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しおりを挟む幸せだと、感じられるようになるのだろうか。幸せになれるのだろうか。
そう思い至ってからスタールは、積極的にノイナに甘味を贈るようになった。
「わぁ、ありがとうございます~!」
幸せそうに笑う彼女の顔を見て、”スタール”も少しずつ本当に笑えるようになっていた。
任務のついでに土産を買って帰れば、珍しいスイーツに彼女ははしゃいだものだった。それから、任務のたびに土産を探すようになった。
けれどだんだん下手なものを贈ってしまうことが怖くなって、確認を取るようにノイナに電話をするのが習慣になっていた。
「ノイナ、今終わったところなんだけど……」
そこでふと、彼は気づいたのだ。
『いつもありがとうございます、先輩』
ノイナの声を聞くと、自然とそこにはスタールがいた。別人格から無理に切り替えて、残った思想や価値観を排することなどせずとも、彼はスタールに、自分と呼べる存在に戻れるようになったのだ。
自分が揺らぐような不安もなくなった。ノイナのことを考えれば自然と自分は自分でいられて、そして不思議と胸は温かな気持ちでいっぱいになっていた。
「そうか、これが……」
自分が自分であるという証明。それがノイナへの恋心であると、彼は気づいたのだ。
恋心を自覚してからは、スタールは献身的に彼女に接するようになった。土産を欠かさず買って、本部に戻れば彼女の仕事を逐一手伝って、諜報員として悩む彼女の相談に乗った。
「あんた、ちょっとキモいよ」
同僚のクリスにその献身ぶりを酷評されることもあれど、スタールはそれで幸せだった。
ノイナの側にいられて、彼女の声を聞けて、彼女の笑顔が見られるなら、それで、それだけで満足できた。
あの日までは。
「ノイナに、任務、ですか……?」
「そう。ついにキラーカードのお出まし、ということだ」
「キラーカード……?」
「彼女は一回限りの切り札なんだよ。どうしても懐柔しなければいけないターゲットが現れた場合のね……今回は彼女の性質が相手にしっかり刺さることだろうよ」
マシェットの言葉に、スタールは唖然となった。
確かにノイナがなぜ雑用係をさせられているのか、ずっと疑問だった。けれどそれは、機関にとって重要なターゲットを確実に引き入れるために、温存されていたからなのだ。
(ノイナが……こいつと……?)
ターゲットの顔写真を見て、スタールは初めての感情を抱いた。
それは、嫉妬だ。
「僕がやります」
「え?」
「僕にやらせてください。ノイナに回される任務は全部僕に任せてください」
「任せろって言われても、相手男だよ? しかも全然そっちの気なんてない……」
「それでも!」
スタールはなんとかして長官を説き伏せ、初めての難題に挑んだ。そこに嫌悪感も忌避感もなかった。ただノイナを奪われたくない一心だった。
「あららぁ……お前にも刺さっちゃったか、ノイナ・イゴーシュは」
そんな長官の苦笑いを、今でも覚えている。
任務のあと、スタールは悩んだ。自分のこの想いをノイナに伝えるべきかどうかを。
長官のことだ、もしかしたら自分に秘密でノイナに任務を与えるかもしれない。そうなれば、彼女は自分以外の男に身体を差し出すことになるだろう。
「なら、そうなる前に……」
先に彼女を手にしたいと思った。そう考え始めたスタールは、彼女とどうやって恋仲になるかを真剣に考えるようになった。そしてその過程で、普通の生活に対しても憧れを抱くようになった。
可愛い恋人。楽しいデート。穏やかな同棲。華やかな結婚。そして、温かな家族。
「ノイナと、家族に」
勇気を振り絞って、スタールはノイナを自分の家に誘った。家に着いてからは今までにないほど緊張して、彼女が自分の家に居ることを意識するたびに激しい動悸を覚えた。自分の手料理を幸せそうに食べる彼女に、抑えきれない欲求を抱いた。
でも、彼は。
(ノイナの温もりを知ってしまったら、僕は……これまでみたいに人格を、コントロールできなくなるかもしれない)
ノイナと心を通じ合わせてしまえば、きっと自分は満たされてしまう。どれだけ顔を切り替えたとしても、きっと彼女への想いだけは消すことはできない。
それは精神障害の回復の兆しだった。けれど彼にとっては、諜報員としての自分の死を意味した。
直前になってスタールは迷ってしまったのだ。本当にそれでいいのか、と。
「ノイナ、その……良かったら」
「? なんですか?」
「……なんでも、ない」
次の機会でいいと諦めた自分の選択を、彼はその後ひどく後悔することになった。
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