好きだと言わずにいられない。

古城乃鸚哥

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重なる音

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 あれからもう一週間が過ぎようとしている。今日こそは返事をしなければ、そう思って奏一は、重い足取りで貴史の元へ向かった。水曜の夕刻、この時間はもう講義も終了して、今頃は部室にいるだろう。そう思っても、なかなか歩は進まなかった。
 音楽棟から部室へ向かっている途中、奏一はふいに聞こえてきたピアノの音色に思わず足をとめた。外に音がもれ聞こえるということは、公開教室のピアノだろうか。そんなことを思いながら耳を澄ませていたら、自身が足を止めた理由を悟った。
 レーガーの、ロマンスだった。
 なんというメロディックな弾き方だろうか。心惹かれて、奏一は思わず音を辿って足を速める。
 誰かを想って弾いている。とても柔らかなタッチで、一音一音を大事に丁寧に弾いている。それでいて、盛り上がりの上昇音階に溢れんばかりの情感を込めて歌い上げる。聴いているだけで、切なさに泣けてくる。のびやかに、かわいらしく、時に大胆に。「表情豊かに」エスプレシーヴォとはこういう表現だ、と奏一は感銘を受け、一体だれが弾いているのかと気になってしかたなかった。
 自分にはこの奏者の気持ちがわかるような気がした。だから、このピアノの音の主にも、もしかしたら、自分の気持ちがわかるのじゃないかと期待した。
 実際に昔の話を吐露したいなどと思うわけではない、ただ、己の気持ちに寄り添うようなこの旋律をもっと近くで聴いていたい。自分はひとりではなかったのだと、錯覚でもそう思いたかった。
 早足で公開教室の前まで辿りついた奏一は、半分開いたドアの隙間からピアノの奏者をのぞき見た。その姿を確認したとき、思わず声をあげそうになった。
 ピアノを弾いていたのは、貴史だった。奏一は彼のピアノを聴いたことはなかったが、音楽科の学生だから、ピアノがここまで弾けることも不思議ではない。ただ、普段の彼のチェロからは想像もできないほど、起伏の激しい歌い方だった。決して荒々しいというのではない。よく聴けば確かに彼らしい、柔らかな音色だ。ただ、盛り上がりに堰を切ったように音を並べ走り込むような歌い方は、奏一の知る貴史からは想像もできなかった。
 一体、この歌い方でなにが「物足りない」というのか。
 奏一には、曲に浸る余裕がなくなっていた。この演奏が貴史の手によるものだということが、俄かには信じ難かった。半ば無意識に、奏一は公開教室へ滑り込みそっとピアノに歩み寄った。こちらに背を向けて演奏に集中している貴史が気付く様子はない。
 気配が悟られないぎりぎりのところまで近付いて、奏一は立ち尽くした。彼はどんな表情でこの曲を奏でているのだろうか。気になったけれど、演奏の手を止めたくなくて、そこから動かなかった。
 やがて心地よいラレンタンドの後、貴史がそっと鍵盤から手を離す。だがそのまましばらく、離した手を宙で止めたまま、曲の緊張感を保っていた。
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