
まるで、おんぶお化けのようだ。 ……まあ、子泣きジジィよりは良いが……

そんな明後日の事を考えていた真唯はふと気になった事を聞いてみた。


「あの…一条さん。」
「ん~、なんですか。」
真唯の体臭と柔らかさを堪能していた男は返事も緩慢だ。
「…本当に良いんですか? お焚きあげ。」
「ああ、良いんですよ。
 折角、真唯さんが私のために買って来て下さった御守りですよ?
 勿体なくて、手放す気になれません。」
「……でも……」
「ネットで調べてみたのですが、御守りの有効期限と云うのはないそうですよ?
 あれは神社仏閣の商業主義のようです。」
「……………」

そう云う面があるのも確かだ。
だが、インカローズのブレスを作ってくれた霊能者さんから、御守りのような“念”が込められたものは神気が薄れると邪霊を呼び寄せ易いと言われて、真唯はどんなに気に入った御守りでも一年間でお焚きあげに出すようにしている(まあ、例外もあるのだが/苦笑)。

だが、こんな話を一条さんにしても無意味だろう。信じてくれないとは思わない。そっち系の話が通じるのは知っている。
でも一条さんは、“真唯がお土産に買って来た・・・・・・・・・”と云う点に価値を見い出してしまっている。

(いいや。来年、なるべく早めにどこかの神社へ初詣に行って、一条さんに御守りを授与して頂いて、あれを手放してもらおう。)
心秘かに誓う事が、また一つ増えた真唯であった。


※ ※ ※


午後いっぱいをそうして、のんびりとまったりと過ごした真唯は、夜になって一条さんに連れられて浅草の蕎麦の名店で年越し蕎麦を食べた。それなりに並んだが、蕎麦の実の味のするしっかりとした食べごたえと喉越しに感動した。
(アパートでカップ麺を啜ってた去年とはえらい違いだわ。)
そんな事を思ったのは一条さんには内緒だ。もっと栄養のあるものを食べてくれと説教されるから。時間を潰して浅草寺に初詣に行こうかと誘われたが、丁重にお断りした。
帰りのトランザムの中で、今度は一条さんから質問を受ける。


「そう云えば、真唯さんから初詣のお誘いを受けていませんね。
 どこへ行くお心算なんですか? 明治神宮でもどこでもお伴しますよ。」
「勘弁して下さい! あんな日本一、人の集まる処!!」
「だったら、どこへ? もしかして、西新井大師ですか?」
「確かに私のアパートから一番近い有名処ですが、残念ながら違います。」
「……もしかして、あの弁天様ですか?」
「あ。ブログでご覧になりましたか?
…去年までは電車で行ってたんですが…車を出して下さいますか?」
「勿論ですよ! 喜んで!!」



フィアンセ未満の恋人同士の会話を乗せて、トランザム【キット】は夜の街を疾走する。






激動の2013年が暮れようとしていた―――








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