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第拾章:あるべき姿へ
03:四恩童子
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「夜叉の女性で恥じらいを持ち合わせているとは珍しい。胡涅姫、そのように野蛮な男どもはやめて、わたしにしては?」
「吟慈(ぎんじ)、貴様は胡涅に指一本触れてくれるな。胡涅が孕む」
「朱禅に言われるとは心外ですね。にしても、あの双子夜叉がその独占と執着を持つとは」
「なに笑ってやがる」
「炉伯、笑わずにはいられませんよ。ねぇ、紘宇(こうう)?」
「何体喰えるか競った夜のことを言っているなら、大概どちらも変わらない」
興味のなさそうな声が、キスをするほど近くに顔を寄せたせいで、胡涅が警戒したのも無理はない。
「胡涅、この紘宇様を選ぶがいい。後悔はしないぞ」
夜叉には美形が多い。それは朱禅と炉伯、狗墨だけでなく、集まった面々を見て思う。
だからだろう。抑揚のない声、細長い身体、不穏な全面布を縦に伸びた巻き角から垂れ下げているのに、覗き込む形で顔を近づけてくる紘宇から漂う色気にあてられて、くらくらとしてくる。
「紘宇、離れろ。触れたら殺す」
「炉伯。おんしの実力では無駄だ、やめておけ」
「そっくりそのまま返してやるよ」
ついに炉伯が夜叉の姿に変わり、同じように夜叉の姿に変わった朱禅も「やはり閨から出すべきではなかった」と目を吊り上げている。
「胡涅、我ら以外の言葉に耳を貸すな」
肩を引き寄せ、腰にまで滑り落ちてきた朱禅の匂いに不思議と落ち着く。
「胡涅は誰にも渡さねぇよ」
ぽんっと頭に乗った炉伯の手にも、肩のちからが抜けていく。
「……うん。朱禅と、炉伯が、いい」
ぽそりと呟いて、顔が熱くなってくる。
全員が凝視してくるせいだが、そんなに見られると余計に恥ずかしいと、胡涅は朱禅と炉伯の後ろに隠れるように身体を小さく縮ませた。
「見んじゃねぇよ」
炉伯が抱きしめてくれて、胡涅は埋もれる。朱禅がマタタビでも与えられた猫みたいに顔をこすりつけてきたが、口から下を覆う布に遮られてキスは防げた。
「んー、ねぇねぇ、悪坊(あくぼう)いないじゃん。誰か見たぁ?」
「悪坊は寝る方が大事やろ。喪中以前に、寝てるほうが多いやん」
「違いない」
「あと二十五年は喪中を口実に眠っているでしょうね」
「し、しししし四恩童子ぃ!?」
会話をぶった切るような将充の声に、全員が「忘れていた」と息だけで振り返る。
将充は、まだ腰が抜けているらしいが、現実に戻ってきた顔がキラキラと瞳を輝かせているのだからイヤな予感しかしない。
冷めた氷のような瞳をする面々のなかで、胡涅だけが、聞いたことがある「しおんどうじ」の響きに、はっと気付いた息をのんでいた。
「伝説の夜叉だ」
八束市に住めば、いやでも聞く四人の夜叉の名前。
豊作の神として崇められる白髪の女夜叉、糸目神社に祀られる毘貴姫。
子宝の滝藤神社には長髪ポニーテールの夜叉が描かれることが多いので、おそらく吟慈が当てはまる。合格祈願や芸能の神といわれるのが瀬尾神社。ということは、紘宇が厄除け神社、頼之(たのみの)に住み着いたといわれる夜叉だろう。
八束市の東西南北にある四つの神社は、緋丸温泉を中心に点在し、歴史的価値のある市の文化遺産として名高い。
「あくぼうも、悪坊のことかな」
よく赤鬼と同等の扱いをされる、こん棒を持った恰幅のいい褐色肌の夜叉。
金品財宝に興味を示さず、寝床にもぐりこんでくる妖怪として描かれることが多い。女を好んで食べるといわれているが、本人が不在なので、夜叉と妖怪のどちらが正しいのかは何ともいえない。
「てことは、あれ、朱禅と炉伯って」
八束市は観光地なのに交通が不便で、海側に広がる中心地以外に市内への入り口がない。都市開発では、八束山や八束岳を抜けるトンネルや高速道路が計画されたが、ことごとく不幸がおこり、陸の孤島として繁栄するしかなかった。
その不幸には「双子夜叉が災厄を運ぶ」という口伝があり、現場の厄除けとして双子夜叉を模した札を貼るのが一般的だったりする。
「ん、なんだ?」
六年以上も一緒にいるのに、今さら気が付いたと両手を合わせて瞑想した胡涅に、炉伯は怪訝な顔をしたが、すぐに元に戻る。
楽しく歓談するには状況が悪い。
今の八束山には危険が潜んでいる。
「来たか」
誰の声かはわからない。ただ、胡涅は目の前を投げ捨てられるみたいに飛んで来た物体には見覚えがあった。
「狗墨!?」
認識したそれは、壬禄という青年が受け止めた気がしたが、確認している暇はない。
「うわぁぁぁああぁ」
「保倉先生っ!?」
狗墨と入れ替わるように、将充が何か得たいの知れないものに巻き取られて消えていった。
「胡涅、動くな」
朱禅の指示は正しい。
愚叉の群れが取り囲んでいる。何体、いや、五十体前後か。これまでみたどの愚叉よりも強靭そうで、一太刀で消えてくれそうにない。
光る刀身で地面をかきながら、焦点の合わない瞳が牙を剥き出して唸っている。
「……ッ…朱禅…炉伯」
ぎゅっと二人の着物の裾を握ってしまったのは、怖いから以外に理由はない。
名前を呼んだのは、守ってくれる人は朱禅と炉伯なのだと、無意識に刷り込まれた教えなだけで、深い意味はない。
それなのに、なぜ全員凝視してくるのだろうか。
「これかぁー」
「えっ、なに…っ…なにか変なことした?」
全員と反応が違って戸惑うしかない。
毘貴姫に至っては「次はあちきも言ってみよっかなぁ」と楽しそうだが、壬禄に「自分よりも強い人が言うとイヤミですよ」と返されていた。
「まーにぃ、あちきは自分が動く方が好き」
どこから取り出すのか。
巨乳の谷間から小刀を抜いた毘貴姫が宙を舞う。
「わ……きれい」
本当にキレイなのだから仕方がない。けれど、夜叉は他者を褒められるのを嫌う生き物であり、嫉妬深い生き物でもある。
朱禅と炉伯が取巻草のごとく絡み付いて離れないのは、暑苦しくて仕方がない。
「うーん」
結果として、秒で片付いた。
五十体ほどいた愚叉は毘貴姫を初めとする四恩童子が、目にも止まらぬ速さで仕留めてしまった。
「胡涅姫、わたしの戦いぶりはいかがでした?」
「この紘宇様以上に美しいものはない。だろう、胡涅」
「吟慈、紘宇、おんしら寄ってたかって口説くなや。胡涅ちゃんが怖がっとる」
「瀬尾が仕切るとか意味不明すぎぃ。胡涅は、あちきをキレイと褒めたんよ」
ケタケタと笑った毘貴が、瀬尾に牙をむかれて追いかけられ、壬禄と狗墨の元へ逃げていく。
「………普通、ここって苦戦とかして、ケガとかするんじゃないの?」
「胡涅姫が治してくださるのですか?」
「ああ、それは良い」
「黙れ、吟慈、紘宇」
襲い来る化け物との戦いは、アニメや漫画では見せ場ではないのかと、胡涅は口説く男と牽制する男たちの輪の中で肩を落とす。
「弱いのだから仕方ない。それよりも、我は早く胡涅を閨に閉じ込めたい」
「同感だ。喪からの目覚めが半分だとはいえ、これ以上は胡涅に近付けたくねぇ」
「胡涅、我らから離れるなよ。八束の衆と真剣勝負など、いくら時間があっても足りん」
「胡涅はその辺、ちゃんといい子にできるよな?」
赤と青に見下ろされたら「はい」以外に返事はない。うんうんと首を縦に振った胡涅は、なまめかしい「ア」が聞こえて首をかしげた。
「毘貴、盛るならよそでやれ」
「狗墨の治療だから仕方ないよネ」
「ネ、ちゃうし」
紘宇と瀬尾が楽しそうな毘貴の声に突っ込んでいるが、視界の端でちらっと映ったのは、全力で逃げる狗墨を追いかける毘貴と、なぜか壬禄の姿。
手負いの狗墨を誰も助けないどころか、馬乗りになった毘貴はシックスナインでもするかのように狗墨の顔に座り込んで「早く」と壬禄を手招きしながら、舌なめずりしていた。
「ところかまわずは、相変わらずですね。腹が減っているのは、誰もが同じだというのに」
そこで目があった吟慈に微笑まれて、胡涅の視界は朱禅の手に塞がれる。
「目が孕む」というのは、さすがによくわからないが、風にのって聞こえてくる男女の営みは孕みそうな気配をまとっている。
「胡涅も欲しくなったか?」
秘密を囁くみたいに耳に触れた炉伯の声に、「なりません!!」と、否定を口にする胡涅の声だけが闇に消えた。
「吟慈(ぎんじ)、貴様は胡涅に指一本触れてくれるな。胡涅が孕む」
「朱禅に言われるとは心外ですね。にしても、あの双子夜叉がその独占と執着を持つとは」
「なに笑ってやがる」
「炉伯、笑わずにはいられませんよ。ねぇ、紘宇(こうう)?」
「何体喰えるか競った夜のことを言っているなら、大概どちらも変わらない」
興味のなさそうな声が、キスをするほど近くに顔を寄せたせいで、胡涅が警戒したのも無理はない。
「胡涅、この紘宇様を選ぶがいい。後悔はしないぞ」
夜叉には美形が多い。それは朱禅と炉伯、狗墨だけでなく、集まった面々を見て思う。
だからだろう。抑揚のない声、細長い身体、不穏な全面布を縦に伸びた巻き角から垂れ下げているのに、覗き込む形で顔を近づけてくる紘宇から漂う色気にあてられて、くらくらとしてくる。
「紘宇、離れろ。触れたら殺す」
「炉伯。おんしの実力では無駄だ、やめておけ」
「そっくりそのまま返してやるよ」
ついに炉伯が夜叉の姿に変わり、同じように夜叉の姿に変わった朱禅も「やはり閨から出すべきではなかった」と目を吊り上げている。
「胡涅、我ら以外の言葉に耳を貸すな」
肩を引き寄せ、腰にまで滑り落ちてきた朱禅の匂いに不思議と落ち着く。
「胡涅は誰にも渡さねぇよ」
ぽんっと頭に乗った炉伯の手にも、肩のちからが抜けていく。
「……うん。朱禅と、炉伯が、いい」
ぽそりと呟いて、顔が熱くなってくる。
全員が凝視してくるせいだが、そんなに見られると余計に恥ずかしいと、胡涅は朱禅と炉伯の後ろに隠れるように身体を小さく縮ませた。
「見んじゃねぇよ」
炉伯が抱きしめてくれて、胡涅は埋もれる。朱禅がマタタビでも与えられた猫みたいに顔をこすりつけてきたが、口から下を覆う布に遮られてキスは防げた。
「んー、ねぇねぇ、悪坊(あくぼう)いないじゃん。誰か見たぁ?」
「悪坊は寝る方が大事やろ。喪中以前に、寝てるほうが多いやん」
「違いない」
「あと二十五年は喪中を口実に眠っているでしょうね」
「し、しししし四恩童子ぃ!?」
会話をぶった切るような将充の声に、全員が「忘れていた」と息だけで振り返る。
将充は、まだ腰が抜けているらしいが、現実に戻ってきた顔がキラキラと瞳を輝かせているのだからイヤな予感しかしない。
冷めた氷のような瞳をする面々のなかで、胡涅だけが、聞いたことがある「しおんどうじ」の響きに、はっと気付いた息をのんでいた。
「伝説の夜叉だ」
八束市に住めば、いやでも聞く四人の夜叉の名前。
豊作の神として崇められる白髪の女夜叉、糸目神社に祀られる毘貴姫。
子宝の滝藤神社には長髪ポニーテールの夜叉が描かれることが多いので、おそらく吟慈が当てはまる。合格祈願や芸能の神といわれるのが瀬尾神社。ということは、紘宇が厄除け神社、頼之(たのみの)に住み着いたといわれる夜叉だろう。
八束市の東西南北にある四つの神社は、緋丸温泉を中心に点在し、歴史的価値のある市の文化遺産として名高い。
「あくぼうも、悪坊のことかな」
よく赤鬼と同等の扱いをされる、こん棒を持った恰幅のいい褐色肌の夜叉。
金品財宝に興味を示さず、寝床にもぐりこんでくる妖怪として描かれることが多い。女を好んで食べるといわれているが、本人が不在なので、夜叉と妖怪のどちらが正しいのかは何ともいえない。
「てことは、あれ、朱禅と炉伯って」
八束市は観光地なのに交通が不便で、海側に広がる中心地以外に市内への入り口がない。都市開発では、八束山や八束岳を抜けるトンネルや高速道路が計画されたが、ことごとく不幸がおこり、陸の孤島として繁栄するしかなかった。
その不幸には「双子夜叉が災厄を運ぶ」という口伝があり、現場の厄除けとして双子夜叉を模した札を貼るのが一般的だったりする。
「ん、なんだ?」
六年以上も一緒にいるのに、今さら気が付いたと両手を合わせて瞑想した胡涅に、炉伯は怪訝な顔をしたが、すぐに元に戻る。
楽しく歓談するには状況が悪い。
今の八束山には危険が潜んでいる。
「来たか」
誰の声かはわからない。ただ、胡涅は目の前を投げ捨てられるみたいに飛んで来た物体には見覚えがあった。
「狗墨!?」
認識したそれは、壬禄という青年が受け止めた気がしたが、確認している暇はない。
「うわぁぁぁああぁ」
「保倉先生っ!?」
狗墨と入れ替わるように、将充が何か得たいの知れないものに巻き取られて消えていった。
「胡涅、動くな」
朱禅の指示は正しい。
愚叉の群れが取り囲んでいる。何体、いや、五十体前後か。これまでみたどの愚叉よりも強靭そうで、一太刀で消えてくれそうにない。
光る刀身で地面をかきながら、焦点の合わない瞳が牙を剥き出して唸っている。
「……ッ…朱禅…炉伯」
ぎゅっと二人の着物の裾を握ってしまったのは、怖いから以外に理由はない。
名前を呼んだのは、守ってくれる人は朱禅と炉伯なのだと、無意識に刷り込まれた教えなだけで、深い意味はない。
それなのに、なぜ全員凝視してくるのだろうか。
「これかぁー」
「えっ、なに…っ…なにか変なことした?」
全員と反応が違って戸惑うしかない。
毘貴姫に至っては「次はあちきも言ってみよっかなぁ」と楽しそうだが、壬禄に「自分よりも強い人が言うとイヤミですよ」と返されていた。
「まーにぃ、あちきは自分が動く方が好き」
どこから取り出すのか。
巨乳の谷間から小刀を抜いた毘貴姫が宙を舞う。
「わ……きれい」
本当にキレイなのだから仕方がない。けれど、夜叉は他者を褒められるのを嫌う生き物であり、嫉妬深い生き物でもある。
朱禅と炉伯が取巻草のごとく絡み付いて離れないのは、暑苦しくて仕方がない。
「うーん」
結果として、秒で片付いた。
五十体ほどいた愚叉は毘貴姫を初めとする四恩童子が、目にも止まらぬ速さで仕留めてしまった。
「胡涅姫、わたしの戦いぶりはいかがでした?」
「この紘宇様以上に美しいものはない。だろう、胡涅」
「吟慈、紘宇、おんしら寄ってたかって口説くなや。胡涅ちゃんが怖がっとる」
「瀬尾が仕切るとか意味不明すぎぃ。胡涅は、あちきをキレイと褒めたんよ」
ケタケタと笑った毘貴が、瀬尾に牙をむかれて追いかけられ、壬禄と狗墨の元へ逃げていく。
「………普通、ここって苦戦とかして、ケガとかするんじゃないの?」
「胡涅姫が治してくださるのですか?」
「ああ、それは良い」
「黙れ、吟慈、紘宇」
襲い来る化け物との戦いは、アニメや漫画では見せ場ではないのかと、胡涅は口説く男と牽制する男たちの輪の中で肩を落とす。
「弱いのだから仕方ない。それよりも、我は早く胡涅を閨に閉じ込めたい」
「同感だ。喪からの目覚めが半分だとはいえ、これ以上は胡涅に近付けたくねぇ」
「胡涅、我らから離れるなよ。八束の衆と真剣勝負など、いくら時間があっても足りん」
「胡涅はその辺、ちゃんといい子にできるよな?」
赤と青に見下ろされたら「はい」以外に返事はない。うんうんと首を縦に振った胡涅は、なまめかしい「ア」が聞こえて首をかしげた。
「毘貴、盛るならよそでやれ」
「狗墨の治療だから仕方ないよネ」
「ネ、ちゃうし」
紘宇と瀬尾が楽しそうな毘貴の声に突っ込んでいるが、視界の端でちらっと映ったのは、全力で逃げる狗墨を追いかける毘貴と、なぜか壬禄の姿。
手負いの狗墨を誰も助けないどころか、馬乗りになった毘貴はシックスナインでもするかのように狗墨の顔に座り込んで「早く」と壬禄を手招きしながら、舌なめずりしていた。
「ところかまわずは、相変わらずですね。腹が減っているのは、誰もが同じだというのに」
そこで目があった吟慈に微笑まれて、胡涅の視界は朱禅の手に塞がれる。
「目が孕む」というのは、さすがによくわからないが、風にのって聞こえてくる男女の営みは孕みそうな気配をまとっている。
「胡涅も欲しくなったか?」
秘密を囁くみたいに耳に触れた炉伯の声に、「なりません!!」と、否定を口にする胡涅の声だけが闇に消えた。
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