『これが最後の晩餐 ― 定年離婚、年金分割という優しさの罠 ―』

『これが最後の晩餐 ― 定年離婚、年金分割という優しさの罠 ―』

湯気の立つ、すき焼きの鍋
割り下の甘い匂いが、部屋の奥まで満ちている

寿司の艶は、やけに整っていて
四十年の時間を、きれいに切り分けたみたいだった

「お疲れさま」

その一言は、柔らかくて
どこにも棘なんてないはずなのに

なぜか、よく研がれていた

グラスの中で、氷が鳴る
カラン、と
小さく、確かな終わりの音

「これで、やっと自由ね」

その言葉の意味を
あのときの私は、まだ知らない

紙は、静かだった

白くて
軽くて
何も書いていないみたいに見えるのに

そこにあるのは、名前と、境界線

夫と妻を分ける
一本の、見えない刃

「一人なら、余裕だろ」

その声は、どこか安心していて
どこか、何も疑っていなかった

月、十八万

数字はやさしい
丸くて、きれいで
ちゃんと生きていけそうな顔をしている

けれど

半分に割るとき
その数字は、音を立てない

ただ静かに
生活を削る

十万と、七万

それだけで

台所の光が変わる
水の冷たさが変わる
夜の長さが変わる

「制度だから」

それは、誰かのための優しさで

誰かにとっては、救いで

でも

同じだけ、誰かの足元を
そっと削っていくものだった

ありがとう、と言われなかった日々

当たり前に消費された時間

名前もつかなかった労働

それらは全部
数字に変わる

遅れて、
静かに、
逃げ場なく

最後の晩餐は

豪華だった

やけに、やさしかった

だからこそ

いちばん残酷だった

あの日の湯気は、もうない

寿司の光も、消えた

けれど

あの白い紙だけが

今も、どこかで

音もなく
人生を分け続けている

24h.ポイント 149pt
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