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第三章「嘘つきな私のニューゲーム」
【大ピンチ!】
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「ほんとさ。せめて五月の頭くらいまで戻してくれれば良かったのに」
ぼやくことしかできない優柔不断な私を嘲笑うかのように、突然強い風が吹いた。舞い上がった土埃が目に入り、痛みをともなって視界が滲んだ。
埃のせいか、不甲斐無い自分が惨めなのかよくわからないが、目尻に溜まった涙を指先で拭った。
この時代に戻れただけでも奇跡なのに、そのうえ五月まで戻せと要求するのか、私は。
自問して、無様な自分の姿に落胆したその時、右肩に強い衝撃を感じてよろめいた。
「きゃっ」
考え事しながら歩いていたため、通行人と肩がぶつかったらしい。非礼を詫びようと口を開きかけて、出かけた謝罪が喉元で急停止する。
ぶつかった相手、二人組の男子学生だ。ひとりは、明るい茶髪に口ひげを生やした男。もう一方は中途半端なロンゲで、ワイシャツの裾をだらしなくズボンから出している。
ひと目で、面倒な手合いであること。肩をぶつけてきたのが意図的である可能性に思い至る。
「オイ。人の肩にぶつかっといて、謝罪もなしか」と睨んでくるロンゲ。即座に「あ、すいません」と頭を下げた。
結構ガタイが良い男らだ。さすがに中学生ではなさそう。たぶん、高校二年か三年生。
「こっちから謝罪を要求するまで謝れんとか、教育のなっとらん娘じゃのう」
これでも、未来の教師なんですけどね。今どきこんな絡み方をしてくる輩がいるんだな、なんて思ったのが失敗だった。下手に出たつもりでも、不満の色が顔に滲んでいたらしい。
「嬢ちゃん。なに笑ってるんだよ」
ロンゲが語気を荒げると、辺りの空気がぴんと張り詰める。萎縮して一歩後ずさった。
「えっ、笑ってなんかいません」
「笑っていただろうが」
「あっ……、いえ、笑ったつもりはないんですが、そう見えたならごめんなさい。それと、ぶつかったのはこちらの前方不注視もありますので、そこは私にも非があります。……どうか許してください」
「私にも、ってなんぞ? いまいち誠意が感じられんのう。表向き謝ってみせているだけで、腹の底では俺らが悪いと思ってんだろ?」
「そんなことないです」
言葉の選択ミスにはすぐ気づいた。逆に火に油を注いでしまった、と後悔するももう遅く、手の跡が付きそうなほど強い力で腕を掴まれる。
「あれぇ……?」
ここで初めて口を挟んできた口ひげ男が、私の全身を舐めるように視線を這わせた。
なんだか、ヤな感じ……。どう言い逃れしようと、悪い方向に話を持っていかれそうな雰囲気だ。
「この制服ってさ、櫻野学園の奴じゃん。嬢ちゃん、もしかして中学生か?」
「あ、はい」
「マジかよ、高校生だと思ってたら中学生だって? それにしちゃ随分と発育がいいというか、エロい体してんじゃん。もう、男と遊んだりしてんの?」
口元を半月状に歪め、ロンゲが顔を寄せてくる。厭らしいその表情に恐怖して、ふい、と顔を背けた。
「そんなこと……してません」
「そんなこと、の中身は知ってるんだ?」
また失言だ。もういっそ黙ることにした。
「無視かよ。まあ、ほんとでも嘘でもどっちでもいいや。初物ってのは、それだけで価値があるもんだし」
ロンゲが下卑た笑みを浮かべると、口ひげ男も同調する。
「嬢ちゃん暇か? ちょっと俺らに付き合えよ? ぶつかってきたことに対する謝罪だと思えば安いもんだろ?」
「あっ、困ります。私、お金なんて持ってませんので……」
「あー、お金なら気にすんな。俺らが奢ってやっからさ。よし決まり。これからカラオケでも行こうぜ」
抵抗しようと力をこめるも、握られた手を解くことなど叶わない。強引に手を引っ張られて歩き始める。
どうしよう、ときょろきょろ辺りを見渡すが、生憎誰の姿もない。時間も時間なのだし、ここら一帯は廃れた商店街が続いているのだからしょうがないところか。自分の迂闊を恥じるほかない。ないのだが、なすがままというのも癪だ。これでも中身は二十一歳なのだし。
商店街の端から端まで視線を往復させて、冷静に対応策を考える。
車の往来は多少あるが、通行人の姿は先ほどからまったくない。いまここで悲鳴を上げたとしても、助けが飛んでくる可能性はあまり高くない。むしろ男たちを逆上させて、路地裏にでも引きずり込まれたら一巻の終わりだ。
チャンスは一度。タイミングは慎重に。前後の見境いがなくなったこの手の輩は、本当に恐ろしいのだ。先ずは下手に逆らわず、このまま従うのが得策か。逃げる機会をうかがうのは、もっと人通りの多い場所に行ってからにしよう。
そう結論を与えると、手を引かれるまま大人しく歩き続けた。
ようやく観念したみたいだな、というロンゲの声は、右から左に聞き流した。
──カラオケなら、さっき行ってきたばかりなのに。
もっとも、本当にカラオケだけで済めばいいのだが。いざというとき誰かに連絡を入れられるよう、ポケットの中にある携帯電話を手繰り寄せた。
「おっと。誰かに助けを求めようとすんなよ?」
不審な動きを見破られ、口ひげ男が私の左手をひねり上げる。
「あ、痛ッ」
「最近は中学生でも携帯なんて持ってるんだな。まったく、油断も隙もあったもんじゃない」
そのまま、両腕を抱えられる格好になった。
その言い方じゃ、酷いことをしますって言ってるようなもんじゃない。上手く事を運べない自分の要領の悪さを、心中で嘲笑う。
血が滲みそうなほど下唇を噛んで俯いたその時、耳に馴染んだ声が背中から聞こえた。
「嫌がってんでしょ、その子」
私の人生で、もっとも多くの時間を過ごしてきた彼。
不思議と、泣きたくなるほど懐かしく感じる声。
「んだぁ、お前」
私と二人の男が同時に振り返ると、予想通り景が仁王立ちしていた。着崩した制服が、このときばかりはちょっと様になって見える。
「……月輪君」
ぼやくことしかできない優柔不断な私を嘲笑うかのように、突然強い風が吹いた。舞い上がった土埃が目に入り、痛みをともなって視界が滲んだ。
埃のせいか、不甲斐無い自分が惨めなのかよくわからないが、目尻に溜まった涙を指先で拭った。
この時代に戻れただけでも奇跡なのに、そのうえ五月まで戻せと要求するのか、私は。
自問して、無様な自分の姿に落胆したその時、右肩に強い衝撃を感じてよろめいた。
「きゃっ」
考え事しながら歩いていたため、通行人と肩がぶつかったらしい。非礼を詫びようと口を開きかけて、出かけた謝罪が喉元で急停止する。
ぶつかった相手、二人組の男子学生だ。ひとりは、明るい茶髪に口ひげを生やした男。もう一方は中途半端なロンゲで、ワイシャツの裾をだらしなくズボンから出している。
ひと目で、面倒な手合いであること。肩をぶつけてきたのが意図的である可能性に思い至る。
「オイ。人の肩にぶつかっといて、謝罪もなしか」と睨んでくるロンゲ。即座に「あ、すいません」と頭を下げた。
結構ガタイが良い男らだ。さすがに中学生ではなさそう。たぶん、高校二年か三年生。
「こっちから謝罪を要求するまで謝れんとか、教育のなっとらん娘じゃのう」
これでも、未来の教師なんですけどね。今どきこんな絡み方をしてくる輩がいるんだな、なんて思ったのが失敗だった。下手に出たつもりでも、不満の色が顔に滲んでいたらしい。
「嬢ちゃん。なに笑ってるんだよ」
ロンゲが語気を荒げると、辺りの空気がぴんと張り詰める。萎縮して一歩後ずさった。
「えっ、笑ってなんかいません」
「笑っていただろうが」
「あっ……、いえ、笑ったつもりはないんですが、そう見えたならごめんなさい。それと、ぶつかったのはこちらの前方不注視もありますので、そこは私にも非があります。……どうか許してください」
「私にも、ってなんぞ? いまいち誠意が感じられんのう。表向き謝ってみせているだけで、腹の底では俺らが悪いと思ってんだろ?」
「そんなことないです」
言葉の選択ミスにはすぐ気づいた。逆に火に油を注いでしまった、と後悔するももう遅く、手の跡が付きそうなほど強い力で腕を掴まれる。
「あれぇ……?」
ここで初めて口を挟んできた口ひげ男が、私の全身を舐めるように視線を這わせた。
なんだか、ヤな感じ……。どう言い逃れしようと、悪い方向に話を持っていかれそうな雰囲気だ。
「この制服ってさ、櫻野学園の奴じゃん。嬢ちゃん、もしかして中学生か?」
「あ、はい」
「マジかよ、高校生だと思ってたら中学生だって? それにしちゃ随分と発育がいいというか、エロい体してんじゃん。もう、男と遊んだりしてんの?」
口元を半月状に歪め、ロンゲが顔を寄せてくる。厭らしいその表情に恐怖して、ふい、と顔を背けた。
「そんなこと……してません」
「そんなこと、の中身は知ってるんだ?」
また失言だ。もういっそ黙ることにした。
「無視かよ。まあ、ほんとでも嘘でもどっちでもいいや。初物ってのは、それだけで価値があるもんだし」
ロンゲが下卑た笑みを浮かべると、口ひげ男も同調する。
「嬢ちゃん暇か? ちょっと俺らに付き合えよ? ぶつかってきたことに対する謝罪だと思えば安いもんだろ?」
「あっ、困ります。私、お金なんて持ってませんので……」
「あー、お金なら気にすんな。俺らが奢ってやっからさ。よし決まり。これからカラオケでも行こうぜ」
抵抗しようと力をこめるも、握られた手を解くことなど叶わない。強引に手を引っ張られて歩き始める。
どうしよう、ときょろきょろ辺りを見渡すが、生憎誰の姿もない。時間も時間なのだし、ここら一帯は廃れた商店街が続いているのだからしょうがないところか。自分の迂闊を恥じるほかない。ないのだが、なすがままというのも癪だ。これでも中身は二十一歳なのだし。
商店街の端から端まで視線を往復させて、冷静に対応策を考える。
車の往来は多少あるが、通行人の姿は先ほどからまったくない。いまここで悲鳴を上げたとしても、助けが飛んでくる可能性はあまり高くない。むしろ男たちを逆上させて、路地裏にでも引きずり込まれたら一巻の終わりだ。
チャンスは一度。タイミングは慎重に。前後の見境いがなくなったこの手の輩は、本当に恐ろしいのだ。先ずは下手に逆らわず、このまま従うのが得策か。逃げる機会をうかがうのは、もっと人通りの多い場所に行ってからにしよう。
そう結論を与えると、手を引かれるまま大人しく歩き続けた。
ようやく観念したみたいだな、というロンゲの声は、右から左に聞き流した。
──カラオケなら、さっき行ってきたばかりなのに。
もっとも、本当にカラオケだけで済めばいいのだが。いざというとき誰かに連絡を入れられるよう、ポケットの中にある携帯電話を手繰り寄せた。
「おっと。誰かに助けを求めようとすんなよ?」
不審な動きを見破られ、口ひげ男が私の左手をひねり上げる。
「あ、痛ッ」
「最近は中学生でも携帯なんて持ってるんだな。まったく、油断も隙もあったもんじゃない」
そのまま、両腕を抱えられる格好になった。
その言い方じゃ、酷いことをしますって言ってるようなもんじゃない。上手く事を運べない自分の要領の悪さを、心中で嘲笑う。
血が滲みそうなほど下唇を噛んで俯いたその時、耳に馴染んだ声が背中から聞こえた。
「嫌がってんでしょ、その子」
私の人生で、もっとも多くの時間を過ごしてきた彼。
不思議と、泣きたくなるほど懐かしく感じる声。
「んだぁ、お前」
私と二人の男が同時に振り返ると、予想通り景が仁王立ちしていた。着崩した制服が、このときばかりはちょっと様になって見える。
「……月輪君」
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