『婚約破棄された令嬢は、名もなき秤を置いて去る』

ふわふわ

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第4話 評価されるということ

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第4話 評価されるということ

 翌朝。

 ベルトーネ・ランナバウトは、いつもより少し早く目を覚ました。
 豪奢とは言えないが、清潔で無駄のない客室。
 過剰な装飾も、過度な気遣いもない。

(……落ち着く)

 それが、目覚めて最初に抱いた感想だった。

 王宮で与えられていた部屋は、確かに立派だった。
 だがそこには常に「見られるための空間」という圧があり、心が休まることはなかった。

 着替えを済ませ、廊下へ出ると、すでに使用人たちが静かに動いている。
 誰一人として、彼女を珍しそうに見ない。

「おはようございます」

 すれ違った侍女が、簡潔にそう言って一礼する。

「おはようございます」

 自然と、同じ調子で返す。

(……“客”扱いされていないのね)

 過剰に持ち上げられるでもなく、無視されるでもなく。
 ただ、そこにいる存在として認識されている。

 それが、妙に心地よかった。


---

 朝食後、執務室へ案内される。

 扉の向こうから、低い声が聞こえた。

「入れ」

 簡潔な一言。

 扉を開けると、アルベリク・フォン・グラーフ公爵が、すでに机に向かっていた。
 書類の山。
 だが、雑然としてはいない。

「昨夜の件だ」

 顔も上げずに、そう切り出す。

「君の指摘通り、条件を見直した。
 今朝、商会に再交渉の通達を出した」

「……そうですか」

「結果次第だが、損失は防げるだろう」

 そこで初めて、公爵は視線を上げた。

「なぜ、王国は君を手放した?」

 唐突な問い。

 だが、責める調子ではない。
 純粋な疑問だ。

「……私にも、よく分かりません」

 ベルトーネは正直に答えた。

「表に出ることを、好まなかったからでしょうか」

「それだけで?」

「ええ。それだけで」

 公爵は、わずかに眉をひそめた。

「愚かな話だ」

 短い断言。

「能力のある者を、目立たないという理由で切り捨てる。
 それは国家運営ではない。感情論だ」

 その言葉に、胸の奥が微かに震えた。

(……評価、された)

 王太子の隣に立っていた頃。
 彼女の意見は「余計なこと」として扱われるか、聞き流されるかのどちらかだった。

 今は違う。

 内容を聞かれ、理由を問われ、結論を尊重される。

「……もう一件、見ていただきたいものがあります」

 公爵が書類を一枚差し出す。

「農地改革案だ。
 数字が合わない」

 ベルトーネは受け取り、目を走らせた。

 数分。

「この配分、労働力を考慮していません」

「ほう」

「人を増やすか、工程を減らすか。
 どちらかを選ばなければ、破綻します」

 公爵は、ゆっくりと椅子に背を預けた。

「君は、すぐ結論を出すな」

「迷う理由がありませんから」

「……気に入った」

 ぽつりと、そう言われる。

 その一言に、胸の奥がじんと熱くなった。


---

 午後。

 公爵領の視察に同行することになった。

 馬車ではなく、徒歩。
 現場を見るためだ。

「視察とは、靴を汚すことだ」

 公爵はそう言い切る。

 その背中を見ながら、ベルトーネは思う。

(……王太子とは、正反対)

 王太子は、常に安全な距離から指示を出すだけだった。
 自ら現場に立つことはない。

 農民たちは、公爵を見ると静かに頭を下げた。

 だが、恐怖ではない。
 信頼だ。

「今年の収穫は?」

「去年よりは、良い見込みです」

「水路の件は」

「修繕が進んでおります」

 短いやり取り。
 だが、必要な情報はすべて引き出されている。

「……よく統制されていますね」

 思わずそう口にすると、公爵は歩みを止めずに答えた。

「無駄な命令を出さないだけだ」

 振り返り、ベルトーネを見る。

「君も、そうだろう。
 余計なことは言わない。だが、要点は外さない」

 胸の奥が、また温かくなる。

 ――理解されている。

 それだけで、こんなにも心が軽くなるとは思わなかった。


---

 夕刻。

 再び執務室。

 商会からの返答が届いていた。

「条件、呑んできました」

 使用人の報告に、公爵は短く頷く。

「君のおかげだ」

 その言葉を、真正面から向けられる。

「……ありがとうございます」

 ベルトーネは、少し戸惑いながら頭を下げた。

 褒められることに、慣れていない。

 公爵は、しばし彼女を見つめ、静かに告げる。

「ここにいる間、君を“客”として扱うつもりはない」

 一拍。

「必要なら、私の隣に立て」

 その言葉は、命令ではなく、選択肢だった。

 ベルトーネは、はっきりと答える。

「――お役に立てるのであれば、喜んで」

 その瞬間、公爵の口元が、ほんのわずかに緩んだ。

 それを見て、ベルトーネは思う。

(……ここでは)

 私は、飾りでも、添え物でもない。

 “評価される人間”として、存在していいのだと。

 その事実が、彼女の心に静かに根を下ろし始めていた。
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