好きだと言わずにいられない。

古城乃鸚哥

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重なる音

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 五感に付随する記憶は消え難い。懐かしい香水の香りはある人の記憶を想起させるし、それに付随する思い出も呼び覚ます。
 音楽もそうだ。その楽曲に特定の人間との特別な思い出があれば、そのメロディを聴くたび、記憶が蘇る。
 メロディとともに時に鮮明に思い出される感覚は、現実と遜色ないほどで奏一を懐かしくも切ない気持ちにさせた。それは誰かと共有できるようなものではないし、共有するつもりもなかった。それなのに、貴史とその曲をデュエットすることになった。
 奏一は、自分でも思い返せば不思議なほど、何のためらいもなく貴史の介在を受け入れていた。そしてそれがどことなく、心地よくもあった。実際に、一緒に弾いている時得も言われぬ高揚感があった。ソロでも全体合奏でも、感じたことのない充足感、安堵といったほうが正しい。それは間違いなく、貴史の人柄によるものだと思えた。
 奏一の『ロマンス』にまつわるエピソードは、他の何よりも群を抜いた記憶だった。しかし、時は流れ記憶は思い出となり、最近はそれと同じくらい、貴史とのデュオに時間を費やしていた。貴史との共有によって、思い出が上書きされていくような感覚だった。それでも、忘れることはなかった。むしろ、忘れることが罪のように奏一には思えていた。
 先日の貴史のコンサートの申し出は、上書きによって苦い記憶を消していく奏一に今一度楔を打つように、明確にその事実を思い出させた。承諾するか否かは、その枷を忘れるかどうかと同意に思えた。それゆえに、奏一は答えを出せずにいたのだった。
 忘れてはいけない、自分はそれを永遠に背負っていかなければならない。
 その覚悟はあるつもりなのに、その代わりに貴史を切り捨てなければならないと思うと心が揺れた。おそらく、貴史自身は、本人の言葉通り、今回の件を奏一が断ったからといって、特段どうということはないのだろうと思う。切り捨てる、などとは大げさな気もする。ただ、奏一自身の心の問題が、ことを複雑にしていた。 
「……こんな気持ちでは、とてもじゃあないけど……」
 ヴァイオリンを構え、弓を弦に乗せて、それでも音は出せなかった。ゆるゆると楽器を下して、ため息をつく。コンサートを断るということは、貴史を裏切ることのように思えた。それでも、奏一にはやはり、過去の楔を外す手立てがなかった。
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