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重なる音
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やがて解き放たれたように肩の力を抜き、貴史は長い息をつく。
「史さん」
奏一は思わず後ろから声をかけた。貴史はびくりと身を震わせて、はっと振り返る。
「そ、奏一くん……全然、気がつかなかったよ。驚いた」
貴史は胸を押さえながら苦笑した。
「驚いたのは俺のほうです。史さんが、そんな弾き方をするなんて思いもよらなかった。その弾き方で『物足りない』というんですか?俺の演奏などより、よほど歌い上げていると思いますが」
奏一は、自身が教会での演奏を断ろうとしていたことなど忘れて、苦笑いを返しながら流暢に言った。対する貴史が曖昧に笑うので、奏一ははっと我に返ってここ数日の己の顧みる。
なんとなく気まずくて、それとなく貴史を避けていた奏一だった。二の句を失った奏一たが、貴史も何か思うところがあるのかなかなか口を開かないので、居たたまれない沈黙が流れた。
目を伏せ、空気を変えるように貴史はピアノに向き直り、ロマンスの頭の音、Gを一音だけ、柔らかに鳴らした。
「……僕の演奏、……どうだったかな?」
奏一に背を向けたまま、貴史は呟いた。教室にはまだGの音が伸びている。
「……さっき言ったとおりです。とても、よく歌っていると思った。……いろんな感情が込められていると」
貴史が背を向けているおかげで、奏一は幾分素直に言葉を紡げる。意図してのことなのか否か、無意識にでも人を気遣っているのかと思わせる姿に奏一は苦笑を重ねる。
「らしくはない、とは思いました。でも、俺は……好きです。さっきの、あなたの弾き方」
そうか、という呟きが、苦み交じりなのが顔を見ないでもわかった。それっきりで、貴史はまだ言葉を返さないので、奏一はもう少し踏み込む。
「……誰かを、想って弾いているのだろうか、と感じました。ただ曲想を追って表現している、というには、あまりにもリアルで……いや、俺が、自分の気持ちを、投影していただけかもしれないけれど……でも、それを想起させるほどの情感が、あった。だからこそ、俺は、誰が弾いているのか知りたくて、音につられて来たんです」
貴史は、もう一度そうか、と応じた。少し声音が明るくなった気がした。それから「きみに聴かれてるとは、思わなかったな」と言いながら、鍵盤の上に置きっぱなしだった指を上げた。
「俺が聴いてはいけなかったですか」
「……そういうわけじゃないよ。ただ、……うん、本当に、……聴かれるとは思わなかったってだけで」
いつになく歯切れの悪い貴史に、奏一はだんだん自分が悪いことをしているのじゃないかという気になってきた。奏一自身、もしこの曲に纏わる自分の過去の話をしろと言われたら、間違いなく躊躇う。貴史のピアノを聴いたことは、彼の聞いてはいけない独り言を小耳に挟んだのと同じだろうかと、それを突っ込むべきではなかったのだろうかと不安になった。
だがこれは不可抗力じゃないか。
内心抗議してみても、自分自身をすら納得させられない。
「もの足りないっていうのは、嘘……じゃあなかったよ」
視線を落としていた奏一は、顔を上げた。上げても、貴史の背中しか見えない。
「ロマンスをね、最初に自分で弾いてみたとき、確かに、もの足りないと思った。奏一くんのように奏でるには、何が足りないんだろうって、考えて、そうしたら、心が、気持ちが足りないんだって気付いたんだ。僕のありったけの想像力を総動員して、きみのように奏でられる『心』を想像して、そうしたら、きみが、ずいぶん深い気持ちを込めて弾いてるんだろうなってことに気付いた。僕にはわからない、言葉でもうまく説明できない、でも、切なくて、苦しくて、それでも優しくなれる気持ち。たぶん、そういうものが込められてるんだなって。だから、それが乗らない僕自身の音は、どうしても薄っぺらく思えて、もの足りなかった」
「……そんな、さっきの史さんの演奏は……全然、薄っぺらくなんかなかった。むしろ」
「それはね」
ふいに、貴史が振り返った。そこに立ち尽くしたままの奏一を、見上げる。いつもそうだ。練習の時も、チェロは座って弾く。奏一は自分が立って弾くのが好きだから、立ったまま弾く。合間に会話するときは、奏一はいつも貴史に見上げられる形になる。
「僕が、誰かを想って弾いた……からだと思う。きみが感じてくれたとおり……僕は特定の誰かを想い描いて、その人に捧げるつもりで弾いていたんだ」
「……だったら、あなたは何も卑下することなんて、ないですよ。その想いが……痛いほど、伝わってきたから」
ありがとう、と微笑む貴史が、なんだか泣きそうな顔をしているようだった。そうして再び視線を落とし、それでも立ちあがって奏一と向かい合った。
「僕はね、……きみを想って、弾いていたんだ」
貴史の優しい茶眸が、奏一を柔らかく射抜いた。
「史さん」
奏一は思わず後ろから声をかけた。貴史はびくりと身を震わせて、はっと振り返る。
「そ、奏一くん……全然、気がつかなかったよ。驚いた」
貴史は胸を押さえながら苦笑した。
「驚いたのは俺のほうです。史さんが、そんな弾き方をするなんて思いもよらなかった。その弾き方で『物足りない』というんですか?俺の演奏などより、よほど歌い上げていると思いますが」
奏一は、自身が教会での演奏を断ろうとしていたことなど忘れて、苦笑いを返しながら流暢に言った。対する貴史が曖昧に笑うので、奏一ははっと我に返ってここ数日の己の顧みる。
なんとなく気まずくて、それとなく貴史を避けていた奏一だった。二の句を失った奏一たが、貴史も何か思うところがあるのかなかなか口を開かないので、居たたまれない沈黙が流れた。
目を伏せ、空気を変えるように貴史はピアノに向き直り、ロマンスの頭の音、Gを一音だけ、柔らかに鳴らした。
「……僕の演奏、……どうだったかな?」
奏一に背を向けたまま、貴史は呟いた。教室にはまだGの音が伸びている。
「……さっき言ったとおりです。とても、よく歌っていると思った。……いろんな感情が込められていると」
貴史が背を向けているおかげで、奏一は幾分素直に言葉を紡げる。意図してのことなのか否か、無意識にでも人を気遣っているのかと思わせる姿に奏一は苦笑を重ねる。
「らしくはない、とは思いました。でも、俺は……好きです。さっきの、あなたの弾き方」
そうか、という呟きが、苦み交じりなのが顔を見ないでもわかった。それっきりで、貴史はまだ言葉を返さないので、奏一はもう少し踏み込む。
「……誰かを、想って弾いているのだろうか、と感じました。ただ曲想を追って表現している、というには、あまりにもリアルで……いや、俺が、自分の気持ちを、投影していただけかもしれないけれど……でも、それを想起させるほどの情感が、あった。だからこそ、俺は、誰が弾いているのか知りたくて、音につられて来たんです」
貴史は、もう一度そうか、と応じた。少し声音が明るくなった気がした。それから「きみに聴かれてるとは、思わなかったな」と言いながら、鍵盤の上に置きっぱなしだった指を上げた。
「俺が聴いてはいけなかったですか」
「……そういうわけじゃないよ。ただ、……うん、本当に、……聴かれるとは思わなかったってだけで」
いつになく歯切れの悪い貴史に、奏一はだんだん自分が悪いことをしているのじゃないかという気になってきた。奏一自身、もしこの曲に纏わる自分の過去の話をしろと言われたら、間違いなく躊躇う。貴史のピアノを聴いたことは、彼の聞いてはいけない独り言を小耳に挟んだのと同じだろうかと、それを突っ込むべきではなかったのだろうかと不安になった。
だがこれは不可抗力じゃないか。
内心抗議してみても、自分自身をすら納得させられない。
「もの足りないっていうのは、嘘……じゃあなかったよ」
視線を落としていた奏一は、顔を上げた。上げても、貴史の背中しか見えない。
「ロマンスをね、最初に自分で弾いてみたとき、確かに、もの足りないと思った。奏一くんのように奏でるには、何が足りないんだろうって、考えて、そうしたら、心が、気持ちが足りないんだって気付いたんだ。僕のありったけの想像力を総動員して、きみのように奏でられる『心』を想像して、そうしたら、きみが、ずいぶん深い気持ちを込めて弾いてるんだろうなってことに気付いた。僕にはわからない、言葉でもうまく説明できない、でも、切なくて、苦しくて、それでも優しくなれる気持ち。たぶん、そういうものが込められてるんだなって。だから、それが乗らない僕自身の音は、どうしても薄っぺらく思えて、もの足りなかった」
「……そんな、さっきの史さんの演奏は……全然、薄っぺらくなんかなかった。むしろ」
「それはね」
ふいに、貴史が振り返った。そこに立ち尽くしたままの奏一を、見上げる。いつもそうだ。練習の時も、チェロは座って弾く。奏一は自分が立って弾くのが好きだから、立ったまま弾く。合間に会話するときは、奏一はいつも貴史に見上げられる形になる。
「僕が、誰かを想って弾いた……からだと思う。きみが感じてくれたとおり……僕は特定の誰かを想い描いて、その人に捧げるつもりで弾いていたんだ」
「……だったら、あなたは何も卑下することなんて、ないですよ。その想いが……痛いほど、伝わってきたから」
ありがとう、と微笑む貴史が、なんだか泣きそうな顔をしているようだった。そうして再び視線を落とし、それでも立ちあがって奏一と向かい合った。
「僕はね、……きみを想って、弾いていたんだ」
貴史の優しい茶眸が、奏一を柔らかく射抜いた。
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