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117 希望の村

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「う、ううん……」

 私はうめきながら目を開く。

 まず視界に入ってきたのは、石造りの天井だった。
 視線を横に転じると、やはり石造りの壁の中に、ガラスのない窓がある。大きな葉の葉肉を落とし、網目状の葉脈だけを残したようなものが、すだれのように下がってる。日除け兼網戸みたいなものだろう。

 今度は反対側の脇を見る。
 そこには、私のいるベッドに突っ伏して眠るアーシュの姿があった。

 私がいるのは石造りの室内で、広さはいまいるベッド三つ分くらい。
 前世風に言えば、四畳半ってところかな。

「……ええと……どういうこと?」

 私がつぶやくと、

「――あ、お目覚めになられたんですね?」

 声に振り向くと、部屋の入り口|(扉はない)から質素な服装の女の子が入ってくるところだった。
 年齢は私と変わらないくらいで、革をなめして作ったような服を着てる。
 亜麻色の髪をポニーテールにした、美少女ではないが、愛嬌のある女の子だ。

「えっと……ここは?」

「よかったぁ、目が覚めて。もう三日も意識がなかったんですよ」

 私の疑問には答えず、少女が胸をなで下ろす。

「あっ、お腹空いてませんか? たいしたものはないですけど、なにか用意しますね」

「それより事情を……」

 言いかけた私をスルーして、少女が廊下に消えていく。

(ええと……たしか、グリュンブリンと戦ってて……)

 やられるってところで、アーシュが何かをしたっぽいところまでは覚えてる。

 状況から察するに、アーシュがグリュンブリンをなんとかして、私をここに担ぎこんだってとこだろう。

 身を起こそうとすると、右の肩がずきりと痛んだ。

「……あたたっ」

 見れば、私の右肩には包帯が巻かれてる。
 包帯というより、ワカメみたいな長い海藻を叩いて乾燥させたもののようだ。

「スープをお持ちしました」

 入り口からお盆を持った少女が入ってくる。

 私はアーシュを起こさないように気をつけながら、身を起こしてベッドに腰掛けた。

「動いて大丈夫なんですか?」

「あはは……ちょっと痛いけど、食べたら治すよ」

「治すって……治癒術師なんですか?」

「余技だけどね」

 私はスープを受け取り、さじですくって口に運ぶ。

「おいしい」

 濃厚な魚介の出汁が効いている。
 具も、赤身、白身の魚や大きな貝、海藻やウニまで入ってた。

「お口に合ったならよかったです。ここにはなにせ海しかないので、食べられるものはなんでも食べるんです」

 言われてスープを見てみると……他の具に隠れて小さなヒトデが入ってた。

「え……これ、食べれるの?」

「食べれますよ。見た目で苦手って人は多いですけど」

 せっかく出してもらったのに残しちゃ悪い。
 私は思い切ってヒトデを口にする。

「ああ……うん。不思議な食感だね」

 見た目さえ気にしなければおいしいと思う。

 しばらくして、私はスープを食べ終えた。

「ごちそうさまでした」

「え、ああ……そういう挨拶があるんですね」

「そっか。私の生まれ故郷限定かも」

「礼節の行き届いたお国なんでしょうね。ここは、そういう文化とは無縁で、生きてくだけで精一杯なんです」

「さっきからちらほら話題に出てるけど……ここって、どこなの?」

「ここは、『世界のへそ』です」

「へっ!?」

「渦潮の中心にある、露出した海底です。海底と言っても、石造りの古代の遺跡があるだけで、ろくに草木も生えない場所ですけどね」

 少女の言葉に、考える。

(まぁ、当然っちゃ当然だね。あのダンジョンは万物館のある『へそ』につながってたはずなんだから)

 そこまで考えて、ようやく思い至った。

「そうだ! 私がここに担ぎこまれた時の状況は? 私とアーシュを追ってくる女の人はいなかった?」

「いえ……お二人は、これまで開かずの扉だった遺跡の小部屋に倒れてたのを、ミーチャ……探検家シュモスが見つけたんです。他に人はいなかったはずです」

(じゃあ、アーシュはグリュンブリンを倒しちゃったってこと? すくなくとも追ってこれないようなダメージを与えたとか……。逃げ切ってから、ワープゲートの出口をどうにかして潰した、とかいう可能性もあるかな)

 どれも、普段のアーシュを見てる限りではできそうにない選択肢なんだけど……。

「そうだ、まだ名乗ってもなかったね。私はミナト。冒険者をしてる」

「アーシュさんから聞いてますよ。わたしはマリアンヌ。希望の村の村長の娘です」

「希望の村?」

「はい。ここに住んでる人たちは、渦潮に巻きこまれてこの場所に漂着した人たちなんです。いつか外の世界に帰れることを願って、ここを希望の村と名付けました」

「ああ……それで、食べ物が海産物ばかりだったり、建物が石造りで木の扉や家具もないってことなんだ」

「そうなんですよ……渦潮から露出してるのは、真ん中にあるおっきな建物と、その周囲の石造りの回廊だけなんです。だけと言ってもかなり広くて、ちょっとした街がすっぽり収まるくらいには広いんですけど……。
 ただ、困るのは草木が全然生えないことなんです。だから、木材を入手するには、時折運ばれてくる難破船や流木を待つしかなくて。食べ物を植えて育てるってこともできないので、食べるのは海産物か海藻です。着るものは、海獣の皮をなめして作ってます」

「なるほど……」

 まさか、へそに集落があるとは思わなかったが、聞いてみれば納得だ。
 これまでたくさんの船がここに流されてきてるはずだからね。

「ひょっとして、最近もセレスタの軍人さんが流れつかなかった?」

「はい、つい最近ですね」

 キエルヘン諸島から海賊が消えた事情を調査しに出たセレスタのガレー船が沈んだって話があったからね。

(全員が無事ってことはないんだろうけど……)

 クラーケンやオケアノス、他の海洋性モンスター、あるいはサメやシャチみたいなおなじみの海獣に食べられた人も多いだろう。
 流れ着くまでに力尽きて死んだ人も多そうだ。

 それでも、生存者がいる。
 ハリエットさんにとってはいい報告だ。

 私は話を聞きながら、右肩の包帯を外す。
 グリュンブリンの魔槍でやられた患部は引きつっていた。
 そこに左手をかざし、魔法で怪我を治していく。
 怪我はエーテル体にまで萎縮をもたらしてたが、霧の森で似たような怪我を負ったシェリーさんを治療したことがある。
 私の傷はほどなくして治った。

「す、すごいですね!」

 マリアンヌが目を丸くしてる。

「ちょっとした怪我なら治せるから。もし怪我人がいたら、一宿一飯の恩義で治療するよ」

 宿賃と食費をお金で払う、っていうのも一瞬考えたんだけど、この外部から隔絶された小さな集落で、貨幣が回ってるかは怪しいものだ。

「助かります! ここにはモンスターが流れ着くことも多くて、怪我をする人が多いんです! もともと冒険者だった人が中心になって、冒険者ギルド希望の村支部を作って対応してるんですけど、ポーションをドロップするモンスターが限られてるらしくて」

「へえ……なんかすごいな。漂着した先で村を作り、ギルドを作って生きていこうなんて。たくましいね、みんな」

 感心する私に、マリアンヌはやや暗い顔をした。

「みんな……ではありませんよ。絶望して心を閉ざしてしまう人や、自ら命を絶ってしまう人もいます。長い人になると、もうここに二十年も住んでるんです。彼らは外を二度と見ることができないことを嘆きながら暮らしてます……」

 それは……きついな。

(私も人ごとじゃないんだよね。ここにはまともな船がなさそうだし、あったとしても渦潮に逆らって外洋に出られるはずがない)

 ここに来るときに使ったはずのワープゲートが使えればいいんだけど。

「さっき、探検家さんって人が私たちを発見したって言ってたよね。そのとき、その場所に転送法陣――おおきな円状の模様はなかったかな?」

「いえ……聞いてみないとわからないですけど、目立つものがあったら言ってくれたと思います」

「だよね……」

 海底の万物館と出入りするためのゲートなら、双方向のはずだ。
 それがないってことは、何か異常な方法でこっちへ転送されたのかもしれない。
 ただ、そのおかげでグリュンブリンから逃げられた可能性もある。

「アーシュが起きたら聞いてみないと」

「アーシュさんは、それはもうかいがいしくミナトさんの世話を焼いてましたよ。最初はタオルをびちゃびちゃのまま顔に置いてミナトさんを窒息させそうになってましたけど」

 くすりと笑ってマリアンヌが言った。

「いや、割と笑いごとじゃないんだけど」

「不器用なかたですよね。きっと、貴族のご令嬢か何かで、お姫様みたいに育ってきたんでしょう。手仕事は全然できなくて。
 でも、ミナトの世話だけは自分が見るって言って頑張ってました」

「そうなんだ……」

 私は、ベッドに突っ伏したまま眠ってるアーシュの水色の髪を優しく撫でた。

 その時だった。

 家の外から、大きな男性の声が聞こえてきた。


「――か、海賊が襲ってきたぞ!」


 私とマリアンヌは顔を見合わせた。
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