『婚約破棄された令嬢は、名もなき秤を置いて去る』

ふわふわ

文字の大きさ
3 / 40

第3話 隣国の門と、冷たい視線

しおりを挟む
第3話 隣国の門と、冷たい視線

 馬車が止まったのは、夕暮れ時だった。

「――ここから先は、隣国グラーフ公爵領です」

 御者の言葉に、ベルトーネ・ランナバウトは小さく息をのむ。
 国境を越えるつもりはなかった。ただ回り道を選んだだけのはずが、気づけばここまで来ていた。

 門は高く、重厚だった。
 石造りの壁には無駄な装飾がなく、機能だけを突き詰めた造り。
 王国の「見栄と格式」を誇示する城門とは、あまりにも対照的だ。

「……無駄がないわね」

 思わず口にすると、近くにいた兵士がちらりとこちらを見た。

「通行目的を」

 簡潔な問い。
 警戒はしているが、感情の起伏はない。

「王都から領地へ戻る途中です。
 道中で事故があり、やむを得ずこちらへ」

 そう答えると、兵士は一瞬だけ思案し、頷いた。

「確認を取ります。馬車はそのままで」

 門が閉まり、重い音が響く。

 ――少し、緊張する。

 だが不思議と、不快ではなかった。
 曖昧な笑顔や、無意味な詮索がない。
 必要なことだけを、必要な分だけ。

(……居心地が、悪くない)

 ほどなくして、門が再び開いた。

「通行を許可します。ただし、事情を確認するため、屋敷まで同行していただきます」

「構いません」

 ベルトーネは即答した。

 隠すことなど、何もない。


---

 公爵邸は、門と同じく質実剛健だった。

 華美な調度はなく、だが手入れは行き届いている。
 働く者の動きも無駄がなく、誰一人として浮ついていない。

(……王宮とは、まるで別世界)

 通された応接室で待っていると、やがて扉が開いた。

「――話は聞いた」

 低く、落ち着いた声。

 視線を上げた瞬間、ベルトーネは悟った。

(この方が――)

 長身で、無駄のない体躯。
 表情は冷静で、感情を読み取らせない。

「アルベリク・フォン・グラーフだ」

 名乗りは短い。

「事情を説明してもらおう」

「はい」

 ベルトーネは立ち上がり、一礼した。

「ベルトーネ・ランナバウトと申します。
 王国にて、王太子の婚約者でしたが……昨日、婚約を解消されました」

 淡々とした口調。

 それに対し、公爵は眉一つ動かさない。

「……追放か」

「いいえ。形式上は、円満な婚約破棄です」

 わずかに、空気が動いた。

 公爵の視線が、鋭くなる。

「“円満”という言葉は、時に現実を覆い隠す」

 静かな指摘。

「だが、事情は理解した。
 今日はこの屋敷に泊まるといい」

「ご厚意、感謝いたします」

 その瞬間、使用人が慌てて入ってきた。

「公爵様、商会との契約書ですが……」

「後でいい」

「しかし、期限が――」

「“後でいい”と言った」

 短い言葉に、使用人は即座に頭を下げ、下がった。

 その様子を見て、ベルトーネは小さく目を細める。

(……決断が早い。
 しかも、迷いがない)

 王宮で見てきた、延々と続く会議と責任の押し付け合い。
 それとは、あまりにも違う。

「……失礼ながら」

 気づけば、口を開いていた。

「先ほどの契約、今判断すべき案件ではありませんか?」

 部屋の空気が、一瞬で凍る。

 使用人だけでなく、公爵自身も、ベルトーネを見た。

「理由は」

 問いは短い。

「期限が迫っている契約は、後回しにすると選択肢が減ります。
 今この場で概要だけ確認し、方向性を決めるべきです」

 言い切る。

 王太子の前では、決して口にできなかった言葉。

 沈黙。

 やがて、公爵は口を開いた。

「……書類を持ってこい」

「公爵様!?」

「早く」

 再び使用人が駆け出す。

 差し出された契約書に、ベルトーネは目を通した。

 数秒。
 それだけで、問題点は見えた。

「価格交渉が甘い。
 この条項、相手に一方的に有利です」

「……なぜ分かる」

「数字が、嘘をつきませんから」

 ベルトーネは静かに続ける。

「このままでは、半年後に必ず損失が出ます。
 今なら、条件を逆転できます」

 公爵は、彼女をじっと見つめた。

 ――値踏みするような視線。

 だが、侮蔑ではない。

「……面白い」

 初めて、感情の揺らぎが声に滲んだ。

「君は、本当に“地味な令嬢”なのか?」

「そう評価されていましたわ」

 ベルトーネは微笑む。

「ですが、評価と実力は、必ずしも一致しません」

 公爵は、ふっと小さく息を吐いた。

「今日はもう遅い。
 続きを話すのは明日だ」

 立ち上がり、背を向ける。

 だが、扉を出る前に一言だけ残した。

「――君は、しばらくここにいろ」

 命令とも、提案とも取れる言葉。

 それでも、ベルトーネの胸は不思議と落ち着いていた。

(……ここなら)

 誰かの影ではなく、
 誰かの飾りでもなく。

 “役に立つ”だけでなく、“必要とされる”場所があるのかもしれない。

 冷たい視線の奥に、確かな知性を感じながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?―――激しく同意するので別れましょう

冬馬亮
恋愛
「恋人にしたい人と結婚したい人とは別だよね?」 セシリエの婚約者、イアーゴはそう言った。 少し離れた後ろの席で、婚約者にその台詞を聞かれているとも知らずに。 ※たぶん全部で15〜20話くらいの予定です。 さくさく進みます。

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

10日後に婚約破棄される公爵令嬢

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。 「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」 これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。

【完結】悪役令嬢の断罪から始まるモブ令嬢の復讐劇

夜桜 舞
恋愛
「私がどんなに頑張っても……やっぱり駄目だった」 その日、乙女ゲームの悪役令嬢、「レイナ・ファリアム」は絶望した。転生者である彼女は、前世の記憶を駆使して、なんとか自身の断罪を回避しようとしたが、全て無駄だった。しょせんは悪役令嬢。ゲームの絶対的勝者であるはずのヒロインに勝てるはずがない。自身が断罪する運命は変えられず、婚約者……いや、”元”婚約者である「デイファン・テリアム」に婚約破棄と国外追放を命じられる。みんな、誰一人としてレイナを庇ってはくれず、レイナに冷たい視線を向けていた。そして、国外追放のための馬車に乗り込むと、馬車の中に隠れていた何者かによって……レイナは殺害されてしまった。 「なぜ、レイナが……あの子は何も悪くないのに!!」 彼女の死に唯一嘆いたものは、家族以上にレイナを知る存在……レイナの親友であり、幼馴染でもある、侯爵令嬢、「ヴィル・テイラン」であった。ヴィルは親友のレイナにすら教えていなかったが、自身も前世の記憶を所持しており、自身がゲームのモブであるということも知っていた。 「これまでは物語のモブで、でしゃばるのはよくないと思い、見て見ぬふりをしていましたが……こればかりは見過ごせません!!」 そして、彼女は決意した。レイナの死は、見て見ぬふりをしてきた自身もにも非がある。だからこそ、彼女の代わりに、彼女への罪滅ぼしのために、彼女を虐げてきた者たちに復讐するのだ、と。これは、悪役令嬢の断罪から始まる、モブ令嬢の復讐劇である。

お前が産め!

星森
ファンタジー
結婚して3ヶ月、夫ジュダルから突然の離婚宣言。 しかし妻アルネは、あっさり「はい、いいですよ」と返答。 だがその裏には、冷徹な計画があった──。 姑ロザリアの暴走、夫ジュダルの迷走、義父バルドランの混乱。 魔方陣が光り、契約精霊が応え、屋敷はいつしか常識の彼方へ。 そして誕生するオシリーナとオシリーネ。 「子供が欲しい? なら、産めばいいじゃない」 冷静沈着な契約者アルネが、家族の常識を魔法でぶち壊す! 愛も情もどこ吹く風、すべては計画通り(?)の異色魔法家族劇、ここに完結。 ⚠️本作は下品です。性的描写があります。 AIの生成した文章を使用しています。

《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法

本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。  ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。  ……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?  やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。  しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。  そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。    自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。

『選ばれなかった令嬢は、世界の外で静かに微笑む』

ふわふわ
恋愛
婚約者エステランス・ショウシユウに一方的な婚約破棄を告げられ、 偽ヒロイン・エア・ソフィアの引き立て役として切り捨てられた令嬢 シャウ・エッセン。 「君はもう必要ない」 そう言われた瞬間、彼女は絶望しなかった。 ――なぜなら、その言葉は“自由”の始まりだったから。 王宮の表舞台から退き、誰にも選ばれない立場を自ら選んだシャウ。 だが皮肉なことに、彼女が去った後の世界は、少しずつ歪みを正し始める。 奇跡に頼らず、誰かを神格化せず、 一人に負担を押し付けない仕組みへ―― それは、彼女がかつて静かに築き、手放した「考え方」そのものだった。 元婚約者はようやく理解し、 偽ヒロインは役割を降り、 世界は「彼女がいなくても回る場所」へと変わっていく。 復讐も断罪もない。 あるのは、物語の中心から降りるという、最も静かな“ざまぁ”。 これは、 選ばれなかった令嬢が、 誰の期待にも縛られず、 名もなき日々を生きることを選ぶ物語。

処理中です...