『婚約破棄された令嬢は、名もなき秤を置いて去る』

ふわふわ

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第13話 選ばれる側ではなく

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第13話 選ばれる側ではなく

 公爵邸の回廊は、昼下がりの光に満ちていた。

 高い窓から差し込む陽射しが、石床に細い影を落とし、ゆっくりと時間が流れているのを感じさせる。
 ベルトーネ・ランナバウトは、その回廊を一人歩きながら、胸の奥に残る違和感を確かめるように、そっと息を吐いた。

(……不思議ね)

 王国にいた頃は、常に「選ばれる側」だった。
 誰の婚約者になるか。
 どの席に座るか。
 どの役割を与えられるか。

 すべては、彼女の意思とは関係なく決められていた。

 それが今はどうだろう。

 白い契約の草案は、まだ署名されていない。
 だが、誰も彼女に答えを迫らない。
 急かされることも、責められることもない。

(……選ばれていないのに、ここにいる)

 それが、心のどこかを落ち着かなくさせていた。


---

 午後の会議は、予定より長引いた。

 議題は、公爵領北部の鉱山管理について。
 採掘量は順調だが、労働環境と輸送路に問題が生じている。

「このままでは、冬を越せません」

 現場責任者が、硬い表情で報告する。

「人員を増やすにも、限界があります」

 ベルトーネは、資料を閉じ、静かに口を開いた。

「人を増やす前に、減らすべき工程があります」

 数名が、驚いたように顔を上げた。

「減らす、とは?」

「選鉱の段階です」

 指先で図面を示す。

「現行の工程は、品質を過剰に追求しています。
 必要以上の精製は、労力と時間の浪費です」

「しかし、品質を落とせば――」

「落としません」

 即答だった。

「市場が求めている基準を、正確に見極めればいい」

 沈黙が落ちる。

 やがて、公爵が低く言った。

「……君は、現場を信用しているな」

「はい」

 ベルトーネは、まっすぐに答える。

「現場は、数字よりも正直です」

 その一言で、会議の空気が変わった。

 議論は前に進み、最終的に、工程の簡略化と輸送路の再編が決定する。

 結果が出るのは、数週間後だ。
 だが、誰も不安を口にしなかった。


---

 会議後。

 執務室に戻る途中で、若い官吏に呼び止められる。

「ベルトーネ様」

「どうしました?」

「……失礼ですが」

 言いよどむ様子に、彼女は足を止めた。

「あなたは、なぜここにいらっしゃるのですか」

 唐突な質問だった。

 だが、その目にあるのは、好奇心ではなく、純粋な疑問だ。

 ベルトーネは、少し考え、それから答えた。

「役に立つからです」

 官吏は、一瞬きょとんとした顔をした。

「それだけ、ですか?」

「それだけです」

 微笑む。

「それ以上の理由が、必要でしょうか」

 官吏は、しばらく考え込み、やがて小さく頷いた。

「……いえ。
 むしろ、それが一番、納得できます」

 彼が去ったあと、ベルトーネは立ち尽くす。

(……私、そう答えたのね)

 かつてなら、答えられなかった言葉だ。

 王太子の婚約者だった頃。
 彼女の居場所は、肩書きで決まっていた。

 だが今は違う。

 役に立つ。
 だから、ここにいる。

 それだけで、十分だった。


---

 夕刻。

 アルベリク・フォン・グラーフ公爵に呼ばれ、執務室を訪れる。

「今日の会議だが」

 いつものように、前置きはない。

「北部鉱山の件、良い判断だった」

「ありがとうございます」

「……君は、なぜ迷わなかった」

 不意の問い。

 ベルトーネは、一瞬考え、それから答える。

「迷う必要がなかったからです」

「ほう」

「誰かにどう見られるか、ではなく、
 結果がどうなるかだけを考えました」

 公爵は、わずかに目を細めた。

「それができる者は、少ない」

「……王国では、できませんでした」

 正直な言葉だった。

「常に、“正解らしく見える答え”を選ぶ必要がありましたから」

 公爵は、しばらく黙っていたが、やがて静かに言う。

「ここでは、その必要はない」

 一拍。

「選ぶのは、君だ」

 その言葉が、胸に深く沈んだ。

(……選ぶのは、私)

 誰かに選ばれるのではない。
 条件に押し込められるのでもない。

 自分で選び、その結果に責任を持つ。

 それが、今の自分の立ち位置なのだと、はっきり理解した。


---

 夜。

 書斎で一人、白い契約の草案を前にする。

 以前のような迷いは、もうない。
 ただ、静かな問いがあるだけだ。

(……私は、どうしたい?)

 守られたいのか。
 肩書きが欲しいのか。

 違う。

 ここで、選び続けたい。
 判断し、責任を負い、名前で立ちたい。

 ベルトーネ・ランナバウトは、そっと草案を閉じた。

 答えは、もう半分、出ている。

 選ばれる側ではなく、
 選ぶ側でありたい。

 その想いが、彼女の中で、静かに、しかし確かに形を成し始めていた。
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