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第四章
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邸に戻ってきたのは、出たのが遅かったためか、いつもより遅い時間だった。ザフラは、すでに正餐を終えていると聞いて、イルティアも後から一人食事を摂った。
いつもなら寂しさに、味わうこともしない彼女だったが、今日は不思議と美味しく感じた。
密かに進めている、ザフラへの贈り物の作製。渡したら喜んでくれるだろうか、どんな顔をしてくれるだろうか、そう考えると嬉しくなってしまう。
そして……。
ふと、スープを掬う途中で、スプーンを持つ手を止めた。思わず浮かんだ言葉を呟く。
「頼りにしてる、か」
ふふ、っと、彼女は笑う。そっと淡い黄色のポタージュに沈めたそれを、口に運んで喉へ通す。ほのかに甘さの残る、濃いとうもろこしの味がした。
今まで……イルティアは、ただ一心にザフラのことだけを想って過ごしてきていた。
学ぶことも、考えることも、その行動の全てが彼のためになるように、と。
そうして過ごしてきた日々は、確かに並んで歩いてきたはずだった。幼いときから、共に支え合っていたと、そう思っていた。
それが、いつしか変わってしまっていたのだ。彼は、自分など見てはいない。そんな卑屈な考えさえ浮かぶようになっていた。
それが、リュクスと出逢い、新たな世界を知っていくうちに変化をもたらした。並んで歩く楽しさを思い出して、互いに支え合う嬉しさを感じることが出来るようになった。
そしてまた、一つ、新しい感情をもらった。
イルティアは、その想いを大切に仕舞い込むように静かに瞳を閉じる。
「…………」
再び開いた、その深緑の瞳は明るく輝いていた。
* * *
就寝のために、自室へ戻ってきたイルティアは、部屋の明かりが点いていることに疑問を浮かべる。けど、理由はすぐに分かる。
入ってすぐ、低い声が耳を掠めたから。
「……今日は、邸を出たんだね」
足を止め、聞こえた方に顔を動かす。ザフラが、自分の椅子に座り、足を組んで執務机の上の書類へ目を通していた。
その姿に彼女は、わずかに眉間へシワを寄せる。
「ええ、出たわ。でも、仕事は全て終わってるはずよ。その他の時間なら、私の好きにして構わない。違う?」
こんな、突っ掛かるような物言いがしたいわけじゃない。けれど、勝手に部屋に入って、自分の仕事を確認される。それが、信用されていないように感じて、止められなくなってしまった。
イルティアの言葉を受けて、ザフラが書類から顔を上げる。直後、その瞳をスッと細めた。
「それが、他の男のところだったとしても、僕には何も言う権利がないのかな」
「他の男?」
彼女が首を傾げると、ザフラはゆっくりと立ち上がり、傍に寄る。その頬に手を伸ばし、指を添えた。
「また彼のところに、行ったんだよね?」
ゆったりと頭を傾けたザフラの頬に、サラリとその黒髪が流れる。それを見ながら、イルティアはようやく言われてる意味に気が付いた。
「あ、リュー? そうね、だって私は…………んっ!」
けど、最後まで言う前に言葉が途切れる。突然の口づけに、彼女は大きく目を見開いた。理解できないまま、数秒。静かに顔を離した彼が、ふわりと微笑む。
「親しげに呼ばないでくれるかな? 気分が悪くなる」
「…………」
いつもと違う雰囲気に、何も言えなくなる。黙ったままのイルティアに、彼は続けた。
「悪いけど。彼のところに行くのは、もうやめて欲しい」
「!」
吐き出すように告げられたことが、受け入れられなくて彼女は慌てて訴える。
「待って! 私まだ途中のことがいくつも」
「そんなの、君以外でも出来る」
「……」
返ってきた言葉に呆然として、でもすぐに唇を噛み締める。ザフラへの……貴方への贈り物は、自分以外に作らせるわけにいかないのに。
その伝えることの出来ない思いが、反抗心を生んだ。
俯いたまま、彼女は呟く。
「……嫌よ」
その小さな声が、聞こえなかったわけじゃない。けれど、ザフラは再度問いかける。
「もう一度……言ってくれるかな」
彼の言葉に、芽生えた怒りが膨らむ。すかさず彼女は、顔を上げて返した。
「何度でも言うわ。私は嫌だ、って言ったの! 絶対に嫌。なんと言われようとも、今携わってることは、最後までやる」
「…………」
ハッキリとした意思を見せられて、ザフラがわずかに戸惑う。これまで過ごしてきた中で、彼女はいつも自分と寄り添っていてくれた。
だから、今回も同様だと考えていた。
けれど、彼女の様子を見るからに、それは難しいようだ。ザフラは少し悩んで、しばらくしてから、一つの答えを出した。
「なら、君の関係しているものが終わり次第、彼のもとへは行かない。それが約束出来るなら、僕もその間だけ、我慢するよ」
「!」
パッと表情を明るくさせる。彼女は、大きく頷いた。
「約束するわ! 有難う、ザフラ」
喜びに抱きついてくる彼女を受け止め、彼は「だけど」と続けた。
「従者を二人、新たに付けるけど構わないね?」
「ええ、わかったわ」
「あと」
「うん?」
真っ直ぐその視線を、イルティアに注ぐ。注意を促すように、強く告げる。
「彼には、出来るだけ近づかない」
「近づかない?」
「そう」
「? とりあえず分かったわ」
返事に、一抹の不安を抱えながらも、ザフラはその髪に指を通すように撫でる。彼女も、身を委ねるように瞳を閉じた。
いつもなら寂しさに、味わうこともしない彼女だったが、今日は不思議と美味しく感じた。
密かに進めている、ザフラへの贈り物の作製。渡したら喜んでくれるだろうか、どんな顔をしてくれるだろうか、そう考えると嬉しくなってしまう。
そして……。
ふと、スープを掬う途中で、スプーンを持つ手を止めた。思わず浮かんだ言葉を呟く。
「頼りにしてる、か」
ふふ、っと、彼女は笑う。そっと淡い黄色のポタージュに沈めたそれを、口に運んで喉へ通す。ほのかに甘さの残る、濃いとうもろこしの味がした。
今まで……イルティアは、ただ一心にザフラのことだけを想って過ごしてきていた。
学ぶことも、考えることも、その行動の全てが彼のためになるように、と。
そうして過ごしてきた日々は、確かに並んで歩いてきたはずだった。幼いときから、共に支え合っていたと、そう思っていた。
それが、いつしか変わってしまっていたのだ。彼は、自分など見てはいない。そんな卑屈な考えさえ浮かぶようになっていた。
それが、リュクスと出逢い、新たな世界を知っていくうちに変化をもたらした。並んで歩く楽しさを思い出して、互いに支え合う嬉しさを感じることが出来るようになった。
そしてまた、一つ、新しい感情をもらった。
イルティアは、その想いを大切に仕舞い込むように静かに瞳を閉じる。
「…………」
再び開いた、その深緑の瞳は明るく輝いていた。
* * *
就寝のために、自室へ戻ってきたイルティアは、部屋の明かりが点いていることに疑問を浮かべる。けど、理由はすぐに分かる。
入ってすぐ、低い声が耳を掠めたから。
「……今日は、邸を出たんだね」
足を止め、聞こえた方に顔を動かす。ザフラが、自分の椅子に座り、足を組んで執務机の上の書類へ目を通していた。
その姿に彼女は、わずかに眉間へシワを寄せる。
「ええ、出たわ。でも、仕事は全て終わってるはずよ。その他の時間なら、私の好きにして構わない。違う?」
こんな、突っ掛かるような物言いがしたいわけじゃない。けれど、勝手に部屋に入って、自分の仕事を確認される。それが、信用されていないように感じて、止められなくなってしまった。
イルティアの言葉を受けて、ザフラが書類から顔を上げる。直後、その瞳をスッと細めた。
「それが、他の男のところだったとしても、僕には何も言う権利がないのかな」
「他の男?」
彼女が首を傾げると、ザフラはゆっくりと立ち上がり、傍に寄る。その頬に手を伸ばし、指を添えた。
「また彼のところに、行ったんだよね?」
ゆったりと頭を傾けたザフラの頬に、サラリとその黒髪が流れる。それを見ながら、イルティアはようやく言われてる意味に気が付いた。
「あ、リュー? そうね、だって私は…………んっ!」
けど、最後まで言う前に言葉が途切れる。突然の口づけに、彼女は大きく目を見開いた。理解できないまま、数秒。静かに顔を離した彼が、ふわりと微笑む。
「親しげに呼ばないでくれるかな? 気分が悪くなる」
「…………」
いつもと違う雰囲気に、何も言えなくなる。黙ったままのイルティアに、彼は続けた。
「悪いけど。彼のところに行くのは、もうやめて欲しい」
「!」
吐き出すように告げられたことが、受け入れられなくて彼女は慌てて訴える。
「待って! 私まだ途中のことがいくつも」
「そんなの、君以外でも出来る」
「……」
返ってきた言葉に呆然として、でもすぐに唇を噛み締める。ザフラへの……貴方への贈り物は、自分以外に作らせるわけにいかないのに。
その伝えることの出来ない思いが、反抗心を生んだ。
俯いたまま、彼女は呟く。
「……嫌よ」
その小さな声が、聞こえなかったわけじゃない。けれど、ザフラは再度問いかける。
「もう一度……言ってくれるかな」
彼の言葉に、芽生えた怒りが膨らむ。すかさず彼女は、顔を上げて返した。
「何度でも言うわ。私は嫌だ、って言ったの! 絶対に嫌。なんと言われようとも、今携わってることは、最後までやる」
「…………」
ハッキリとした意思を見せられて、ザフラがわずかに戸惑う。これまで過ごしてきた中で、彼女はいつも自分と寄り添っていてくれた。
だから、今回も同様だと考えていた。
けれど、彼女の様子を見るからに、それは難しいようだ。ザフラは少し悩んで、しばらくしてから、一つの答えを出した。
「なら、君の関係しているものが終わり次第、彼のもとへは行かない。それが約束出来るなら、僕もその間だけ、我慢するよ」
「!」
パッと表情を明るくさせる。彼女は、大きく頷いた。
「約束するわ! 有難う、ザフラ」
喜びに抱きついてくる彼女を受け止め、彼は「だけど」と続けた。
「従者を二人、新たに付けるけど構わないね?」
「ええ、わかったわ」
「あと」
「うん?」
真っ直ぐその視線を、イルティアに注ぐ。注意を促すように、強く告げる。
「彼には、出来るだけ近づかない」
「近づかない?」
「そう」
「? とりあえず分かったわ」
返事に、一抹の不安を抱えながらも、ザフラはその髪に指を通すように撫でる。彼女も、身を委ねるように瞳を閉じた。
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