孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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二章 友愛の魔女スピカ

27.対決 偽証の魔女レオナヒルド

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レオナヒルド・モンクシュッド 

元宮仕えの魔術師であり、かの英雄バルトフリートの妹と知られる人物である

 性格は 悪辣、弱い者を踏み潰し 優越感に浸る事を好み、欲深く 嫉妬深く…自分以外の人間全てを『敵』か『踏み潰すべきゴミ』の二択にしか分けられない悲しい人物だ

だが、そんな彼女だが 魔術の腕前だけは本物だった

非常に多い魔力と独特の魔術センスを持ち合わせ、多くの攻撃魔術を手繰る 戦闘技術、策謀や罠を好んで使う 頭脳 、そのどれもが彼女を実力ある魔術師足らしめている

強いのだ レオナヒルドという女は、落ちぶれ 怒りと狂気に呑まれても尚…エリスよりも強い、遥かに

「フゥーッ!フゥーッ!」

「っ…」


牙を尖らせギリギリと歯ぎしりをし、全身から怒りを湧き立たせるレオナヒルドを前に エリスは構えとる

背後にはデティ…守るべき親友が身を縮こまらせている、デティを外へ逃がす為にも この状況を打破する為にも、レオナヒルドの撃破は必須…

ナタリアさんは瀕死 クレアさんは今バルトフリートと一騎打ち…こちらを気にかける余裕はなさそうだ、ししょーが助けに来てくれる保証もない

エリスがやるしかないんだ

「フゥーッ 体ん中で魔力高めて…一丁前に魔術師のつもりか、生意気晒してんじゃねぇぞ!クソガキィッ!」

「デティ!離れて!」

「はわわっ!?」

デティを巻き込めない、部屋の隅まで押し退け 予め 次の段階を読んで詠唱を始めれば…

「死に晒せやクソガキィッ!『ゲイルオンスロート』!!」

「『旋風圏跳』ッ!」

風を纏い跳躍する、エリスの筋肉では到底出せない エリスの体では到底耐えられない速度で飛び上がれば ほんの数瞬前までエリスが立っていた場所に 暴風の一撃が叩き込まれ、館の木の床が粉々に吹き飛ぶのが見える

やはり、威力が高い上に攻撃範囲が広い 真っ向からの直撃を許せば、どうなるか…!

「ちょこまか逃げ腐りやがって!」

レオナヒルドの風の魔術が荒れ狂いエリスを追いかけてくるが、速度ではこちらが勝る上 エリスの体は小さい…、回避自体は可能

旋風圏跳に身を任せ 空中で身を捩り敵意をむき出しで襲い来る風の隙間を縫うように飛び回り、その隙を伺い 中空で再び魔力を練り上げる…

うん、レオナヒルドは確実に エリスのスピードに翻弄されている、今ならいけるか…

「すぅ、大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ『風刻槍』!!」

「『ヒートファランクス』!」

と 魔術を放つが、当然レオナヒルドとて素人ではない エリスの魔術を目視してから即座に別の魔術を放ち相殺する というか魔術を撃つまでのスピードがエリスと段違い速いからエリスの攻撃を見てから対処され…

「ッー『フレイムタービュランス』」

「へっ!?は 早ッ!?」

魔術を相殺した次の瞬間には 、既に魔術による火炎を放ちながら腕を振るうレオナヒルドの姿が見える、いや早過ぎる 前回撃った魔術と魔術の間隔がほぼないに等しい、もはや 連射…いや幾ら何でも早すぎる、魔術ったって魔力を再装填しない限り連続発射は不可能…

「熱ッ!?」

なんて思考が横道に逸れた途端 瞬く間にエリスの周囲を炎が囲み、その皮膚を炙り始める、まずい このままでは焼き殺される

肺すら焼くような熱気の中息を吸い 必死に詠唱を唱える 、直ぐにでも風で吹き飛ばし防がないと 、しかし 炎の侵攻スピードは速く刹那の間にエリスの視界は炎で満たされる

くっ、ギリギリ間に合わないか!?この際腕の一本くらい諦めてでも炎を突破するしか…



「は 『ハイドロスワール』!!」

「へぶっ!?」

エリスの体が炎の乱気流に焼かれる寸前、横から飛んできた水により事無きを得る…まぁ頭から水ぶっ被った事になるが 丸焼きになるよりはマシだ

というか、この水…今炎の向こう側から…

「え エリスちゃん!大丈夫!?」

水を放ったのは誰か?

この場で魔術を使えるのはエリスとレオナヒルド以外に1人しかいない

デティだ、デティがカタカタと足を震わせながらこちらに手をかざしている、エリスが炎に巻かれたと見るや否や水の魔術を飛ばして火を消してくれたのだ

「デティ…」

「わ 私だって魔術使えるんだよ!私だってスピカ先生の弟子なんだよ!、エリスちゃんばっかりに戦わせなきゃいけないほど弱くない!」

助けてくれたのはありがたいが 危ないからこの場から離れろ 、と言いたげなエリスの目を見て察したのか、珍しく 声を荒げ怒鳴る

ズカズカと床を鳴らし、エリスの隣に立つと 険しい瞳でレオナヒルドを睨め上げると

「我が友に 手を出すなら、魔術導皇の名において貴方を決して許しません!」

「ハハハ…ガキンチョが一匹増えただけで、優勢にでもなったつもりかよ…、何が決して許しませんだよ、こちとら…ハナから許す許さねぇの段階越えてブチ切れてんだよ!チビ共ォ!」

「ひぃう…え エリスちゃんは私が守る!守るからぁっ!」

レオナヒルドの咆哮を前にしても、引かない 一歩も引かない 

奴の殺気は背筋が凍るほど怖いだろう、先程見せた殺意に塗れた魔術の猛威はさぞ恐ろしかったろう、だが それでもデティは引かない

隣には友が 胸には師の誇りが その身には魔術導皇として国を 民を守る覚悟があるから、絶対に絶対に 逃げ出したりしない

「デティ…ありがとうございます、助かりました」

「なんて事ないよ!エリスちゃん!」

ならもう逃げろなど言わない、そうだ デティだって魔術師だ エリスはそんなデティを対等として見ていたんじゃないのか

対等だというのなら 友だというのなら、こういう時 力を合わせるものじゃないか

「デティ、なら デティはレオナヒルドの使う魔術とは反対の属性の魔術を使って相殺してください、その隙に…エリスがレオナヒルドを倒します」

レオナヒルドの魔術連射速度は異常な物だ、恐らく 山賊を屈服させ 山賊として騎士と戦い、あらゆるものと戦い尽くし 実戦の中生き残る為生まれた歴戦の技術なのだろう

今のエリスには真似できないし、1人では突破出来ない…エリスの一つの魔術で対処出来るのはせいぜい一つの魔術、一つ防いでも続く二の矢三の矢でエリスは仕留められる、勝てないんだ

正直に言えばメチャクチャ悔しい、噛んだ唇から血が滲むほど悔しい あれだけ努力したのに、エリスはまだ憎きレオナヒルドに届いていない事実に…

だが同時に思う、誇らしいと

エリスはこの数ヶ月のアジメク生活 変わったのは魔術の腕だけじゃないんだ、一緒に隣で戦ってくれる友が出来たからだ、エリスは ムルク村の時と違ってもう一人じゃないんだ

あの砦でエリスが負けたのは魔術の腕が貧弱だったからではない、エリスが一人でなにもかも解決しようとししたからだ、もしクライヴやメリディア達を侮らず 一緒に知恵を巡らせていたら、エリスはもっとうまく戦えていただろう

そうだ、砦の失敗は繰り返さない…エリスは 一人では戦わない

「分かったよエリスちゃん、エリスちゃんの背中は 私がちゃんと守るから安心して戦ってね」

「はい、…任せました!」

「チィッ!泥の味も 屈辱の辛酸も、何も知らないガキどもに 私が負けるかぁっ!、『ブリザードセパルクロウ』」

「ッ!『サーマルフィールド』!!」

刹那、レオナヒルドの放つ寒波とデティの放つ熱波がぶつかり合い中和するように消え去る、うん ちゃんと相殺できている

威力では確かにレオナヒルドの方が上だ、単純な力比べをすればデティといえど負けてしまうかもしれない

だがいくら魔術とは言え、火は水をかければ消える 風は壁に阻まれる その道理までは覆せない、真反対の属性をぶつけてしまえば如何に威力が高くとも消し去れる
スピカ様の元で日々魔術の研鑽を積み今代魔術導皇として勉強を続けるデティの方が取得している魔術は多い、手数で勝る以上 相殺勝負はデティに軍配があがる

そして、その間に デティが守ってくれている間にエリスは

「クソっ!?こんなガキにまで私の魔術が防がれるだと!?」

「我が吐息は凍露齎し、輝ける氷礫は命すらも凍み氷る『氷々白息』」

デティが稼いでくれた時間を使い詠唱を済ませ、息を吐く 魔術によって絶対零度の吹雪となった吐息は 中空で氷の礫を作り 砲弾の如くすざまじい勢いでレオナヒルドへと飛んでいく

「グッ!?『カラミティブリッツ』!、ッー『フレイムタービュランス』」

迫る氷に顔を青くしながらも咄嗟に手の中で黒い光弾を作り目の前の氷を破砕し防ぐと同時に再び炎の竜巻を発生させ反撃に出る

もしエリスだけだったなら、速攻で飛んでくるこの反撃に為すすべがなかっただろう

だが、今は違う

「来た!火!ってことは『ハイドロスワール』!」

デティの生み出した一回り小さい水の竜巻により、炎は忽ち鎮火されていき エリスには届かない
どれだけレオナヒルドが反撃に出ようともデティがちゃんと反応して相殺してくれる、デティだって魔女の弟子だ 生半な事で踏ん張り負けはしない

これで、反撃は封じた 後はもうエリスが攻め切るだけだ!

「だぁーっ!邪魔くさい!『ゲイルオンスロート』!」

「風 風…『ウインドインパクト!』」

レオナヒルドも得意の魔術連射を使えば デティの魔術を突破できる、が しない

きっと魔術は二連射しか出来ないんだ、だからエリスを警戒して一発づつしか撃てないんだ、一発づつしか撃てないなら連射出来ないデティでも対応出来る

「颶風よ この声を聞き届け給う、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を  『旋風圏跳』!」

「いぃっ!? こ この こっち来るな!『ヒートファランクス』」

「『フローズンロクセ ファランクス』!」

風を纏い 真っ直ぐ 真っ直ぐ突っ込んでくるエリス前に恐怖から熱波を放ち撃退しようとするも、エリスの背後から飛んできたさ鋭利な寒波により引き裂かれ 、触れただけで皮膚を焼く衝撃は中和され無力化される

エリスの攻撃を阻む物は無くなった、風を手繰り空中で身を翻し足をレオナヒルド目掛け突き出す、突風を伴った高速の飛び蹴りは レオナヒルドの顔めがけ…

「か…『カラミティブリッツ』!」

「チッ」

さっきと同じだ、氷の礫を砕いた光弾による迎撃を目視する

が、ダメだ エリス相手に二度同じ防御法を繰り返すのは賢いとは言えない、来る と予見できていれば どういう魔術か分かっていれば、記憶による予測から回避出来る

「ぐぶぅっ!?」

体をくるりと回転させすんでのところで光弾を避け、勢いのまま放たれた蹴りはレオナヒルドの腹へと深々と突き刺さり、その身を宙へと浮かす
手加減なしの超高速で放った一撃だ 、エリスのような子供が放つ蹴りと侮ったか、口から胃液を吹きながらゴロゴロと転がり壁際まで吹っ飛ぶ

「ぐっ…い いてぇ…いてぇよくそう、兄様!兄様!コイツら叩き斬ってよ!そんな小娘1人に何 手子摺ってんのさ!英雄なんだろあんた!」

腹に受けた一撃に身悶えしゴロゴロと転がりながら、兄 バルトフリートの方へ叫び散らす、早く助けろと それが実の兄に対する態度かとエリスは眉をひそめるが…

「悪いなレオナヒルド、私が想像しているよりも彼女が強いのだ そちらはそちらでなんとかしてくれ、君も一介の魔術師だろう」

「余所見している場合かッ!」

部屋の奥で 幾度と火花が散る、クレアの猛撃を 着実に防ぎながらレオナヒルドの方をちらりと見るバルトフリート

向こうの戦いは拮抗しているようだ、クレアさんが神速の斬撃を幾度振るえば バルトフリートの足はその場へ縫い付けられる、今は確実に防げているが もしレオナヒルドの援護に走れば、クレアは何の躊躇いもなく バルトフリートを背中から斬るだろう

だが、エリスもその様子を見て少し焦る 

クレアさんは怒涛の攻めを繰り出しなんとか拮抗させているが、その代償としてクレアさんの体力はかなり失われており 汗をだくだくと流している、対するバルトフリートは汗ひとつかいてない…

クレアさんはバルトフリートに動かされている、防御一つでクレアさんの動きを支配し スタミナを削っているんだ、何よりその事に気がついているからこそクレアさんも焦っているんだろう

あまり長引かせるとクレアさんも危ないかもしれない

「くそっ!くそくそくそっ!肝心な時に役にたたねぇで何が兄貴だ 何が英雄だふざけやがって…、やってやる やってやるよ!畜生!」

ゆらりと 幽鬼のように立ち上がる、認めなくなかろうがレオナヒルドは今追い詰められているのだ、未だ嘗てない程の八方塞がりだ

嘘を以って他人を騙し 嘘がバレれば圧倒的な力で捩伏せ、多くの場面を切り抜けたレオナヒルドだが、今この瞬間は嘘も通じず力も通じない 危機的状況だ

「フゥーッ…ふぅー…」

だから彼女は考える、頭の中は殺意と怒りでいっぱいだが考える この場を切り抜ける手段を

レオナヒルドはバカではない、だから考える 考えて考えて頭を冷やして考え抜く

エリス一人ならなんとかなる デティ一人ならなんとかなる、だが二人揃うと対処が難しい

エリスの攻撃力は侮れない、使う古式魔術はまだ未熟で威力も一割しか引き出せてないだろうが それでも熟達した例魔術師であるレオナヒルドと同等の威力をホイホイぶっ放してくる上 機動力は並みの騎士以上だ

だが、魔術を撃ち合えば連射力でレオナヒルドが勝る やり合えばすぐ倒せるが、そこにデティが横槍を入れてくると対処しきれない…

しかも、横槍を入れてるのがデティなのがなお面倒だ、レオナヒルドは出来ればデティを殺したくない、生かして人質として連れて行きたい…だから 魔術を連射しデティを殺すことは出来ない

しかしエリスはデティが守っている以上仕留めるのはまた難しい…

「んぁ…」

そこで気付く、頭を冷やして考えてみれば 何もこの状況がそこまで難しいものではない事に気がつく、目の前のエリスとデティに気を取られ過ぎて選択肢が狭まっていたが

広い視点で見れば 何…難しい事ではないじゃないか

「ククク…、手前ら ガキの相手くらい なんてことねぇんだったな」

くつくつと喉を揺らし笑うレオナヒルドに些かの気味の悪さを覚える

だがエリスは既に学んだ、一度レオナヒルドの防御を抜けた 一度抜けたら二度三度抜ける、レオナヒルドにはあれ以上の奥の手はない 

あの態度はハッタリだ、得意の嘘だ 押せば倒せる 押し続ければ倒せる

「デティ!お願いします…このまま行きますよ!」

「アイアイ!」

「ハハッ!ならまとめて吹っ飛びやがれ!『ゲイルオンスロート』!」

エリス達を迎え撃つようにレオナヒルドの剛風が唸りを上げる

だがさっきと同じだ、デティがそれを防ぎ エリスが接近し 反撃を避け トドメを刺す!
デティが相殺したと同時にエリスが走るんだ!

「風には風だね!『ウインドインパクト』!」

「ッー!『フレイムタービュランス』!!」

いきなりだ、完全に予想外のタイミングでレオナヒルドが炎を放ってきたのだ

てっきりエリス相手に取っておくと思っていたもう一発を予期せぬタイミングで放ってきた、どこに向かって撃った!?デティか!?

違う、自分が直前に作り出した暴風 ゲイルオンスロートに向けて炎を撃ったのだ、荒れ狂う風はレオナヒルドの炎を乗せみるみる燃え上がり、瞬く間に巨大な火柱となり四方八方にめちゃくちゃに炎が飛び交う

魔術と魔術を合体させた!?、それは二人の魔術師が息を合わせて同時に詠唱し発動させる事で生まれると言われる合体魔術だ…

二つの魔術を個々に撃つよりも数段高い威力と影響力を持つ高威力の合体魔術を、レオナヒルドは一人で撃ったのだ 普通は出来ない、可能としたのはレオナヒルドの異様に高い魔術連射能力、ほぼ同時に撃てるからこそ可能とした 奥の手の中の奥の手!

いや、ともすれば レオナヒルド自身出来ると思ってなかったのだろう、でなければ派手好きの彼女がこんなどでかい魔術を最後まで隠しているわけがない

だが…

「デティ!鎮火しますよ!我が吐息は凍露齎し、輝ける氷礫は…」

「う、うん!『ハイドロスワール』!」

「…命すらも凍み氷る『氷々白息』!」

エリスの凍気が デティの水の渦が、目の前の炎にぶつかりみるみる勢いを抑えていく、合体魔術は強力だが、余り丁寧に作られていない為か 完全にレオナヒルドの手から離れている、言ってみれば暴走してるだけ 威力は高いが鎮火そのものは可能だ

これだけの規模の魔術を一気に無理矢理使ったのだ、レオナヒルドだって消耗してるはず…炎の勢いが収まったら すぐにでもレオナヒルドに突っ込んでトドメを…


そこで気がつく、レオナヒルドが消えていることに…

このド派手な魔術は目眩しだ、館に火が燃え移らないようエリス達が鎮火するのを読んで 態と火を大きくしただけなんだ

しまった、どこに行った!?まさか回り込んで…

「エリスちゃん!あそこ!」

デティが指を指す どこだ、どこを指差している デティの指を舐めるように視線で追えば、そこは館の出口の方向だった…開け放たれた玄関から光が漏れるこの館で最も明るい場所

そこに向かって、全力で走っているレオナヒルドの姿が

「に…逃げた!?」

逃亡だ、ここに来て 逃亡


いや違う 彼女の目的は最初からそれだったじゃないか、ただ目の前でエリス達に逃げられたら不都合だったから そして怒りから我を忘れてたからここで戦ってただけ

本当はこの館で協力者のオルクス達と合流するつもりだったのだろうが、結局のところ レオナヒルドとしては自分さえ逃げられればそれでいいのだ

ダメだ、逃すわけにはいかない 逃せばレオナヒルドは態勢を整えてやってくる、レオナヒルドはデティの身を狙っている いくら白亜の城にいれば安全とは言え 、いつまた今日のような日が来るとも限らない
魔女と言えども万能ではない、スピカ様達の目を潜り抜け 乱暴にデティ首根っこを掴み 闇へと消えるレオナヒルドの姿を幻視する…

「ッ!ま 待て…」

レオナヒルドはきっと諦めない、次は学習して 多くの仲間を得てくるかもしれない 次は学習してより強力になっているやもしれない 次は学習してエリス達の対処法を確立してくるかもしれない

次を レオナヒルドに与える危険性は計り知れない、追う 追うしかない…立場は逆転したが、この場で決着をつけたいのはエリス達も同じなんだ

「『旋風圏跳』ッー!」

「エリスちゃん!」

気がつけば詠唱を終わらせていた、風を集め 跳躍する 、速度ではエリスが勝っている 直ぐにでも追いつき、今度こそ押さえつけ昏倒させる

まだ半端にしか消えていない炎の竜巻を無理矢理飛び越え、館の中を真っ直ぐ進み 玄関へと走るレオナヒルドを追う、もう少しで手が届く そんな場面でふと、レオナヒルドの顔がこちらを向いた

「追うってのは 読めてたよ…!」

誘われた それに気がついた時には既にレオナヒルドは半身をこちらに向けて手をかざしていた、分かる あの構えは『フレイムタービュランス』だ この至近距離で放たれればエリスは一溜まりもない

「エリスちゃん!!」

肝心のデティもエリスの遥か後ろ、距離的に デティが魔術を撃ってもこちらに届くまでにエリスの体は焼き尽くされている、やらかした…距離を開け 各個撃破するつもりだったんだ

魔術で防御を…ダメだ これを防いでも続く二撃目が来る 同じ事、この状況を根本から解決しなければ


「ッーー!」

極度の集中、周囲の景色がゆっくりとスローになりエリスの体もまた遅くなる…極限まで集中することで起こるこれを、エリスは以前にも経験したことがある

どこでだ?山猩々と戦った時だ、あの時もまた敗北寸前だった だが勝てた、どうやって打開した 、確か 詠唱を殆ど省略して魔術が勝手に発動したんだ…

どうやってか、あの時は分からなかったが …実は今は分かる、あれからずっとどうしてか 考えていたから、それを今まで使わなかったのは 使えなかったからだ


魔術が詠唱を飛ばして先に発動することはあり得ない、魔術とは複雑な魔力の流れなのだ 詠唱なしでは普通は成り立たない

エリスはよく魔力を水に例えるが、魔術は言ってみれば巨大な運河だ、複雑に絡まり合い 一度として同じ形を見せない川なのだ、詠唱は そんな川の流れを即座に移し書くように再現するための方法なのだ

詠唱なしでは人間にそれはできない、同じ量の水を用意しても、寸分違わず川の流れを再現できる者などいないからだ


だが、だが…エリスには出来る筈だ 

ししょーから授かった変幻自在の魔力制御があれば 川だろうが海だろうがエリスの中で再現できる 理論上は

そして、エリスの記憶力があれば、一度見た物なら たとえどれだけ膨大な運河であれ記憶し再現できる 理論上は

どちらも理論の話、いくら試しても出来なかった …だが 今なら出来る、何故か?知らない …感覚の話だ

感覚の話だが、確信的でもある…やれる というか やれなければ死ぬ

「ッッーー厳かな天の怒号、大地を揺るがす震霆の轟威よ 全てを打ち崩せ!」

口では別の詠唱をしながら、体の中では必死に 感覚を思い出す

思い出せ 全身で、風刻槍を作るときの感覚を 手に足に 胸に 体内に どのように魔力が這い回り、どんな風に変質し どんな風に放っていたかを

「遅い!『フレイム…』」

レオナヒルドが詠唱するのに先立って その手をかざし、魔力を集める 
膨大な それこそ気の遠くなるような工程を全霊で組み立て、再現すれば …ふと懐かしい 使い慣れた感覚が指先から伝わる

魔力が風に変わる感覚 風刻槍を形成した時の手応え、まだまだ未熟で風刻槍の十分と一程度の大きさ 百分の一程度の威力、何かを傷つけるだけの威力はない ちょっと強いくらいと風でしかない

が…十分だ、思い返すのはデティが風の魔術を暴走させてしまった時、突風の中ではうまく息ができず詠唱を続けられなかった時の記憶…つまり

「『タービュラン…モガッ!?』、ゲホッ!?な なんだ!?風ッ!?なんで!?」

エリスの手から放たれた少量の風を顔に受け、レオナヒルドの前髪が激しく揺れ 思わずタタラを踏み、傷はない 吹き飛びもしない だが、風のせいで息が乱れ 詠唱が止まる

たったそれだけで魔術とは発動しないものなのだ、そして 例えどれだけ早く詠唱し直そうとも…既に別の詠唱を始めているエリスの方が 速度で勝る

「降り注ぎ万界を平伏させし絶対の雷光よ、今 一時 この瞬間 我に悪敵を滅する力を授けよう!」

「ッ!!、『ゲイル…』」

死に物狂い、いつものレオナヒルドなら 咄嗟に命乞いしただろう、だが それはレオナヒルド自身のプライドが許さなかった

魔女みたいな絶対の存在に負けるのはいい、だがこんなガキに魔術で負けたら レオナヒルドにはもう何も残らない

子供の頃から優秀で人当たりが良く 誰からも慕われる兄と比べられ、困るとすぐ嘘をつき逃げる彼女は常に下に見られた 

見下されバカにされ、そんな連中を黙らせることが出来たのは全て魔術があったから 魔術の才能があったから、私の魔術は誰にも負けないのだと言い聞かせてきたからこそ レオナヒルドは強くなれたのだ

頭も力も生き方さえも 兄を超えられない 誰かを凌げない、そんなレオナヒルドが 他人を上回れるのは魔術だけなんだ

それが…それがこんな小さな子供に魔術で上回られたら…もう 何にも…私には

「『天降 剛雷一閃』ッッ!!」

それは 天の裁きか、嘘をつき 他人を踏みつけ 嘲り 、助けてくれる人間も仲間も 全て押しのけ自分のことだけを考え続けたレオナヒルドへの 天の怒りか

エリスの拳から放たれた激しい光 激しい音の一閃、天を割る稲妻がレオナヒルドの体を貫き 全身に電撃を走らせる

レグルスが エリスに教えていた、他の魔術を上回る威力を持つ 必殺の一撃、拳から放たれる雷霆は 射程距離を犠牲に高い威力を秘め、火雷招さえも超える威力を叩き出す

「ぁがががががぎぎぎぎいぃぃぃっ!?」

一瞬の事だった、暗い館全体を照らすような莫大な光は瞬く間に立ち消え…後には黒焦げになったレオナヒルドだけが残った

「……終わった…」

息を荒げ、目の前で倒れるレオナヒルドを見下ろし 一息つく

生きてる、殺すつもりはないから…だが 暫くは動けない筈だ

「………………」

無言で空を見上げる、いや暗い天井か

エリスは一人ではレオナヒルドには勝てなかった 、デティがいなければ エリスは死んでいた

だけど、不思議と 情けなさはない…

今まで積み重ねた特訓がなければ エリスはもっと早い段階から負けていた、デティという友がいなければレオナヒルドと互角に戦えなかった、デティと経験した事柄がなければ エリスは最後 勝てなかった

この数ヶ月の全てが、エリスを生かし 勝たせた…成長出来ているんだ

この館の隅で 震えていたエリスは…もういないんだ

「わたし…強くなりましたよ、かあさま」

誰に対して 何に対していうわけでもなく、ただ その一言を館に置いていく、それは餞別ではない 

それは この館に 館での思い出への、別れの言葉だった…

「さて、後はクレアさんとナタリアさんを…」

そう、振り向き みんなのところへ行こうとした瞬間の事だった

「く クレアさーんッ!」

悲痛な叫びだ デティの、ひたすらに悲痛な叫びを前に 全身の血の気が引くのを感じるとともに、館の中に 肉を裂く気色の悪い音が響いた…

マズい、向こうも決着がついてしまったようだ、急いで転身しクレアさんの元へと駆ける

「クレアさん!」

………………………………………………………………

時は巻き戻る、エリスがレオナヒルドを追い 駆けて行った頃だ



結論から言えば、クレアは頑張った方だった

「グッ…!フゥフゥ…」

「どうした、もう息があがったのか?」

バルトフリードの必殺の一撃の嵐を縫うように、的確に飛び反らし弾き クレアは未だ素っ首落とされることなく凌いでいた

だが戦況は火を見るよりも明らか、あり過ぎたのだ…差が、挙げれば暇がない程に大量の差が…、いくらクレアが天才だと 実力者だと褒められようがそれはその16歳という若さにしてはの話だ

元騎士のバルトフリート、齢は40 全盛期は既に過ぎ去った身なれど 身につけた技術が失われるわけではない
剣を初めて握ったのは十の時 以降朝昼夕の素振りを欠かした事はない、騎士になったのは十八の時 数多くの修羅場戦場を潜り抜け何度格上を打ち倒したか数えられない

技量だ、単純な技量こそ戦いの明暗を分かつ、バルトフリートが汗もかかず振るう一撃を凌ぐのに、クレアは幾多の知恵と体力を用いまた息を切らせていく、それもこれも 彼と言う騎士と若く未熟な騎士の純然たる技術に差があったから

「ッ!ちぇりおっ!」

「ここまで追い詰められながら未だ踏ん張りが弱くならんとは、なんと有望な騎士か」

体力にも腕力にも筋力にも そして魔力にも、騎士と言う存在を成り立たせる全ての要素でクレアは劣っている事は、誰も言わずとも分かっていた 、誰よりもクレア自身が

クレアの攻撃はカスリもしないのに、バルトフリートの攻撃は着々とクレアの命に近づいてくる

「ぐぁっ!?…痛っ~ っ!クソ!」

そして、バルトフリートも こんな大罪人に身を落とそうとも、騎士は騎士 たとえ格下相手でも決して手は抜かない

クレアの一撃を弾き、続けざまに頬 鳩尾 太腿に蹴りや持ち柄ちよる三連撃の殴打が走る、それにより凄まじい鈍痛が クレアの足を縫い止め、クレアの首を繋いでいた綿密な攻防に穴が生まれてしまう、もう飛んで 避けることは叶わない

(この状況になりながらも意思は死なず、責務は全うしようとする様は見事と言う他ない…私がまだ騎士だったならこれ以上なく、目をかけただろう…だが!)

「や やべっ…」

実力もそうだが、最も著しい差といえば 武器の差だろう…

クレアの持つ剣は、騎士に配られる 悪く言えば普通の鉄の剣 よく研がれているが、バルトフリートの連撃を弾いただけで既に傷だらけになっている…質自体は悪くはないのだろうが、今回は相手が悪い

対するバルトフリートはどうだ、友愛の魔女より戦役の報酬として下賜された黒戦斧は 彼の怪力にも耐えられるよう頑丈に作られ、惜しみなく最上級の鋼鉄と多大な魔力で編み込まれた其れは、巨岩すらも両断する威力を持つ

この二振りの差は 二人の差以上に 絶対的な物、こればかりは覆りようがない


避けることが出来なくなったクレア目掛け振るわれる 黒刃を防ぐ為、咄嗟に その間に剣を挟み攻撃を反らすも、クレアの剣は彼の斧の一撃により容易に叩き折られてしまう

クレアの生命線とも言えるその刃はど真ん中でへし折れ 切っ先が中空を舞う、クレアの命を守る物は 今何もなくなってしまった

「く クレアさーんッ!」

(許せとは言わん!、だがこれも我が愛妹の為!、死んでくれ!若き騎士よ!)

デティの叫びも虚しく、バルトフリートの二撃目が即座に降り掛かり クレアの首元に迫る、クレアの足は既に機動力を失い 守る剣すらへし折れた 、チェスのように相手の活路を徐々に断つと言う考えの元での戦いの運び…、全てバルトフリートの技の勝利だった

斧の刃は真っ直ぐクレアの首元を捉えていた

「ッ!…」




差が あった 多くの差が、その全てにおいて バルトフリートが優っていた 勝っていた

だが唯一、ただただ唯一 クレアが 勝っている物が あったとするならばそれは…



(目が…死んでいない、斧ではなく私を 睨みつけている、まだ戦いを諦めていないのか、一体何が…いや!何かくるっ!?)



それは 意思 心 我慢強さ 精神力 気合い 根性 負けん気 なんとでも言えるがここではこう呼ぼう

クレアと言う騎士は 『信念』という一点のみ バルトフリート上回っていた

「ぉ…おぉおぉぉ!!ちぇりおぉっ!!」

「なっ それは…がふっ!?」

中空を舞う へし折れた切っ先を咄嗟に足で蹴りつけ、バルトフリートの鎧を貫き脇腹に深々と突き刺さり尚 蹴り押し刃が腑を食い破る

クレアが味わった鈍痛をさえ超える 激しい激痛、その上勝利を確信し油断し緩んだその脇腹に、理外にして意識外の一撃 …たとえ訓練を積んだ騎士であれ、手元が緩むのは当然の帰結、ブレた斧の刃では クレアは仕留められずその頬を掠めるに留まる

(ぐぅっ!?これを狙っていて態と剣を!?…いや違う、この子は 諦めなかったんだ、傷つき剣を折られ首元に刃が迫って尚 最後の最後まで諦めず私を倒し友を守ると言う 、信念を捨てなかったのだ!、故に私が見落としたその隙間を 彼女は見落とさなかった…!)

それは信念だ、絶対の決意 

弱さを捨てきれず 騎士としての信念を折り、大罪人の妹を助けてしまったバルトフリートは今この場においても迷っていた、仲間を斬ったこと 魔女様を裏切ったことその全てが頭をよぎり、早くこの事件の全てを終わらせる為 戦いを焦ってしまった、普段の彼ならば敵の首を刎ねるその瞬間まで絶対に警戒は解かなかったろう

対するクレアは、…例えこの場で斬り倒され 血を流し 死のうとも、背後の友と我が主人だけは守り抜く、ただそれだけを考えていた 、勝とうとか生き残ろうとか負けたくないとか そんな雑念などクレアの決意の前では無に等しい

故に最後まで見逃さなかった、宙を舞う刃 数瞬気をぬくバルトフリートを見逃さなかったが為に 引き寄せられた 必然の一撃

「ゼェ…ハァ…ゼェ、ハァッ!」



何度も打ち据えられ青く染まった上で更に折れた刃を蹴りつけたその足は痛ましいほどに傷ついている、腕も振り上げられているのが奇跡のような状態 、体力にしても いつ酸欠になり倒れてもおかしくない程の極限状態 

それでも尚、大地を深く捉えるその足は 力の緩んだ斧を弾き飛ばすその腕は、中頃で折れた剣を高々と振り上げるその姿は その目は、相対した時から変わらず 鋼のように硬く 一振りの剣のように真っ直ぐ ただ愚直なまで真っ直ぐ 輝いていた

(これが…この子と私を分けた差…、信念の差による敗北…まさか私を 英雄死なずのバルトフリートを心持ち一つで超えていくか…っ!?)

「……ッッーー!」

中頃で折れても剣は剣 人一人殺す事など容易である、斧もなく体に力の入らぬバルトフリートの体に、クレアの全体重の乗った斬撃が袈裟気味に叩きつけられる

「ぐっっ!?…ぅ…がふぅぁ…」

彼の首の腱は斬れ 肋も折れ その体から夥し量の鮮血が 舞い散り、まるで彼の命が口から溢れるかのように喀血し…激しい水音と共に彼の体は血の海へと沈む

「よも…や…」

もはや バルトフリートに立ち上がる力はなかった

かつて 若い頃ならば、たとえ致命傷でも立ち上がった…魔女様に仕える騎士だったならば誇り一つで立ち上がった

だが、死なずのバルトは老いた もはや英雄と呼ばれた頃の力はない…その上、もはや魔女様への忠義はなく 誇りもさえも失った

立ち上がれる道理は 無かった


「クレアさーんっ!」

「デティ様…っとと、まだ近づかないでください コイツ…まだ息があります」

片足は既に力は入らない、それでも主人は守ると言わんばかりに デティを手で制する、あれ程の傷を負って尚 バルトフリートはまだ生きている、致命傷を負えども彼は英雄 、小娘二人 道連れにする力は最期まであるだろうと、クレアは警戒していか

(…妹は、逃げたか…)

が既に彼の思考と視界には、戦いの事などカケラもなかった…その視線は廊下の奥

こちらに駆けてくるエリスの背後で地面這って 、黒こげになりながらもバルトフリートを見捨てて逃げるレオナヒルドの姿があった


あの子も 小さい頃は、素直でいい子だったのだ …兄様兄様と後をついて回って、可愛らしく愛らしくこの子を守る為ならどれだけでも強くなれると当時は思ったものだ

おかしくなったは私が騎士になる事が決まった時か いや、もう少し前だった気がするが、私に釣り合う妹になる為 あの子は嘘をつくようになった、嘘をついて見栄を張って自分を大きく見せることで快感を得るようになった

嘘をつき 嘘をつき、そのせいで学園でも孤立し 嘘が原因で折角得た宮廷魔術師の座も剥奪され皇都からも追い出され 郊外で盗賊とつるむようになって

(あの子を歪めてしまってたのは、私だ…兄の私が妹の苦しみに気がついて、フォローしてやれば もう少し真っ当な人生を送れていただろう…、その償いが これで少しでも出来たならば兄はそれで良い)

国まで敵に回したのは 半分はあの子のためなのだから、彼がいくら功績を打ち立て英雄と讃えられても、盗賊として罪を犯し 騎士に追われて郊外を逃げ回る妹の話を聞くたびに、常に罪悪感を抱き人知れず涙を流したのだ

その贖罪となるならばこんな結末も悪くないだろう と逆賊は浅く笑う

「クレアさん!大丈夫ですか!?」

「クレアさん!クレアさん!」

「………ありがとうございます デティ様、でも御身の安全を一番に…エリスちゃんも ってエリスちゃんは大丈夫そうですね」

顔色を変えて駆けつけた無辜の民である友の魔術師の少女と 守るべき主人である魔術導皇を背に、剣を構える若き騎士に目を向ける

(民と導皇の為 剣を持ち、その身を盾として戦う…これこそ騎士のあるべき姿、私が夢見た勇ましき姿…、妹への罪悪感に押しつぶされ…新入りの彼女に気圧され、信念を押し通せなかった心の弱い私では成り得なかった 本物の騎士、…ははは まるで昔の夢に打ちのめされた気分だ)

悔しさはない もっと言えば敗北感も、今にして思えばこうして負けるのはある意味必然だったのだろうと スッと腑に落ちる

彼女は昔の彼の理想を体現した 、彼が貫けたかったものを貫いた、その時点で完膚なきまでに敗北していたんだ

「…ク…レア…ウィスクム」

「なに、遺言ですか」

肺に残った最後の空気を命を吐き出すように、声を振り絞る 最期に 彼女に言うべきことがある、命に代えても 伝えておかなければならないことがある

「ごぶっ…ぅ、…クレア…誇れ…っ、わだ …しに、勝ったことを…っ」

死なずと称えられた私を 倒した事を、主人を守り抜いた事を そして悪敵に勝ったことを、誇るんだと薄れゆく意識の中伝える、それを彼女がどう受け取り どう育っていくか見たかったが それは 贅沢というものだろう、せめてその騎士道が輝きを失わんことだけを祈る

「……それだけですか?」

「あ…あ…」


ああ、やり残したことは山とある、私が殺してしまった看守達への償いがまだ出来ていない、目をかけてくださっていたスピカ様にも なんと謝罪すれば良いやら、後輩達にも重荷ばかり背負わせる 嫌な先輩だった事をまだ詫びてもいない…悔いだらけだ

悔いばかりだが、…今はとても安らかな気持ちだ…、一人の若き騎士が英雄としての才覚を芽吹かせ…悪から導皇を守った その事実だけで私はもう…満足だ…

「そうですか…、分かりました その言葉 確かに聞き届けましたよ」

「…フッ…」

そうして彼の意識は ただ白の中へと 消えていった


その胸中は、罪悪感にまみれながらも、不思議と 後悔はなかった
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