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第三章「嘘つきな私のニューゲーム」

【私たちの、宣戦布告】

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『電話をした時にね、七瀬ちゃんにプレゼントしたいから、何がいいかなって相談されたの』
「そ、そうなんだ」

 妹にプレゼントというのは、かこつけた話だったのだろうか。それにしても、なぜ、菫に相談したのだろう。

『七瀬ちゃんの誕生日、二週間後だもんね。あとで私も渡すから』
「あはは、ありがと。でもほんと、誕生日プレゼントもらっただけだから」

 デートのことは言えないし、話を逸らすことしかできなかった。どんな言葉を口にしたらいいのか、わからない。

『それからね』
「う、うん?」
『花火大会の日、なんだけど、七瀬ちゃんも誘って三人で行こうって。三嶋君が』
「な、なんで!?」

 脊髄反射でそう叫んだ。
 わからない。もうそれこそさっぱりだ。二人は相思相愛で、私が割って入る隙間なんて本来なかった。どうして? と疑問が首をもたげるのと同時に、蓮に言われた台詞がふわっと蘇ってくる。

 ――でさ。――いや、なんでもね。開けてみて。

 あの時、確かに彼は何かを言いかけてやめた。
 そして今度は、菫に誘われた花火大会に、私も誘おうと言いだしている。
 普通に考えて、私を誘う理由なんてない。これらの情報を繋げていくと、『蓮が私に好意を持っている』という突飛な仮説が成り立つ。
 なにそれ。そんな話、私は知らない。それとも菫が口にしなかっただけで、こういったやり取りが元々あった? やり取りがなかったとしても、これが蓮の本心だった可能性はある。でも……私が知っている世界とあまりにも違いすぎないか。
 私の行動によって世界の流れが変わっている? ある意味、私が望んでいた変化だが、できれば自分の力で蓮を振り向かせたかった。これは、なんていうか違う……。気持ちの整理がつかず困惑していると、『ねえ』と再び菫が言った。

「はい」
『敬語とかおかしい』
「あはは、そうだね」

 深刻さの抜けた軽い口調で菫が話してくれるから、少しずつ動転していた心が落ち着いてきたその時、いよいよ核心をつく質問が彼女の口から放たれた。

『ねえ、七瀬ちゃん。彼のこと、好きだよね?』

 心臓が、ドクンと跳ねた。

「え、なんで」

 咄嗟に口から漏れたのは、場を繋ぐためだけの安っぽい台詞で。
 蓮のことを思うだけで、温かくなる心。跳ね上がる心拍数。間違いなく私は蓮のことが好きだ。あれから七年間、景と同棲している今でさえ、告白できなかった過去をずっと悔いてきた。ここで再び嘘をついたら、七年前よりもっと菫を傷つけることになる。そんな気がした。この先も菫と友だちでいるために、ここで本心を告げるべき。
 それなのに、動悸が激しくなる。今日の昼感じたのと同じ痛みが、胸の奥に赤々と宿った。これはいったいなんなのだろう。蓮がもし私のことを好きだったら、どう足掻いても菫は幸せになれないから、だろうか?

「うん。好きだよ」

 でも、ここで嘘をついちゃ、やっぱダメだ。

『そっか。だよね』

 諦観ていかんしたような、菫の声がくぐもって聞こえた。水の中で反響した音みたいに。

「え?」
『薄々だけど、わかっていたんだよ』
「うん……」
『七瀬ちゃんが三嶋君を好きだってことも。三嶋君の七瀬ちゃんへの気持ちが途切れていないことも、ようやくわかった』

 ――蓮の気持ちは途切れていない。
 そうなんだろうか。世界が変化してこうなったのか、それとも元々こうだったのか。もしそうだとしたら、菫はどんな気持ちで私のことを見てきたのだろう。
 蓮に対して素っ気ない態度を取りながら、それでも隠しきれずに滲み出してしまう私の刺々しい嫉妬心に、彼女は人知れず苦悩していたのかもしれない。
 あの日私は、菫に本心を告げられなかった。気遣いじゃない。そこにあったのは、諦めという自分本位な感情だった。そのことがかえって、彼女を苦しめたのかもしれない。

『元々私は、三嶋君と七瀬ちゃんの間に割って入った存在だったから、七瀬ちゃんが自分を押し殺していることにすぐ気づいた。でも、二人は学校で噂になるほど仲が良かったし、今度は私に譲ってくれてもいいじゃんって思った』

 私も、同じだった。

『でも、七瀬ちゃんに気を遣わせているのが、同時に苦しかったんだと思う。だから今日、三嶋君に言われて、ハッと目が覚めたんだ。このままじゃダメだって』

 七年前、心の奥底に封じ込めたはずの想いは、何年経っても消えなかった。忘れようとすればするほど反動で大きくなって、どうしようもないほど息苦しかった。

『だから良かった。七瀬ちゃんが嘘をつかずにぶつかってきてくれて。なんとなくね、出し抜くような気がして、心が痛かったの』

 やっぱり菫はいい子だね。嘘をついて菫を陥れた私と違い、こうして本心をさらけ出してくれる。そんな菫と、ずっと親友でいたいと願う。
 ならば、私からも全力でぶつかっていかなくちゃならない。
「じゃあ、正々堂々勝負だね」と私が言うと、『決戦は、花火大会の日』と菫が返す。
『環境を変えたければ、先ずは自分から』
 電話を切ったその直後、ふわっと景の言葉がよみがえる。
 彼だったらどうするのかな、と考えてから三秒後、私の足が動いた。
 私は部屋を、飛び出した。

   ※

 翌日、普段より早起きすると、手早く身支度を整え家を出た。
『七瀬がこんなに早く起きるなんて、明日は雪にあるんじゃないかしら』という母親の失礼な声が聞こえたが知ったものか。
 私は今日、やらなければならないことがある。
 いつもより二十分早いバス停への到着。緊張から身を強張らせて待っていると、やがて自転車に跨った菫の姿が見えてくる。
 駐輪場所に自転車を置いたあと、こちらに向いた菫の瞳が大きく見開かれた。ただでさえ丸くて大きな瞳が、さらに大きく。

「なにそれっ!? どうしたの七瀬ちゃん」

 素っ頓狂な叫びが、朝の静謐せいひつな空気を切り裂いた。

「ああ、これ? 気分転換っていうか、なんていうか」

 バッサリ切って短くなった、ショートカットの襟足を照れ隠しに指先でかいた。
 昨日の夜、母親に頼み込んで髪を切ってもらったのだ。美容院で切ったわけでもないので、仕上がりは正直微妙だけれど。
 心機一転。ここからやり直そうという私なりの決意表明。

「ふうん。でも、似合ってるかも。小さかった頃の七瀬ちゃんみたい」
「小さかった頃、というか、だいぶちっちゃい頃ね」

 うん。戻りたいんだ私は。なんの悩みもなく、菫と親友でいられたあの頃に。

「菫は……怒ってないの?」

 これまでずっと訊けなかったのに、すんなり言えた。でも、言葉が足りてないなって、同時に思う。

「怒ってるって、何を?」
「その、私のこととか」
「もしかして、昨日のこと? あれはごめん。少し感情的になっちゃったから、むしろ私のほうが」
「違う、そうじゃないの」

 菫は悪くないんだ。なにひとつ。

「美登里と菫が気まずくなったとき、私が上手くフォローできていれば……って、今でも思うの。それができたの、たぶん私だけだったし」
「ああ、そのこと?」と心底どうでもいいって雰囲気で菫が呟いた。
「今思えば、坂本君ってどんな感じなのかなあって、興味本位で見ていた気がする。それで勘違いをさせたなら私のせいだし、坂本君が悪いわけでも七瀬ちゃんが悪いわけでもないよ。確かに美登里ちゃんと気まずくなったのはしんどいなって思うけど、私あの子のこと元々あんまり好きじゃないから」

 へーきだよ、と言って菫が拳を握った。
 本当に、そうなんだろうか。また、彼女に我慢をさせていないだろうか。

「美登里やえっちゃんに逆らったら、後が怖いしね。そういう意味じゃ、七瀬ちゃんも大変だよね」

 そう言って、今度は舌を出した。
 彼女のふっくらとした唇はピンク色で、やっぱりあのリップ、菫によく似合うなって思う。
 でも、彼女が許してくれたからって甘えるわけにはいかない。私が見て見ぬふりをしてきたことは、他ならぬ事実なのだから。

「でも、避けられてる感じがするのは、ちょっとだけ辛かったかな」
「うん」

 呟いてから、これじゃダメだなって思う。なんのためにここに来たんだ私は。蓮に気持ちを伝えるってことと、あともうひとつ。

「ごめんね。菫」
「うん」
「それからありがとう。本音で語ってくれて。これからは私も、自分に素直になるから。これからは私――」

 七年前の菫がどんな気持ちだったのか。どんな思いを隠していたのか、今私は知った。
 二度目の今を過ごしている私だからこそ、できることがきっとある。

「もう、菫に遠慮しない。花火大会の日、目いっぱいおめかしして行くから」

 ちりっと、胸の奥が軋むように痛んだ。でも私は、菫に対する罪悪感に蓋をして宣言した。

「まだどうなるかわかんないけど、チャンスがあったら、告白だってしちゃうかも」

 驚いたように双眸を丸くして、それから菫は、「ふ」と相好を崩した。

「宣戦布告かあ。むしろ望むところだよ。私だって、とっておきの浴衣着ていくんだから」

 ああそうだ、と菫がニンマリと悪戯な笑みを湛える。

「もういっそのことさ、二人同時に告白しちゃおっか? 私と七瀬ちゃんと、どっちを選ぶんですかーって」

 当惑して眉尻を下げ、後頭部をかきむしっている蓮の姿が頭に浮かぶと、堪えきれずに失笑した。

「なにそれ、絶対面白い」

 私らほんと酷い奴だねって顔を突き合わせ、二人でひとしきり笑った。溌剌はつらつとした笑い声が朝の空気に満ちて、何をしても楽しかったあの頃に、今だけ戻れたような気がした。
『逃げんなよ』という景の声が聞こえた気がした。
 当たり前じゃん。逃げないよ。
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