孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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五章 魔女亡き国マレウス

アジメク外伝.導皇会議と立ち込め始める闇

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花が歌う 日が讃え 人が生きる、癒しと光の王国 七大魔女大国の中で最も平和であり最も牧歌的な雰囲気を持つ国

落ち着いた雰囲気とは裏腹に、数多くの優秀な魔術師が在籍し また魔術界における法を取り持つ絶対的権威である魔術導皇が玉座に座る 国全体の統治を行っている魔術の国でもある

自然と魔術が人と人とを繋ぐ、まさしく友愛の国…それがアジメクだ


広大なアジメクの地の中心に聳える巨大な都、中央都市 皇都アジメク…何層にもミルフィーユのように街が円形に重なるような形は、魔女の性質故か あるいはその絶対の統治が行き届いている証左か

中から貴族区画 騎士区画 そして商業区画と連なり色を変える、真上から見れば綺麗に整頓された街並みに思わず感嘆の声を漏らすほどだろう

そんな美しき街並みの中で一層際立つ輝きを持つ中心地 、日を跳ね返し銀の如き輝きを放つその名の通り『白亜の城』、魔術導皇の居宅にして居城たるこの場は魔術の総本山として日夜数多くの魔術や魔力理論 魔術に関する全てが生まれている

魔術という技術が確立し世界に伝搬する震源地、魔術そのものが生まれる分娩室 それこそが白亜の城 それこそが魔術導皇の居城、全世界の魔術師たちの憧れの地なのだ


そんな白亜の城、普段は静謐な空気を纏わせるこの城も 今日は…不思議と慌ただしい、いや 物理的に騒がしいわけではない、ただ妙な緊張感のようなものが走っているような気がするのだ、まぁそれもそのはず 今日はなんたって…

そう…なんたって今日は『導皇会議』が開かれる日なのだから



「よもや、魔術導皇殿が我等 七魔賢全員に招集をかけ意見を聞きたいとはなぁ?」

白亜の城の一室 、荘厳な空気を漂わせる大部屋に声が響く

石造りの壁や床は歴史を感じさせる古さを持ち、中央に置かれた白の円卓を中心に座る六人の魔力により 部屋は妙に薄暗く感じる、彼ら六人…いや 世間では『七魔賢』と呼ばれ讃えられる七人の魔術師達が六人も揃うという異例の事態に さしもの白亜の城も緊張を隠せないのだ

「仕方がありませんよ、我等七魔賢はただ偉ぶる為だけにその名を持つわけではありません、魔術分野に於ける七人の賢人と魔術導皇に選ばれているからこそ こういった場にも招かれるのです、光栄に思わねば」

黄金の鎧を着込んだ黒髪の女が諌めるように声を上げる

七魔賢とは彼女の言う通り、魔術分野に於ける最高峰の賢人達の名だ、実力もさることながら その深き知識は他の追随を許さず、魔術界の権威として君臨する七人の賢者達なのだ

普段は各々、別の国 別の場所で魔術の研究をしている筈の七魔賢が今日 魔術導皇に招集をかけられ皆が一堂にこの白亜の城に集ったのだ、その時代の七魔賢が全員が集まるなどかれこれ数百年ぶりと言える

「フンッ、何をどう取り繕っても あの魔術導皇もまだ子供ということよ、このガンダヴァハのような賢者が鞭撻をせねばなるまいよ」

円卓の椅子にどっかりと座り顎鬚を撫でる壮年の大男が笑う、彼の名はガンダヴァハ・ネルソン、アルクカース代表の魔術師にして七魔賢の一人
脳筋国家とも唄われるアルクカースに於いても非常に珍しい頭の切れる学者であり 今アルクカースで使われている現代付与魔術の改良に一役買った偉人である

傲慢な態度はやや目立つものの 有能な魔術師として大王ラグナからも重用される人物として知られる

「まぁ、確かにまだ魔術導皇は若いですが、年齢と才気は比例しません 私は彼女の事を認めていますよ」

そんなガンダヴァハを諌める黄金の鎧を持つ黒髪の女、彼女の名はグロリアーナ・オブシディアン、デルセクト代表の魔術師にして連合軍総司令官 兼 同盟首長筆頭護衛 兼 七魔賢とやたら沢山の二つ名を持つ人物である

この世に存在する全ての術を取得し極めたと豪語するだけあり、彼女の魔術の腕はデルセクト国家同盟随一、その智謀から七魔賢の一人に選ばれているのだ

「さて、それはどうかな?年齢とは即ち人生経験だ、若ければ考えの至らぬところは多くあるだろう、ああ 勘違いしないでくれたまえ?魔術導皇の事をけなしているわけではなく私自身の考えを口にしたまでさ」

メガネをくいと指であげる麗しい女性が嫌みたらしくそして長々と語る、彼女もまた七魔賢と一人 リリアーナ・チモカリス、学術国家コルスコルピに属する魔術師

その肩書きは『ディオスクロア大学園魔術科筆頭教授』、世界中の生徒達に魔術を教える魔術科の教師陣の中でさらにその上に立つ筆頭教授、世界最多の魔術学者数を持つコルスコルピにおいて トップに立っているのだから、彼女の凄まじさはこの場においても頭一つ飛び抜けていると言ってもいいだろう

「それを言えば君も若いだろう、だが その若き魔術導皇が我等全員を招集したのなれば、これは歴史上に残る大事件と言ってもいい、ククク 我が名が歴史に刻み込まれる日も近いか」

くつくつと笑う禿げ上がったデコと痩せこけた頬を持つ狂人じみた男、その風貌から老けて見えるがこれでもまだ齢は四十いくつなのだから 彼の魔術にかける狂気的なまでの熱量は凄まじいものなのだろう

彼も七魔賢、それもマレウスの魔術御三家 クルスデルスール家の現当主 ラーズ・クルスデルスールである、息子 マティアス・クルスデルスールに英才教育を施した張本人である

「ええい、ワシはこの際何でも良い!、態々別の大陸から呼びせられたのだ!相応の用でなければワシは七魔賢など抜けるからな!…全く、欠席して良いなら欠席すればよかった」

そんな雑談に対してキレ散らかす小柄な老人、この場に集まった中では最も老齢の魔術師…彼はこのカストリア大陸の外 ポルデューク大陸から態々海を渡ってこの招集に応じた人物なのだ

名はゲオルク・ワルプルギス 夢見の魔女リゲルの統べる教国オライオンにて、テシュタル教の枢機卿を務める人物でもある、彼もまた多忙の身 今日この会議を欠席したアガスティヤ帝国代表の七魔賢 『魔術王ヴォルフガング・グローツラング』同様欠席すればよかったとボヤき始める

「そう言ってくれるな…、今は彼女を信じようじゃないか 我等が幼き魔術の主を、彼女もまた必死に悩んでの決断なのだろうから」

静かに、ただ静かに口を開く男、七魔賢達の醸し出す重圧をそよ風のように受け流す黒髪長髪の以上高はそう呟く、もはや齢は五十を超えているだろうに未だに顔に些かの皺しか刻まれぬ程に肉体は若さを保っている、それは彼自身が未だ魔術界を導皇と共に第一線で引っ張っていることの証に他ならない

彼の名はトラヴィス・グランシャリオ…非魔女国家マレウスにて、クルスデルスールと共に魔術御三家と呼ばれる貴族の一人だ、そう 今日この場に呼ばれたラーズ・クルスデルスールと同じ魔術御三家

されどラーズとトラヴィスを同格に見る者は居ない、そりゃあそうだ 何せこのトラヴィス…、その別名を『大魔術師トラヴィス』

帝国代表の魔術王ヴォルフガングと並び世界最高の魔術師と讃えられる人物の一人なのだから、この場において頭一つ飛び抜けるコルスコルピ代表のリリアーナよりもなお上を行く まさしく別次元の存在、それこそが彼だ

「チッ、トラヴィスが…格好をつけおって」

そんなトラヴィスを面白くなさそうに見つめるラーズ、ラーズとトラヴィスは共にマレウスで魔術御三家と讃えられる間柄、七魔賢に選ばれずここにはいないアンドロメダ家は良いとして、トラヴィス率いるグランシャリオ家が自分より上と目されているのが彼は我慢ならないのだ、幼少期より自分より上の人間をあまり見てこなかった彼は自分より上の人間全員が嫌いなのだ

この七魔賢の集い そして魔術界のトップたる魔術導皇の猊下でなんとしても奴を扱きおろさねば、そんな念を腹に抱えながら彼はマレウスからアジメクへ遠い旅路を超えてきたのだ

すると、七魔賢…いや一名欠席であるため六人しかいないのだが、その集いの間の扉が重々しく開かれ音を立てる、それは即ち 会議開始の合図でもある


「お待たせしました、皆さん」

杖をつく 音がする

地面を叩き前を向く

その身はクリサンセマム家に伝わる伝説の白法衣で彩り、その手には 魔女スピカより授けられた友愛の黄金錫杖が握られている

ふと見れば子供、同年代以下の小さな小さな体躯 顔立ちはもう齢を十を超えているというのに、未だ庭先を駆け回る幼児のような幼さを孕みながらも、その表情は硬く 身から溢れさせる魔力は七魔賢にも引けを取らない

当然だ、ただの子供ではない…彼ら七魔賢を率いる 否 この魔術界を背負って立つ世界に唯一無二の存在、彼女こそが魔術導皇なのだから

「デティフローア様、我等七魔賢 貴方様の呼びかけに応じ、参上いたしました」

トラヴィスが立ち上がり礼をしながら彼女を迎え入れる、魔術導皇の名はデティフローア

デティフローア・クリサンセマム、代々魔術を支配し 魔術界における法の番人…否 法そのものと言える人物だ、僅か5歳にして玉座に座り 友愛の魔女スピカより教えを賜り 今や魔術界に存在する現代魔術の八割を習得しているという麒麟児

それがゆっくりと余裕を持って…否、緊張でギクシャクした動き 足と腕を同じ方向に振りながらブリキ人形のような動きで歩き、円卓の中でも一層大きな椅子 玉座に座る

「わ 私の呼びかけに応じてくださり、あ ありがとうございます!七魔賢が全員今日この場に集ってくれたことを私は嬉しく…」

「一名欠席だぞ」

「ふぇっ!?」

デティの言葉を遮りガンダヴァハがやれやれと額を抑えながら口を挟む、七魔賢の中六人この場集ったものの、一名…アガスティヤ帝国代表の魔術師にして七魔賢最強の魔術王ヴォルフガング・グローツラングは今日は欠席、いや欠席の一報すらなく完全なるスルーをかましたのだ

「い いないんですか?」

「ええ、今日はヴォルフガング殿は来られていません、彼は皇帝陛下の言葉でなければテコでも動かぬ頑固者ですので、ただ彼もこの会議は見ていることでしょう…彼の遠視の魔眼 否 千里眼は魔女さえも上回るほどのもの、何か言葉があればすぐにでも参上する筈です」

トラヴィスが補足するようにデティに声をかける、ヴォルフガングとて伊達に魔術王とは呼ばれていない 、何か言葉があれば大陸を超えてここに意志を伝えることは出来ると言うのだ、事実彼は魔女もかくやと言う程のデタラメさを持つ  なので会議にわざわざ足を運ぶようなことをする必要はないのだ

でも一言くらい入れてよ…とデティは内心泣く

「それで、魔術導皇殿?今日は如何なる用件で 我等七魔賢を招集したのですか?」

グロリアーナがテーブルの上で手を重ねながらデティに問う、何も単なる雑談のためにここにきたわけではない 用があるならば早く本題に入ろうと伝えると、周囲の人間もまた静かに頷く

とっとと始めろよ、そんな空気に急かされデティは慌てて紙束を取り出し本題に入る

「えっと、今日みなさんを招集したのは、皆さんのその深き知識とそこからくる意見を問いたかったからです、とても大きな議題ですので 未だ若輩の私だけで決めるには荷が重いと感じたので」

「ふぅん?、まぁ正解だね 勝手に決められては困ると言うものだよ」

「何でも良いから始めてくれ、ワシは忙しいのだ」

デルセクト代表のリリアーナはメガネを弄りながら姿勢を崩し、オライオン代表のゲオルグは長く椅子に座っていると腰が痛くて堪らないとボヤき始める

「はい、では…実は最近 とある犯罪組織の活動を耳にしました、魔女排斥派 マレウス・マレフィカルム…及び大いなるアルカナと言う組織です」

デティフローアが表情を硬くしながら声を上げる、マレウス・マレフィカルム?と数名は首を傾げ 大いなるアルカナの名を聞き数名は眉をピクリと動かす

「その構成員が、我等魔術導皇の決めた法に従わず、違法魔術を使い犯罪を犯しているとのことです、違法魔術はその危険性と驚異度からどれも使用及び習得は禁止していますが、元々犯罪を犯している者達にとってはあまり拘束性がないことが判明しました」

大いなるアルカナ…主にデルセクトで活動していた幹部 戦車のヘットの件だ、彼は魔術導皇の禁止した禁忌の術 マグネティックジフォースという磁気魔術を使ったと言われている、他にも彼の部下には禁忌の術を使ったものがおり、彼らは悪びれもせずその術を行使していたというのだ

「この話を魔術導皇としては放置も承服も出来かねます、故に何か対策を打たねばならぬと感じ、…私は 魔術界にて 更なる規制強化を敷こうと考えています」

規制の内容は未だ白紙だが 、それでもこのまま禁止魔術を使う者を放置すればどんどん使用者は増えるだろう、そうなれば魔術導皇の力は減退し 魔術界は無法が蔓延る 違法が跋扈する世界に変わってしまう、そうなればこの世界は瞬く間に崩れる

故に更に規制を厳しくするというのだ

「なるほど、違法魔術を使う悪人かい」

リリアーナが顎に指を当てながら考える、いや彼女だけではない 皆同じように考える、それに賛同すべきか否かを…

そんな中デティフローアは言葉を続ける

「魔術は法と規則の中で振るわれるからこそ 人の繁栄の一助足り得るのです、無法に思うままに振るえば 世界は取り返しが付かぬまでに崩れてしまいます、ですので…」

「規制を…か、浅慮だな若き魔術導皇」

「え…」

アルクカース代表のガンダヴァハが刃のように鋭い目つきでデティを睨む、魔術師であり知恵者と言えども彼はアルクカース人、その身から放たれる闘気と威圧は並みの戦士を上回っており、事実 この場はあっという間に彼の空間と化す

「確かに規制を強化すれば違法魔術を簡単に使えぬ世になるだろう、しかし 重くなった規制で縛られるのは善良な魔術師も同様のこと、魔術師達が規制にあぐねて魔術研究や開発を辞める可能性さえあり得るのだぞ?」

まるで熊のような見た目の彼から発せられたとは思えないほど理路整然とした意見にデティは面を食らうと同時に理解する、この人間もまた七魔賢 遍く存在する魔術研究者の中で頂点に立つ一人でもあるのだと

「そうなれば魔術界は先細りだ、魔術界の衰退は即ち 魔術導皇の力の減退を意味し 世界の繁栄は急速に停滞するだろう、そうなっては元の木阿弥…規制には反対と言わざるを得ん」

「そ それは…」

「果たしてそうでしょうか」

デティフローアが納得しかけた瞬間 別の声が遮る、グロリアーナだ
デルセクト代表の魔術師にしてデルセクト最強戦力たる彼女の威圧は ガンダヴァハを上回るものであり、あっという間に流れはグロリアーナに移る

「魔術導皇殿の仰られた大いなるアルカナ、その違法魔術を使う者とは私も一戦交えたこともあります、彼のせいで同盟のうちの一つの街が半壊するまでの被害を被りました、彼のような人間が平然とのさばれば、魔術界の衰退以前に人間界が危険です」

「何を言うか、それは貴様の国の問題 、我等がアルクカースはそのような軟弱者に好きなようにさせはせん」

「さて?、ラクレス元王子に接触し 甘言を垂れ込んだのは大いなるアルカナの構成員と聞きますが?、…それに規制と言っても何も魔術研究に抵触しない範囲で行えば効果はあるでしょう、頭ごなしに否定するのは 逆に意見発案の萎縮を生むのでは?」

睨み合うガンダヴァハとグロリアーナ、グロリアーナは以前ヘットと相対し 不覚にも辛酸を舐めさせられたこともある、ゆえにこそその危険性は承知しているのだ

そんな二人のにらみ合いが遮る手の音が響き

「待ちたまえ、これはあくまで会議 意見交換の場ではないよ?」

リリアーナだ、コルスコルピで教鞭をとる現役の教師にしてその頂点たる彼女もまた言葉を挟む

「良しも悪しも含めて魔術は魔術さ、悪いものが増えたからとそれを縛るのは頂けないな、悪しき魔術が力を得たならそれから身を守る強力な魔術をこちらが作ればいい、私は縛るよりもむしろ発破をかける方がいいと思うなぁ?、魔術導皇の号令で魔術研究分野を大幅に強化すればいいさ 褒賞や援助を用意するとかね?」

「それでは犯罪者も強力な魔術を使うだけです、何も変わらないでしょう」

「ならもっと強いものを用意すればいい、武器の歴史と同じさ 行き着くところまで行き着けば、強い力同士は抑止力になる、力が均衡した状態 それは即ち平和と言うのではないのかね?」

「薄氷の上の平和にしか思えません」

「薄氷でも平和は平和さ」

「くだらん!」

グロリアーナとリリアーナの議論に一喝するゲオルグは机を叩きながら燃えるように怒り出す

「これは老師、如何されたのかな? あまり激昂されると長寿に響きますよ」

「若造に心配されるワシではないわい!、規制や発破に意味はない!、根本的な部分が手付かずではないか!、なぜ貴様らは悪人を許容する!己が欲のまま力を振るう者がいるからこう言うことになるのだろう!、我らテシュタル教は悪の存在を許しはしない!」

「流石はオライオンの枢機卿殿、世界一の大監獄を有する国は言うことが違いますね」

リリアーナの囃し立てる言葉にさらに青筋を立てる、優秀な魔術師でありテシュタル教の敬虔な信徒たる彼は世に蔓延る悪を許容できない、テシュタル様の教えにもある『悪人悪事悪業、決して許すことなかれ』と

「魔術導皇ならば悪の魔術師を纏めてぶちのめすぐらいやってみせよ!」

「えぇ、私ィ…?、それは私の管轄外で…」

「やかましい!」

「ひぃん…」

「老師、…お鎮まりください」

口を開く、激昂するかゲオルグに対し マレウスの魔術師 トラヴィス・グランシャリオが、魔術王ヴォルフガングに唯一並ぶとさえ言われる魔術師たる彼が、トラヴィスの言葉を前に 喧々囂々としていた会議の場は静まり返る

「私は魔術導皇殿の意見に賛同だ、魔術は行き過ぎた このまま行けばいずれ人の手を離れる、先に細ると言うならば それでいいではないか…元々何故人の手に有るかも分からない力、それを思うがままに未来永劫律することが出来ると何処に保証がある、ここらで手綱を引き その発展を止めるべき時が来たのではないだろうか」

腕を組み静かに意見を告げる、トラヴィスは魔術を極限まで極めた、一時期はいずれ万物さえ操れると息巻いた時期もあった、だが極めれば極めるほどに思うのだ 魔術の不可解さを、どうやっても分からない 説明できない部分が多すぎる

彼は日頃から魔術の事は殆ど分からないと口にしているが、それは謙虚でも謙遜でもない、事実だ 人は魔術の本質を一つまみしか理解できてないんだ

そんな力をこのまま進化させ続けていいものだろうかと憂いる

「んん?いいじゃないか、発展して人の手を離れるなら人もまた進化すべき時だ、生物が長い時をかけて進化したように人もまた魔術とともに進化するんだよ、停滞を選んだ種に待ち受けるのは衰退か絶滅だよ?」

「何故魔女が己の力を無闇に使わず 長い間沈黙しているか、その意味がわからない君ではないだろうリリアーナ、全人類が魔女のような力を持つのは危険すぎる」

「非魔女国家出身らしい いい意見だ、魔女の恩恵を受けたことがないからそんなことが言えるんだろうね」

「…君は、いや言うまい 論点はズラすな、今は魔術の規制云々の話だ、その果ての話はすれど 別のことについて議論するつもりはない」

デティは目を回す、想像していたよりも意見にまとまりがない、当初は反対か賛成かしか想定していなかったが、議論ではそれ以外の意見も多く出た…世の中二択に縛る事は出来ないのだ

すると、そんな議論を見て滑稽そうに笑う男が一人 ラーズだ、ラーズ・クレスケンスルーナ…トラヴィス同様マレウス出身の魔術師、トラヴィスを睨みながら口を開くと

「おやトラヴィス殿 随分魔術導皇の肩を持つのですな?」

「ん?、ああラーズ その通りだ、私は魔術導皇の意見を推奨するつもりだ」

「それは、貴方がかつて デティフローア殿の父君 先代魔術導皇ウェヌス・クリサンセマムの師匠をしていたからですかな?、弟子の娘は可愛いものですか?」

「ラーズ…君は」

デティフローアの父 ウェヌスはかつて、カストリア大陸一の魔術師と名高いトラヴィスの弟子として修練を積んだ時期があった、トラヴィス自身マレウスに在する物のアジメクとは関係深く、トラヴィスが今も魔術界の権威として存在できるのもかつて魔術導皇の師を務めていたところにも由来する

「実はこのような会議は茶番で、元より魔術導皇と貴方の間で話が済んでいるのでは?、魔術導皇と魔術界の権威である貴方たち二人ならある程度の無理も効くでしょうからなぁ!、トラヴィス殿?魔術導皇から如何程の『お礼』を貰ったので?」

故に勘ぐる、実は二人は繋がっていて こんな会議は最初から二人で押し通し我等を納得させるためだけのものだったのでは と、裏で貰ったのは金か?地位か?それとも両方か?と…

「そのような事があるはずがないだろう、確かに私はウェヌスの師だった…だがその事で魔術導皇殿に贔屓にされることもすることもない」

「さてそれはどうか、私にはこの一件 二人で魔術的利権を独占するための施策にしか思えん!、皆は良いのか!この男が裏で手を回し 我らを出しぬき 魔術界を手中に収めんと画策するのを、黙って見ているのか?」

立ち上がり雄弁に語る、トラヴィスは我らを出しぬき騙していると、真実は関係ない この男だけが魔術導皇に贔屓されていると、公平ではないと だから引き摺り下ろそうと、いつまでも自分の目の上のたんこぶとして居座るこいつを 気に食わないから七魔賢の座から降ろそうと扇動する

デティは慌てる、そんな協定結んでない だがここでトラヴィスが七魔賢から抜かれると魔術界に絶大な損失が出る、彼は日頃から多くの事柄において貢献してくれている、その事で贔屓はしないものの 彼がいるのといないのとでは大違いだ

すると

「阿呆が…見てられん」

ガンダヴァハが呟きそっぽを向く

「馬鹿だねぇ、そんなものも含めて飲み込み 踊るからこそ駆け引きは楽しいんじゃないか、せっかく楽しくなってきたんだ 水を差さないでくれたまえ」

リリアーナは嘲笑する

「悪とは断定するものでも推定するものでもない、確定するものだ なんの証拠も無しに嘯くでないわ若造が」

ゲオルグが怒る、皆 そのようなことには興味ないと言う態度を取り誰も乗ってこない、てっきりプライド高いこいつらならばこうして煽ればトラヴィスを敵視すると目論んでいたのだが、むしろ逆に締め出されるように一気に蚊帳の外に押し出されたのはラーズの方であった

「あ…あれ?」

「ラーズ殿、権力争い 権利争いがしたいなら、どうぞご自分の国でやってください」

「い いいのか?、みんなは トラヴィスが邪魔じゃないのか?」

グロリアーナの威圧に押され 言い澱むラーズ

その言葉に返ってくるのは無言…田舎の 『別に?』と言う冷ややかな視線、皆ここに議論に来てるんだから そういうのは別の場所でやってよ そんな視線だ、七魔賢が集まるこの場なら トラヴィスを引き摺り下ろせる絶好の場と見ていたラーズは思わず後ずさる

そもそも、ここにいるラーズ以外の七魔賢は別に七魔賢であることを誇らないし 別のやつがどうと考える事はない、皆が皆それぞれの分野で頂点を極めたが故に、そういった権威権利には興味がないのだ

「ラーズ殿…ご着席ください」

「なっ!?若輩の魔術導皇が何を…」

「着席 願えるでしょうか」

デティが声を上げる、座れと それは促しているのではない、言っているのだ この場の支配者が黙って座れと、そしてもう変な口を挟むなと…

デティフローアはまだ若輩だが、彼女の立場を確固たるものとしているのは その後ろ盾にある、もしここで怒りに任せて彼女に喧嘩を売るのは得策ではない、ましてや彼女が一言言えば自分は魔術貴族としての立場を失うことになる…

「くっ……」

屈辱に塗れ座るラーズ、結局はこれだ 結局トラヴィスばかり優遇される、沸き立つ腹の底を抑えながらも着席する、その敵意はトラヴィスから他の七魔賢にまで及んでいた

しかし、誰も気にしない ラーズはこれでも優秀な魔術師だ、そこはみんな認めている それでも、見ているところが違う、ラーズは上を 皆は己を見ていた、誰も同じところなど見ていないことにラーズだけが気がついていないのだ

「で、水を差されたがこの議論で魔術導皇殿は何か掴めたのか?」

ガンダヴァハは話を戻す、なんのかんの言っても決めるのは魔術導皇、そこに反発はすれど反抗はできない、彼女が是と言うならば是 、否と言うならば否、決められた事は瞬く間に世に広まる

そこで皆デティに注目する、目を閉じ 何か物思いに耽るデティを見て、皆が口を閉じる…そして

「そうですね、この場に出てこの場を設けて 理解した事が一つあります」

「ほう、なんだね?」

「世の意見は二分できないと言う事です、このまま私が無理に規制を強行すれば世に動乱を撒く結果に終わるでしょう、なので今日はこの一件 皆様の意見と共に持ち帰らせていただきます、ですが私はやはり違法魔術を使う人間を許せません、ここに手を加える事は確定である事はここに宣言します」

「まぁ、その時はまた呼んでくれればいいか」

「んん、もうお開きかい?残念だね」

「あまり何度も呼ぶでないぞ、あんまりにも早うに呼ぶなら今度はワシも欠席するからな」

ガンダヴァハ リリアーナ ゲオルグが口を割る、熟慮に熟慮を重ね結論を出すならそれで良い、結論を逃げたなど誰も罵りはしない、寧ろ決断には時間をかければかけるだけ良い、急ぐことがではあるが 急いだ結果事をややこしくしては意味がない

「我ら七魔賢 魔術界、延いてはこの世界の為にその名を持つ者、何かあれば直ぐにでも駆けつけましょう」

「ありがとうございます、グロリアーナ様」

「ああ、…次はヴォルフガング殿にも出席願いたいな、どうせ 聞いているのでしょう」

トラヴィスは虚空を見る、答えは帰ってこないが…きっとあの魔術王も地平水平の彼方の大陸で 白い髭を撫でて笑っている事だろう、いや彼は笑わないから 眼光を見開きあいかわらずの無表情でこちら見つめているだろう

「では、これにて導皇会議を終了したいと思います…皆さま、ご足労願い ありがとうございました」

デティがゆっくり頭を下げる共に幕は閉じる、導皇会議 七魔賢の集いはこれにて終わる、結論は出なかったが結論の種は得た、これを元に考え 最良の答えを出す、それがデティの…私の仕事だ

…………………………………………

「疲れたーーっ!!」

自室に飛び込むなり空中で身を翻しフカフカのソファに飛び込む、周りの目があるときにはこんな事できないが大丈夫、ここには私一人だ

何せここは魔術導皇の仕事部屋 おいそれと立ち入れる場所ではない、ここに許可なく入れるのは魔術導皇であるこのデティフローアだけなのだから

「ただ呼んで話をするだけでなーんであんなにピリピリするかなー!もー!」

頬を膨らませプリプリ怒る、今度行おうとした法整備について有識者である七魔賢を呼び寄せて話をしたのだが、ただ同じ机についてお話ししようってだけなのに 何故かみんなピリピリしていた、もっと和気藹々と話せないものか

「はぁー…んぉ?、あ!エリスちゃんから手紙来てる!」

ふと魔術筒から溢れる紙を見て 親友エリスから手紙が届いたことを察する、昨日は何故か手紙をくれなかった、というか エリスちゃんは務めて毎晩送るように心がけてくれているのだが、彼女の旅路はそう平和なものではない 送れない日もままある

修行に熱中していて送れなかったなんて日はいい、中には敵と戦っていて送れなかった なんて日もある、特にデルセクトにいる時は送ってくる頻度が薄かったことからあの国では相当大変な目にあっていたのだろう

マレウスに入国してからは比較的安定して送ってきてたのだが

「はぇ~、昨日は大いなるアルカナの本部で戦ってたんだ…、大変だなぁ…」

どうやらその敵との戦いの最中にあったらしい、詳しい事は何故かボカされていてどういう状況にあったのかは分からないが、エリスちゃんはたまにこうやって状況をボカす事がある、多分この手紙に書くには些か凄惨な事態が起こったのだろう

…エリスちゃんが送ってくるこの手紙は、私は何よりも好きだ、私は魔術導皇として国の外はおろか この城からも中々出られない、エリスちゃんはそんな私に代わって外の世界を見て私に教えてくれる

この城の中にいてまるで窮屈に感じないのは、きっとエリスちゃんと一緒に私も旅をしている気持ちになれているからだろう、彼女には感謝しかない

「でも無事でいてね、エリスちゃん…危険な事は出来れば避けてほしいな」

エリスちゃんには出来れば危険なことに突っ込んで欲しくない、という気持ちがある、それは親友として彼女を心配する気持ちと同時に、もう一つある…とても彼女には教えられないけれど、彼女には死んで欲しくない 絶対に

「よし!、お返し送ろう!なんて送ろうかな…今日の会議の内容送ろうかな、いや流石に導皇会議の中身を無関係の人間に送るのはマズイしなぁ…」

エリスちゃんと違い代わり映えしない日常を送る私はあんまり話の種がない、さて何を書こうかと考えあぐねていると…

ふと、扉が鳴る…ノックだ、来客だ

「あ、はーい!どうぞー!」

誰だろう、この部屋を直接訪ねてくる人間は少ない、スピカ先生はわざわざここに出向かず なんかこう脳内に語りかける魔術を使って呼び出すし、クレアさんかな?でもクレアさん今日は学園の入学式とやらに出向くとか言ってたから…誰だろう

「失礼する」

そう言って扉を開けたのは男だ、高い背 長い髪 鷹の装飾の施された杖をつき、悪い右足を庇うようにぎこちなく歩く男…

「トラヴィス卿!?」

慌ててソファに座り治そうと思ったが…いや違うな、立ったほうがいいなこれ、思わぬ来客にバタバタ騒がしく立ち上がる

トラヴィス卿だ、今日の導皇会議にお呼びした有識者である七魔賢の一人 、マレウスに住まう大魔術師トラヴィス卿だ、なんで彼が

「ああいや、すまない 寛いでいるところをいきなり訪ねて」

「あ…いえ…」

顔が熱くなるのを感じる、変なところ見られた…、魔術導皇として彼にはだらしないところを見られたくなかった、いや誰にも見られたくないがこの人は別だ

魔術界にその力を寄与してくださる偉人であると同時に、この人は私の父 ウェヌス・クリサンセマムの師匠なのだ、幼い頃 お父様はこの人をアジメクに招き直接魔術の手ほどきを受けていた

魔術導皇に手ずから指導…それは即ちの時代でトップクラスの魔術師であることの証左であり、彼が当時から抜きん出た存在であることを示している、父もお世話になった人 故に私はこの人に下手なところを見せたくないのだ

今日初めて会議で顔を合わせたけど、顔を見た瞬間緊張でどうにかなりそうだったし

「あ どうぞ、お掛けください」

「すまない、感謝する…最近どうにも体にガタが来ていてね、私の体ももうそろそろ限界らしい」

そう言いながら彼は私の言葉に従いソファに座る、こうは言っているがこれでもトラヴィス卿は今も世界中を飛び回り魔術の研究をしている第一線の研究者だ、マレウスに館はあるものの 殆ど帰っていないらしい…

「そ…それで、トラヴィス卿?今日はどのようなご用で」

「いや何、用…と言うほどの事ではないんだ、ただやはり ラーズの言った通り弟子の娘は可愛くてね、こうして 一度面を向かって話すまでは、死ぬに死ねないのだ」

私の顔を見に来た…だけ?、よかった会議で何か不出来な点があったから怒りに来たのかと思った、…いやまぁ分かってたんだけどね?この人が怒りに来たわけじゃないのは

だってトラヴィス卿の体から溢れる魔力はなんとも優しげな雰囲気だ、語らずとも表さずとも 私には分かる、こうして魔力を感知すればその人が大まかに何を考えているのか

魔力とは即ち魂だ、魂の色は誰にも誤魔化せない…そりゃ今何を考えているか そんな事まで詳しく分かるわけじゃないけどさ、でもなんとなく 気持ちは察せられる

「そうだったんですね、私はまた何か怒られるものとばかり」

「怒る?何故私が…?」

「いや、お父様が昔 よく師匠から怒られたとばかり言っていたので、てっきり厳しい人かと」

「なんだ、ウェヌスめ 娘になんてことを吹き込んでいたのやら、まぁ 偽りだと言うつもりはないがね」

はははと快活に笑うトラヴィス卿、やっぱり厳しかったんだ…でも長く病床に伏していた父が 立派に魔術導皇を務める事ができたのは このトラヴィス卿の教えによるところが大きい

父はいつも感謝していた、だから私も感謝している この人には

「…君の顔はウェヌスによく似ている、目元は特にだ…口元はきっと母君かな?、会ったことはないがさぞ美しかったのだろう」

「えへへ、よく言われます…、トラヴィス卿はお父様を今も慕ってくれるのですね」

「……、結婚式にも 君の出生にも 葬儀にも立ち会わなかった人間が何を今更と思うかもしれないが、彼を弟子に取ったお陰で私自身も変わる事ができた、弟子の存在は 師にとってもまた大きいのだ」

「いえ、気にしてないって言ったらアレかもしれませんけど、私はトラヴィス卿をそんな風に思ったことはありませんし、今日もこうして会えたことは喜ばしく思います」

トラヴィス卿ははっきり言って多忙な方だ、自宅に残した妻と子に会うことも出来ない程に、それなのに弟子の祝い事にいちいち顔を出すなんて余計無理だろう、だから仕方がないことだとは思ってる 父は少し寂しかっただろうが

「そうか、ウェヌスに似て優しい子だ、流石は友愛を統べる者か…そうだ、君に一つ贈り物があるのだった」

「え?私にですか?」

「ああ、聞けば先日は君の誕生日だったと聞く、年頃の女の子が何を欲しがるかというのは…少し理解が及ばなかったので、やや野暮ったいものになったかもしれないが、受け取ってくれるかい?」

そう言って懐から取り出すのは金の装飾が施されたペンダント、高いか安いか とかどうでもいいほどに、それは美しく輝いていた…、ハートのペンダントか、いいなぁ

「ありがとうございます、とても嬉しいです」

魔術導皇として多くのプレゼントを受け取ったが、なんだか…このプレゼントはその中でも随一の嬉しさだ、それはきっと この人自身が弟子の娘 私のことを思い、今は亡き弟子ウェヌスに殉ずる為に選んだものだかりだろうか

トラヴィス卿から漂う若干不安そうな それでいて慈しむような魔力は、私にもちゃんと伝わっている

「そう喜ばれると私も嬉しいな、…しかしそうか 君の誕生日は先日…、しかし…我が国の王バシレウス様と同日…魔蝕祭の当日に君は生まれたのか、とするともしかすると君のその類稀なる才能は…魔蝕の祝福によって与えられたものなのかもしれないね」

「ほぇ?、魔蝕の祝福?」

「我が国に伝わる胡乱な伝説さ、我が国の宰相殿は酷く信じきっているようだが、私に言わせれば魔術的根拠のない単なる言い伝えに過ぎないがね」

魔蝕か…聞いたことあるような無いような、多分マレウスに伝わる伝説とそれに類すお祭りか何かだろう、別の国のお祭りまで把握してないからなんとも言えないが 多分その日に生まれると縁起がいいとかだろうな…

もしかすると、この魔力感知能力の高さもそれに由来するとか?…調べてみる価値はありそうだ

しかし、マレウスの王様と同じ年同じ日に生まれていたとは驚きだな…会ってみたいな、そのバシレウスという人にも

「さて、渡すものも渡したし 私はそろそろお暇させてもらうとしよう」

「あ、お帰りになられるのですか?…そう急がずとも、我が城で一晩過ごされてはどうでしょうか、持て成しもちゃんと」

「いや、ただでさえ私は君との関係を疑われているんだ、贈り物をして一晩城に居座れば 今度は何を言われるか分からないからね」

そういうとトラヴィス卿は杖をついて立ち上がる、それを受け私もまた立ち 先んじて扉の方へ向かい開ける、右足を悪くされているのか?…あれでは長旅は辛かろうに

「ありがとう、…ご覧の通り 長年の無理が祟って 私の足はもう言うことを聞きそうに無い、そろそろ現役を引退する時が来たみたいだ」

「そんな…、今の魔術界の安寧はトラヴィス卿の尽力あってこそのもの…、私一人でやっていくのは…まだ不安で…」

「大丈夫、私の後は私の息子に継がせるつもりだ、仕事ばかりであまり構えなかったが…あれも優秀な子に育ってくれた、また機会があれば挨拶に赴かせるよ」

「息子さんですか…?、分かりました トラヴィス卿の息子さんならきっと頼りになる良い方だと思いますし」

「導皇殿の信頼にもきっと答えられる筈だ…、もしマレウスを訪れることがあれば 我が館に立ち寄って欲しい、その時は私の方から貴方を出迎えよう、弟子の娘は我が娘も同然だからね」

そういうとトラヴィス卿は扉をくぐり外へ出る…かと思われたが、その瞬間立ちとまり こちらを向かないままに声を発し

「ところで魔術導皇殿、『セフィロトの大樹』という名に覚えは?」

そう問いかけるのだ、セフィロト?何かの木の名前か?、生憎植物学は専門外だ

「すみません …存じません」

「そうか、なら『シリウス』については」

「シリウス?…それも聞いたことがありません、えっと なんの話ですか?」

「……、いや 知らないならいい、変なことを聞いた 忘れてくれ」

すると今度こそ 扉を潜り抜け城の廊下へと消えていく、なんだったんだ 最後に意味深なことを言って消えるなんて、気になるじゃ無いか…

かと言って呼び止めても答えてくれるような空気じゃないし、何よりトラヴィス卿の魔力が雄弁に語っている…その悲愴な覚悟を

「なんだったんでしょうか」

「彼も言っているでしょう、知らぬならそれで良いと」

「うぎゃっ!?」

いきなり背後に飛びかかってきた声に驚き飛び上がる、さっきまでこの部屋は私とトラヴィス卿しかいなかった筈!?

「ってなんだ、スピカ先生ですか」

「御機嫌よう、しっかり仕事をこなしているようでなによりです」

いつの間にやら私の背後 さっきまで私が座っていたソファに腰をかけ、紅茶を啜るのはスピカ先生だ、いつの間にと思いはするが この人ならどこからどうやってどのように移動してきても不思議はない

だって私の魔術の先生 スピカ先生だもん、何が出来たっておかしくない

「はい、さっきまでトラヴィス卿とここでお話をしてまして」

「存じていますよ、彼は未だウェヌスのことを気にかけてくれているようで…彼には私も頭が下がります」

スピカ先生が敬意を払う相手はあんまりいない、同じ魔女にも敬意は払わない、だけど この魔術界そして魔女世界に対して絶大な貢献をしたトラヴィス卿にだけは、スピカ先生も敬意を払うのだ

噂じゃ、お父様とトラヴィス卿を引き合わせたのはスピカ先生らしいし

「それで、彼…何やら去り際に意味深なことを口にしていたようですが」

「あ、はい…確か セフィロトの大樹がどうとか、シリウスがどうとか」

「ふむ…、己の半生をかけた探求の末…彼はそこまでたどり着いていましたか」

紅茶を啜る、だがさっきまでのは明らかに違う…何がって、漂わせている魔力だ、真面目…を通り越して身震いさえしてしまうほど、スピカ先生の魔力はおっかないものに変わっている

「スピカ先生は…知っているのですか?セフィロトとシリウスを」

「いえ、セフィロトについては知りません」

知らないんだ…

「でもシリウスについては…、いえ この件についてはまだ貴方は早いですね、もう少し大人になったら 昔話ついでに聞かせてあげましょう」

「えぇ、気になりますよ~、せめてそのシリウスって人がどんな人かだけでも教えてくださいよ」

「……、ダメと言ったらダメです 、それより仕事が終わったなら修行の支度をしなさい 今日は古式治癒術の修行をつけます、気合いを入れておきなさい」

「あ!、はーい!」

今日は古式治癒術か、エリスちゃんの使ってた古式魔術とはちょっと違うけれど、それでもどれも凄いものばかり どんな魔術も一発で取得できる私も こればかりは少し苦戦しているんだ、今日こそものにしてみせるぞ、そう意気込み準備を済ませ修行場へと向かう…


その部屋に スピカ先生ただ一人を残して





「…………デティ」

部屋に一人残されたスピカはただ一人、紅茶を啜る…

「何故、…シリウスという単語だけを聞いて、それが人名であると理解できたのですか…」

不可思議な感覚に眉をひそめながら紅茶を机に置こうとした瞬間 その手が止まる

「ッッ…!、またですか …最近頭痛が酷いですね、何やら微かに幻聴も聞こえますし…、デティに修行をつける前に、治癒魔術を使っておきますか」

頭を抑えながら謎の頭痛に喘ぐ、何やら胸中を渦巻く嫌な予感 …弟子の持つ奇妙な才能と謎の不信感、それを飲み込むように…彼女は一人 立ち上がる
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