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第一章

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「ザフラ、御義父様から手紙が来ていたわ」

 久々に邸へ帰ってきた彼は、自室で着替えをする中、入ってきたイルティアに目を向ける。

「父から? 珍しいね」

 使用人の差し出した上着のジャケットへ袖を通し、下がるように指示を出す。ザフラが側に来たタイミングで、イルティアは折り畳まれた手紙を広げた。

「少し先の話になるようだけど、一族の集まりみたい。時期としては、悪くないと思うけど」

 手紙を受け取り、ざっと目を通す。一通り読んだあとザフラは、そのまま彼女へ戻し、執務机へと向かった。

「確かにその期間なら問題ない。承諾の返事を出しておいてくれるかな」
「ええ、分かったわ」

 忙しなく動く背に、イルティアが再び声をかける。

「あの、ザフラ……」
「ん?」
「朝食はもう摂った?」

 すると彼は、思い出したように動きを止めた。

「ああ。そういえば、まだだったな」
「! じゃあ、一緒に」
「けど今日は、外で摂ることにするよ」

 一瞬明るくなったイルティアの顔が、再び曇る。その前を通り過ぎるザフラが、ふと足を止める。

 振り返った彼は、首を傾げた。

「あの集まりには、イルティアも来るんだよね?」
「……」

 わずかな期待も、幾度となく砕かれる。慣れたと思っていても、痛む胸は変わらない。イルティアは小さく息を吐いて、返事をした。

「……もちろんよ」
「なら良かった。当日は頼むよ」

 そう言い残して、彼は部屋を後にした。一人残されたイルティアは、また溜め息を吐く。

 手元の手紙に、視線を落としながら。

*  *  *

 アミュレットの納品は別の場所で行う、と連絡が来たのは数刻前のことだった。

 要した日数は、きっかり三日。イルティアは、感心しつつも不安を感じていた。

 馬車で揺られるのは慣れている。ただ、小窓が厚手の布で遮られているのだ。そこから外を覗こうとしたら止められた。

 付き人が供にいるのだから、おかしなことは起きないだろう。そう思うものの、行き先が分からないのは落ち着かない。ソワソワとする感覚を持て余す頃、到着の声がかかった。

「……こちらは?」

 見知らぬ邸宅。それなりの大きさをしているが、覚えはない。イルティアは、思わず自分の付き人へ顔を動かす。向けられた男性は、首を横へ振った。

 再び正面に視線を戻すと、リュクスが歩いてくるところだった。

 彼は、イルティアの前で立ち止まり、彼女の手を取る。

「お待ちしておりました。では、ご案内致します」
「ここは貴方の邸宅?」
「本宅ではありませんが」
「そう。ここにアミュレットがあるのかしら?」
「それも含めて、後程。さあ、行きましょう」

 背に手を添えたリュクスに導かれ、邸へと向かう。茶の大きな扉を従者が開け、吸い込まれるように二人は、その中へと入っていった。

 通されたのは、広い一室。でも、馬車の時と同じように、窓と思しき場所には厚手のカーテンが引かれていた。

 それを見ながら、促されたソファへ座る。しばらくして、イルティアの前に一つの箱が用意された。反射的にリュクスを見ると、彼は手を差し出し、開けるよう示した。

「……」

 イルティアが躊躇いながら、蓋へ手をかける。ゆっくりと上へ持ち上げるように箱を開ける。そこには、約束通り鍵に巻き付く荊と、誇らしげに咲く薔薇が一輪、青い石の中に描かれていた。

 動きを止めていたイルティアに、リュクスが顔を覗き込む。

「いかがですか?」

 その声に、彼女は目を瞬かせる。そのまま、驚きを含めた声を出した。

「これ、は……想像以上だわ」
「ご期待に添えたようで、安心致しました」
「ええ、満足よ。でも、この荊は難しかったんじゃなくて?」
「そうですね。すでに鍵は彫られていたもの。そこに足すのは至難の技でした。ですが、角度を考えれば出来ないことではないと教えられましたよ」
「さすがね……」

 何度も位置を変えては、眺めるイルティア。その様子に、リュクスが口角を上げる。

「では、御約束通り、貴女の時間をいただきましょう」
「そうね。何をすれば良いのかしら?」

 そう言った彼女の元に向かう。彼は恭しく手を差し出した。

「御手を」
「……」

 イルティアが、その手に手を重ねる。そっと立ち上がると、優しく腰を抱かれた。導かれるままに連れられたのは、大きな窓の前。どういうことか、と、彼女は首を傾げる。

「ここに何かあるの?」
「今、お見せしましょう」

 その言葉と共にスルスルと、カーテンが開かれていく。そこから広がった景色に、イルティアは思わず息を呑んだ。

「……」

 ガラス一枚隔てた向こうに、煌めく湖畔。囲うような濃い緑の森を、沈みかける太陽が照らしている。空はどこまでも続く淡い水色に桃色が混じり始め、それがまるで絵画のように見えた。

 彼女の横顔に、彼はさらに優しく瞳を細める。

「お気に召しましたか?」
「ええ、素敵だわ。今までに見たどんな風景よりも……」

 引き寄せられるように、ガラスへ手を添える。側にいたリュクスが、静かな声で問いかける。

「外に出てみましょうか」
「いいの?」
「ええ」

 リュクスが視線を動かすと、近くにいた従者の一人がサッと前に出る。慣れた様子で、薄いガラスの扉を開けた。

 リュクスが差し出す手に、イルティアも応じ、共に外へ出る。瞬間、ひんやりとした風が吹き抜けていった。

 わずかに身を震わせるイルティア。すかさず従者が、ショールを差し出す。受け取ったリュクスがそれで包み込むと、彼女は小さくお礼を口にした。

「有難う」
「いえ。貴女が冷えてはいけませんから」

 気遣う言葉に彼女は、微笑むだけに留める。彼から離れ、数歩前に出ると、視線を湖畔に向けたまま問いかけた。

「時間を、と言ったのは、この為だったのね。いつから考えていたの?」
「初めてお会いした時から、お顔が優れないとは感じておりました。機会があれば、心を晴らす手伝いが出来ればとも」
「そう。だから、私からの話も受けたのね。でも、これでは報酬になってないわ」

 リュクスは「いいえ」と、首を振る。

「貴女のその表情が、我々にとって何よりの宝となります」
「ふふ、本当に貴方は人の心を掴むのが上手いのね」
「恐れ入ります」
「…………」

 イルティアは、見入るように景色を眺めたまま動かない。リュクスも彼女の隣に並び、同じように景色を見つめた。

「一つ、お聞きしても宜しいですか?」
「……何かしら?」
「何故、あのアミュレットに薔薇を足すよう、依頼したのでしょうか?」

 間を置いて、イルティアが答える。

「大したことじゃないわ」

 言いながら、彼女はわずかに視線を落とした。

「先日見せて頂いた品は、どれも素晴らしかったわ。あれなら、若者を中心に流行るでしょう。でも、保守的な方々には、まだ広まらない」
「恥ずかしながら、その通りでございます」
「だから、一案を示したつもりだったの」
「…………一案、ですか」
「ええ。すでに浸透している素材とかけ合わせた、新たなデザインはどうかしら、と」
「…………」

 リュクスが顎に手を添え、考える。イルティアは、淡々と続けた。

「アミュレットに携わった職人の方は、いくつもの案が浮かんだんじゃないかしら? 試行錯誤の影が見えるもの」
「そうですね。この三日、ほとんど寝る間も惜しむくらい……考えさせていただきました」
「……?」

 イルティアがリュクスに顔を向け、瞳を瞬く。

「まさか、貴方が?」
「ええ。私のところで取り扱っている品の全てではありませんが、あのアミュレットは私の作品。故に、手を加えたのも私でございます」
「そう。では、大変な苦労をかけたわね」
「いえ。むしろ、貴女の言う通りです。新たな道が拓けたとも言えましょう」
「お役に立てたのなら、何よりだわ」

 自然と浮かぶ彼女の笑みは、今までより随分と柔らかくなった。リュクスは、そう思いながら、コーラルの髪を揺らしてイルティアに向き直す。

 そして彼女の手を取り、口元に持っていった。出された声は、今までより幾分か低くなっている。

「貴女は聡明な方だ。これからも、意見をいただいても構わないだろうか」
「相応の対価は戴くわよ?」
「貴女が望むなら、いくらでも」
「ふふ、本当に口が巧いのだから。でも、そうね……」

 言葉を切ったイルティア。再度、景色に目を向ける。

「またここに連れてきてくださるのなら、構わないわ」

 リュクスは瞳を細め笑みを深めた。

「……ならば、ここは貴女だけの場所に致しましょう」

 その言葉に、驚いたように彼女の目が見開かれる。

「そこまでしていただく必要は」
「いえ。私がそうしたいのです」

 口付けを落とし、イルティアの腰を抱く。リュクスは、彼女の耳元に顔を寄せた。

「貴女の都合の良いときに、またここで」

 微かな動揺を抑え、彼女は答える。

「……ええ。わかったわ」

 返事に、リュクスが柔らかく笑う。身を離すと、そのまま邸へ戻ることを勧めた。

「もうすぐ陽も沈むことでしょう。こちらには、ご希望をいただき次第、いつでも来られるよう手配しておきますから、今日はこの辺りで」
「そうね。有難う」

 イルティアが微笑み、そのまま二人は、その場を後にした。
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