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26、復讐の鬼

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「……というわけで、僕はディルクと駆け落ちしたわけです」

 そう遠くない未来に戦争が始まるのは承知していたが、ザシャはもう何もかもどうでもよくなっていたという。ずっと混乱したままで、理路整然とものを考えることも放棄して、地下の者達とは連絡を絶って行方をくらませた。
 と言っても、それまでの生活が続いていただけだった。これといって息を潜めるように心がけていたわけではなく、ただちょっと目立たないように二人して町や村を移動していた。

「僕は、同族からはかなりの変態って思われていましたよ」

 ザシャが自嘲気味に呟いた。

「というのも、僕、ディルクに抱かれていたんです」

 思わぬ告白にエデルは少々驚いたが、表情には出さなかった。しかし何を言えばいいかわからず沈黙するしかない。ザシャはため息をついていた。

「人間に抱かれるなんて、物好きもいいとこですからね……」

 魔人は特に性別にこだわらずに性交をする。異性だろうが同性だろうが、そこは対して問題ではない。だから男が男を抱くのも普通であるし、人間も抱く。だが、人間に抱かれるというのは稀というか、まず聞いた試しがなかった。

「別に、そういう趣味ってわけじゃなかったんですけど。ディルクが僕を抱きたがるので、好きにさせていたと言いますか……。体格的にも、僕に抱かれるなんて想像もしていなさそうだったし、僕を抱く時、本当に嬉しそうだったので。おかげでその後、仲間内からは頭のイカれた悪趣味野郎と罵られましたけど」

 蹂躙するのが好きな魔人は、力がある者なら上に乗っかることはあっても好んで下になる者なんてほぼいないだろう。だから彼らにとっては、弱い生き物にまたがられるなど特殊性癖に思われるのだ。
 うっすらとした笑いを顔に張り付けたままザシャはうつむいていたが、黙り続けるエデルに視線を寄越した。

「ディルクがどうなったか、聞かないんですね」
「君の家の者に殺されたんだろう」

 今までの流れからいって、ザシャが一族を惨殺した理由はそれしか考えられない。ディルクについて語る際のザシャの目つきを見れば、ディルクがこの世にいないことなど聞くまでもなかった。
 ザシャが目を細めて微笑む。

「ディルクに告白されてから、妙にふぬけになってしまって、楽観的に考えていたんですよね。みんな、職務放棄したやる気のない僕のことなんて忘れるんじゃないかって。でも、僕は一族の機密を知っていたし、一応使い道もあったので手放したくなかったみたいなんです。自分で言うのもあれですけど、僕はそこそこ強いので追っ手が来ても逃れられる自信があって。でも、多勢に無勢でしたね」


 ザシャは家に連れ戻されて牢に閉じこめられた。その間に魔王は眠りから覚め、戦争は始まった。
 魔族は人間を退けて、地上は彼らの手に戻る。そこからはまた別の混乱が待ち受けていたのだが、その時期にザシャは外へと脱出した。
 再教育のために監禁されていたのだが、ザシャは特に何を考えるでもなく嘆くでもなく、漫然と日々を過ごしていた。ディルクを失った後もこれといって周りの者に反抗はしていない。

 だがある日突然、猛烈な怒りが噴出して、ザシャは飛び出した。復讐という衝動が体を動かし、関わった者やたしなめる者、最終的には一族郎党根絶やしにする勢いで魔人を手にかけていった。
 ほとんど発狂したかと思われるような有様のザシャを、今度ばかりは家の者も許しておけなかった。一族対ザシャ。ザシャの孤独な戦いが始まったのである。


「そんなに大事だったのかって、呆れられました。理解できないって。特別優れたところがあるわけでもない人間の雄を処分されたからって、そこまで恨むのは狂ってるって。僕もそう思いますよ。実際、言葉じゃ説明できなかった。ただ、頭がおかしくなりそうなくらい腹が立って、どうにもならなかったんです」


 あれは――ディルクは。僕のものだった。
 刃向かう者、止める者、みんな倒していった。何が魔族の繁栄だ、全て消えてしまえばいい。呪詛を吐きながらザシャは戦い続けた。
 常軌を逸した暴れ方をしたザシャは実力を上回る力を引き出していたが、それでも同程度以上の力を持つ敵を複数相手にすれば苦戦した。

 戦いの中で瓦礫に混じって倒れたザシャは、それでもなお立ち上がり、一人でも多くの魔人を処分しようと、一歩を踏み出した。
 満身創痍で、これでもう終わりかもしれないと思いながらも引けなかった。何もかもどうでもいい。ずっとどうでも良くて、ディルクがいなくなってからはいよいよどうでも良くなっていた。

 勝手に自分のものを処分されたことに対する純粋で苛烈な憤り。これだけがザシャを動かしていた。
 相打ちだ、と足を進めようとした時だった。
 瓦礫の上でよろめくザシャの腕をつかんだ者がいた。
 振り向くと、金と黒の混じった髪をした青年が立っている。黒々とした角は脅威の証。ザシャは本能的に角を見て怯んだ。

 その青年は、ザシャの腕をつかんだまま真顔で言った。

「お前が赤角のザシャか。スモモの種を持っている、というのは本当か?」

 ザシャは完全に思考が停止した。今まさに死に飛び込もうと覚悟しながら踏み出したのを止められて、こんな男にこんなことを言われては何も考えられるはずがない。

「地上のスモモの木はみんな燃えてしまったんだ。魔人の馬鹿どもめ、後先考えず火を放つんだからどうしようもない。俺はどうしてもスモモがほしいんだ。種を持っているなら、くれないか」

 ――黒角の君。

 思考と共に呼吸すら止まっていたザシャだったが、やっと息を吸い込んで頭も動き出した。
 近頃周辺で頭角をあらわしている、凄まじく強い半魔人の若者がいると聞いていた。もしかして、彼がその噂の青年なのだろうか。
 他人の死闘に割って入っておきながらずいぶん勝手なことを言っているし、緊張感もない。

「どうなんだ。持っているのか?」
「持ってます……、けど」

 ザシャは地上からあらゆるサンプルを集めて保管していた。動植物の標本や種などがある。それはかなり多めに持っていたし、身内の手が届かないところに移してあったのでまだあるはずだ。

「スモモはあるか?」
「あります」
「ほしいんだ」

 ザシャは折れかけている腕を押さえながら、ため息をついた。この男はどこに目がついているのだろう。そんな話をするどころではないことは、見ればわかるではないか。

「すみません、僕、忙しいんですが」

 目の前にいるのが本当の黒角の君だというのなら、戦っても勝ち目はないだろう。へりくだっておくべきなのかもしれないが、どの道もうすぐ自分の命は終わるはずだ。なるようになれ、という感じであった。

「……何故、一族の魔人を殺して回っているんだ?」

 事情はそれなりに調べてやって来ているようだ。名前も、ザシャが地上のものを集めていたのも知っている。
 ザシャは黒角の青年の顔を見つめた。見ただけでは、人間の血が混じっているかどうかなんてわからない。頭から生えている角は魔人の象徴だ。
 魔人が人間をほとんど殺してしまったから、最近はめっきり人間を見かけない。

 ――半魔人。半分人間。ディルクと、同じ種族。

 青年の黄金の双眸を見つめていたザシャは、気づけば喋り出していた。

「僕、大事にしていた人間がいたんです。それが殺されたんです。みんな、そんなゴミみたいな玩具のことは忘れろと言う。たかが人間じゃないかって。僕は、あの男が必要だったのに。魔人がいつまでも女々しいことを言うなと叱られて、笑われるんです」

 自覚していなかった思いが、口からこぼれていく。

「ディルクがゴミかどうかは僕が決める。僕しか決めてはならないんです。だって、ディルクは僕のものだったから。魔人は強くって、何でも蹂躙しなくちゃならないそうなんですよ。自分らだって我欲が深い、獣じみた価値のない屑じゃないか。みんないらない。僕が壊してやる。僕は――壊せるだけ壊して――、ディルクのいない世界なんて――滅びてしまえばいいんだ!」

 切れ切れの思考がそのまま言葉になる。吐き気をこらえてザシャは唇を噛みしめた。腹の奥で煮えたぎったものが渦を巻く。
 わかっていた。ここまで人間に執着して暴れる自分は、間違いなく魔人として異常なのだと。
 物音がして振り向くと、戦っていた敵が姿を現した。勝ち目は薄いが、おとなしく敗北を受け入れる気にもならないザシャは飛び出そうとした。

 が、黒角の青年がザシャの肩を強く押さえてそれを止めた。

「加勢しよう。奴らを倒せばいいんだな」
「……どう、して」

 青年は真顔で軽く首を傾げた。

「言っただろう、スモモの種がほしいんだ。今、お前に死なれたら困る。それに俺は……お前の気持ちが、少しわかるから。俺も大事な人がいて、その人をずっと、さがしてる」

 口調の軽さがいかにも若者といった雰囲気だった。
 ザシャの代わりに敵に向かっていったその彼は、一瞬で相手を倒し、噂の黒角の君であることを、圧倒的な力でもって証明した。
 敵は暴走するザシャをしとめるために使わされた刺客であり、かなりの手練れであったのだが、青年は軽々と葬った。ちょっとした運動でもしたといった雰囲気で戻ってきた彼は、「それでスモモは」とやけにそれにこだわっている。

「……果物が、お好きなんですか?」
「いや、作りたい菓子がいくつかあって、それに入れたいんだ。ご主人様の好物で、再会したら、食べてもらいたくて……」

 黒角の君の口から「ご主人様」なんて言葉が飛び出したのでザシャも仰天した。
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