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学院編 11 銀雪祭の夜は更けて

341 公爵令息は天使の肌に酔いしれる

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【レイモンド視点】

何もかも輪郭がぼやけた視界の中で、淡い緑色のドレスがやけに目に入る。魔法陣に縛り付けられたかのように、俺の両手両足は床に落ちたままだ。力が入らず、目の前の女が俺の上着を脱がせ、クラヴァットを解き、シャツのボタンを外していくのを眺める。
「俺を裸にする気か」
「上だけの予定ですけれど……」
「脱がせてどうする」
「魔法陣という密室に二人きりになったレイモンド様は、婚約者とよく似たドレスを着た令嬢をつまみ食いなさるのですわ」
つまみ食いだと?
俺が誰にでも手を出す男だと思っているのか?食指が動くのはアリッサに対してだけだ。

「君のどこがアリッサと似ていると言うんだ」
「似ているように見えないかもしれませんわね、……今は」
クスッとフローラが笑った。眼鏡を取られ、何をしているのかはっきりしないが、彼女がドレスのスカートを捲り上げ、自分の腿の辺りに手をやっているのが見えた。白いのはガーターベルトだろうか。
「……何をしている?」
バサリ。
スカートから白い脚を出したまま、フローラは俺の上に跨った。
「やめろ。離れ……ん、ぐっ!」
言葉でしか抵抗できない俺の口に、無理やり小瓶が押し込まれる。生温い液体が喉を流れ、苦しさに咳き込む。
「お味はいかが?『レイ様』?」
アリッサを真似ているつもりなのか、フローラは甘えた声を出した。
「ぐ、げほっ……げほっ……」
「気に入ってくださるとうれしいです。『レイ様』のために、頑張っちゃいました」
「……っ、退け」
「王都でも有名なお店で買ったんですよ?……抜群に効く媚薬を」

媚薬?
そんなものがあるのか?
「眼鏡を落とし、間違えて媚薬を飲んでしまった『レイ様』は、アリッサとそっくりなドレスを着た私に」
「君に欲情すると?」
「ええ」
「魔法陣に縛られた俺が、手足の自由がきかないのに君を抱く?不可能だ。現に俺を襲っている君の方が、後から苦しい立場に立たされるだろう」
「どちらが襲ったかなんて問題にはなりませんわ。魔法陣は日の光を浴びて朝には消えてしまう。衣服の乱れた男女が同じ部屋にいて、責任を問われるのは男性の方ですもの」
フローラは落ち着いているように見える。アリッサに近づき、友人として俺との関係を探りながら、こうして俺を陥れる機会を虎視眈々と狙っていたのか。引っ込み思案のアリッサを引っ張ってくれる得難い存在だと思っていた。――本性は、危険な偏執狂でしかなかったのに。

手袋を外したフローラは、俺の首筋を、胸を指先で撫でた。媚薬の効能なのだろうか、触れられたところがビリビリする。
「……っ、くっ……」
フローラが俺の肌に口づけ、身体のあちこちが痺れてくる。手足が動かせないだけではない。
「そろそろ、薬が効いてきたのかしら……」
笑いながらフローラが囁いた時、廊下から人の話し声が聞こえた。

   ◆◆◆

「これは……」
魔法陣の中の半裸の俺と、上に乗っているフローラを見て、セドリックは言葉を失った。ドアを退かしたアレックスは、振り返り様に「うおぅ!」と驚いた。入ってきたのは二人だろうか。
「セドリック、アレックス。足元を見ろ。魔法陣だ」
「え、うん。気をつける……フローラ。君は何をしているんだ」
「私は……」
あたふたとスカートを直し、魔法陣の隅に蹲る。腹を圧迫していた重みがなくなり、俺は大きく深呼吸をした。
「正直に言ったらどうだ?アリッサが待っているかのように装って俺を誘い込み、媚薬を使って既成事実を作ろうとしていたとな」
「キセイジジツ?」
「アレックス、君は黙っていてくれないか」
「すみません殿下……」

セドリックは用心深く魔法陣の周囲を回る。
「レイの眼鏡がこんなところに落ちていたよ。……ああ、衝撃で曲がってしまっているね」
カチャカチャと小さな音がする。俺の眼鏡を拾ったらしい。
「手足が動かないんだ。すまないが魔法陣が解けるまで持っていてくれ」
「ジュリアがエミリーを呼びに行ったよ。それまでの辛抱だね。……それと」
カツカツカツ……。
乱れたドレス姿で呆然としているフローラの側へ近寄り、セドリックは魔法陣の外に転がっている薬瓶をつまんだ。
「媚薬は、これで合ってる?フローラ」
「……あ、あ……」
「これね、販売が禁止されているんだけど、どうやって買ったの?」
「その……店……」
「この『媚薬』だけどね、中に危険なキトヌ草が入っているんだ。随分前から取り締まりが強化されていたのに、まだ売っている店があったなんてね」
セドリックは瓶のラベルを読んで、店の名前を覚えたようだ。
「……いい機会だから、一掃しておくかな」

   ◆◆◆

エミリーが部屋に来るまで、思ったよりも時間がかかった。足の速いジュリアが呼びに行ったのなら、さほど時間はかかるまいと期待していたのに、何か問題が発生したらしい。ドアが開いて、一番に入ってきたのはジュリアではなかった。
「レイ様!!」
半狂乱の叫びに、俺の心臓がドクリと鳴った。
「アリッサ!?」
一番見られたくない彼女に見られてしまった。流石の俺でも心理的ダメージが大きすぎて、何も言えない。

「……魔法陣?」
「エミリー、これ、どうにかなんないかな?」
「楽勝」
魔法陣からきらきらと立ち上る光魔法の壁に手をかざし、エミリーはぶん!と腕を振った。
「……終わり」
腕と足を持ち上げて身体を起こしてみると、問題なく動くことが分かった。闇魔法が得意なだけはある。無効化したのだろう。

「レイ様ぁっ!」
「ぐぅふ」
勢いよくアリッサが首に抱きついてきて、俺は再び床に倒れた。後頭部が地味に痛いが、裸の胸に感じる彼女の体温が心地よい。いやらしくない程度に胸元が開いたドレスで、直に肌と肌が触れていると気づき、ドクドクと胸が高鳴った。
――いやいや、余計なことは考えるな。俺は『媚薬』を飲まされたんだぞ。
アリッサは天使なんだ、天使に邪な思いを抱いてはいけない。

「ごめんなさい、レイ様が心配で、私……」
後半は涙声になっている。よく見えないので彼女の顔を両手で挟み、口づけて安心させようと顔を近づけた。……と、すぐに手を払われた。
「レイ様……ダメですっ」
恥ずかしいのか?まったく、可愛らしいな。
「そうだな。ここでは良くないな。……後で二人きりの時に」
「……あ……えっと……はい」
渋々といった様子で頷いたアリッサに、何か引っかかるものを覚えた。
――いや、やはり、キスはできない。
アリッサの蕩けた顔をアレックスなんぞに見せるわけにはいかない。あれを見ていいのは世界中で俺だけだ。

   ◆◆◆

「フローラは別室で先生方と話をしているよ。理由は公にできないが、今回の件で退学になると思う
「そうか」
職員室から戻ってきたセドリックは、部屋で待っていた俺達に説明した。何を見たのか、先生方に詳しく話してきたらしい。当事者である俺には、学院長自ら後日話を聞くそうだ。知られたくないが仕方がない。真実を述べなければ、フローラはまた学院内で問題を起こしかねない。
「見つけたのが僕とアレックスだったからよかったけれど、他の誰かだったらどうなっていたか」
「他の奴だったらどうなるんですか?」
「レイはフローラを妻に迎えなくてはならなかったろうね」
「はあ?襲われたのはレイモンドさんなのに?」
「俺の指示で上に乗ったと言えば……なくもないだろう。お前も気をつけろ、アレックス。特にお前は魔法が使えないから……」
「はい。やっぱ怖え……魔法って」
アレックスは口角を下げてげんなりした。魔法を賛美していた奴の台詞とは思えないな。

「王太子様……あの……」
「どうしたの?アリッサ」
「うん、ええと……私、フローラちゃんに嫌われていたんでしょうか。フローラちゃんは私のことを何と?」
震える声で尋ねるアリッサの肩に手を回す。あんな女でもアリッサにとっては唯一の友人だったのだ。受けた衝撃はいかほどのものだろう。

「どうかな。僕が見ていた限りでは、君と話している時のフローラは楽しそうだったよ。君が嫌いだから何かしたかったのではなく、彼女はただ、レイが好きだったんだと思う。初めは、レイと繋がりを作るために君に近づいたのだとしても、君達が築いてきた数年間は偽物じゃないよ」
「殿下……俺、感動しました!」
「アレックス、君は少し黙っていてくれるかな?」
「そうっすよね、アリッサとフローラは仲が良くて、ううう……」
「何泣いてんの、アレックス。アリッサからもらい泣き?」
「だってよぉ、ジュリア。辛いだろうが。親友と同じ人を好きになるってさあ」

「大丈夫か、アリッサ」
「……」
「送っていく。着替えたら更衣室に迎えに……」
「レイ様……一つだけ、お願いがあるんです」
俺の上着の袖を細い指が掴んだ。
「講堂で、私と踊ってくださいませんか。……今日のこと、悲しい思い出にしたくないんです」
頷く代わりに滑らかな銀の髪を撫で、俺は彼女の額にキスをした。

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