少年プリズン

まさみ

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三百五話

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 「そら、とってこい!!」
 凱の咆哮がコンクリ造りの通路に威勢よく轟き渡る。
 愉快な見世物の幕開けだ。
 やんやと喝采を送るギャラリーの姿も目隠しされた俺には見えなくて、包帯で覆われた視界には潜在的恐怖を煽る無明の闇が被さり、不安ばかりが募っていく。
 固いコンクリ床に五指を開いて置き、頭を垂れた犬の姿勢をとる。
 四つん這い。
 視界がふさがれてるのが唯一の救いだ、凱のにやけ面と子分ども下卑た面、俺の名前を連呼して泣き喚くビバリーの面を見なくて済む。凱のおふざけで犬の真似を強要されて言われるがまま四つん這いになった自分の情けない恰好を見ずに済む。
 恥は捨てろ、プライドなんか捨てちまえ。
 この場を切り抜けるにはこれしか方法がない、凱の言葉に従って犬の真似をするしか打開策が見あたらないんだ。
 俺は一刻も早くレイジのもとに飛んでいきたくてレイジに会いたくて気が急くばかりで、冷静な判断力や思考力を完全に失っていた。
 俺が犬の真似をすりゃ満足するんだな、くそったれたお前らは溜飲をさげて引き下がってくれるんだな?道を開けてくれるんだな?怪我人の俺じゃあ力づくで凱をどかすのは無理だ、万一健康体であったとしても凱とその子分ども全員を敵に回して突破口を開くのは不可能だ。
 背に腹はかえられない。
 「……レイジのためなら、犬にでもなってやろうじゃんか」
 俺は決心した。
 包帯の奥で目を閉じ、先刻の光景を回想し、凱が牌を投げた方角と位置をおおざっぱに把握。よし。頷き、這い這いを覚えたばっかの赤ん坊のように廊下をじりじりと移動する。
 全然進まなくてじれったい。
 肘を使って前進するのがこんなに体にこたえる行為だとは想像だにしなかった。両肘を交互にくりだし、上体を引っ張り上げるように持っていき、下半身を起こす。
 目隠しされてても今の自分がどんな屈辱的な姿勢をとらされてるか漠然と想像できる。 挑発的に尻を突き上げ、従順に頭を垂れた犬の姿勢、後背位で交尾に臨む雌犬のように淫らな恰好。四つん這いになった俺の周囲には凱の子分どもが並んでるらしく、不器用に肘を繰って必死に這い進む俺に嘲笑を浴びせ掛ける。
 「いいザマだなあ半々、可愛いケツを高く上げて俺たち誘ってんのかよ?」
 「いいぜ、これが終わったらお望みどおりマワしてやるよ。ズボン剥いでパンツずりおろして、小ぶりで形いいケツにかわりばんこにご挨拶してやらあ!」
 「売春班で男銜えこむのに慣れてんだろうが、ケツが裂けてザクロみてえになるまで楽しませてくれよ」
 「どうせもうレイジにヤられちまったんだろ?医務室のベッドで何回も何十回もお楽しみたあ近所迷惑なやつだな、お前の喘ぎ声とベッドが軋む音で入院患者全員寝不足だって言うじゃねえか」
 カッとした。
 「!ホラ吹くんじゃね、」 
 衝撃、顔面圧迫。
 レイジとの仲を揶揄した囚人へ声を頼りに食って掛かった途端、靴裏を顔にねじこまれた。視覚を奪われた俺には避ける暇すらなかった。両側の壁にずらりと並んで俺に嘲笑を浴びせ掛けてた連中のひとりが、俺が手も足もだせないのもいいことに顔を踏ん付けてきやがった。 
 俺の顔に容赦なく靴裏をねじ込ませ、そいつは笑う。
 「おーおー、看守にも囚人にも手当たり次第に股開いてた売春夫上がいっちょまえに恥ずかしがるか?」
 「レイジにヤられた気分はどうだよ、よかったのか悪かったのかはっきりしやがれ。レイジのペニスはどんな味がしたよ、そうかそうか、熟れた無花果みたいに甘かったか」
 頬の柔肉をスニーカーの靴裏で残忍に踏み躙られる激痛に、たまらず苦鳴を漏らしそうになるが、根性で奥歯を食い縛る。
 悲鳴をあげたら負けだ。
 ねちねちとひとをいたぶって股間を固くしてる変態どもに負けてたまるかってんだ。
 手のひらに爪を立て、五指を握りこみ、悲鳴ひとつあげず理不尽な仕打ちに耐えぬく。
 俺の頬をしつこく踏み躙りながら、包帯越しで顔の見えないそいつは、熱に浮かされたようにしゃべる。
 「レイジのものをお口一杯にしゃぶった感想は?でかかったか、小さかったか?短かったか、長かったか?なあ教えてくれよ、俺たちだれもレイジのお相手したことねえんだよ。王様ご自慢のアレがマジでそんなご大層なモンなのか実際目で確かめたお前に訊いてんだよ。だんまり決め込むんじゃねえ」
 「……ヤッてねえよ」
 口の中に混じりこんだ泥を吐き捨て、腹の底でうねり狂う憎悪を押さえこみ、低く言い返す。
 「俺はレイジとヤッてない。性欲持て余したお前らが妄想たくましくしてるだけだ」
 「!このっ、」
 自分が置かれた状況も顧みず生意気にも口答えした俺に、逆上したガキが暴力的手段に訴える。
 風切る唸り、前髪を掠める鋭利な風。
 今度は事前に避けられた、鼻っ柱をへし折ろうと顔面めがけて繰り出された蹴りを反射的に頭を低めて回避することができた。
 ぐずぐずしてる暇はない。言いたい放題のギャラリーなんか相手にするな、時間がいくらあっても足りない。
 そう自分に言い聞かせ、蹴りが不発に終わってバランズを崩したガキの足元を通過。一心不乱に牌の落下地点を目指す。
 文字通りの盲進。
 「……っ、くう」
 包帯で覆われた顔の上部分が不快に蒸して、汗が滲む。
 あともう少し、もう少しなんだ。
 牌の落下地点に辿り着くまでどうにか保ってくれと気も狂わんばかりに一心に念じ、ひたすら肘を交互に動かして這い進む。犬の恰好にはもう抵抗を感じなかった。衆人環視の中さんざん辱めを受けて羞恥心が麻痺したのかもしれない。
 肘で全体重を支えるのはとんでもない苦行、気の遠くなるような拷問だ。
 固いコンクリ床と接した肘の皮膚が摩擦熱で剥けて、床に肘をついて歯噛みして体を持ち上げるたび、傷口に塩をすりこまれるに等しい激痛を味わうことになる。
 ひどい徒労を味わいながらも、ひどい苦痛に苛まれながらも、着実に一歩一歩牌の落下地点へと近付いてゆく。俺の執念深さを舐めてもらっちゃ困る。
 てんで学習能力のない凱の子分どもが足を突き出して進路妨害しようが、髪を引っ張って無理矢理上向かせた顔をたっぷり堪能しようが、俺はもう一切相手にせずただ前だけを目指して這い進む。
 息が荒い、体が熱い。胸が、全身の間接が痛かった。肋骨の骨折箇所はまだ完全にくっついてなくて、打撲傷も治癒してなくて、体のどこかを動かすたびどこかに苦痛が生まれた。
 今すぐ床に突っ伏して失神しちまいたかった、なにもかも放り出して知らん振りしたかった。ああ、早くラクになりてえ。今にも意識が途切れちまいそうに頭が朦朧として、なまぬるい泥に浸かったみたいに体がだるくて、そろそろ呼吸も続かなくなってきた。
 レイジ。
 レイジ。
 「……こんなとこで、ぶっ倒れるわけにいくかよ」
 今すぐラクになりたい。医務室のベッドで寝たい。そんな誘惑を固く目を閉じて閉め出し、甘えた考えを捨てる。
 俺はもうレイジを独りにしないと誓った、あいつのそばについててやると決めた。もう二度とあいつに哀しい笑顔をさせないって、あいつを見捨てないって覚悟を決めたんだ。
 あいつと一緒に地獄に堕ちる覚悟を。
 「付き合うなら、地獄の底の底までだ」
 牌は、牌はどこだ?わからない、何も見えない。
 どこに顔を向けても真っ暗闇が付き纏うばかり、牌はおろか両側に延々と続く壁も無機質に蛍光灯が連なる天井も、凱を筆頭に大勢の囚人がたむろった通路の様子そのものも見えない。暗闇は怖い、ひとりぼっちは怖い。
 レイジも同じ気持ちだったのだろうか?糞尿垂れ流しの暗い小部屋に閉じ込められた最初の頃は、今の俺とおなじようにパニックに襲われて、だれでもいいから助けてくれと絶叫したい衝動に駆られたんだろうか。
 レイジはいつ頃どうやって暗闇の恐怖を克服したんだ、小部屋に閉じ込められて何日目に恐怖を食らって暗闇に慣れたんだ?
 俺はレイジほど適応力が高くないらしく、いつまでたっても暗闇に馴染めず、視界が利かない恐怖に慣れ親しむことができない。
 レイジの面影を脳裏に描き、手探りで牌をさがしもとめる。たしかこのへんに落ちたはずだ、俺はこの目で見た、凱が力任せにぶん投げた牌が放物線を描いて落ちた場所を。
 「!」
 そして漸く、床に這いつくばって捜し求めていた物と巡り会う。
 角張った固形物の手ざわり。プラスチックのなめらかな表面。
 まぎれもない、牌だ!
 『伐到!!』  
 見つけた!
 喜びのあまり、台湾語で快哉を叫んでがばりと身を起こす。
 よかった、これで道を通してもらえる、先に行かせてもらえる。くだらないお遊びには蹴りがついた。さあ、手の中の牌を凱に見せて早く解放してもらおう。眼前に証拠品の牌を突きつけられちゃ、さしもの凱も文句のつけようがないだろう。
 「見つけたぜ凱、これで文句ねえだろうが!俺は俺の手で牌を取り戻したんだ、お前にもだれにも文句を言わせるもんか、お前にもだれにも俺を止められるもんか!!」
 俺は狂喜していた。
 体の芯から湧き上がるような、震えがくるような喜び。目隠しをひっぺがし、素顔をさらけ出し、頭上高く手を掲げてぐるりに牌を見せつける。
 畜生嬉しい、めちゃくちゃ嬉しい。
 漸くレイジに会える、念願の決勝戦に間に合うんだ。
 はやる気持ちを抑え、上着の胸にこぶしを預け、もう一方の手を凱の顔面に突き出す。
 「さっさとビバリーを放してそこどけよ、俺はきっちり約束守ったんだ、犬の真似までして恥かいて麻雀牌を掴んだんだ!凱、東棟でレイジとサムライに次ぐナンバー3を自認するお前なら子分どもの前で約束破ったりしねえよな?一度言ったこと覆したりは」
 「なに人の許可なく目隠し外してんだよ」
 え?
 傲然と腕組みした凱が、小馬鹿にするように鼻を鳴らして俺を見下す。
 「言ったろ、『四つん這いで犬の真似をして、牌をくわえてもどってきたら通してやる』って。全部やり終えてないのに勝手に目隠しはずしてんじゃねえよ、それともゲーム放棄か、途中退場か?こっちはいいぜ別に、お前が途中で抜けようが止めるつもりはねえよ。お楽しみがくりあがるだけだからな」
 下卑た笑みを湛え、俺の背後へと顎をしゃくる凱。
 つられて視線を流せば、残虐兄弟やヤンを始めとする囚人たちが続々と俺の方へと接近していた。
 「凱さんは『くわえてもどってこい』って言ったんだ。中国語がわからないのかよ、半々」
 なれなれしく俺の肩を抱き、頬ずりをするヤン。
 「台湾語とほとんど変わらねえんだからちゃんと意味通じるだろ、すっとぼけてんじゃねえ」
 俺の手から牌をひったくり、蛇みたいに舌なめずりする残虐兄弟の片割れ。予期せぬ展開に混乱した頭じゃ弟と兄の区別もつかない。
 「口開けろよ」
 背後に佇んだ残虐兄弟のもう一方が、片腕を俺の首に回し、片手で口を開かせる。
 抵抗しようとした、でもできなかった。牌に気を取られて周囲が見えなくなっていた俺は、いつしか凱の子分どもに完全包囲され逃げ場を失って、徐徐に狭まりつつある輪の中心に追い詰められていた。
 「!あぐっ、」
 ぬるりと口腔に侵入した指が歯列をなぞり、歯茎を手荒くしごく。口腔に侵入した異物が上下の歯を噛み合わすより早く舌を抓り、生殺しの刺激を与えてくる。苦しい、吐きそうだ。口腔いっぱいに指を突っ込まれてるため噎せることもできず、涙の膜が張った目を虚空に凝らすしかない俺の視界に、白い光沢の牌が近付いてくる。
 「凱さんの言うとおりにくわえろよ。ものくわえるのには慣れてるだろ」
 あからさまな嘲弄に追従するように周囲のガキどもが笑う。今俺の目の前にいる残虐兄弟の兄だか弟だかわからない方の目が怪しく輝き、俺は近く自身に訪れる運命をはっきりと悟る。
 さすが凱の子分ども、考えることがえげつない。
 やつらは俺に、牌を噛ませることだ。おもいきり。当然プラスチックの牌なんか容易に噛み砕けるわけがない、たぶん欠けるのは俺の歯の方だ。
 ああ、歯が欠けたら今度レイジにキスされたときわかっちまうな。
 絶体絶命の窮地にはそぐわないくだらない考えが脳裏をよぎり、牌の形を借りて迫り来る恐怖に耐えきれず、頭が狂いかけてることを自覚する。
 手が近付く。牌が鼻先に触れる。
 「あう、ん、んんっ!!」
 もがけばもがくほど拘束がきつくなり逆効果だとわかっているが、この期に及んでも最後の抵抗をせずにはいられない。口に指を突っ込まれてるせいで上手くしゃべれない、舌が回らない。凱はひとり輪の外でにやついている、俺の歯が欠ける瞬間を心待ちにしている。
 もうここまでか。俺はレイジについててやれないのか。
 口の中で蠢く指が気持ち悪くて吐きそうだ。吐き気を堪えて目を閉じた俺の耳朶に、熱い吐息と囁きが触れる。
 「牌を噛ませて歯ぁへし折って、俺たちのモンしゃぶりやすいように改造してやる」
 レイジ―……

 ―『I can fly!!』―

 今この瞬間だれからも存在を忘れられてたビバリーの調子っ外れのかけ声が、俺の窮地を救った。
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